このブログについて

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「坂東巡礼歩きの道」 にようこそ



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  このブログは、坂東三十三観音の全札所間を歩いて巡礼される方が、札所順や巡礼道などを検討される際に、何らかの道標(道案内)になればと思い開設しました。  

  内容は、書籍やインターネットなどから入手出来た坂東巡礼の記録や私の歩行記録などをもとに、その足跡を紹介するとともに、「現在での提案ルート」を紹介させていただきます。
 叉、地元千葉県内の坂東巡礼の古道と思われるルートについて、現地調査結果なども紹介させていただきます。

 なお、本プログの開設にあたっては、坂東巡礼の歩き巡礼経験者のホームページや資料を引用・参考にさせていただきました。叉、ネット仲間や地元の郷土博物館、公民館、住民の方々からも貴重なアドバイスや資料提供をいただきました。
 この場をお借りしてお礼申しあげます。
 合わせて、地図の使用をご快諾いただきました国土地理院様と「昭文社」様にお礼申しあげます。
 
 資料室として、引き続き内容の充実を図っていきたいと思います。
 坂東巡礼に関する記録や参考になる資料がありましたら、ご紹介をお願いします。また、巡礼経験者の実績情報についてもお待ちしています。

<お願い>
 当プログの情報は、参考情報として位置づけ、実際の巡礼においては自己責任において行動をされるようお願いします。
 特に、現地調査報告で取上げている峠越えの古道らしき道などは、地図とコンパスが使えるなど、それなりの知識・装備・体力を必要とするケースもあることに留意して下さい。

  開設にあたり H19.5 資料室整理係(舞浜のおじさん) *順次更新していきます。

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*本サイトは、右側のカテゴリ(目次)を、書籍の目次と同じ扱いにしています。 したがって、他ページへの移動は、右側のカテゴリ(目次)の項目をクリックして下さい。 なお、カテゴリ(目次)は、全ページの右側上部にあります。



<参考1> 提案ルート

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<参考2> 坂東巡礼の距離と所要日数(実績)
 ・舞浜のおじさん      1,
108km 36日(H 9年、日帰り、5万分の1地図上)
 ・ホームレスのテツさん   1,148km 45日(H17年、日帰り、万歩計より)
 ・大阪弁さん         1,153km 45日(H19年、4回の区切り、万歩計より)
 ・歩き旅さん        1,286km 50日(H21年、日帰り、万歩計より、国分寺の寄り道あり)
 
・バックパッカー田中さん  ?    40日(H22年、3回の区切り、ほとんどテント泊)
 ・マルセさん         1,970km 55日(H22年、日帰り、万歩計より、三社詣など寄り道が多い)
 ・橘さん           1,218km 40日(H26年、1週間程の区切り、泊り4回、日帰り、万歩計)
 ・滝山さん         1,372km   42日(H26年5月~10月、日帰り、33番~1番へ、泊まり3日)
 ・佐藤さん         1,347km  53日(H25年9月~H29年5月、日帰りが基本、泊り8日) 



<参考3> サイトの概要
 本サイトは、全ルートを歩く(つなぎ歩く)方への、歩き道に関する資料提供と情報交換を主目的とし、札所の住所・由来・縁起や車での巡礼ルートなどは省いております。それらについては、次のような書籍や他サイトを参考にして下さい。

a.坂東巡礼の基本を知りたい方  「坂東三十三観音 公式サイト http//www.bando.gr.jp/index
b.車での巡礼者の方 「車でめぐる坂東三十三観音」 坂東札所霊場会刊 2004年
c.坂東巡礼の現状などを学術的に勉強されたい方
  ・現代における「坂東観音巡礼と巡礼の道」に関する報告書-現代社会における巡礼習俗と巡礼の道に関する社会学的研究- 早稲田大学第一文学部社会学研究室 2000.3
 ・現代における坂東三十三所観音巡礼 早稲田大学第一文学部社会学研究室 2007.3



<参考4> 参考になる他サイト
a.千葉県の道標について知りたい方  「加来さんのHP(http://kaku-net.jp/)の「千葉県の道標」。地図上に詳しく説明されています。当サイトでは、「銚子街道の道標」などで大変お世話になりました。
b.坂東順礼独案内図にもとづき歩きたい方  「マルセさんのHP(http://maruse164.blog47.fc2.com/)の「獨案内の旅」。明治初期の迅速図(最初の測量図、関東地域のみ)を参考に丁寧に歩かれた記録がUPされています。当サイトには、多くの情報をいただきました。*一般の方には勧められないような所も歩いておられます。



<一番上のヘッダー写真>
 巡礼古道 千葉県木更津市滝の口・笹子境の道標(文化5年(1808年) 高さ130cm 南 高くら 一り かのふさん三り  北 ちば゛てら七り  西 木更津 二り 他)

金草鞋の坂東巡礼

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〇H23.2.17 追記 坂東順礼独案内図の詳細をアップ 「坂東順礼独案内図」の解説を、カテゴリの「6.文献調査結果 h.坂東順礼独案内図にアップしました。内容が良く似ていますので、そちらも参考にして下さい。

〇H23.1.22 追記  慈光寺の近くの「内が久ボ」の地名について

 マルセさんより次の連絡あり。「武蔵国独案内図(下図、江戸後期)から、「田中」と「モゝ木」の間に「内が久ボ」っぽく見える、それらしい地名がある。「関ホリ」、「関堀」です」

 (書庫整理係のコメント)
 これまで解読できなくて、距離から推測し「田中?」としていましたが、下図では独案内図に描かれている「内が久ボ」に似ています。しかし、良く見ると、文字としては「関ホリ」ですね。この絵は版画たから、彫刻の関係でこのようた字体なっていることが推察されます。なお、「関堀」と「田中」は隣接した村落で、現在も地名としてあります。これで課題が一つ解決しました。マルセさんありがとうございました。

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〇H23.1.18 追記    清水寺~御宿間の「ウかせ」の地名について
 マルセさんより次の連絡があり。「古地図「関東十九州路程便覧(下図、喜永元年(1848)明治維新の20年前)から考えると、独案内に書いてあるのは「ナカセ(長志)」の誤字と考えるのが一番妥当かと思われる。迅速図で見ると、長志は街道沿いのそこそこまとまった集落に見えます」

 (書庫整理係のコメント)
下記地図から、H19.12.29にあったコメンの「寄瀬」ではなく、清水寺から御宿に南下するルート上であることは間違いないようで、現在も長志(ながし)の地名はあります。独案内や金草鞋の「うかせ」と下図の「ウルセ」と読める文字解釈については、引き続き検討していきますが、①長志か下布施あたりということと、②海岸ルートでなく南下ルートであることは間違いないことが明らかになりました。 *南下ルートと海岸ルートについては、カテゴリーの「提案ルートの清水寺~那古寺」を参照
なお、

地元のいすみ市生涯学習課に、下図を確認していただいたところて゜は、「このような地名はない、布施では」の回答をいただきました。

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〇H20.9.30 追記  笠森寺手前の飯野について(続) 
 長柄町役場に「飯野」の地名存在を問い合わせたところ、見当たらないとのことでした。これとは別に、長柄町史(本編)を調べてみましたが在りませんでした。飯尾が妥当なところかもしれません。飯尾については、山根村字飯尾、飯尾不動堂、伊八の竜の彫刻の記述が。叉、飯尾の由来は、鎌倉時代以降の名族であった飯尾氏の居住、の記述もありました。


 〇H20.8.14 追記 笠森寺手前の飯野について
H19.12.29のマルセさんからのアドバイスより、飯野は矢野(長南の別名)と想定していましたが、古地図「関東十九州路程便覧」(下図、喜永元年(1848)、明治維新の20年前)において「飯ノ」の表記があり、別地点であるようです。
 ルートは、大網と土気の間を抜けていることから、東金~善安寺(小西、正法寺あり)~昭和の森~真名ゴルフ~国府里~飯尾寺~桜台~長柄町役場~高山~大庭~笠森寺あたりかと思われます。
 肝心の飯野については、飯尾寺が推測されますが不明です。
 十辺舎一九の小湊参詣では、「六地蔵の項」において、「このところより小西の妙香山正法寺とゆく道あり。これは法華宗の談所にてにちこく上人開基のところなり」と記述されており、このようなルートもあったことを裏付けるものです。

 引き続き調査が必要ですが、金草鞋や独案内において「大網」を経由していないことと、今回のルートは東金~笠森寺の直線ルートに近いことは、注目すべき事項となります。

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・線を引くとこんなルートになりますが、現地確認が必要ですね。

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〇H19.12.29 マルセさんからのアドバイス
a.東金~笠森間の「いヽの」は、矢野(長南)であろう。
b.独案内の清水~御宿間の地名を「下布施」としていると推察しますが、これは「与りせ」で「寄瀬(大原の旧称)」ではないでしょうか。寄瀬村新田大原が発展して、大原宿となったような記述が歴史の道調査報告にあります。
 巡礼ルートとしては、下布施ルートも大原ルートも両方使われていたとは思います。
<書庫整理係のコメント>
a.東金~笠森間の「いヽの(飯野)」については、富士見13州輿地全図の内安房・上総・下総三国図(天保14年、人文社)において、長南と矢野が併記されていることから、「いヽの」が「矢野」であれば理解できるところです。
b.清水~御宿間の「寄瀬」については、御宿から2里という距離は一致しておりOKですが、どうして「与りせ」が「うかせ」のような文字になっているのか? 「寄瀬」の寄の漢字にウカンムリと可(か)があることから「うかせ」のようなの文字表記になったのか、単純な誤記なのか?  皆さんなりのご判断を。


 「方言修行金草鞋第十篇 坂東順礼」の順礼ルート概要  H19.5.5
< 筆者のコメント >
・記述されている地名及びルーは、「坂東順礼独案内(江戸両国大黒屋平吉板)とほぼ一致しています。
・年代的にみると、当「方言修行金草鞋第十篇 坂東順礼」は西暦1817年(明治維新の51年前)です。一方、「坂東順礼独案内(江戸両国大黒屋平吉板)」は江戸末期ということですが出版年は不明です。
・いずれにしても、この両者がほぼ一致していることからみて、このルートは坂東順礼の一般的なものであったと推察されます。
・番外札所に関しては触れられていませんが、大山、日光、香取神宮、瀧の不動、猿田神社、鹿野山には寄っています。 
・江ノ島への参拝は記載されていません。

< 概 要 >
1.著者  十辺舎一九  文政元年出版(西暦1817(明治維新の51年前))
2.出典  (故)柴田顕成氏の翻訳資料による。奥様から資料提供していただきました。
3.本文の記述内容において、巡礼ルートに関する事項を抜粋すると以下のとおりです。
①西国巡礼は第一より順にまいれども、坂東はいろいろいりくみて順にまわることなりがたし、このほんはそれゆへ観音の順にかまわず道順よきやうにまわるなればそのこころへて見たまうべし。
②十一番吉見の観音、これも吉見の岩屋という観音岩のうちにあり、これより中仙道の鴻巣へ出なり、岩槻の慈恩寺ゆきてももよし、この草紙には岩槻をあとへまわしたれば鴻巣より熊谷にいりる。
③中善寺より今市までもどり、それより大渡、不入、玉入、高内、八幡などなど打ちすぎて太田原の駅にいたる。
④村松は奥すじへゆく浜街道なり、この所より水戸の御城下にいづる、上町、下町とわかれいずれもいたって繁盛の御城下なり、それより笠間のご城下にいでて佐白へまいる。
⑤那古より岩井、保田にいたる、日本寺という石の五百羅漢あり、ここをすぎて百首、安房、上総の境それよりかなうざん上総の高倉寺なり。 (注、「かなうざん」は鹿野山のこと。叶山の記載もある。)
⑥八幡より市川、松戸、新宿それより奥州街道へ出て草加、越谷、春日部を打ちすぎて岩槻道へ入り岩槻の慈恩寺へまいるなり。これより草加へもどる。
⑦この慈恩寺ははじめ十一番の札所吉見でらより鴻巣へ出この慈恩寺へまいりてもよし、その道筋はここにしるす、あとにてもさきにても損なしおなじことなり。武蔵、吉見、鴻巣、古市、小室、岩槻慈恩寺。
⑧この順礼その順にはまはりがたし、ただ道順よきようにまいるべし。
⑨その他
 ・慈光寺は、11番の吉見寺より鴻巣へ出て慈光寺へ参ってもよい、損なし。武蔵吉見~中仙道(2里)~鴻巣~(0.5里)~古市~(3里)~小室~(2里)~岩槻慈光寺
 ・峰が先~金子 難渋のところ 
 ・大野→秩父のしまぶへ 
 ・水澤→榛名山(2里)
 ・野田~大久保~惣社  高崎~越後の三国通り御道
 ・大谷観音~徳二郎  宇都宮~日光への道   
 ・大澤~今市 上州の倉賀野~日光への御道 
 ・大田原~日光  日光北街道
 ・真壁 筑波~下野の宇都宮へ
 ・滑川→成田3里、平6里 
 ・津宮 藤の木あり  
 ・清水→大多喜3里  
 ・高倉寺→木更津3里~海上18里江戸へ


(文中の地図)

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(現在地図への置換え)  *浅草寺が発願寺

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(経過村落の内容)

〇H22.4.18 一部修正(独案内の内容を補記他)

〇H20.2.7
・説明欄に現在の村落名(地名)を追記しました。
・村落名(地名)の位置は、JRの駅を基点に表示することにしましたが、方位と距離はおよそです。叉、駅名そのもので表示した村落名(地名)においては、かっての宿場町と現在の駅前付近とは少し異なるケースもありますので、それなりに判断して下さい。
・寺・地名の欄は、出展資料の内容をそのまま記載しております。


・その1

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・その2

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・その3(完)

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文献調査結果 坂東順礼独案内図

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〇H27.11.15 拝島宿の位置が、多摩川の右岸(8番側)であること

 現在、拝島町6丁目が飛び地的に右岸側に位置していること、又、多摩川の氾濫による川筋の変化、宿場町の移動も考えられることから、昭島市に確認してみました。結果として「江戸期も現在と同じ左岸側です」ということで、独案内図は間違いということになります。 下図は独案内図の拝島付近(部分)です

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〇H23.3.7  追記 メインルート外の神社・仏閣の一部を修正

  マルセさんからのアドバイスにもとづき一覧表を修正


〇H23.3.5 追記 メインルート外の神社・仏閣について
 本文の最後に表で示しました。
 なお、メインルート上において遠回りになるも寄っているところは、次のとおり。
・村松虚空蔵(日本三大虚空蔵、徳川家康や水戸徳川家の信仰が大)
 ・龍福寺(「岩井の滝不動」、湧水が非常に多く本堂裏に滝あり)
  ・樹林寺(夕顔観音、元禄期に桂昌院の望みで大奥にて御開帳)
  ・清澄寺(日蓮の修行の寺)
  ・鹿野山(天台の道場、家康の信仰が大)

〇H23.3.4 追記  飯沼観音先のルートについて

  おかしいところについて説明すると、次のとおりです。

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*参考  明治36年の地図(近代的地図では古いもの)
       網戸は、三方向からの交通拠点(飯岡・銚子方面、利根川の松岸河岸方面、横芝・東金方面) 

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〇H23.2.25 追記・訂正など
 マルセさんと歩き旅さんからアドバイスをいただき、不明であった地名や凡例などを追記・訂正しました。叉、距離(単位:里)を追記しました。マルセさん、歩き旅さんありがとうございました。*図と表は最新版に入れ替えました。

   「坂東順礼独案内図」の経過地の現在地名への置換え(H23.2.17)

1.本資料は、「坂東順礼独案内図」(大黒屋平吉板 江戸末期、人文社復刻版)の順礼経過地(地名)を、現在の地名に置換えた(翻訳した)ものです。

2.構図は、同図(元図)に合わせることで、新旧の対比が容易に行えるようにしました。なお、メインルートの内容は、カテゴリ「6.文献調査結果 a.金草鞋の坂東順礼」とほぼ同じですので、そちらの方も参考にして下さい。

3.本資料の作成に当っては、マルセさんからいただいた多くの情報、アドバイスを参考にさせていただきました。ありがとうございました。

4.メインルートでの、地名の「読み」と「現在地」への置換えにおいて、不確定要素の残るものとして、a.慈光寺の隣りの「うちがくぼ(関堀)」  b.笠森寺の隣りの「いいの(飯尾、飯尾寺)」  c.清水寺の隣りの「ふせ(下布施)」があります。 これらについては、「6.文献調査結果 a.金草鞋の坂東順礼」において補足説明・解明などをしていますが、皆さんのお知恵・アドバイスをお待ちしております。

5.坂東順礼独案内図には、大黒屋平吉板とは別に、西村与八板(こちらが古いか?)、中島屋松兵衛板、中川タケ板などもあるようで、再版が繰り返されるなかで、内容が変化・おかしくなってしまったところもあるようです。例えば、8番の先の拝島は多摩川の北側、27番の先の八日市は下総のエリア、27~29番のサブルートにおける「よこ芝」は上総のエリアでこの付近の内容には問題ありです。

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             〇坂東順礼独案内図(大黒屋平吉板、復刻版、人文社)

hitorimotozu.JPG              

〇現在での概要図

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〇現在の地名への置換え

a.右半分

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b.左半分

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c.表1 (1/2)

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d.表2  (2/2)

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〇メインルート外の神社・仏閣(H23.3.5UP、H23.3.7一部修正
・H23.3.7 マルセさんよりのアドバイスにより一部を修正
①水戸の右上 : 「不明」を大洗磯前神社(おおあらいいそさき)」に修正
②松戸の左(てん王) : 「柏神社」を「布施弁天」に修正。*布施弁天は古地図に描かれているが、柏神社は比較的新しい。版を重ねるにしたがって「弁天」が「てん王」に変化してしまったのだろうか?

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願主眞永が建立した銚子街道の道標 

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*H27.10.1 追記
加来さんから、道標建立の願主である真永は、どのような人であったかの情報をいただきました。ありがとうございました。
 平成9年11月23日の常総新聞に、海上郡誌に「大僧都(*僧正に次ぐ第二の僧階)海円上人の設けしものなり、上人は椎柴村塚本の人、28歳にして仏門に入り真永といいのち海円と改む」とあり、銚子市塚本町に御子息が現存し位牌、巻物などを所有しているとの記事がある。なお、道標は全部で13基あったが、13里道標は平成13年頃に盗難にあったとのこと。ところで、当初、道標は江戸の浅草寺まで計画されたようだが、資金難で滑川観音までになったようである。
 

*H20.9.14追記 
 加来さんから、交通事故のため仮置きされていた5里道標が、復旧した旨の連絡と写真を送って下さいました。ありがとうございました。この復旧は東庄町教育委員会をはじめATさん、加来さんのご協力、ご努力によるものです。ありがとうございました。これで全12基が完全に揃いました。

*H20.4.26追記
 加来さんが11里道標の現地確認をされ写真を送ってくださいました。叉、願主の文字も確認されました(真永のようです。どうも混用されているようです)。加来さんありがとうございました。

 これで全12基の現地確認ができました。万歳・万歳。
 ATさん、加来さんを始め成田市、神崎町、香取市、東庄町、銚子市の関係者の皆さんのご協力の結果です。ありがとうございました。 224年前の願主眞永の願い・思いが、これからも巡礼者の道しるべとして生き続けていくことでしよう。

*H20.4.18追記
 加来さんから連絡をいただきました。「願主の名前は、銚子市教育委員会の調査では3里と4里は眞永、房総石造仏研究会の調査では9里と10里は真永であった」。加来さんありがとうございました。
 資料によっては真水の記述もあり困っていたところで、サイト内を眞永で統一することにします。金田さんの資料は真永になっていました。

*H20.4.16追記
・11里道標位置 加来さんから文献情報をいただきました。その内容から位置を推定しましたが、どなたか現地確認されましたらご連絡をお願いします。加来さんありがとうございました。

*H20.3.28追記
・ATさんが8里の道標を発見されました。これまで探していた所より滑川観音側でした。
 叉、12里道標も、眞永のものであることを確認されました。
 これで11里を除き他は現地確認ができました。ATさんありがとうございました。感謝、感謝

*H20.3.6追記
 ・11里の埋没部の文字が判りました。この内容から眞永の道標ではないことが判明しました。したがって、11里は現状は不明ということになりました。;

*H20.3.2追記
・ATさんが巡礼において確認されました情報にもとづき、8里~1里の位置確定と写真を添付しました。ATさん情報提供ありがとうございました。これで全12基の現状把握ができました。
・12基の内、再調査・探索などのペンディング事項のある道標は次のとおりです。
 12里 小堂の扉を開けての記載文字の確認
 11里 埋没部の文字確認と保護
  8里 不明のため探索
・本道標は、12基という数ばかりでなく、天明3~4年に巡礼道が存在していたことを証明するものとして、文化財的価値が高いと考えられますので、関係機関に保護をお願いしていきたいと思います。

*H20.2.26追記
・ATさんから、5里道標が交通事故のため損傷し倒れている旨の連絡ありました。本件については、地元の東庄町教育委員会へFAXで連絡しました。現地確認し対応するとの回答がありました。

*H20.2.25追記
・8里が不明です。ATさんが文献情報にもとづき線路土手を再三調査されましたが発見出来ず。
・11里は頭部のみが露出で、埋没部の確認必要です。
 情報や発見があればご一報下さい。コメントから。

*H20.2.20追記
 ATさんが巡礼において確認されました情報にもとづき、12里~9里の位置を確定するとともに写真を添付しました。ATさん情報提供ありがとうございました。
 11里道標は頭だけで下部は埋っております(折損かもしれませんが)。露出部の観音像のお姿から眞永の道標と推察されますが、下部の確認が必要です。

    願主眞永が建立した銚子街道の道標     H19.8.18

 銚子街道(現国道356号)の滑川観音から飯沼観音間には、願主眞永が天明3~4年(1784~5、明治維新の84年前)頃に建立した道標が12基建っています。
 この道標には全て「飯沼観世音江何里」と飯沼観音までの里程が示されています。
 このことは、この時代には利根川に沿った巡礼道が存在し、大いに使われていたことを示しています。
 文献調査結果にもとづく12基の位置は、以下のとおりです。

*願主眞永について  H20.4.18追記
 どのような人であったのかを調査中ですが、「千葉県歴史の道調査報告書三 銚子街道 千葉県教育委員会 S62.3 P42」に、「願主眞永は「三里」目の碑の建っている、銚子市富川町付近の者と云うが確認はされていない」の記述があります。

〇滑川観音から飯沼観音方向へ
*H20.9.14追記 以下の地図には、ATさんと加来さんからの現地確認情報を反映してあります。

・12里 (小堂の中)

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・11里  (ルートより少し奥のT字路部)

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・10里 (満福寺門前の左側)

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・9里 (道路T字路の角。電柱の影にあります)

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・8里(踏み切りの手前、線路の土手)

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・7里  (諏訪神社の手前)

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・6里 (道路北側です。アタリヤ農園の看板の約100m手前)

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・5里 (神社の角。交通事故後の改修後)

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・4里 (東庄町と銚子市の境界の銚子市側。畑と雑木林の境)

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・3里 (富川町バス停の手前約25m。ブロック塀の中)

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・2里 (高田農協バス停の脇)

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   ・2里道標の再建の記録 (2里道標の基石側面に刻まれています)

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・1里 (長塚神明神社境内、入り口の左側)

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・アップ写真(1里~6里)

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・アップ写真(7里~12里)

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〇願主 眞永(真永)の文字(5里は眞永、10里と11里は真永)

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