2008年7月アーカイブ

坂東巡礼時間記録 2/2  (大谷寺~那古寺)


19.H5.3.26 (金) 晴れ  35.5Km
JR宇都宮駅 ~ 下川住町 ~ 白沢 ~ 阿久津大橋 ~ 氏家 ~ 早乙女 ~
    8:33         9:31         10:43    11:33        12:05   食事13:53
                       9:45        10:53                       12:50         14:03

 鹿子畑 ~ 志鳥(板橋) ~ 那須小川ゴルフ ~ 小川町(三輪) ~ 古墳見学
 15:00  15:43 16:03  16:40入り口    16:57 17:05   10ぷん
 15:10

 ~ 宿(越後屋・・・小川町)
    17:40

 *上野から新幹線で宇都宮へ。
 *身体の調子が良くなく、昼頃から足の裏が痛くなってきた。荷物を重く感ずる。
 *那須小川付近はゴルフ場が多い。
 *宿のすぐ手前にあった古墳を、時間があったことから見学した。小高い土の山といった状況で、半分は家の建設で削りとられていた。お墓も永遠ではない。
 *宿は非常に古い。屋内配線がガイシによる露出配線である。旅館と言うよりは民宿といったところで、長期滞在者(建設関係)が多いとのこと。一泊二食で5000円と安く、朝食はお代わり付きであったが、布団が重く部屋は寒々といったところである。
   おばちゃんの話では、数年前に歩きの坂東巡りの人が泊まったとのこと。   
 

20.H5.3.27 (土)  晴れ  24.4Km
 宿 ~ 唐御所横穴見学 ~ 馬頭 ~ 大内(馬坂) ~ 境明神峠 ~ 山田
 7:25  8:03 8:25    8:56  10:08 10:18  11:22    12:32
                    9:06                  11:32    13:42

 ~ JR 常陸大子駅
    13:56

 *唐御所横穴は、山の斜面の地層を上手に利用したスケールの大きい横穴であった。
  平将門の時代にお姫様が住んでいたとのこと。本当か疑問の残るところであり、真実は民家から隔離しなければならない何かの理由があったのではないだろうか。
 *健武の大鳥付近で道路脇に落ちていた千円札を見つけた。他にも落ちているのではと付近を捜したら、全部で7枚もあった。こんなに沢山落ちているのだから他にも万札が落ちているのでは、財布もあるのでは、と欲をだしてうろうろしたが見からなかった。人間は欲深いものである、反省。
 *境明神峠は、なだらかな峠で、峠らしくない峠であった。
 *時刻が早いが疲れていたのと日輪寺側は鉄道がないことから、大子駅でストップ。
 *大子駅では、約1時間半の待ち合わせであった。遅い昼食を駅の売店で弁当を買って  ゆっくり食べた。ビールが美味かった。
 

21.H5.9.19 (日)  晴れ  43.4Km
 JR         JR
 常陸大子駅 ~ 下野大宮 ~ (宿:荷物置き) ~ 中ノ内 ~  門ノ井(昼食)
  9:00     0:11 10:21 11:07 11:16  11:53  12:30 12:55

                                   NO.21
 ~ 小田貝 ~ 腐れ沢入口 ~ マナイタ沢分岐 ~ 林道途中 ~ 日輪寺 ~
   13:15     13:36 13:40  14:05    14:45 14:50  15:40 15:58

 マナイタ沢分岐 ~ 腐れ沢入口 ~ 本宮 ~ 中ノ内 ~宿(待月旅館・・白坂)
  16:59              17:25          18:24    18:53    19:30
  17:03         17:28         18:27
 
 *駅までは自転車で約15分、東京駅の山手線一番電車(4時44分)で出発。
  昼間は、人、人、人の中央通路もガランとしており記念写真を撮りたいくらい。
 *常陸大子駅まで約4時間、全く交通の便が悪く遠い。
 *腐れ沢入口から日輪寺までの林道は、途中から舗装なしのガタガタ道であった。
 *時間が少ないことから、行く時から飛ばしに飛ばして歩いたが、帰りの腐れ沢入口付近から暗くなり、ペンライトで道路脇の白線を照らしての歩行になってしまった。
   途中、後ろに何かの気配がすると感じたことから、ライトを照らすとキラリと光る目玉が二つ、背筋がゾーとした。知らぬ間に犬が後ろをついてきていたのである。
 *宿のおばちゃんが大変親切で、遅いからと途中まで車で迎えに来て下さった。しかし、風呂が温く翌日は風邪気味。
 *このあたりでは子供達が皆挨拶をしてくれる。これには非常に感心した。気持ちが良かった。
 

22.H5.9.20 (月) 晴れ  19.5Km
      JR
 宿 ~ 下野宮駅 ~ 池田 ~ 久野瀬 ~ 大塩 ~ 所谷(栗拾い)~  山造
 7:33  8:31    9:33   10:40   11:38  12:20           12:45
        8:35     9:48   10:54   11:45  12:36         12:49

 ~ JR上小川駅
    13:30

 *良い天気に恵まれたが、前日の無理がたたって足はガタガタ。豆も出来て辛いし前夜の温い風呂で風邪を引いたようである。身体がだるい。
 *所谷付近で道路にせりだしている栗の木が有り、栗拾いをした。今年は記録的な冷夏で米も栗も不作のようである。
 *大塩を少し行った丸木付近に、弘法水と刻んだ小さな碑があり、その下から綺麗で、冷たい水が流れ出ていた。タップリ飲むとともに水筒に入れて持ちかえった。なかなか美味しい水であった。近くで道路工事をしている作業者も飲んでいた。
 *疲れていることもあり、早めに切り上げることとし、JR上小川駅でストップ。電車が丁度来て、駆け足で乗車。
 *そんなことで昼食が遅くなってしまい、水戸駅からの電車の中で食べた。お茶がわりのビールがよく効いた。
 

23.H5.11.15 (月) 晴れ  34.3Km
 JR上小川駅 ~ 後野 ~ 山方宿 ~ 岩崎(昼食) ~ 富岡橋 ~ 大方~
  8:50        9:40   11:03  12:12 12:40  13:45   14:48
            9:52   11:08               13:57    14:55

   NO.22
 佐竹寺 ~ JR谷河原駅
 16:10     17:00
 16:25

 *今回も東京駅の山手線始発で出発。月曜日の水郡線は学生で満員であった。
 *紅葉の山連と色づいた柿の木にかこまれての、久慈川沿いの道は、下りであることも  あり快適であった。今年は冷夏であったが、紅葉と柿には関係がないようである。
 *新調の靴であったことから、少し歩いただけで左足の親指が痛くなった。帰って2~  3日たったら、親指の爪の半分が黒くなってしまった。
 *小貫橋と富岡橋のほぼ中間に位置する久慈岡にある潜水橋を渡った。四国吉野川の潜  水橋の規模には及ばないが、水が足元をとうとうと流れていた。上流で大きな橋を建設中で、そのうちこの潜水橋は無くなってしまうのであろう。
 *佐竹寺は、7~8匹はいる思われる犬がギャンギャンと吠えまくり、まったくうるさいといったらどうしょうもない。お寺まいりの人が来るたびにこうなのかと思うと、住職の常識を疑ってしまう。お参りの人を温かく迎えるのが観音様ではないのか。お茶の一杯も出してはとは言わないが? お茶を飲むだけで帰る人はいないでしょう。
 

24.H6.1.1 (土)  晴れ  34.8Km
                  (久慈川)         (那珂川)
 JR谷河原駅 ~ 中野 ~ 栄橋 ~ 静神社 ~ 千代橋  ~ 石塚 ~ 宿
   8:00     8:47   9:25  10:15    11:00   11:40  12:52
             8:55           10:28              11:47  13:00

                                NO.23
  ~ 中山峠 ~福田(東中学校)~ 佐白観音 ~ 笠間稲荷 ~ JR笠間駅
    13:22  14:00 14:07   15:23    15:50     16:20(16:33発)
                         15:46    16:00

 *3時50分起床、4時15分マンション出発、東京駅4時35分着。今日は元旦につき山手線は昨夜からの終夜運転中で、何時もと違って駅には大勢の人がいた。旅行者、初詣の人、浮浪者など。
 *常磐線の水戸駅手前で初日の出。時刻6時53分頃。電車の中から、写真を撮る人、手を合わせる人、ただ眺める人などいろいろ。
 *静神社は、露店も出て初詣の人も多くみられた。これに釣られてお参りをすることにした。関東の三大鎮守のようであるが全然知らなかった。大きな杉の木が参道(階段)脇にあり、神社らしいおもむきであった。本殿脇では古いお札を燃すための焚き火もしており、田舎にいたころの正月を思い出した。
 *福田(滝沢)付近に坂東、西国、秩父、四国の巡礼碑があった。江戸時代のもの。
 *佐白観音の住職さんは気持ちのいい人であった。お正月につき干支の置物(石けん)が無料で置いてあり頂くことにした。あ茶とお菓子も頂き感謝、お礼の意味も込めてお孫さんらしき子にお年玉(千円)をあげた。
 *笠間稲荷は、日本三大稲荷と言われているだけに初詣の人が多かった。
 

25.H6.1.15 (土) 晴れ  36.4Km
 JR笠間駅 ~ 入道 ~ 鏡ケ池 ~ 小塩 ~ 関場 ~  県境 ~ 本郷 ~
  8:20          9:27    9:58      10:25   11:48  12:04  12:44
            9:35            10:40  11:58

 NO.20
 西明寺 ~ 本郷 ~ 山本 ~ 県境 ~ 入野 ~ JR岩瀬駅
 13:55  15:10  15:24  15:55  16:50  17:30
 14:15          15:31           16:55

 *入道付近は花崗岩の産地で、石の切り出し場と加工場が沢山みられ、休憩時間中の人と少し話をした。明治時代以降に切り出しが盛んになったとのこと。
石と土砂を運搬するダンプカーで、小塩の先までは埃を被ったり、車を避けたりの歩行で大変であった。
 *鏡ケ池と言う桜川の水源池があった。岩瀬町の案内板があり「紀貫之」の和歌にも歌  われ有名とのことであるが、岸辺にゴミが多かったことが気になった。
 *本郷から西明寺までの道は、行きは少しでも近道をと山越を選択したが、入口が判らず近くの農家に聞いた。「道が悪いが昔は乳母車が通った」との話しを頼り歩き始めたが道の形跡も無くなっているところも多く、途中で脇道に入ったり、倒木を乗り越えたり、くぐったりで大変であった。乳母車が通っていたなんて信じがたい。
  前日の雪が少し残っていてグチョグチョのところもあり、ズボンの裾を汚すことも  あって戻ろうかと思ったが、地図と磁石を頼りに意地で通り過ぎた。猟銃の空薬莢を拾った。
 *西明寺は、落ち着いた感じの良いお寺であった。益子焼きの産地につき、御詠歌の書  かれた湯飲みを記念に買った。
 

26.H6.9.3 (土) 晴れ  30.7Km
             NO.24
 JR岩瀬駅 ~ 雨引観音 ~ 長岡(二神川) ~  羽鳥 ~ 上大島 ~ 沼田 ~
  7:30          8:41 8:58   10:07       11:32     12:25      13:35
                            10:30       11:37     12:50

 NO.25
 大御堂 ~ 筑波山神社 ~ 北条 ~ 小田(十字路バス停)
 14:15  14:38 14:43  15:42       16:43
 14:35                   15:50

 *残暑厳しい日であったが、半ズボンの軽快なスタイルで歩いた。
 *雨引観音は静かな所で、セミが沢山鳴いていた。
 *推尾付近には灯籠などを造る石工さんの工場が多い。技術向上に貢献した石工さんの記念碑があった。
 *沼田から大御堂へは歩道を歩く。登りの途中にあった店で休憩した。大きなキュウイの木があり、店の人の話しでは、オスとメスの木があって両方がないと実らないとのこと。
 *筑波山神社は立派で、宮女に道を聞いた。
 *中坪の下りで句碑を調べていた人達に会う。「雪は舞うさず、紫の筑波山」-阪部らん雪。芭蕉の門弟。意味が良く分からない。
 *北条は古い城下町のような落ちついた感じのよい町である。
 *時間と疲れから小田(十字路)で止め。バスに乗り帰宅。バスがすぐに来た。
 *羽鳥付近で飲んだ水道の水にあたる。土浦までのバスがつらい、土浦駅で即トイレ。
 

27.H7.7.27 (木) 晴れ  17.3Km
 バス停              NO.26
 小田(十字路)~ 沢辺 ~ 清滝寺 ~  大志戸(昼食) ~ 土浦北地先~  JR 土浦駅
  11:10         12:00  12:07    12:50 13:30    14:30      17:12
         
 *小田(十字路)の11時10分遅いスタートである。
 *小田(十字路)~沢辺の道は、近くに採石場があるためダンプが沢山通る。道が狭く危険だしほこりもすごい。
 *沢辺付近で近道をしようと田んぼ道を通ったが、途中で道がなくなり後戻り。
 *清滝寺で寺番のおじさんと話す。檀家のない寺とのこと。1000円寄付した。
 *昼食をとるため食堂に入ったが休み。店のカップラーメンを食べさせてもらった。
  なお、暑いため1時間程休ませてもらった。夏祭りとのこと。
*着替えのため土浦駅前の公園へ歩いているときに、サイフを拾った。8000円入っており駅前の交番へ届けたところ、東京へ帰った夜に電話があり落とし主が分かった。後日切手同封の礼状が届いた。カメラマンでニューヨークの夜景写真も同封されていた。
  お金よりカード類が戻ったことに感謝、感謝の文面であった。
 

28.H7.10.15 (日) 晴れ  30.2Km
 JR土浦駅 ~ 中郷 ~ 吉原(小原橋) ~  久野町 ~ 奥原町 ~ 下倉山
   7:30          8:39      9:56 10:03    10:56     11:45    12:58
                  8:49                             11:03     12:03     13:18
 ~ 下加納 ~ 上金江津 ~ JR 滑川駅
   12:24     15:24      16:10
   14:33    15:34

 *土浦駅をスタートした直後に時計のバンドが切れた。コンビニで瞬間接着材を買って貼ったが良く接着しなかった。このため、ポケットへ入れて歩く。
 *2時間程歩いたところで足の裏が痛くなった。これまで経験しない状況で最後は足を引きずってのヨレヨレ歩き。滑川観音まで行きたかったが中断して電車に乗る。
 *久野町付近の水田の用水路で釣りをしている人が多くいた。あまり釣れていないようだが魚はいるようである。土手を歩いていると魚の逃げるのが見えるから。
 *伊佐津付近で柿を失敬して食べたが、これが渋柿で口の中がモヤモヤ。うがいする水筒の水も無くモヤモヤ状態でしばらく続いた。悪い事は出来ない。
 *下加納付近の水田は耕地区画整理がされており、直線の農道を歩いたが変化がなくて疲れた。
 *滑川観音の位置を地図上で間違えていてルート取りで往復 3kmのロス。
 

29.H7.11.4 (金) 晴れ 31.4Km
             NO.28
 JR滑川駅 ~ 滑川観音 ~ 滑川駅前 ~  JR横断(小松) ~ 神崎神社前
     7:50         8:05        8:52           9:35 9:46            10:22
                    8:37

 ~ JR横断(群) ~ 西部田 ~ JR横断(谷中) ~ JR横断(森戸)
    10:40           10:58        11: 24         12:08
                           11:14

 ~ 佐原(昼食) ~ 篠原本田 ~ 東関東自動車道 ~ JR水郷 ~ 宗田
      12:40 13:19  13:40    14:57 15:02   15:23    15:58
                   14:03                               16:00

  ~ JR小見川駅
    16:30

 *地図を忘れた。神崎神社前を大回りしロス。
 *昼食時の食堂トイレの花が綺麗であったことから、お釣りをチップとして渡した。
 *神崎は、学校でのイジメが報道されたところ。
 *香取神社の鳥居が利根川の堤防にあり、川と関係がありそうである。
 *全体的に道が狭く歩道が殆どない。交通事故の多いことが考えられる。
 

30.H8.1.1 (月) 晴れ  19.0Km
 JR小見川駅 ~宿浜(笹川変電所前)~ 新宿 ~ JR下総豊里先 ~ JR稚柴先
   6:15      7:10  7:30           8:30     9:48 9:57    10:58
                                  8:45                 11:06
              NO.27
 ~ JR松岸先 ~ 飯沼観音 ~  納教所  ~ JR 銚子駅        電車で犬吠崎へ
    11:57    13:00                   14:00
     12:05

 *元旦で犬吠崎への道のためか車が多い。佐原からのマラソンの人が追い抜いていった。
 *笹川では天保水滸伝で有名な笹川親分の墓にお参りしたが、正月というのに飾りもなく
  寂しい。平手御酒の墓も並んでいたが碑は大きい。
 *飯沼観音の納経所は、寺とは別の場所にあり探すのに手間取った。時間のロス。
 *足には豆が出来痛い。全体的に調子が悪い。
 *犬吠崎は初日の出の見学が終わった後で人出が多いがゴミも多い。ここで食事。
   初日の出のために東京からの特別バス、電車が出ているようである。
  岬特有の景色、潮の香りがした。足摺岬、室戸岬、潮ノ岬と同じである。さらにイカの焼く匂いも。
 *銚子は醤油の町で醤油工場が多くみられる。またその臭いもしていた。田舎における山安味噌製造の蔵の近くの風景を思い出した。
 

31. H8.3.3 (日) 晴れ  31.0Km
 JR銚子駅 ~三崎町3丁目 ~ 飯岡 ~ 蛇園 ~ 若衆内 ~ 新川(橋) ~
   8:40    9:42 9:58     11:10  12:07   13:50      14:12
                            11:21 12:30   13:58

  JR干潟先 ~ 椿 ~ JR八日市場先 ~ JR飯倉駅
  14:34       15:06      15:49           16:24

 *足に豆が出来た。(左足)
 *銚子から少し歩いたところで、黒い女ものの帽子を拾った。持ち帰った。
 *銚子~飯岡間はなだらかな山越え。
 *飯岡では講談で有名な飯岡親分の墓にお参りした。1月1日にお参りした笹川親分の  墓と比べこじんまりしている。墓の横に説明板があり「講談の内容とは逆で飯岡親分の方が善人であった・・・」と、又綺麗な花が生けてあった。正月にもかかわらず花の無かったが笹川親分の墓とは対象的である。時代によって人の評価も変わる。本当の評価とは何であろうか?
 *飯岡付近から先は強い北西の風を正面から受け歩くのが大変なほどであった。叉、道と景色に変化もなくておもしろくない。
 *閉店廃業したパチンコ屋の建物の日溜まりで風を避けて休憩したところ、足元に蟻が  せっせと動いていた。接待の飴をあげたらいっぱい寄ってきた。寒い冬を越して腹がへっていたのだろう。

 

32.H8.6.2 (日)  晴れ 28.6Km 
              JR    JR
 JR飯倉駅 ~ 光町 ~ 横芝 ~ 松尾先 ~ 富田 ~ 姫島 ~ 台方 ~
 8:40(8:52)  9:20     9:55     10:39    11:51    13:03   14:32
                 9:35               10:50    12:01    13:30    14:54

   ~ 山田  ~ 本郷台(bus stop)      バスで千葉駅へ
    16:00   16:57
    16:10

 *JR飯倉駅前での着替えでメガネを忘れてしまい、5分程歩いて気づいて戻ったころ  あった。日曜日で人通りの少なかったのが幸いした。
 *今回も足に豆が出来た。右足で左足は何ともない。
 *路地の花が綺麗で良い季節である。
  *JR成東駅先の踏切は、何処かで見たところだと記憶をたどってみたら、今朝電車の中から見た光景であった。
 *千葉東金道路の山田ICに向かっての歩道は、料金所の前で途絶えており歩行不可となった。止むを得ず200mほど戻り一般国道を歩く。このあたりは急な登りである。
 
 
 33.H9.1.3 (金) 晴れ  22.6Km
 バス停                   NO.29
 本郷台 ~ 宮田 ~ 大宮IC横 ~ 千葉寺 ~ 蘇我(淑徳大先) ~ 古市場町~ JR浜野駅
  8:20       9:30    10:35       11:41                  13:40    14:10
              9:40    10:47      12:15

 *千葉駅でのバスの時間待ちが長く寒かった。正月でもあり店も開いていない。
 *千葉駅から本郷台までのバスは、距離があり時間がかかった。客は少ない。
 *白のジャンパーに赤のバックと、目立つ完全防寒の服装で歩くが、そんなに寒くない  天気である。
 *東金街道の旧道の分岐点に街道を示す石碑があった。最寄りのバス停は宮田である。
 *森の公園付近は道路工事中で、非常に歩きづらかった。
 *千葉寺は、お正月でお参りの人が多い。
 *歩き終わるには時間が早いが、お正月でもあり古市場町13時40分で打ち切り。
  JR浜野駅へ歩いて戻った。(約20分)
 

34.H9.6.22 (日) 晴れ 36.6Km                       NO.31
 JR浜野駅 ~ 久々津 ~ 潤井戸 ~ 皿木 ~ 刑部 ~ 笠森観音 ~
  7:50         8:40         9:40     10:50     12:00  13:20
               8:50       10:00      10:55   12:20  14:00

                                 いすみ鉄道
   茗荷沢(長南変電所前) ~ 市野々 ~ 鍛冶町 ~ 大多喜駅
   15:10 15:20           16:20     17:30       18:00
                    16:28    17:37

 *全体的にゆるやかな登り道である。
 *潤井戸で半ズボンに着替える。
 *長柄山の近くに無線施設があり、アンテナが林立していた。飛行機用か?
 *ラジコン用のグランドがあり、飛ばしている人がいた。なかなか上手であった。
 *笠森観音は、ガイドブックにも書いてあるとおり見応えのある建物である。
  お隣さん(多田さん)の奥さんがおめでたなので、安産用のお守りを頂いた。
 *長南変電所の近くを通った。この変電所の電線引き込みの設計を職場の中川君がした  こともあり、写真を撮った。帰って渡した。
 *大多喜駅で取り止め。遅くなってしまった、18時。茂原駅経由で帰る。
 

35.H9.6.24 ( ) 晴れ  37.1 Km
 いずみ鉄道         NO.32
 大多喜駅 ~ 中山 ~ 清水寺 ~ 国吉駅先 ~ 船子 ~ 米原 ~ 小草畑
  9:15    10:15  12:00    13:33    15:00  16:25  17:15
          10:24   12:25    13:40    15:17  16:30

               小湊鉄道
 ~ 古敷谷 ~ 飯給駅
   18:48    19:20

 *地図を間違えて持ってきてしまった。大多喜駅の近くの本屋でガイド地図を買うが、スケールが大きくて不便。
 *暑い日である。国道歩きは単純で辛い。
 *国吉~清水寺間は旧道で、車も少なく樹木の日陰側を選んで歩く。
 *梅の実がちょうど色づく季節で道路に沢山落ちていた。このあたりでは収穫しないようで、梅酒を思い浮かべながらもったいないなと思った。
 *大多喜~清水寺間は同じ道を往復した。大多喜での戻り時刻が15:15 であったが、無理を承知で飯給駅まで行くことにした。羽黒山への登りの国道は急坂で暑くて参った。
 *吉沢で道を間違える。ゴルフ場用の道路で関係者立ち入り禁止の表示があったことから通行しなかったが、これが間違いで約2Kmのロスになり山道で薄暗くなり焦った。
 *飯給駅着 19:20で、無人駅。駅の近くの売店の自動販売機でビールを買う。美味い。
  駅に近くのオバチャンがいて、世間話しを少しする。 景気はよいですか
 

36.H9.10.9 (木) 晴れ  34.3 Km                                                                                         NO.30
 飯給駅 ~ 吉野 ~ 小櫃駅近く ~ 戸崎 ~  草敷 ~  高蔵寺 ~ 台木
  8:20    9:40            10:50   11:55   12:22
          9:48            10:55    12:00   12:43

 ~ 長石 ~ 根木 ~ 中島 ~ 皿引 ~ 大山野 ~ 稲子沢 ~ 山王塚
           14:30  15:09        16:22    17:00   17:18
            14:40

 ~ 宝竜寺 ~ JR佐貫町駅
   17:26      18:00

 *電車の乗り継ぎが最悪で、出発が遅くなってしまった。(舞浜 7:00 出発)
 *東京湾横断道路の完成が今年の12月で、それに関連した開発用の山砂の運搬用ダンプが数珠つなぎの状態で危険そのもの。スピードも落とさない荒い運転だ。
 *前夜は風が強く、そのためか残り少なくなった山栗が道に沢山落ちていた。拾いながら歩いたことからスピードが出ない。帰って茹でて食べたが、小さいことから割ってスプーンでかいて食べた。家族は誰も食べなかった。
 *高蔵寺から少し歩いたカズサアカデミアパーク内の新しい道で、道を間違える。約25分のロスで疲れた。自分のいる所が分からなくて。地図に無い道である。
  道を間違えたことでアカデミア送電線の終端部が見られた。写真を撮って設計を担当したS君へ後日送った。
 *泉付近でも道を間違える。道路工事の交通整理のアンチャンに聞いたがこれが間違いで、全く頭にきてしまう。途中で車を止めて教えてもらい現在位置を確認した。
 *佐貫町駅への到達は遅くなってしまい18時、真っ暗である。
 

37.H9.10.12 (日) 晴れ 32.6 Km  
 JR
 佐貫町駅 ~ 船端 ~ 上総湊駅先 ~ 竹岡駅先 ~ 明鐘岬 ~ 安房勝山駅前
  8:35                   9:48         11:05        12:20         13:30
                            10:05          11:10       12:27       13:36

                       NO.33
 ~ 岩井駅先 ~ 木ノ根峠 ~ 那古観音
             14:40    16:10
             14:50

 *佐貫町駅前の広場に兎を入れたバスケットを持ったすこし精薄の少女がいた。タクシー運転手がからかっていたが、運転手も運転手だ。
 *東京湾観音が白く大きく見えた。立派なものである。
 *駅から上総湊駅までは旧道を歩く。海岸は海水浴場が広がっている。地図に山砂を運搬する軌道の線が2本ありどのようなものか期待していたが、廃止されており残骸が少し転がっていた。
 *上総湊駅先の湊川左岸におる農協前で半ズボンに着替えたが、その後は軽快である。
 *鋸山付近の国道は、岩の海岸線いっぱいのところにあり見晴らしはよいが、狭く歩道 がない。ところどころにあるトンネルは特に狭く、車も運転が荒く危険そのものである。赤色の点滅注意灯を持っていってよかった。
 *保田には会社の保養所があり10年前ほどに来たことがあったが、港はその時より広々とし綺麗になっていた。
 *木ノ根峠の登り口で農業の人に道を聞く。ここの登りはきついがトンネルからの下り  はなだらかで、車も少なく快適である。道の両側には農家が点在しており、ビニールハウスで花を栽培しているようである。ラジオを聞きながら作業をしておられノンビリムードであった。
 *地図上の距離からいくと那古観音の17時門限に間に合うかどうかのため、休憩を取らないで急ぎに急いだ結果早めに着いた。木ノ根峠からは道が下りであったこともあり。
 *那古観音で満願の証を頂いた。境内からの景色はグッドである。
 *これで板東も満願であるが、特別の感動は沸いてこなかった。朝には「今日で満願」とそれなりの意気込みがあったのとは反対に。
    でも、元気に事故にも会わず完歩出来たことは、観音様のおかげ。
    ありがとうございました。
 *H3年5月から7年間、初めの頃に歩いた道やお寺の名前も、記憶が薄れてきている。

坂東巡礼時間記録 1/2  (弘明寺~大谷寺)


1.H3.5.4 (土)  晴    28.8Km
  NO.14                                                 NO.1
 弘明寺 ~ 磯子ゴルフ場横 ~(釜利谷町)~ 朝夷奈切通し ~ 杉本寺 ~
 8:40   10:00  10:13            11:35 11:40   12:15 12:30

  NO.2                 NO.3               NO.6
 岩殿寺 ~(名越切通し)~ 安養院 ~ 昼食(市街) ~長谷寺 ~(七里ケ浜)~片瀬江ノ島駅
 13:20            14:05    14:20 タンメン  15:05          16:15
 13:30            14:15    14:40          15:15

 *五月の連休にて、息子と歩き始める。これから千キロを越える長い歩きである。
  坂東は家から近いことから、日帰りを基本に、気長に時間を作って歩こう。
 *横浜刑務所の近くで道を間違える。刑務所は高い塀に囲まれ窓には鉄格子があった。
 *朝夷奈切通しは、歴史を感じさせる良い所であるが、道はじめじめで歩きにくい。
 *鎌倉は、連休とNHKドラマ(頼朝)の影響で物凄い人出。意のまま歩けないほど。
 *長谷寺の観音様は立派である。観光客ばかりで拝礼している人は殆ど見かけない。
 *江ノ島の弁天様にお参りした。サーフィンの若者が多い。
 ・切符 日本橋~弘明寺 530 円、門前仲町~日本橋 140円
 

2.H3.6.9 (日) 晴   32.2Km

 江ノ島駅 ~ 茅ヶ崎市汐見台 ~ 柳島海岸 ~ 湘南大橋 ~ 花水川橋 ~
  8:15       9:18  9:28     10:35          11:00        11:40

 大磯市西小磯 ~ JR二宮駅先 ~ 中村川 ~ 前川 ~ JR国府津駅 ~
 12:41 (血洗川) 14:00 14:10 14:36  14:52   15:10
 13:10
                NO.5
 森戸川 ~ 中里 ~ 勝福寺(飯泉観音) ~ JR鴨ノ宮駅
  15:22 15:38    16:07          17:50

 *江ノ島では、もう、海にきている人が多い。
 *海岸のサイクルロードでは、自転車とランニングの人でいっぱい。
 *花水川橋では、ボラの大群が見られた。
 *血洗川は、血刀を洗った川とのことだが、今はその面影はみられない。
 *大磯( 西湘パイパス) では、近道をしょうとして道を間違え遠回りをしてしまった。
 *JR国府津駅から飯泉観音まで、真っ直ぐな巡礼街道があるものの、門前町的な風情は全くみられない。また、石碑なども見当たらない。
 *勝福寺では、観光バスの団体さんがお参りに来ておられた。
 

3.H3.6.16 (日)  晴れ  33.5Km
 JR鴨ノ宮駅 ~ 近戸神社 ~ 中村川 ~ JR二宮駅先 ~ 大磯町寺坂 ~
   8:16        9:13    9:40   10:07 10:15  11:10 11:20
               9:23
   NO.7             (小田急 跨線橋)     (東名高速 橋下)
 光明寺(金目観音) ~ 光明寺先スーパー ~ 伊勢原市千津 ~ 辻尾崎 ~
 12:40          13:12 13:37 昼食      14:24        15:00
 12:55                            15:10
                       NO.6
 厚木市日向川 ~ 順礼峠 ~ 長谷寺(飯山観音)      バス停
  15:50      16:22       17:23         5分

 *光明寺(金目観音)は、金目川のほとりにあり、静かで落ち着いた雰囲気であった。
 *途中、大山詣の道標(石碑)を見かけた。
 *順礼峠(大山詣での)の道は、整備された良い道である。峠は公園になっており地蔵がある。  
 *長谷寺(飯山観音)の納経は17時迄で間に合わず、お参りだけにした。
  寺の近くは温泉街で旅館が多い。付近のゴルフ場の客が多いようである。
 

4.H3.11.3 (日) 晴れ  10.3Km
         No.6
 バス停 ~ 長谷寺 ~ 厚木市妻田薬師前  ~ 新相模大橋 ~ 小田急座間駅
    5分   15:15    16:06 16:13     16:50      17:33

 *会社のウォーキング(向ケ丘遊園地)に参加した後に歩く。
 *長谷寺(飯山観音)で会社の藤波夫妻にバッタリ会った。「アレO君では」から始まり奥さんにも挨拶した。
 *座間駅の手前で女子中学生に道を聞く。何をしているのかを聞かれ、巡礼と言ったが話しが通じなかった。巡礼の意味を説明したがどこまで理解したことやら。
  この時間はもう真っ暗である。
 

5.H3.11.4 (月) 晴れ  36.8Km
             (No.8)
 小田急座間駅 ~ 星谷寺 ~ 座間市栗原 ~ 小田急鶴間駅前 ~ 横浜市長津田
  8:45        9:55      9:36     10:14 10:24   11:33 11:5
               9:10

 東急荏田駅先 ~ 溝口 ~ 用賀 ~ 上馬環七横断 ~ 三軒茶屋 ~ JR渋谷
 13:12      15:10  16:12    16:47      17:00     17:45
 13:30      15:20  16:25

 *道は、ほとんどが大山街道(厚木街道)であるが、街道につきものの道案内の古い石碑などは全く見られなかった。道路の拡巾や町の開発で捨てられてしまったのであろう。 車が沢山走るまったくつまらない道の歩きになってしまった。
 *三軒茶屋は、20年前の独身時代に来て以来だが、大変にぎやかで若者の多い町に変わっており驚いた。
 *渋谷駅の忠犬ハチ公銅像の前は、あいかわらず待ち合わせの人でいっぱいであった。
 

6.H3.11.9 (土) 晴れ  16.0Km                                                                    NO.13
 JR渋谷駅 ~ 六本木 ~ 霞ケ関 ~ 大手町 ~ 室町 ~ 駒形 ~ 浅草寺
 13:22      14:02    14:23     15:00    15:16  15:51   16:15
                   14:33                         16:00   16:28

 ~(三の輪)~  地下鉄北千住駅
                17:30

 *霞ケ関で水準基点の施設を見学する。古めかしい花崗岩造りの建物である。
 *国会前の公園横での休憩中に、上京した二人の男性に東京タワーの方角を聞かれ教えた。又、「国会前の公園で、どうしてこんなに草がぼうぼうなのか」と聞かれたが、全くである。国会には狸が住んでいるのだろうか。
 *皇居の二重橋前を通る。あいかわらず見学者が多い。
 *浅草寺へは駒形橋からの表参道(仲見世通り)を通っての参拝。お寺では外陣に入れて畳の上でのお参りが出来、庶民の寺としての特別な親しみを感じた。
 

7.H3.11.10  (日)  晴れ  17.6Km
 北千住駅 ~ 千住新橋 ~ 環状7号線 ~ 竹の塚 ~ 草加市吉町 ~ 〃神明
  13:42    14:00    14:32     14:48    15:33     15:54
                      14:45                          15:56

 ~ 綾瀬川 ~ JR武蔵野線 ~ 東武鉄道北越谷駅
   16:30     17:00       17:45
    16:35

 *日光街道を真っ直ぐに北へ歩く。
 *草加市では沢山の草加煎餅屋さんが軒を並べていた。また、綾瀬川の川岸に灯台と芭蕉の記念碑があった。
 *日光街道の道案内石碑を所々で見かけたが、数は極めて少ない。
 *越谷でお祭りの屋台を見かけた。素朴な造りで味があった。
 *古い家並が残されており、造り桶屋さんもあり作業場に並んでいた沢山のカンナなどの道具が歴史を感じさせた。
 

8.H3.12.22 (日) 晴れ  33.3Km
 東武                     NO.12
 北越谷駅 ~ 越谷市千間台西 ~ 慈恩寺 ~ 玄奘塔~(元荒川サイクリング道)
   8:00        9:00        10:26     11:01
                                        10:48   
 
 ~ 伊奈町栄 ~ 元宿 ~(桶川市坂田)~ JR北本駅 
       13:00    13:30             16:50
    13:10       13:55

 *店前の自動販売機でお汁粉を買うも中身が酸っぱいため100円返してもらった。
 *上尾市会田の明星院交差点で道を間違え、大廻りをしてしまった。2Km のロス。
 *玄奘塔は立派であるが、慈恩寺から離れており、訪れる人は少なそうである。
  手入れはされている。
 *元荒川サイクリング道では、シーズンオフのためか自転車の通りがほとんどなく、快適な歩きが出来た。
 

9.H3.12.29 (日)  晴れ 17.9Km  (28.6Km)
                               NO.11
 JR北本駅 ~ 荒川 ~ 吉見町下細谷 ~ 吉見観音 ~ 吉見百穴~(東松山駅前)
  7:05     7:40     9:00       9:50      10:40    
            7:51                10:05       10:56
   東武鉄道   *
 ~ 高坂駅 ~ (電車で明覚駅へ)
   12:08                *H3.6.29に歩いていることから電車

 *雪が残っており寒い朝である。北本駅から少しのところで大型車が農家の小屋に突込んでおり、一生懸命道路に戻していた。居眠り運転らしい。
 *荒川の堤防沿いの道は、風が強く冷たかった。
 *吉見観音では車での金沢の人に会う。御詠歌のお軸を持っておられた。
 *吉見百穴の手前に「北向き地蔵」があった。北を向いているからこの名前が付いたとのこと。おもしろいことである。
 *吉見百穴は古墳(お墓)とのことであるが、現代的表現をすれば集合墓地か?
 

10.H3.6.29 (土) 晴れ  24.5Km
 東武鉄道   NO.10
 高坂駅 ~ 岩殿観音 ~ 鳩山町須江 ~ 玉川村玉川 ~ 都幾川村本郷 ~
 10:45   11:30     13:10        14:10     15:00
                   11:50         13:30         14:30
          NO.9
 〃日尺 ~ 慈光寺 ~  JR明覚駅
 16:00   16:30       18:30
          17:00

 *粉失した秩父の納経軸を川越警察へ受取りに行き、その後に歩く。(秩父巡礼中の会社の杉本さんに、表装のため預けたが酔っぱらって落したもの)
 *岩殿観音は丘陵部で、近くに大東文化大学がありラクビーの練習をしていた。
 *慈光寺は山の上の古いお寺であるが、近年に火災があり、お堂の中はゴチャゴチャとまるで倉庫のようであった。焼けた木片がまだ残っていた。住職さんがさかんにお堂再建の寄付を言われたので、少し寄付した。
 *慈光寺から先へ進みたかったが、時刻が遅かったので明覚駅へ戻った。バスの待ち時間が長いため約1時間程歩いたが、余分に歩いた気がして疲れた。
 

11.H3.12.29 (日) 晴れ  10.7Km
 JR明覚駅 ~ 都幾川村本郷 ~ 小川 ~ 東武竹沢駅
  14:30     15:00       15:56   16:40

 *高坂駅から明覚駅間は距離は短かものの乗換があるのと、昼間で本数が少ないことも あって2時間半もかかってしまった。まったくの「のんびりとイライラ」である。
 *小川町は、自分の名前と同じで親しみを感じた。
 *東武竹沢駅の近くで暗くなり、ここでストップ。
   駅前の売店でビールとワンカップを買い、電車の中では極楽、極楽であった。寝た。
 

12.H4.1.1 (水) 晴れ  38.0Km

 東武竹沢駅 ~ (三ケ山、玉淀大橋)~ 寄居町桜沢 ~ 児玉 ~ 四軒在家 ~
  7:57                     9:40 9:50  11:40   13:05
                                      11:50   13:15

  (藤竹橋) ~  JR群馬藤岡駅先 ~ 鏑川(上落合) ~ 山名神社 ~高崎市佐野町 ~ JR高崎駅
            14:15 14:30                 15:22     16:00       16:55

 *元旦だが、家でお酒ばかり飲んでいても身体によくないため、歩くことにした。
 *竹沢駅からの山越え道はゴミ捨て場へ通じる道で、車止めのバリケードがあったが乗越えて通った。
 *元旦日和のよいお天気である。
 *荒川に架かる玉淀大橋付近では、ノンビリと釣りをしている人がいた。
 *上信電鉄山名駅近くの山名神社では、初詣の人が沢山で晴れ着の参拝者も多くみられた。寄り道になるがお参りした。古い落ち着きのある神社である。
  ・池袋駅から東武竹沢駅 730 円
 

13.H4.5.2 (土) 晴れ  36.4Km
                           NO.15
 JR高崎駅 ~ 高崎経大前 ~ 新井 ~ 高浜 ~ 長谷寺 ~ (鳴沢湖) ~
  8:10     9:15 9:25  10:00 10:30   11:00
                                    10:40   11:18

                                 NO.16
 箕郷町西松原 ~ 榛東村桃原 ~ 水沢観音 ~ 吉岡村五輪平 ~ 〃長岡 ~〃原 ~ JR群馬総社駅
 12:28 12:38  13:40      14:48     15:52        16:24   16:55    18:03
                       13:50      15:21

 *長谷寺の手前の町屋橋で、会社のF夫妻にまた会った。坂東をバイクでツーリングされている途中で、休憩中のところを通り過ぎようとして偶然に会ったもの。
  Fさんとは、前に厚木の長谷寺(飯山観音)でも偶然お会いしており、同じ名前の長谷寺と言うのも偶然の重なりである。参拝中の長谷寺で追いついたがここで別れた。
 *長谷寺はこじんまりした寺で、納経所は道路を挟んだ反対側にある民家である。
 *水沢観音は会社の旅行などで二度程来ているが、水が豊富に流れて良いところで、お参りの人も多い。門前で名物の水沢うどんを食べた。腰があって美味しかった。
 *水沢観音からの道は下りのみで快調な歩きだが、群馬総社駅付近の道路は車が多くて危険、怖かった。
 *ボタンをはじめ多くの花が綺麗に咲いていた。
 

14.H4.5.4 (月) 晴れ(風強し)  41.7Km
JR群馬総社駅 ~ 前橋市朝田町 ~ 〃小島田町 ~ 東大室町 ~ 赤掘町南原
   7:32        8:51 9:00   10:08 10:18  11:22   11:50
                                                 11:30   12:20

 ~ 国定 ~ 山之神 ~ 太田市強戸 ~ 〃市場 ~ 東武足利駅
   13:32   14:37   15:50     16:45    17:40
   13:40   14:47   16:00

 *天気は良いが風が非常に強い、上州のカラッ風である。であるが追い風で助かった。乾燥した畑の土を巻き上げて前が見えない程である。鼻とか耳に土が入り、また、口の中はザラザラである。
  歩き終わりの足利駅で顔を洗ったら、タオルが黒くなった。
 *前橋市の市街では近道をしようとして細い道に入ったが、コース取りに苦労した。
  国道を単純に選んで歩いた方がよかった。
 *国定では、国定忠治の墓の案内板があり、お参りしていこうと思っていたが他事を考えていて通り過ぎてしまった。残念と思ったが向かい風の中を戻る気にはならなかった。
 

15.H4.9.20 (日) 晴れ  33.0Km
 東武足利駅 ~ 利保町 ~(起床峠)~ 佐野市駒場 ~ 〃石塚町 ~東武多田駅先
  7:45       8:48               10:05       11:05    12:00 
             9:00               10:15       11:15    12:45 しょくじ                                                                                 NO.17
 ~ 鉢木町 ~ 葛生町中仙波 ~ 満願寺 ~ 寺坂峠登り口(野宿)
   13:42   15:00 15:10   16:05 かいもの   16:30
   13:55                       16:20
 
 *街路樹の栃の木の実を拾う。初めて見たが栗饅頭のような色をしていた。
 *道に落ちている栗を沢山拾う。重くなったので前に拾った栃の実を2~3個残し捨てた。
 *葛生は石灰の産地で山が削られており、又葛生原人が住んでいた所である。
  日曜日で車の通過が少なくて助かった。町の感じは田舎の岐阜県の赤坂町と似ている。
 *お寺をはじめ旅館、民宿とも日曜で泊まる所なし、仕方がなくて野宿することとした。
  残土置き場にあったコンクリート製の大きなパイプの中で寝た。
  お寺の近くの店で貰ったダンボール箱を敷いたが、背中が痛かった。寝袋はあったが朝はブルブルと震えるほど寒かった。
 *夜中に聞いたラジオのクラシック音楽が、静かさの中で一段と澄んで聞こえた。
 

16.H4.9.21 (月) 晴れ 45.5Km
 寺坂峠登り口 ~(寺坂峠)~ 下永町 ~ 大越路峠 ~ 大越路 ~ 中粕尾笠丸
  6:10 (野宿)         7:04     7:50     8:30     9:47
                      7:14     7:55      8:45    10:00

 ~ 遠木 ~ 上粕尾半縄 ~ 発光路 ~ 山ノ神 ~ 粕尾峠 ~ 夕良沢 ~ わたらせ渓谷鉄道足尾駅
  11:02   12:17 12:30  13:15しょくじ 14:40 16:16  17:26     18:24
   11:14               13:45       14:55   16:30  17:31

 *昨夜の寝不足と朝早くからの歩行で、粕尾峠の急な登りではモモが痛くなった。
 *粕尾峠への途中で郵便配達の親父さんと話した。今はバイクでの配達だが、昔は自転車で坂道を登ったとのこと、大変だったようだ。
 *発光路とは珍しい名前だが、いわれは分からない。ここでの昼食の山菜ピラフは美味しかった。建物はログハウスで、室内はこじんまりし、クラシック音楽が流れ感じがよかった。
 *菱の木があり実を拾った。名前を知っていたが見るのは初めてで先が尖っていた。
 *粕尾峠では、峠を越えると同時に風と寒さを感じた。
 *夕良沢付近から暗くなり、所々にしかない街灯を頼りの歩行になった。当日は12時間あまりの歩行で最後はヘトヘトであった。
 

17.H4.10.10 (土)  晴れ  37.3Km 
 足尾駅 ~ 足尾ダム ~ 安蘇沢分岐 ~ 長手沢 ~ 登山口 ~ 阿世潟峠 ~
 10:28   11:25      11:40    12:50   13:18    13:50
                    11:45    13:03               14:03
  NO.18
 立木観音 ~ 馬返 ~ 清滝 ~ 東武日光駅
 15:05    17:12  18:13   19:28
 15:40      17:20

*公害で有名な足尾鉱山跡は、想像していた以上にひどい。工場は錆びたタンク、パイプ、鉄塔などがそのままで、まるでゴーストタウンである。付近の山は鉱毒(ガス)により禿山で、表土が流されて薄黒い岩が剥き出しになっており、死んだ山そのもので不気味な感じがした。山崩れ防止の工事や植林が進められているが、まるで地獄図絵で見た塞の川原の石積みに似ていて、自然の前での微々たる挑戦に思えた。一度自然が破壊されると、その修復には時間がかかるようである。
*足尾の公害について書くため、渡良瀬川沿いに自転車で降るという背広にジャンバー  のお爺さんにあった。子供の頃、大雨のたびに水田に赤茶けた水が入り、稲が育たなかったとのこと。ダムの近くで写真を撮ってあげた。
 *長手沢では車で来てキャンプをしている家族に遇った。付近には猿がいた。
  *峠の手前付近は、熊出没注意の看板やカモシカの食害を防ぐネットが木に巻いてあり  野性味の豊富な場所である。
 *立木観音は、立木を直接彫った観音様と聞いていたが、そのとおりで驚いた。
 *いろは坂の下りは、後ろからの車を気にしての歩行。途中の衝立岩の眺めは壮大で感激した。車で見るのとは感激が異なる。
 

18.H4.11.13 (金) 晴れ  35.2Km
 東武日光駅 ~ 今市 ~ 土沢(中組) ~ 土沢(東原) ~ 猪倉(昼食) ~
  8:36      10:06    10:57     11:18 11:25  12:33 13:15
             10:12

                          NO.19
 峠 ~ 新里町(茗荷沢) ~ 大谷観音 ~ 駒生町(高横) ~ JR 宇都宮駅
 13:47 14:38           15:35                    18:47
       14:45              15:55

 *日光街道の杉並木道を通る。人通りが無く、翌日が「杉並木祭り」であることもあり綺麗に清掃されていて、歩くには最高の環境であった。肌寒い気温である。
  杉の木が大きく育ち手入れも行き届いており、何時までも残しておきたい道である。
 *昼食は開店間際の一般食堂で、おでんのサービスがあったが、焼き肉定食の量も多く食べきれなかった。巡礼の話をした。親切な感じの良い店であった。
 *峠の道祖神は、石彫りの男性のシンボルで、また、案内説明板は教育委員会で設置しており、ほほえましさとおかしさがあった。
 *峠の下りで近道のはずの脇道に入ったが、これが行き止まりの道であった。戻るのは馬鹿らしいと、地図と磁石をもとに林の中を突破したが、登ったり下ったりでしっかり疲れた。戻ったほうが良かったようである。
 *大谷観音では、弥生時代前と言われるミイラがガラスケースの中に展示されていた。
  学術調査で発掘されたとのことであるが、お寺が見せ物にする行為に何かの抵抗を感じた。博物館なら別だが、お寺は守る立場ではなかろうか。
 *地域の名産である大谷石の加工工場が沢山あった。

   西国三十三観音霊場てくてく巡礼記 時間記録(2/2) 

16.H6.3.22(火)晴れ 24.8Km
 宿  ~ 三井寺  ~ 小関越の峠  ~ 四の宮  ~ 元慶寺  ~ 今熊野観音 ~
 7:22   8:37    9:25      10:07    10:51   12:24 12:45
       9:00               10:17    11:10
   
 知積院際(昼食)  ~ 清水寺  ~ 六波羅蜜寺  ~  革堂  ~  六角堂  ~ JTB
 13:07 13:27   14:05    14:45 15:06 15:48   16:37   17:00
               14:20                16:12   16:51   17:14:40

 ~ 宿(ホテルアルファ京都・・河原町)
   18:00
 
 *石山駅から10分程歩いたところで、東京の日本橋駅でよく見かけた精薄と思える少
  年にバッタリ。声をかけたら間違いなかった。偶然である。
 *三井寺で晩鐘を撞く、300円也。朝の鐘の音もなかなか良い、良い音であった。
 *小関越えの峠の地蔵さん、関係者の善意でお堂が新しかった。気持ちがよい。
 *元慶寺から今熊野への新幹線上の山越え道、登り口で近道をと竹藪を20m直登。
 *清水寺では、並んで音羽の滝の水を飲んだが、生温い感じがした。金属製の杓に口紅
  が紅く残っているのが気になった。本当に沢山の観光客である。写真を撮る。
 *新京極通り、寺町通りのアーケードを通る。人、人、人である。
 *市内のお寺では、どこも鐘が撞けない。町中では近所がうるさいのであろう。
 *六角堂はハトが沢山いて、水飲み場もハトのフンがあちこちに、汚い。
 *宿はJTBで捜してもらい、ツインをシングル使用。冷蔵庫と屋外の換気扇がうるさかった。
 

17.H6.3.23(水) 晴れ後雨 28.0Km
 宿  ~  六角堂  ~ 東本願寺  ~ 東寺  ~ 久世橋(桂川)  ~向日町(変電所)
 7:05   7:18      7:48      8:34 昼食      9:37      10:00  10:08
         7:21      8:00      8:45

  ~ 大野原  ~   善峰寺  ~  ポンポン山分岐  ~ 金蔵寺分岐  ~  鉄塔下先 ~
   11:10 雨降り  12:30 昼食    14:22        14:39 残雪有り   14:55
       11:20      13:45                   15:00

 変電所横  ~ 篠  ~   つつじケ丘  ~  国道バス停   ~ 京都  ~ 宿(富屋 旅館 )
  15:28   16:30   17:15 17:45  18:05 18:10 19:00   19:30 駅前
  15:33             宿探し  TEL

 *「雨が降る」という予報どおり11時頃から雨。雨具を着けての歩行。
 *東本願寺は、団体の朝のお参りが沢山。東寺は人影が殆ど無く静か。パンを食べる。
 *西大寺付近、向日町付近では、巡礼道の名残りの石碑などが残っていた。
 *向日町付近で、サラリーマンを卒業したオバチャンと歩きながら話す。健康保健が使
  えないようになったら、あちこち痛くなり、マッサージに行く途中とのこと。
 *善峰寺の門前に食堂があるとガイドブックに書いてあったが、お休み。しかたがなく
  寺に荷物を置いて5分程戻り、遅い昼食を取る。寺のオバチャンは親切。
 *山越えで公衆電話が無く、宿捜しが5時過ぎになり、亀岡では宿が見つからず。しか
  たがなくて、京都へバスで戻る。昼食に合わせ、道を戻り国道を通るルートにすべき
 であった。国道には公衆電話があるから。
 *金蔵寺分岐付近では、除雪した雪の塊りが残っていた。ガス(霧)が濃い。
 

18.H6.3.24(木)晴れ 29.2Km
 宿  ~   京都バス停  ~  バス停(広田)  ~ 穴大寺  ~   曽我部町春日部 ~
 7:00   7:10 7:40     8:45           9:43 昼食     10:53  11:00
                                                10:00
  峠  ~   車道  ~ 東別院町車掛  ~ 〃倉谷(昼食)  ~ 萩谷分岐  ~ 大門寺
 11:23  11:40   12:00 12:11   12:31 13:00  14:04    15:16
                                                        14:12    15:25
  ~ 総持寺  ~ 宿(有楽・・総持寺前)
   16:38     17:00
    16:55

 *7時10分のバスに乗るように7時に着いたが、宿のトイレを流したか心配になり、
  駆け足で往復。流してあった。バス停の階段を息を切らして登り目の前を見ると、バ
  スが動いていた。20秒遅れで乗れず、30分の待ち。朝からついていない。
 *東別院町倉谷から国道までの3時間、採石運搬のダンプがひっきりなしに通る。運転
  は荒いし、なによりも歩道が無く道が狭いのにはヒヤヒヤである。
 *昼食の食堂で、近くの小学校の先生と相席。若い先生がよく食べるので、太りますよ
  とヒヤカシ。
 *宿は総持寺の若い修行僧に紹介してもらう。老夫婦二人で、仏壇の線香の匂いがもの
  すごい。夜中に寒くて下着を着る。
 *夕食は外で食べる。下着を買う。
 

19.H6.3.25(金) 晴れ 30.1Km
 宿  ~ 清水  ~ 勝尾寺分岐(橋)  ~ 勝尾寺  ~ 箕面滝  ~ 青山短大前 ~
 7:25  8:56  10:12  1020    10:50   12:08     13:05 ちゅうしょく
         9:04                   11:15   12:10     13:27
                       JR       新幹線
 川西能勢(橋)  ~  中山寺  ~ JR宝塚駅  ~ 新大阪  ~ 東京
 14:27 14:32   15:47    16:46      17:40    21:40
                   16:08    16:48
 
 *宿を出る時、おじいさんに長生きするように言って別れる。
 *勝尾寺の登り、ゴミ収集車が多く運転が荒い。寺への分岐点での休憩時に腕時計を拾
  う、どうしてこんな所にと思う場所である。高級品ではないが動いている。また、少
  し歩いた所で植木用の立派な鋏を拾う。これは勝尾寺の受付のオバチャンへ。
 *箕面滝から箕面駅までの川沿いの道はgood。途中で写真を撮ってあげた女子学生
  と話す。お寺なのにどうして鳥居があるの?  仏教を一口で言えば? などなど
 *中山寺付近は、昔からの巡礼道を歩く。新しい標識もありよく整備されていた。
 *宝塚駅では、電車の発車まで2分しかなく150円切符を販売機で買い飛び乗り。着
  替えは電車の中で。
 *新幹線で相席のオバサンが西国を廻ったことがあるとのことで、あれこれ話す。
  車内での弁当とビールが美味い。
 

20.H8.3.23(土)~24(日)晴れ 31.2Km
   Bus    jR
 東京  ~ 大阪  ~ 宝塚  ~木の元  ~ 東久保  ~ 名来  ~ JR三田駅  ~
              7:43    8:34         9:59   11:06      12:40
                                8:45     10:09    11:15
 三田(宿)  ~ 友が丘  ~  大原  ~ 花山院  ~ 尼墓   ~ 峠の分岐  ~ 広野
 13:00荷物置 13:50パン    14:27    15:15     16:00   16:37    jR  17:10
  13:20    13:55                     15:38               16:40       17:30

 三田(宿:山崎旅館)
 18:00
 
 *JR生瀬付近でおばさんより150 円の接待を受ける。
 *三田での宿探しに苦労する。目的地の広野、相野にはなし。(休み)
 *尼寺での尼の墓はこじんまりの大きさで、大きな墓より墓らしく思えた。なお、手入
  は良くされていた。
 *花山院の登り坂は急で、一汗かいてしまう。アバチャン達がフウフウ言って登ってい
  た。太った人は大変である。
 *靴に敷き革を敷いたためか、足の横がこすれて靴下が赤くなってしまった。痛い。
 *三田の宿に荷物を置いて、三田~花山院~広野間を軸だけ持って歩く。だが足が痛い
 *有馬富士がきれい。すぐ横を通った。
 

21.H8.3.25(月) 小雨後晴れ 34.3Km
     JR
 三田   ~  JR広野  ~ 相野〒  ~ 間新田  ~ 清水寺登り口   ~ 清水寺 ~
    宿        8:55     9:47       11:10      12:15荷物置き   13:02 昼食うどん
                            10:06       11:20     12:23              13:30
 清水寺登り口  ~  下鴨川  ~ 東条湖  ~ 下久米~  家原(宿:やしろ夢園温泉)
   14:20 荷物取り  14:45    15:46      17:02          18:50
   14:22         14:46     15:52      17:08

 *小雨の中を出発、肌寒い気温だ。10時頃になって晴れてきた。
 *相野の町は、花壇などが置いてあり綺麗な町である。関心した。
 *足は痛い。
 *清水寺への歩いての登りは急である。歩く人には会わなかった。旧道口にあった山門
  は台風で壊れ基礎石のみ残っていた。新しい山門が車道側入口にピカピカに建ってい
  た。これも時代に対応したものだろう。
 *東条湖はリゾート地で、別荘が多い。バブルがはじけて使われてないのが見られる。
  中心部は遊園地である。
 *宿がなかなか見つからない。疲れ暗くなってしまいヘトヘト。焦ってしまった。宿は
  大きいが宿泊客は少ない。学生と労務者のグループである。料金がほどほどのことも
  あり料理はそれなりである。 ビールを飲まず。ガマン、ガマン。
 

22.H8.3.26(火) 晴れ 28.7Km
  宿  ~  高岡  ~下宮木町  ~ 三日町  ~ 一乗寺  ~ 八重畑  ~ 豊国  ~
  7:55    9:02  10:17       11:45       12:38     14:22      15:32
              9:12   10:27        11:57       13:04     14:32     15:40
   ~  野里(バス停)  ~ 姫路駅前(宿:サンガーデン)
       17:00  荷物置き            17:30
 
 *出かける前に宿の人にどうして歩いているのかを聞かれる。それなりに答える。
 *姫路近くで後ろから声をかけられ車が通った。誰かと見れば昨夜の宿で会った職人さ
  ん達であった。服装が服装だからすぐに分かったのだろう。
 *北条鉄道法華口駅付近の道路は、狭くそして車が多い。危ない程である。
  また、近くには醤油工場があり良い香りがした。田舎を思いだした。
 *板東町からの一乗寺への登りは、旧道を歩いた。寺は峠をほんの少し下りた所。
 *八重畑付近では、高速道路工事をしており埃がものすごい。歩く気がしないほど。
 *豊国で休んでいたらオバサンがエホバを勧誘してきた。少し話す。そんなに苦労して
  修行しなくても幸せが得られるとのこと。熱心な勧誘であったが、連れておられたお
  孫さんと同じ頃からお寺に行っていたから、いまさら変われないと話した。
 *野里付近の宿は全て満室。しかたがなく姫路の駅前で旅行社に飛び込みホテルを紹介
  してもらう。宿はツイン。もったいないがしょうがない。
 

23.H8.3.27 (水)晴れ 31.5Km  
        JR
 ホテル  ~  野里  ~ 大寿台  ~ お堂   ~  円教寺  ~  お堂    ~   書写
 8:22       9:24               10:05荷物置       11:03      12:04荷物取  12:16昼食
                9:30               11:20               12:45

 ~ 清水寺 ~ 古知之庄 ~ 久畑 ~  福崎(宿:安兵衛)
     13:42   15:11      16:35    17:50
      13:50      15:19       16:44
 
 *野里へ荷物を置いて円教寺の往復をしょうとしたが、コインボックスが無くてダメ。
  近くの体育舘と駅にあたったが断られた。
 *野里から少し歩いた上大野付近で巡礼を知っているオバサンに会う。少し話す。
 *円教寺(書写山)への登りは急であるが、道は整備されている。田舎の播隆山の登り
  を思いださせられた。歩いて登っている人を見かけた。
  荷物は、登り口にあるお堂(無人)の裏側へ置き、身軽になって往復した。
 *円教寺(書写山)は、境内が広くお参りも多かった。
 *今日も宿探しが大変。泊まるだけ、泊まるだけと電話でお願いしてやっと泊まれた。
 *最後の国道の歩きはバテバテ。足も痛い。今回は本当に調子が悪い。
 *宿は駅前の古い宿。石油ストーブと電気コタツで、隙間風が吹く。
  夕食は外食。そのころには入口のカギがかかってしまい、自分で開け閉め。
 *朝見た宿帳では、このところほとんど泊まり客はなし。
 

24.H8.3.28(木)晴れ 28.1Km
  宿  ~  甘地  ~ 尾形  ~ 福本   ~  杉      ~ 追上  ~ 生野    ~  口銀谷
  7:43    8:34   10:07   11:23昼食  12:44   14:17   15:20スーパ  15:43
             8:44   10:16    11:30パン  13:08   14:23   15:33

    ~  上岩津    ~ 岩津(宿:A氏宅)
        16:43           17:17
          16:50
 
 *福崎から約1時間、播丹線横の道路では、通勤者の車がビュンビュン飛ばすため危な
  い。車の運転も荒い。
 *生野は銀山で有名であり、それなりの町並かと思っていたが、寂れていて遺跡といった
  感じである。
 *生野のスーパーで宿探しTELをあちこちにするも、出なかったり休みだったりで、
 *JR新井まで歩き和田山で宿を探すことに覚悟を決めた。
 *歩きながら野良仕事中の人に宿を聞く。
 *電柱で街灯を取り付けているオヤジさんに宿がないかときいたら、俺の家へ泊まって
   いけということでお世話になった。善根宿である。奥さんが入院中で一人だという。
  上がると同時に仏壇にお参りし、浄土真宗の同じ宗派であったことから、教信偈
  をあげる。
   オヤジさんは飲みに出かけてしまわれ、10時過ぎまで帰ってこられなかった。
 それまで1人で留守番。出かけられる前に、自分で飯を食い風呂に入れと言っておられ
 たことからそのようにした。帰ってこられたら盛んに酒を飲め飲めと言われた。疲れて
 いて早く横になりたかった。
 

25.H8.3.29(金)晴れ 26.7Km
岩津  ~   牧野  ~  物部   ~ 筒江  ~  山東町  ~  上夜久野   ~ 京都  ~東京
 7:35       8:30        9:48      11:14パン    13:22 パン   15:00
         8:42      9:56      11:23       13:27

 *多々良木は、多々良木ダム(関西電力の)で地名を知っていた。国道からの入口箇所
  に立派なイベントセンターがあった。   補助金で出来たものかな?
 *宝珠峠の手前に「黒熊銀蔵」という人の立派な墓があった。付近の人に聞いたところ
  江戸時代の相撲取りだったとか。天保15年の裏書きあり。
 *夜久野峠の寺で休憩。県境である。昔しは山賊が出たのではと思われる場所である。
 *上夜久野駅付近では、ヘトヘト。電車に間に合うように飛ばしたためで、途中で間に
  合わないことが分かりペースダウン。峠の道脇の溝に雪の塊りあった。
 *帰りは京都に出て、新幹線で東京。
 *東西線で巡礼(遍路)に行く人をみた。杖の長さを比べた。
 

26.H10.9.7(月)~8(朝) 夜行バス 晴れ
     jR      jR      Bus
 舞浜駅  ~ 浜松町駅  ~ 福知山駅  ~ 上夜久野駅
ひひひひ    22:35     6:35 7:07     7:31

 *身体の調子が「いまひとつ」といったとこであったが、会社の夏期休暇を利用して行
  くこととした。
 *HOに声をかけたら行くとのこと。同行は四国の最後の回のH4/3以来である。
 *夜行バスは冷房が効き過ぎで寒く、椅子の暖房を効かして寝たが良く寝られない。
  調子の悪いところに追い打ちである。HOは風邪を引いた感じのようである。
 *福地山駅からのJRは、時間が早いこともあり空いていた。そんなことで着替えは電
  車の中で行った。
 *福地山駅で家から持っていった「おにぎり」を食べた。
 

27.H10.9.8(火)晴れ 41.1Km

 上夜久野駅  ~ 板生(下三谷バス停)   ~ 上三谷   ~ 上野  ~ 直見・西垣  ~ 小坂峠
  7:40       ひ8:12 8:22          (道間違い)    8:47   9:28 9:37   10:35

  ~ 小坂(集会所)  ~ 久畑  ~(国道と別れ) ~ 大生部兵主神社  ~ 神懸峠
     10:58 11:05    11:40   12:05       12:35 12:45

  ~ 久保小杉野  ~ 与謝トンネル展望台  ~ 金尾  ~  野田川町  ~ 野田川駅
    13:58        14:21 14:40        15:45      17:02        17:40 17:51
                               15:52   17:12

  ~ 岩波スーパー  ~ 宿(橋立ベイホテル)
   18:50 19:05        19:20

 *出発して2Km程行った上町(学校がある)で、右折しなければならないのに直進して
  しまい道を間違える。距離 3Km、時間 50分(休憩含)で、出足からつまずきで
  ある。この日は日程が厳しいことから(40 Km) 参った、参った、の失敗である。
  HOに文句を言われた。「親父もボケが始まった」でごまかした。
 *大生部兵主神社は神主が無住のようで、水が欲しかったが残念。川に架かっていた水
  道管の空気弁から漏水を飲む。
 *神懸峠を越えて直ぐに昔の巡礼道に入る。入口に案内碑があったが近くの農家で道
  を確認した。おばあさんに教えてもらい歩き始めが、50m程歩いたところで声を掛
  けられアメの接待を受けた。この道は下りが急で石車に再三乗った。
 *加悦付近から「丹後ちりめん」の機織の音が聞かれた。看板も多い。
 *岩滝で暗くなった。予定より1時間遅れ。出足の道間違いが響いた。
 *空気は乾いているが予定外の暑さ。全く暑くてバテバテ。
 *ホテルは新しくてGoodである。
 

28.H10.9.9(水)晴れ 33.6Km                  
  宿  ~  成相寺  ~ ケーブル上駅  ~ 乗船場  ~   知恩寺  ~ 宮津   ~ 新宮
  6:30     8:00       8:33 8:50   9:00 9:15 船  9:30    10:47     11:48
              8:10                                                9:45                  12:30

    ~  坂戸峠  ~  下漆原  ~  小倉トンネル  ~ 大川橋  ~ 滝尻峠  ~ 念仏峠
              14:00 1424   14:52          15:35
                                                                          15:42

    ~  上福井  ~ 新相生橋  ~   清美ケ丘(兄貴の家)
    16:30      17:30 17:44   18:10
    16:40

 *標高300mの成相寺の登りは厳しい。汗の匂いで蚊やアブが寄ってくる。団扇とタ
  オルで追い払いながら歩く。車の人に同乗を勧められたが断った。
 *乗船場の職員と巡礼の話しをした。休暇が取れてうらやましいと言われた。
 *新宮では休憩は農家の車庫。まったく暑く30度をオーバーしている。水を使う。
 *下漆原の休憩は宮津からの最初の販売機。約10Kmなかった。めずらしい。
 *大川橋際の販売機ではお釣り受けに500円玉が2枚あった。頂いた。
 *滝尻峠への登り道は国道なのに全く狭い。大型の車も多く通るたびに止まり避けた。
  側溝の上を歩くのだが、その上にも大型のタイヤが通って行く。
 *西舞鶴付近から全くのヨロヨロ。疲れた。新相生橋では気力も無くなってきた。
 *2Km程手前で姉さんの迎え。それからは自転車にリックを乗せラクラク。姉さんが
  観音様に見えてくる。家の直ぐ近くに着いたところで、車で帰ってきた兄貴に会う。
 *当日はお腹の調子が良くなかった。昨日と今日の暑さと疲れに、宮津で貰った水が良く
  なかったようである。途中でトイレに3回で力が出ない。道を長く、長く感じた。
  こんなことは四国を含め初めてのことである。
 

29.H10.9.10(木)晴れ
 ・身体の調子が二人とも良くないことから、兄貴の家で一日休ませて貰うこととした。
 ・一日中ゴロゴロしている。
 ・洗濯を自分でする予定でいたが、姉さんがしてくれた。
 ・天気は良くて暑い。もし歩いていたらバテバテだったろう。
 

30.H10.9.11(金)晴れ  28.2Km
  清美ケ丘  ~ 白鳥トンネル  ~ 堂奥   ~  松尾寺  ~   JR大野郷駅先 ~
    6:05      7:45 朝食          9:37      11:14 11:30
                     8:05 おにぎり  10:13

     JR若狭高浜駅先  ~ JR若狭和田駅先  ~ 宿(JR若狭本郷駅前・松屋)
     12:35  13:20     14:00 14:20             15:18
        昼食 中華
 
 *姉さんに車道まで送ってもらい出発。快晴でなく少し雲があり助かった。
  一日休まして貰ったこともありコンデションはグッド。
 *松尾寺の登りでは観光バス(巡礼者)2台に追い越された。窓から眺められた。
 *松尾寺の住職さんが歩きの巡礼をされていることから、お会いしようとしたが留守で
  あった。納経をしている人に裏道を聞く。親切で成相寺とは逆であった。
 *JR大野郷駅先で休んでいたら「倫理の会」のおばちゃんが二人近づいてきてあれこれ
  話し。いろいろ聞くので少しうっとうしい感じがしたが、それなりに応対。
  昼食のJR若狭高浜駅先でも声をかけられ昼食を一緒にと誘われたが断った。
 *若狭高浜は青戸入江の最奥部に位置するが、港の水は案外綺麗であった。
 *高浜町、大飯町は原子力発電所があり、交付金のせいか体育館、駅などが物凄く立派
  である。相棒がびっくりしていたので理由を説明した。宿代も高く中身が良くない。
  原子力関係のお客が相手とのことで、ここではバルブがはじけていない。
 *若狭高浜の中華屋さんと話す。昔し東京の江戸川におられたとのこと。
 

31.H10.10.12(土)晴れ 26.9Km
 宿  ~   JR加斗駅前  ~ 勢浜  ~ 小浜  ~  伏原  ~  遠敷      ~ 東市場 ~
 6:12   7:13 7:34   8:28      9:44    10:40     11:13メノウ買い
          朝食 パン     8:44   10:00     11:00       11:20

  天徳寺        ~  仮屋 ~ 熊川(菊屋旅館)
  12:35 昼食      14:07     14:55
   13:12うどん    14:22
 
 *道路、トンネル(加斗、勢浜、後瀬山)が狭い。歩道がなくてビクビク歩きである。
  赤い点滅灯を持って行って正解であった。
 *JR加斗駅は小さい無人駅で、床屋が駅内にあり駅前も駐車場であった。地域の駅と言
  つた感じである。原子力関係で立派になったと考えられる若狭本郷駅とは対象的。
 *小浜湾では、土曜日のせいか早朝から釣りをする人が多い。
 *遠敷の旧道を歩いていてメノウの加工場(店)があり、時間に余裕があったことから
  覗いてみた。カフスと母さんのブローチを買う。明治10年の大久保利道の感謝状も
  あり古い店である。現在この地ではメノウは産出せず海外原石の加工が主とのこと。
   店番のおばあちゃんに賽銭代わりだと言って安くしていただいた。自宅に帰り長命
   寺と那古寺のお守りと四国の遍路記を送ったらHO用だといってカフスが送られて来た。
  おばあちゃんの長生きをお祈りしたい。 
 *仮屋で休んでいたら自衛隊の部隊が車で通過。野砲もありびっくり。冷房なし。
 *熊川が歴史的にこんなに有名とは知らなかった。驚き。宿場館を見学。鯖街道のこと
  がよく理解出来た。宿は一軒で古く味があり親切。蚊がいた。
  義民松木庄左衛門を祀った松木神社がある。
 

32.H10.9.13 (金)晴れ 27.2Km                  
       船        
  宿  ~ 小坂トンネル  ~   北生見   ~ 今津  ~ 竹生島  ~  長命寺港 ~
   6:04    7:20 7:41 朝食  8:15       10:12   11:30       14:10
             おにぎり           9:00      11:10  13:00     14:20

   長命寺  ~ 長命寺階段下  ~ 円山町  ~ 浅小井町  ~ JR安土駅 ~米原 ~東京
    14:33       14:59                  16:19       17:20    
         14: 48                                    16:28

 *菊屋でいただいた朝食のおにぎりは、大きくて中身も立派。1個は昼に食べた。
  電話ボックスから自宅へ電話。今日帰る。
 *自衛隊の餐庭野演習地(あいばの)を右に見ての歩行。道が狭い。
 *今津港の手前3Kmほどは、車を避けて若狭街道の旧道を歩く。
 *今津へは下りであることもあり予定より30分程早く着いた。前の船に2分遅れで乗
  れなかった。1時間程あったので歯を磨くなどゆっくりした。
 *竹生島では西国廻りの人が多かった。混んでいた。
 *竹生島の宝厳寺の弁天様は日本三大弁天の一つ。(江ノ島、厳島)
 *竹生島~長命寺間の船は混んでいたのでデッキにいた。天気がよく風が気持ちよい。
 *長命寺の八百八段の階段は、荷物を下に置いて一気に登った。下から持ち上げた
  ジュース(魔法瓶に入れてあり冷たい)が美味かった。
 *円山町付近の西の湖では屋形船が出ていた。この付近は干拓地である。
 *安土駅前には信長の銅像があった。駅前の隅で着替え。ビールが美味い。
 

33.H16.10.30(土) 曇り後雨
     jR      jR      Bus
 舞浜駅  ~ 東京駅  ~ 米原駅  ~ 安土駅  ~ 宮津登り口  ~ 桑実寺
                                     9:13             9:50             10:05
 
 
  ~観音正寺  ~     国道  ~   愛知川御幸橋  ~  中山道入口  ~ 豊郷町〒 ~ 法土町
   10:50  11:05       11:53  12:00     12:30  12:50 昼食        13:17              14:00  14:10  15:13 15:23  
  

  ~小野町  ~  米原駅  ~     かめや旅館    *米原駅で夕食を調達
   16:4216:50    18:00 18:25            18:30

*米原駅のコインロッカーに荷物を入れ身軽になって歩く。
*桑実寺への階段は厳しかったが自然石で歴史を感じた。階段の傷みが見られる。
 石を下から運び上げたのかを寺の人に聞いたところ、石は山で取れるとのこと。
 寺の屋根は桧皮葺で立派。
*城跡では道案内がなく少しうろうろした。
*観音正寺は再建直後で新しい。この下りで大粒の雨が降り出した。宿まで雨、雨、大雨。
*中山道は案内板も多く歩き易い。鳥居本町から暗闇の国道を歩くが車が多く危険。
*素泊まりした「かめや旅館」は歴史のある宿である。予約が通じていなくて入館時には
 バタバタしたが気持ちよく泊めていただいた。宿泊は一人だけだった。
 

34.H16.10.31(日)晴れ 
 かめや旅館  ~ 蓮華寺  ~  醒井  ~   柏原  ~    藤下  ~   伊吹   ~   垂井町府中 
  6:30           7:15~20          8:09~19       9:55 10:05      11:14~24    12:40 ~50    13:21~36

~JRガード下 ~ 梅谷越(峠) ~ 峠下 ~   田中変電所 ~  田中宅 ~    田舎 
    13:51                 14:42          14:51 15:00       16:20~30       16:58 17:02         19:40

*宿出発時におばあちゃんが見送って下さった。100m程行ったところで笠を忘れたことに気づき戻る。
*蓮華時に寄った。番場の忠太郎に会いに。小説上の人物でガッカリ。
*醒井は水が綺麗で、釣りをしていた人がいた。庭先の菊が沢山咲いていた。
*関が原は交通の要、在来線、新幹線、国道、高速道路が狭いところを走っている。
 爆弾1個で東海道が麻痺になる。
*赤坂をショートカットする梅谷越えをしたが、これは選択ミス。登り下りが以外ときつかった。
  日曜日でもあり山芋堀の人に出会った。
*田中変電所横のコンビニから田舎へ電話、車で迎えに来てくれたことから荷物を預けた。
  これ以降は身軽でルンルン。
*脛永橋の近くの中学時代の先生宅に挨拶がてら寄る。何十年振りであったが覚えておられ、
 「身体に気をつけるように」と暖かい言葉。
*実家着19時40分、皆に向かえられて。兄貴が醒井あたりまで車で迎えに来てくれていたが、
  当方が梅谷越えをしたことから会えず。申し訳ないことをしてしまった。
*家では兄貴と義姉によくしてもらった。感謝、感謝。
 

35.H16.11.1(月)晴れ 
 田舎  ~ 小野坂(明覚寺)  ~ 深坂(肥田)  ~ 谷汲小学校横  ~ 華厳寺  ~ 岐阜~東京
 8:20           8:35   8:40               9:37                       9:45                10:34
 
*出発に先立ち兄貴とお墓にお参り。亡き親父と工事したブロック壁がしっかりしており懐かしい。
*墓の手前にあった町の戦没者墓地が、無縁墓が多くなり廃墓され空き地になっていた。子供の頃
 には墓石が整然と沢山並び綺麗に清掃されていたのに。時の流れを感じた。今回の巡礼でも多くの
 地方で忠魂碑が荒れていたことに心が痛んだ。
*兄貴と義姉が車でサポートしてくれて、空身の歩きが出来た。小野坂トンネル前の明覚寺にお参りし、
 庵主さまとの少し話しをした。旧場所のことはご存知でなかったが、ここにある銀杏の樹から採れた
 実を一袋いただいた。旧道を登ったが道は完全になくなっており、寺跡は畑で道脇にあった水飲み場
 の瓶は割れていた。思い出の多い場所につき寂しさを感じた。藪状態のところを強行突破。
*「谷汲おどり」の深坂で、公民館への送迎バスを待っている80歳過ぎおばあちゃん二人に会い話し
 をした。白装束の巡礼は娘時代以来、冥土の土産になると喜んでいただいた。お二人ともしっかりさ
 れており、美人顔で「若い頃には男に・・・・」の当方の言葉に、ハハハと笑われた。会話の中から
 思うに「谷汲美人」であったようだ。お元気で、とお別れした。
*華厳寺でお参りした時に、これで四国・百観音の徒歩巡礼が満願と思ったら、こみ上げるものがあった。
  納経している時に兄貴と義姉が着いた。
*着替えて岐阜経由で自宅へ。兄貴と義姉が岐阜まで送ってくれた。途中で昼食。

西国三十三観音霊場てくてく巡礼記 時間記録(1/2)

*本記録におけるルート取りでの特徴とするところは、
 ・1番青岸渡寺から田辺間は、大辺路ルート(紀伊半島の海岸沿い)
 ・和歌山県の湯浅から藤代間は、拝ノ峠越えでなく小原峠越え
 ・岐阜県の赤坂をショートカットした梅谷越え

 

 

nishijikanhyo.jpg 

1.H2.6.15(金) 雨後晴   33.5Km
青岸渡寺 ~ 市野々 ~ 勝浦港  ~ 常渡(鯨博物館)  ~ 森浦  ~ 粉白 ~
  6:00     6:50    8:30 Ship  9:00 9:45   10:10   11:30

 JR紀伊浦神駅先 ~ JR紀伊田原駅先 ~ 津荷(石切岩) ~ 伊串 ~ 串本
  12:00 (昼食)    13:35 13:45   14:45 14:55 16:00  17:00
  12:45                                    16:10  17:30
 
Bus
  ~ 潮岬 ~ 宿(民宿みさき・・潮岬)

  *出張の後に巡礼。
  *6/14夜 青岸渡寺前の民宿美滝山荘に泊まる。 6/15 5:00出発
  *勝浦港までドシャブリの雨。
  *粉白付近でお婆さんに寄って行くように誘われたが、急ぎ旅につき断わってしまった。
  *勝浦港での船のお客は自分一人。
  *潮岬は雲が低く垂れこめた暗い梅雨空で、大型船が遠くを航行していた。

 

2.H2.6.16(土) 曇り一時雨   24.4Km
  Bus
 宿 ~ 串本 ~ 高富 ~  JR田並駅先 ~  中平見(双島)  ~ 和深(西地)
7:55   8:45    9:55  10:05 10:55      11:05            12:20 ちゅうしょく
       8:55
               JR     JR
 ~ 大平見 ~  JR見老津駅 ~ 大阪 ~ 東京
   13:40     16:30
   13:55

 *和深で学校帰りの小学生と歌を歌う。
 *蒸し暑く、汗で白衣の墨書きが流れ、にじんでしまった。
 *台風の影響か風が強かった。
 *周参見駅まで歩きたかったが、乗車時刻の関係で見老津駅で取り止めた。

 

3.H4.8.1 (土) 
     Ship
 東京港 ~ 紀伊勝浦港
 18:20      7:50

 *ワイフ東京港まで見送り。
 *船内では寝るスペースが狭く、良く寝られなかった。
 *船から眺めた夜景はきれいで、花火も見えた。小雨がパラパラ。
 *夕食では、レストランの前で長い列を並んだ。また、値段も高かった。

 

4.H4.8.2(日) 晴  27.7Km
       Bus      JR
 紀伊勝浦港 ~  JR那智 ~  JR見老津駅  ~  黒崎  ~ JR周参見駅先 ~
 8:00       8:10 8:26  9:44  9:50      10:52    12:22 13:05(昼食)
                                  11:02    ことしお  食堂

 伊古木  ~  日置  ~ 市江  ~ 宿(民宿マルキ・・椿温泉)
 14:12昼ね 16:32  17:51   18:40
 15:28    16:43  18:00

 *JR那智駅前の売店でパンを買い朝食とする。駅は無人でガランとしていた。
 *JR周参見駅先での昼食(ヤキトリ、フライ)は美味かった。
 *伊古木での港を見ての昼寝は、快適そのもので良く寝た。
 *宿は海辺で、夜遅くまで花火をしていてうるさかった。寝られない。

 

5.H4.8.3(月) 雨 31.9Km
 宿  ~ 袋谷  ~ 庄川口  ~ JR朝来駅先  ~ JR紀伊田辺駅先  ~ 元町 ~
 6:12 7:23 パン  8:43   9:50 10:35(食事)  11:42 11:55    12:43
      7:42      8:55     スーパー                     13:20

 西の谷  ~ JR南部駅先  ~ 村片倉  ~ 宿(民宿 岩代荘・・JR岩代駅先)
 14:25    15:15 15:30  16:19 しょくじ      17:15
 14:43    こうばん まえTEL 16:50

*スーパーの駐車場軒下での食事は、降る雨を見てでわびしい。
 *雨、又、雨の一日であった。
 *宿は漁師さんの民宿。部屋まで食事を運んで下さった。
 *宿で洗濯をするも乾燥機が無く、生乾きであった。

 

6.H4.8.4(火) 曇り風強し(台風) 32.8Km
 宿  ~ 由留木 ~ 元村  ~ 名田町楠井  ~ 名田町野島  ~  御坊発電所前 ~
 6:40 7:15   8:21    9:42 10:00  10:25 (酒屋)    11:33 11:50
      7:25   8:30                  食事
 御坊市役所前  ~ JR紀伊萩原駅先  ~ 由良隧道  ~ 由良(ドライブイン  無人) ~
 12:44 (食事)  14:45 15:05     16:01     16:20   16:33
  ファミリーレストラン                16:07

 宿(民宿 みちくさ・・門前)
  16:55

 *橋が谷付近の国道で、側溝の中を歩いている亀を助け、2~3百米離れた川の近くへ
  放した。良いことがあるかも?
 *名田町野島付近でお葬式の前をとおる。集まった人の目が当方に集中し変な気持ち。
 *ファミリーレストランは、雨やどりを兼ねて入ったが長く待たされた。
 *宿は2500円で格安だが、部屋はカビ臭くわびしさを感じさせた。

 

7.H4.8.5(水) 晴 28.8Km 
 宿  ~ 水越隧道  ~ 井関  ~ JR湯浅駅先  ~ 明王寺(食事)  ~ 下中島 ~
 6:15  7:14     8:33   9:34  9:44     10:40 カーポート     12:34・(寺)
       7:33     8:51               11:15          14:37

 小原峠  ~  脇浜(スーパー)  ~ 宿(旅館 喜久屋・・下津港)
 15:43    17:00 17:50       18:00
 16:00

 *暑い、全く暑い一日であった。
 *お寺で2時間ゆっくり昼寝をした。
 *小原峠への登りは、山全体がミカン畑の道であったが、途中、道は間違えるし、峠付
  付近では道が無くなっており大変だった。 *峠には立派なお堂があった。
 *宿さがしでは、スーパーの店員さんに親切に紹介して貰った。
 *宿の食事は鯛まで付いていたが、出てくるのに時間がかかるし、疲れており、ほとん
  ど食べられなかった。勿体なかったがしょうがない。

 

8.H4.8.6(木) 晴  33.9Km
 宿  ~ 塩津トンネル先  ~ JR海南駅先  ~ 紀三井寺  ~ 寺前の食堂 ~
 6:30  7:28 7:43     8:48 9:01  10:13 10:23   10:25
                                             10:45

  本渡  ~ 奥須佐  ~ 口須佐  ~ 南海大池遊園先  ~ 丸栖  ~ 高島橋 ~
  11:24  13:34   14:12     16:00 16:15     17:24
   12:34  14:04   14:51                            17:35
          TAX
  紀の川竹房橋前 ~  宿(三笠旅館・・粉河寺前)
   18:40        19:30

 *海南港付近でお接待をいただく、200円。
 *暑い一日であった。途中民家で麦茶と水を接待。
 *宿さがしが大変、満杯だったり休みで、粉河寺前までタクシーで行くことになった。
 *宿は素泊まりのため、途中のスーパーで買い物。
 *疲れが出てきて歩くのが辛くなってきた。

 

9.H4.8.7(金) 晴  14.7Km
  TAX
 宿  ~ 紀の川竹房橋前  ~ JR粉河駅  ~ 粉河寺  ~ 宿  ~ JR名手駅先
 6:55    7:10       8:10 8:37   9:00    9:15     10:09   スーパー
                               9:13    9:20     10:30

  ~ 背の山(レストラン )~  宿(一栄・・笠田東町)
   11:00 11:50      12:20

 *昨夕のタクシーに来てもらい、昨日の終点、紀の川竹房橋前まで戻る。
 *暑いし、昨日の歩き過ぎがこたえてかヘトヘト。歩くのを午前中にして宿で休んだ。
 *宿は周りにまだ足場のある新築ビジネスホテル、クーラーも有り快適。
 *洗濯をし、ゆっくり昼寝をした。
 *町役場へ電話をして、翌日の山道の状態を聞く。新しい道が通れる。

 

10.H4.8.8(土)曇り 台風  33.2Km
      風強し
 宿  ~ 名手上先  ~ 東谷  ~ 神野  ~ 三国山  ~ 分岐点  ~ 槇尾寺 ~
 6:00   7:00    8:15    9:27  10:35    11:54    12:57
         7:15    8:30    9:40  10:55    12:09    13:33

 善正町手前  ~ 金剛寺前  ~ 上野町先  ~ 宿(旅館おばな館・・JR河内長野駅前)
 14:30 14:40  15:20    16:47        17:13               
              15:45    17:00

 *台風が接近しており曇り空、又、風も有り歩くには快適。昨日の休養で疲れも無く。
 *神野の民家と三国山のレーダードームで、水をいただく。
 *槇尾寺横のお店で、お茶漬けの接待をいただく。
 *三国山から槇尾寺への山道は、巡礼道で丁石が残っていた。
 *東槇尾川に沿った道は、砕石を運ぶダンプ道で、気をつけないと大変。
 *宿は薄汚いし、精薄と思われる子供が二階でドタバタ、落ちつかなかった。
  翌日は寝不足で大変であった。

 

11.H4.8.9(日) 晴  34.1Km
 宿  ~ 近鉄滝谷不動手前  ~ 近鉄富田林駅先  ~ 藤井寺  ~ スーパー(食事)
 6:15 7:00 7:14       8:13  8:25        10:00    10:30  11:20
                                      10:25

  ~ 碓井  ~ 近鉄かみの太子駅  ~ 竹内峠  ~ 当麻町(センター)  ~ 紀伊高田駅
   12:08   12:58  15:00    16:18     16:50 17:43     19:00
    12:20                  16:30        Tel

 ~ 宿(高田ビジネスホテル   高田市駅前)
    19:16

 *藤井寺は千日まいり(お開帳)の日で、お参りが多かった。納経が大変。
 *スーパーでの食べ物を買い食事をした。ジュースを飲み過ぎて気持ちが悪くなった。
 *暑いこと、そして疲れが溜まってきたことから歩くのがいやになってきた。
 *太子駅のベンチで2時間ゆっくり休んだ。お盆前の日曜日でお参りが多かった。
  ここで食べたカップアイスは美味かった。蝉の死骸がしっかり気になった。
 *当麻町の立派な体育館に上がりこんで、電話で宿さがし。
 *宿のある場所の駅名を間違え、約1時間程余分に歩いた。暗くなってしまった。
 *ホテル受付の親父さん、親切であった。洗濯をする。食事は外。

 

12.H4.8.10(月)晴 29.1Km
 宿  ~ 根成柿  ~ 田井ノ庄  ~ 近鉄壺坂山駅  ~ 壺坂寺  ~ 壺坂山駅前食堂
 6:30   7:32    8:51     9:33  10:13    11:10   12:41  13:05
         7:50     9:04                  11:51

  ~ 岡寺  ~ 寺前休憩所(氷)  ~ 山田  ~ 材木市場  ~ 宿(桜井ビジネス・・
   14:15  14:35 15:07    15:56   16:15Tel    17:10JR桜井駅前)
   14:33                 16:10   16:25

 *壺坂山駅のコインロッカーに荷物を置いて、壺坂寺を往復。
 *壺坂寺の盲人施設へ5000円寄付をする。
 *壺坂寺への登り道で、乗用車が道路脇で横転していた。中を覗いたが人は居ず。
 *岡寺付近は、飛鳥古墳を貸し自転車で廻る人が多かった。
  暑く、疲れて古墳を見て廻る余裕などなかった。
 *岡寺の門前でカキ氷を食べる。美味かった。
 *ビジネスホテルでの宿泊は、使い勝手が良く便利である。シャワーは何時でも使える
  し、洗濯も出来るし。

 

13.H4.8.11(火)晴 一時雷雨  29.9Km
 宿  ~ 近鉄長谷寺駅手前  ~ 長谷寺  ~ 別院  ~ 宿  ~ ケンタッキー(食事)~
 6:53   8:05  8:17     8:35    9:15  10:35    10:40  11:20
                       9:10    9:22
 
 渋谷町  ~ 柳本町(スーパー)  ~ 天理(ローソン)  ~ 天理IC前  ~ 柴屋町 (レストラン)
 12:25   13:03 あまやどり     14:10Tel       15:40 雨やどり     16:55 食事
 12:40     13:39          15:02       16:10          17:20
                 Bus
 ~ ビニールハウス   ~ 横井町バス停  ~ 近鉄奈良駅  ~ 宿(ビジネス馬酔木・・駅前)
  17:10 雨やどり   17:35
  17:30

 *宿へ荷物を置いての、朝の長谷寺への往復は快調。
 *長谷寺は観音様も建物も素晴らしい。観音様の前では頭が自然に下がる。
  お百度参りなのか、カウンターを持って本堂の周りを廻っている人がいた。
 *大神(おおみや) 神社の前を通る。このあたりは三輪素麺の産地で工場も多い。
 *疲れと暑さでバテバテ。朝の長谷寺往復で飛ばし過ぎたためか。
 *天理市では立派な宿舎の多いのには驚いた。黒ハッピの人が多いが、そんな中での
  白の巡礼着は目立ったかもしれない。
 *夕方になって物凄い夕立にあい、民家の門下と菊のビニールハウスで雨宿り。
  ビニールハウスでは、追い出され雨中を歩き始めたが、靴の中はすぐにグチョグチョ。
  奈良では浸水騒ぎもあったという大雨であった。
 *雨がひどいのと暗くなったため、奈良の手前で歩くのを止めバスに乗る。
  奈良まで行きたかったのに残念。

 

14.H6.3.19(土)~3/20(日) 晴れ  31.1Km
 3/19  地下鉄     深夜 バス      3/20
 門前仲町  ~ 西船橋  ~ 近鉄奈良駅  ~ 南円堂  ~ ドリームランド入口 ~
 22:00      22:30    7:05 7:40    7:45      8:25  8:45  朝食
            23:00     着替え       7:52
  
 市坂  ~ 平尾  ~ JR玉水駅先  ~ 城陽市市辺  ~ 近鉄くつがわ駅先 ~
 9:42  10:55   12:12  12:20  12:52 13:22    14:24 14:30
 9:50  11:05        昼食

 宇治橋(つうえん)  ~三室戸寺  ~ 宿(民宿亀石楼・・・宇治川右岸)
 15:40 15:52 お茶 16:13 16:36        17:13

 *深夜バスにおいて隣の親父さんのイビキがうるさい、朝は早くから起きて叉うるさい。
 *スタートして直ぐ、天明天皇陵先で道を間違う。直進してしまい約1Kmのロス。
  深夜バスの寝不足で頭がまだボーとしていたようだ。
 *奈良街道の木津川の堤防道は、歩道がないし車が多くビクビクの歩行。風も冷たく向
  い風のため、玉水橋先より風の当らない旧道を歩く。
 *宇治橋際のつうえん茶屋で薄茶と団子で一服。美味しかったし元気が出た。お茶には
  ビタミンが多く興奮作用があると聞いていたが、本当である。
 *三室戸寺で宿を親切に紹介してもらう。助かった、良い宿であった。

 

15.H6.3.21(月) 曇り一時雨 24.7Km
 宿  ~ 志津川  ~ 導水路先  ~  炭山  ~ 上炭山  ~ 上醍醐寺  ~ 開山堂
 7:20  8:21     8:40 8:57   9:27   10:00      10:47        11:26
                                 10:12      11:05

  ~ 西笠取   ~ 平出  ~ 岩間寺   ~  石山寺  ~ JR石山駅案内所 ~
   12:00昼食     12:37  13:53     15:48    16:40 16:55
   12:07                 14:33     16:17

 ~ 宿(石山ホテル・・石山駅前)
       17:00

 *宿から志津川町までを、近道にと東海自然歩道を歩いたが、かえって遠回り。
 *今日はお彼岸の中日、上醍醐寺の登り山道は、お寺から風に乗って聞こえてくるお経
   を聞きながらの登り。巡礼の旅を感じさせてくれた。
 *岩間寺の登りでは、うつむいて歩いていて脇道に入ってしまった。強引に登ろうとし
  たが、道が無くなり断念。10~20分のロス、そして疲れた。お寺で遅い昼食。
 *炭山あたりから左足が痛い、マメも出来た。シップを貼り、ゆっくり歩く。
 *JR石山駅前で酔っぱらいの親父がへたりこんでいたため、通りがかりの高校生に手
  を貸させてベンチに座わらせる。ベロベロで足腰がだめなようである。
 *石山ホテルの部屋は、グッドであった。バスで靴下を洗濯をする。

四国遍路時間記録 (2/2)

 

・その6

yonjikan7.jpg

 

・その7

yonjikan8.jpg・その8

yonjikan8-1.jpg

 

・その9  yonjikan9.jpg

四国遍路時間記録 (1/2)

 

・その1   yonjikan1.jpg

 

・その2

yonjikan3.jpg

 

・その3

yonjikan4.jpg

 

・その4

yonjikan5.jpg

 

・その5

yonjikan6.jpg

 

 坂東巡礼地図 (3/3)

 

・その7 

kirokuchizu7.JPG

 

・その8(終わり)

kirokuchizu8.JPG

 

 

坂東巡礼地図(2/3)

 

・その4

 

kirokuchizu4.JPG

 

・その5

kirokuchizu5.JPG

 

・その6

kirokuchizu6.JPG 

 坂東巡礼地図 (1/3)

 東京都心からの日帰りですので、交通機関利用の関係で変則的なルートになっているところがあります。発願寺は弘明寺です。

 

・その1

kirokuchizu1.JPG

 

・その2

kirokuchizu2.JPG

 

・その3

kirokuchizu3.JPG

 

  秩父巡礼 

・年末年始の休みを利用しての東京からの日帰り巡礼です。

 荷物なしでしたのでし早足です。 

 

chichibuhyo1.jpg

 

 

・歩行順路

 日帰りのため、交通機関利用の面から変則的な順路になっています。

chichibuchizu1.jpg

 

---------------------------------------------------------------------------

 

H19.11.30特別追記

秩父巡礼 荒川橋から柴原経由の32番法性寺への道

・この道は30番法雲寺から32番法性寺への古くからある近道ですが、現在では道がはっきりしないようです。
・OSさん(大阪弁さん)は、H17年11月に坊座窪峠を越えた先あたりにおいて、道を見つけられず引き返しておられます。
・ここを通過した記録としては、H19.2.15に日本経済新聞(夕刊)に掲載された「秩父巡礼⑦」において、地元巡礼ガイド付きのものがあります。この時の記述では「柴原鉱泉を過ぎて坊座窪峠を越える。最近歩く人が少ないとみえて踏み跡があやしく、林道に出るまで難儀した」となっております。
・その後の状況は不明ですが、ここを通ることを計画される方は、地元に確認するなどの十分な事前調査が必要と考えられます。

 

chichibutoge.jpg

 

 

1.2007年 桜(住宅街際の見明川河畔)

sakura.JPG

sakura2.JPG

 

 

2.2007年クリスマス 舞浜のイルミネーション

a.ホテル街

xmas-002.jpg

 

b.ホテル街

xmas-004.jpg

 

c.ホテル街

xmas-007.jpg

 

d.イクスピアリ広場

xmas-030.jpg

 

e.ディズニーシーの船

xmas-020.jpg

 

 

 

3.2008.12 舞浜の夜

a.ディズニーホテル(H20.11オープン)

hotel1.JPG

 

ディズニーホテル

hotel2.JPG

 

c.駐車場

chushazoo.JPG

 

d.舞浜駅先の交番(住宅街もここにお世話になっています)

koban.JPG

 

e.舞浜駅(ディズニー側)

住宅街舞浜2・3丁目)は北口です。ディズニーは舞浜1丁目。

maihamast.JPG

 

f.ホテル建物外壁の飾り窓

mado1.JPG 

g.飾り窓2

mado2.JPG

 

 

 

4.2009.12.25 舞浜の夜

a.イクスピアリのクリスマス

tou.JPG

 

b.ディズニーホテルの玄関

hotelout.JPG

 

c.モノレール駅

eki.JPG

 

d.国道357舞浜交差点

kosaten.JPG

 

 1.我が家のバラ
 舞浜に引っ越し以来、趣味の花づくりをしています。庭は猫の額ほどですのでポット(植木鉢)がほとんどです。冬と春はパンジー、夏と秋はペチュニアで、ゼラニュウムは一年中咲いています。
 バラも数本植えていますが、ブルームーンは色が紫色で少し大人のムードです。
 家の前が通園・通学・通勤路で、道行く人の目の保養になればと思っておりますが、道行く人の「何時も綺麗にしておられますね」の声に、
続けていく力を貰っています。


(1)門塀とバラ(オレンジメジアン)

baramon.jpg 

(2)バラ(ハンプルガーフェニックスとプルームーン)
  2002年全国ガーデニングコンテスト(日本園芸協会主催)のバラ部門入選写真。
  手前の赤は、鉢植えのハンブルガーフェニックス。

  baranuusho.jpg

 

 

(3)バラ(ブルームーン)

baramurasaki.jpg

baramurasaki1.JPG

 

(4)バラ(サプライズ)

barakiiro.JPG

 

(5)バラ(アメリカとブルームーン)

bara2hon.jpg

baraaka.jpg

 

(6)その他(名前??)

barashiros.jpg

barapinku.JPG

baraharu.jpg

barakiirousui.jpg

・ 

barapinku.JPG

barakiiroyawa.jpg

baraaka2.jpg

 

(7)マイホーム(赤いのはゼラニュム)

jitaku.jpg

 

コメントのバックナンバー

H19.6.5~H20.4.25(サーバー故障まで、H20.5月分は消滅) 

 

サバイバル田中  2007-06-05 05:11:33
質・ボリューム・整然としたフォーム・・・すばらしいの一言です。
我輩のつぎはぎだらけのHPとは比較にならない・・・比較するのが間違っているですね・・
なんか大学の研究室みたいです・・・
今後大勢が訪問者することと結果として充実されることをお祈り申し上げます。

やじろべえ  2007-06-05 15:15:13
すばらしいブログの誕生を心よりお祝い申し上げます
多くの人に活用され高い評価を得るものと確信します
当方のブログで紹介およびリンクを貼らせていただく許可をいただければ幸いです
国土地理院へは以前 つくば市まで地図使用承認の事を聞きに行ったことがありますが
今は電子申請も可能なようなようで 手続きが楽になってるので もっと多くの人が活用すると良いように思います 

舞浜のおじさん 2007-06-06 07:48:51
・サバイバル田中さま
 バージンコメントをありがとうございます。温かいコメントに感激しております。
 一般の無料ブロクでなく専門的なワードプレスを使用したことから、HTML、CSSの勉強や画面の構成などに苦闘しています。おいおいそれなりに良くしていきたいと思っておりますが、書庫ですからあまり格好はつけないでいきたいと思っております。
 今後のご指導をお願いします。

・やじろべえさま
 コメントありがとうございます。ブログ紹介とリンクはOKです。
 地図使用の件は少しフライング気味のところもありますので、早めに手続きしておきたいと思っております。
 この道の先輩としてご指導をお願いします。

舞浜のおじさん 2007-07-26 08:14:20
 現代の巡礼記録 ー 現代その2で紹介しております、巡礼中のATさん。
 巡礼が順調に進んでおります。22番佐竹寺までお参りです。
 それから、ビッグニュースです。
 これまでのユニークなルートの縦断図(高低差図)に加え、分かり易い平面図が加わりました。
 ルート資料としてハナマル、特級品になりました。
 バンザイ、バンザイ、バンザイ。

tsurumaigamahutari 2007-06-30 06:42:48
ブログ開設おめでとうございます。今までのご研究の蓄積を一気に吐露なさった素晴らしいブログですね。先日第1番目の札所の杉本寺に行ってきました。我が家の近くには31番目の笠森寺があり、よく来客を案内してゆきます。でも千葉県以外の札所はこれからです。あわてずあせらず少しずつお参りしてみようと思います。このサイトを道しるべに!

舞浜のおじさん 2007-06-30 11:44:43
  tsurumaigamahutari さん コメントありがとうございます。
 現地調査報告に道標の写真を使わせていただきました。
 これからも何かとお世話になるかと思いますが、よろしくお願いします。

harkmhm   2007-06-30 12:21:48
素晴らしいブログですね。恐れ入りました。よくぞここまで、まとめてこられましたね。
フォームも立派ですが、なによりそのコンテンツに凄い深みを感じます。
これから一層充実されて、多くの方の目に触れてもらいたいものです。

舞浜のおじさん  2007-07-02 02:23:28
harkmhm さん コメントありがとうございます。
のんびり、ゆっくり、それなりに、続けていきたいと思っております。
ご指導の程よろしくお願いします。
 お仲間に、肥満解消、健康ウォークとしての「歩き巡礼」の世界もあることを
紹介していただければ幸せです。

はるた  2007-07-03 23:29:27
舞浜のおじさん、お久しぶりです。
 早速、ブログを見にきました。
 凄い・素晴らしいの一言です。舞浜のおじさんの'坂東観音巡礼'への思い入れは、非常に大きいものと感じています。
 '坂東観音巡礼'の古道の現地調査をされ、「四国遍路ひとり歩き同行二人」の地図を作成された宮崎建樹さん、「西国三十三所古道徒歩巡礼地図」の松尾心空さんのように「坂東三十三所古道徒歩巡礼地図(仮称)」を作られることを期待しています。
 また、三十三ヶ寺の各お寺、お寺の近くの旅館・民宿と坂東巡礼に興味(趣味)ある方(できれば、各お寺の近くに住んでおられる方々)が協力・手分けされて古道発掘の調査ばかりでなく、古道の整備(道の整備、道標の設置、....)などされたらと思いめぐらせています。
 ところで、H19. 4.27.に早稲田大学文学部社会学研究室から「現代における坂東三十三観音巡礼」(研究レポート)が送られてきました。さすが、早稲田大学すばらしいレポートですね。
 私は、いま"奥の細道"を無理せず(時々交通機関を使いながら)歩いています。7/8~7/19第4回目の新潟ー金沢を旅行する予定です。
 今後ともよろしくお願いいたします。

2007-07-04 10:45:59
 はるたさん コメントありがとうございます。
お元気でなによりです。
 データを使わせていただきました。ありがとうございました。
 奥の細道ですか。結びの地である大垣は私の故郷に近いです。
「水の都」といわれ水の美味しいところです。
 結びの地において、美味しい水が飲めることをお祈りしております。 
 歩き達成者としてのアドバイスを引き続きお願いします。
 早稲田大学のレポートは、当方もいただきました。さすがわ大学という内容で、歴史に残るレポートになるのではと思っております。
 地図作成については、皆さんのご意見も聞きながら進めていきたいと思っております。

岩  2007-08-07 14:12:56
こんばんは、はじめまして。
四国>小辺路>西国>元善光寺>善光寺>北向観音>坂東回遊中の歩き遍路です
これから旭以南の房総半島にかかるところで、資料興味深く読ませていただきました。
中禅寺湖の立木観音に行くのに、足尾の方から回りこんで、長い長い峠道(細尾峠旧道)の頂上から茶の木平経由を笹道で越えて一気に下っていくコース取りました
いろはの方の同じ道を往復しないで済むことと、この辺りには不足してる土の道であること、いろは坂に比べ静かなこと、中禅寺湖を茶の木平から眺め下ろせるという利点があります。
マイナスは粕尾峠がいまいちなのと、茶ノ木平へは急坂なので、路面状態が悪いとつらいかも、ということです。

舞浜のおじさん  2007-08-09 09:30:33
 岩さん コメント(情報提供)ありがとうございます。
同じところは歩きたくないと、中禅寺へは足尾経由の阿世潟峠、半月峠などを選択する人が多いようですが、道がいまいちで迷う人も出る状況です。道標が少なく、道も荒れているようです。
 歩かれましたルートは、一般のハイキングコースのように道標は整備され、足元もしっかりしているでしょうか。叉、茶の木平から中禅寺へはダイレクトの道があるのでしょうか。
 今後のために教えていただきたくよろしくお願いします。
 新しいルートとして検討したいと思います。
 今後の巡礼が楽しいものであることをお祈りしております。
 舞浜のおじさん

岩   2007-08-16 07:47:16
途中の看板では道が途切れて見えますが、出会った登山者に登山地図見せてもらったらばっちり載っていました。
今は無くなったケーブルカー跡まで行けばそのそばから急な階段ですが湖畔近くまですとんと降ります。
 ところで今回、旭>一宮>三門(清水寺往復)>南三原>那古観音>上総湊まで歩きました。
南三原>那古観音間はこのブログを参考にしました。その中で途中セブンイレブンの角を右折するところがありますが、そこを数百メートル直進すると大きなコインランドリーが1km直進すればインターネットカフェがあります。
 少し気になりましたのは那古観音>上総湊間において、富浦から竹岡のトンネルがあまりに危険なものが多数見受けられたことです。(歩道0の上に狭い2車線で、車もまさか人間用のトンネルが別にあるんだろうと考えているゆえ、すっとばしてくる+暗い、ひどいのは照明無し+側面に小さな表示灯があり逆にまぎらわしい+夕方行くと西日が逆光で射し込みさらに見えない+数百メートル+カーブもあり)
地元の方に聞くと、2,3個には通行者が表示灯を点けられる釦が設置されていますがねまあ残りは様子見とされて、そのまま数十年放置が実情だそうです。
いくつか集落を大きく迂回すれば避けれるトンネルもありますが、表示は一切無く逆方向に向かっていかねばならなかったり、迷路状だったりと、詳しい地図が必要のようです。でないと私のように隙を見て蛍光シール貼った杖ぶん回しながら数百メートル、念仏唱えながら全力疾走で運に任せて走り抜けるしかありません。
 注意を喚起しておいた方がよいのではないかと思います。(後で資料で確認すると逆方向ではOSさんとMSさんが利用したようですが、そちら方向からだと釦があって安全性が高かったりするのでしょうか?)

岩   2007-08-16 07:51:11
追記です
ハイキング表示はありませんが、道は平原に出るまでは一本道です。判りやすいです。
平原でてからがちょっと戸惑いますが、ケーブル跡を探せばよいです。
(跡自体は湖畔側にあるのでとりあえず湖畔方面に進むとよいでしょう)

舞浜のおじさん  2007-08-18 01:33:10
 岩さん 情報をありがとうございます。
 叉の質問で恐縮ですが、情報をいただけたら幸せです。 
1.中禅寺のルートは今少し勉強させて下さい。ケーブルカー跡があり、その点検道跡が歩けるようですね。これは湖畔のどのあたりに下りるのでしょうか。
2.南三原からは昔しの加茂峠を越えられたのでしょうか。もし越えられたならどのような様子でしたか。当方もその内に調査に行きたいと思っておりますが。
3.富浦から竹岡のトンネルは酷いですね。当方も歩きました。自転車用の赤の点滅灯を点けて。
 当方のブログに注意事項として記載しておきます。

岩   2007-08-18 23:26:00
中宮祠の近くで湖畔から1本外側の道に出ます。
加茂峠ってのには気が付きませんでした
隣接する公園から入っていくと通るのかな??
南三原からだと、普通に歩くと谷あいの田園ばかりになっちゃいました。

岩   2007-08-18 23:30:34
ああーすいません、勘違いです
加茂は通っていません。
ここの記事で通れないってあったので
南側を迂回するコースでいきました。

舞浜のおじさん   2007-08-19 06:30:32
岩さん 状況が分かりました。
国道の加茂坂を通られたのですね。
ありがとうございました。
今後も情報をお願いします。
舞浜のおじさん

岩   2007-08-24 03:52:16
すいません、問題なければご教授ください。
8番さんからのルートで。③9番慈光寺へのルート  参考資料 ATさん
とありますが、差し支えなければ大体のルートを教えて頂けないでしょうか。
小生、9番もしくは秩父霊場エリアから、8番さんに向かおうと考えていますが。あまりにも選択肢が多くて思考が固まっております。
昔の山越えルートなんかがあるのでしょうか?

舞浜のおじさん   2007-08-24 07:59:00
岩さん
ブログをベースに説明させていただきます。
8番~9番間はKNさんが歩いておられます。(ATさんの表記は当方のミスです)現代の巡礼記録 現代その1を見て下さい。KNさんへのリンクがあります。
 ルートとしては、JRの相模線と八高線に沿った道になるかと思います。
 秩父から8番へダイレクトの道は、当方には知識がありません。地図上の道を歩けば歩けますが。
 9番~秩父1番への道は古くからあり、今でも坂東の中に秩父を取り込んで廻る方は、この道を通ります。新しい実績としてはJIさんのものがありますが、残念ながら地図がありません。
 地図としては、YAさんのものがあります。探しづらいかもしれませんが頑張って下さい。現代の巡礼記録 現代その1にYAさんへのリンクがあります。JIさんはその2に。
 この道はハイキングに使われる道で、ガイドブックにも記載されていると思います。
 歩くのに地図と磁石は欲しいですね。

舞浜のおじさん   2007-08-24 08:07:26
岩さん
 YAさんの地図はここです。
  http://yajikitajunrei.blog27.fc2.com/blog-category-22.html

岩   2007-08-24 14:35:13
ありがとうございます。
実を言うと私、かなり馬鹿なもんで、当初真剣に秩父30番から三峰方面へ、雲取山>>>>大月>>山中湖⇔富士山>>金時山>>坂東5番を考えてもみたのですが、
無知で富士山の開山時期が2ケ月しかないと知りませんで、どうにも今年一杯で結願するには都合が悪い、とあれやこれや無駄に悩んでおりました。お恥ずかしい。
今のところは15から初めて、1霊場も参らなかったのは4日間だけなので、なるべく29→12間と、この9→8間の日数を頑張ってみたいと思います。

岩   2007-09-10 16:02:24
上総>高蔵観音>笠森観音>>>>
と進んでまいりました。
台風の爪痕をみる意味も兼ねて
 第3図 鹿野山~小糸川 Aルート
2ケ所の崩落、特に先の崩落は真新しく、元が赤土の土壌の為ぬかるみ、滑ると隙間に落ちる可能性があります。
2つ目は、今回そうなったのか以前からなのかはわかりませんが、1m以上の手がかりのない段差があり、短い細い流木?2本寄りかかっています。
下手に流木に足がかかり滑ると背中を強打しかねないので、思い切って先の方の斜面に跳びました。
その更に先で熊笹?部分で道が消えていますが、しゃがんで、下地の砂の流れを観察すればなんとかなります。 
 第2図  高倉観音~地蔵堂間(その1) の変電所部分、
変電所からの分岐の下二本は竹が腰の高さあたりの高さで、見渡せる先までずっと折り倒れまくっていて、とても進める状態ではありませんでした。
 第2図  地蔵堂~上総久保 ぞうの国に先に行くつもりでしたので、音信山の紫ルート行く予定でしたが、ヘッドランプの電池がやばかったので(スペア忘れました)夜中だったので分岐にはいるとまずいかと、その下を並行する168号線を歩きました。途中音信方面に入っていく分岐に道標らしきものがありました。

舞浜のおじさん   2007-09-11 01:09:30
岩さん 最新情報をありがとうございます。
1.鹿野山~小糸川のAルートを歩かれたのですか。台風で道なき道も荒れていて大変だったでしょう。段差のある場所もありますね。当方は自転車を苦労しました。この道は一般の人には勧められないですね。
2.高倉観音~地蔵堂の変電所にぶつかったY分岐地点の右側ルートは、入り口部が竹で覆われ、倒竹もあって入るのがダメでしたか。3m程強引に抜けると変電所の柵に沿った道?に出られるのですが。右側ルートは一般用ルートとしては断念せざるを得ないですね。ここは再調査しようと思っていた所です。
3.地蔵堂~上総久保は県道168号線を歩き高滝湖へ出られたのですね。夜ですか、真っ暗闇でしょう、道路灯が無くて。なお、昭文社の地図の県道168号は間違いがあることから先方に連絡してあります。
 叉の情報をお願いします。

岩   2007-09-11 07:40:31
数枚写真撮りましたので、舞浜さんのほうで
確認していただければ、、どこに送りましょうか^^

舞浜のおじさん   2007-09-11 21:52:12
岩さん
写真が届きました。
 台風で一段と道が荒れていますね。
当方も泥だらけになった場所です。
 それから変電所の分岐も倒竹が一段と進んでいますね。
 使わない道は、どんどんと廃道になっていくということですか。
ありがとうございました。

岩   2007-09-25 12:13:33
笛吹峠とか七重峠>旧定峰峠を経由して、秩父に入りました。
笛吹峠はむしろ峠前の地球観測センターのパラボラ過ぎた後の分岐で悩みました。
まずセンターフェンスに沿う左へ下る道は論外としても、次の分岐は左の平らな舗装路のほうになにか看板らしきものがありましたが、地図と方角が一緒?の右の土道の上り坂へ向かいました。ただこちらは後半土建屋さんの物置地帯になり、なんとも不気味です。
舗装路隔てて左手に登る道を進みます。この道では1ケ所左に直角に折れるところで、登山地図にない直進する登り道が出来ていますので注意、頂上の休憩所で、自分が出てきた正面に道を隔てて土道が家の右を通って延びています。この道は藪蚊が恐ろしくいるので、要対策です。入る前に立ち止まらなくて済むよう靴紐を結びなおすなど、してください。結びなおしで20ケ所くらい刺されましたw
しばらく進むとクランク型に舗装路に出ます。パッと見左右どちらへいけばいいかわかりませんが、ここは右へ、少し登っていくと左へ入る道が見えます。
七重峠直下のエスケープは木が切り払われている地帯の一番左の木の生えているところとの境界線です。七重峠には熊注意看板が出ていました。
この七重峠から白石バス停方面への道がとにかく怖かったです。急勾配に浮石のバラスで、濡れていて滑ること滑ること、アスファルトに出てもこれがまたうっすら全面苔が生えていて滑る按配。

岩   2007-09-12 01:19:04
写真よかったらここで使っていただいてもかまいませんよ
後の人の参考にしていただければ
自分もここで助けられましたし^^
というかあの段差や崩落部分を自転車で、、、
恐れ入りました><

舞浜のおじさん   2007-09-26 02:10:24
 岩さん 情報ありがとうございます。
地球観測センターの右方向の道は、右がゴルフ場、左が廃棄物処理場ということで、あまり良い道ではないようですね。一般の人はここを避けてセンターの左方向の道をとつたほうが良いですかね。笛吹峠は通らないことにして。
 七尾峠については少し勉強をさせていただきます。

岩   2007-10-14 11:02:39
来春の秩父のゴールを先取りして
1.秩父鉄道皆野駅→大野原→横瀬駅→御嶽神社一の鳥居→妻坂峠→名郷→名栗→有間ダム→白谷沢登り→岩茸石→棒ノ折山→大丹波→JR川井駅→JR御嶽駅
2.JR御嶽駅→御岳山・武蔵御岳神社→奥の院→芥場峠→大岳山→つづら岩→天狗の滝→柳沢林道→千足→払沢滝入口(⇔払沢の滝)→笹平→上川乗→浅間峠→(・・・・棡原中学入口→上野原→JR藤野駅) のはずが、ここで想定外の遭難。山中の場所不明の巨大砂防ダム上で夜明かし。
3.場所不明の巨大砂防ダム→浅間峠→熊倉山→生藤山→奥の院→軍刀利神社→井戸→沢井入口→上河原→日野→JR藤野駅(ここで半日休養)
4.JR藤野駅→相模湖駅→底沢→千木良→城山→高尾山→薬王院→琵琶滝→岩屋大師→清滝→高尾山口→高尾→町田街道→大戸橋(右折)→向原(左折)→下九沢(右折)→田尻(左折)→JR番田駅
 腐っても奥多摩、遭難で1日丸々予定が後押ししてしまいました。残念。秩父霊場から星谷寺へのオリジナルルートです。中々に面白かったです。

舞浜のおじさん   2007-10-15 01:23:35
 岩さん 経路を地図で追うのに一苦労しましたが状況がわかりました。
昔し昔しに当方も歩いたところもあって懐かしくも思いました。
砂防ダムで野宿ですか 大変でした。
 このルートは修験者向きといったところでしょうか。
 江戸期には、江戸日本橋より秩父への道は、川越通り、熊谷通り、吾野通りの3本があり、一般には前二者が使われ、吾野通りは最短距離だが治安がよくなくてビジネス用だったようです。
 座間に近いルートとしては吾野通りということになります。ちなみに吾野通りは今の西武秩父線とほぼ同じルートです。
 情報を楽しみにしております。

岩   2007-10-15 07:28:47
全線かなり道の状態もよく、ほとんど車道は歩道完備でひなびた感じがあり楽しんで歩けました。
御嶽神社一の鳥居の狼狗狛と、白谷沢登り、武蔵御岳神社先の茶屋では小鳥が手から餌を食べてくれますし、払沢滝入口→笹平→上川乗は秋川渓谷?か渓谷美とせせらぎを、大したアップダウンなくいい歩道で楽しめます。ただバイクが多く爆音が余計でしたが、城山や高尾山もハイキング楽しんでる人も多く、人とあまり行き違わない坂東道では逆に新鮮で、大師ポイントに図らずも遭遇出来てよかったです。
浅間峠経由したのは単に折角だから山梨県も踏んでおきたいと思ったからと、高尾山ではなく相模湖から南東に下りて行くもっと短い道がありましたが、生まれ育ちが大阪の箕面で『東海自然歩道』の終了点に馴れ親しんでいた身としては、『東海自然歩道』始発点の高尾を是非歩いて通過してみたかったのです。
遠回りにはなりましたが、まずまず面白いルートでした^^

はるた   2007-10-16 01:56:38
舞浜のおじさん、お久しぶりです。書き込みありがとうございました。
教えることなどおこがましいですが、佐竹寺の手前の、西山荘から白馬寺間の道はしっかりしています。Mailで参考の地図(私が歩いた部分)を送りますが、白馬寺までばかりでなく、天神林町の県道61号線出るまで(または、佐竹寺まで)が'歴史の里遊歩道'と考えてよいのではないでしょうか?

舞浜のおじさん   2007-10-16 23:31:15
はるたさん 詳しい地図と写真まで送っていただきましてありがとうございます。
西山荘から佐竹寺までの新ルートとして掲載させていただきます。
ありがとうございました。 

岩   2007-11-15 06:46:47
JR番田駅→8番星谷寺→6番飯山観音→女坂→順礼峠→日向薬師 →見晴台→大山阿夫利神社奥の院→ヤビツ峠→蓑毛→秦野市曽屋→下曽我→5番勝福寺→小田原城→1号線東海道→JR二宮駅→7番金目観音→JR平塚駅→JR茅ヶ崎駅→JR藤沢駅→江島神社→江ノ島電鉄七里ケ浜駅で歩いてきました。
膝栗毛さんのHPの地図をかなり参考にしました。(曽屋にはネットカフェと至近に24hのコインランドリーがあり重宝しました。
小田原先まで出たのは、12月にリハビリで小田原>箱根>田子の浦まで歩こうと思ったからです)
いよいよ鎌倉>横浜>東京で〆です

舞浜のおじさん   2007-11-16 11:30:22
 岩さん
 巡礼峠の悲しい物語のお地蔵さんは、赤いよだれかけをかけておられましたか。
 大山の奥の院での天候はいかがでしたか。アンテナが色気がないですね。
 膝栗毛さんの地図は親切ですし、坂東では最初に地図アップされた大先達です。
 コインランドリーで洗濯ですか。清潔好きですね。
 鎌倉~横浜~東京は、歩き旅さんや大阪弁さんのルートが参考になると思います。

岩   2007-11-18 14:22:03
帽子とおそろいで赤でした。
奥の院は濃霧の夜中に越えたので、さて院自体ちら見状態でしてね
 でずぶ濡れで下山したので、衣類一式を乾燥機で温めたという次第です。

舞浜のおじさん   2007-11-19 00:26:27
奥の院を夜中ですか、迷子にならなくてよかったですね。岩さんは夜行性の眼をお持ちなのかな。
夜は寒さが厳しくなってきました。
そうそう、巡礼峠の娘地蔵さん、よだれ掛けはないですよね。娘なのだから。スカーフということにしておきましょう。

まるせ   2007-12-24 10:31:58
私も歩いてみようとルートを検討しているものです。
坂東独案内の「いい沼」~「ちば寺」間の「つりとの」ですが、
ずばり「いハとみ」の誤字ではないでしょうか。
独案内の房総部分には、おそらく、別の資料のコピーでしょうが、
へんなところがいっぱいあります。
例えば、「いい沼~ちば寺」の「あしと」「よこしば」と
「飯沼~笠森」の「太田」「八日市(八日市ハの脱字)」は
同じ道でしょう。
また、「東がね~かさもり」間の「いの」は「矢野」であろうと
思いますが、これは、「かさもり~清水」間の「長南」と
同じ場所かと。
こんな感じでおかしなところが結構あります。

岩   2007-11-27 05:05:52
みなさまのおかげで目途が立ちました。
 江ノ島電鉄七里ケ浜駅→長谷駅→鎌倉観音→第四番長谷観音→第三番田代観音→名越切通し→第二番岩殿観音→巡礼道→第一番杉本観音→朝夷奈切通し→(称名寺)→八景島駅→金沢シーサイドライン並木→新杉田駅→屏風浦駅→上大岡駅→旧鎌倉街道→第14番弘明寺→井土ヶ谷駅→保土ヶ谷駅・・・・・八景島駅⇔八景島シーパラダイスでクジラにタッチする・・・・・藤沢駅(泊)
 藤沢駅⇔遊行寺・・・・・保土ヶ谷駅→天王町駅→16号線⇔白根町⇔白根通⇔中原街道⇔よこはま動物園ズーラシアでヤブイヌの赤ちゃんみる→東海道保土ヶ谷宿→東海道神奈川宿→東海道川崎宿→新六郷橋手前⇔川崎大師駅→六郷土手駅・・・・・川崎駅(泊)
 川崎駅・・・・・六郷土手駅→鈴ケ森刑場跡→涙橋→鮫洲駅・・・・・川崎大師駅→川崎大師→金山神社→川崎大師駅・・・・・鮫洲駅→東海道品川宿→泉岳寺
→銀座→日本橋(東海道起点)→永代橋→菜茶庵(芭蕉の奥の細道起点)→なるべく隅田川沿いにJR両国駅
 3日目は、大晦日元旦で浅草寺満願ゴールしたいので、早仕舞いしました。
寄り道ばっかりで参考になるかどうか。
朝夷奈切通しは存外楽しかったです。(心中おそらく坂東ラスト地道だと考えながら歩いていたからかもしれません)

舞浜のおじさん   2007-11-27 11:55:19
 大晦日元旦に浅草寺で満願ゴールのために、目と鼻の先の両国駅で打ち止めとはニクイですね。
朝夷奈切通しは、今にも鎌倉武士が出てきそうな感じがするところで歴史遺産ものです。
採茶庵(芭蕉の奥の細道起点)に行かれたのですか。永代橋から少しの門前仲町に10年程住んでいたことから、行ったことがあります。岩さんは俳句に精通? 奥の細道の結びの地である大垣は私しの田舎の近くです。学校は大垣でした。
 ところで話しが替って、岩さんは生まれ育ちが大阪の箕面ですか。確か西国巡礼のルートで、瀧の近くに殉職した警察官の碑があって、刻まれている文章を読んで当方はいたく感動してしまった思い出があります。緑が深くて良いところですね。
 大晦日元旦の浅草寺での満願ゴールを無事達成されることをお祈りしております。なお、浅草寺は庶民の寺で、靴を脱いで上に上がり内陣の直ぐ近くでお参りができます。ぜひ上がり正座してのお参りをお勧めします。 

岩   2007-11-27 12:37:42
よい情報ありがとうございます。
混み具合がどうにも読めませんが隙あれば是非正座で迎えたいです。
あと「採」茶庵でした><
ちなみに縁といえばですね、東京に6年間赴任してた際、住んでいた川崎のマンションの前が旧東海道であり、今回のルートでモロに通ったのには驚きました。
毎晩のように寄っていた定食そば屋も通り沿い。
自分が道歩きに興味なかった時分には全然気が付かなかったのです。
その頃から呼ばれていたのかもしれません。
まだ秩父残しておりますので、よろしくご鞭撻くださいますよう。

舞浜のおじさん   2007-11-30 00:22:28
 岩さんへ
 秩父をこれからですか。秩父はこじんまりしていますが、温泉もあってよいところです。
 江戸からのお遊びの巡礼地であったことがうなずけます。当方は2回廻りました。
 本題に入りまして、秩父において道がはっきりしないところがありますので情報です。 岩さんが狙いそうなルートなもので。
  柴原鉱泉経由の法性寺への峠越えです。このブログの7提案ルート以外ルート、慈光寺~秩父1番の最後に入れておきました。参考までに。
 寒さも本格的になりました。風邪などを引かれませんように。 

舞浜のおじさん   2007-12-25 11:58:49
まるせさん 貴重なコメント(アドバイス)ありがとうございます。
少し勉強させて下さい。
・いの、矢野、長南の関係は、私にとっては新しいものです。「いの」は飯野という見方もありますが、そのような地名が無くて困っているところです。
・ところで、まるせさんの独案内は、何板でしょうか? 当方は大黒屋平吉板です。
今後もお知恵をいただきたくよろしくお願いします。

舞浜のおじさん   2007-12-27 12:12:13
まるせさん 先日の続きで坂東独案内におかしいところがある件ですが、
・東金~笠森のいの(飯野)については、矢野であることは理解できました。笠森から2里という距離と富士見13州安房・上総・下総三国図において長南と矢野が併記されていましたので。「やの」と「いの」は似ていますので。
・いいぬま~千葉寺の「つりとの」が岩富の件ですが、千葉寺からの距離3里半と富士見13州安房・上総・下総三国図での千葉寺~馬渡~岩富~埴谷~古和~猿尾から想定されるところですが、「つりとの」と岩富の文字上の違いが大きく???。まるせさんは転記ミスという解釈でしょうか。
・いいぬま~千葉寺といいぬま~笠森のルートについては、今少し勉強させて下さい。
 ご指導のほどを

まるせ   2007-12-27 22:48:09
舞浜のおじさんさま お返事送れてすみません。
見ている独案内は、人文社から出ている復刻版の
大黒屋のものです。
それと、改めてみますと「いの」は「いヽの」と書いてある
ようにも見えますね。このサイトに掲載されている「金草鞋」
にも対応箇所に「いひの」と読める地名があって、何だか
わかりません。
「つりとの」の件ですが、「金草鞋」のほうを見ると
私には「いハとみ」に益々近いように見えますが。
それと、別件で。
独案内の清水~御宿間の地名を「下布施」としていると推察
しますが、これは「与りせ」で「寄瀬(大原の旧称)」では
ないでしょうか。
寄瀬村新田大原が発展して、大原宿となったような記述が
歴史の道調査報告にあります。
巡礼ルートとしては、下布施ルートも大原ルートも両方使わ
れていたとは思います。

舞浜のおじさん   2007-12-29 07:36:55
まるせさん
ありがとうございました。引き続きのアドバイスをお願いします。
まるせさんの個性あるグットな坂東巡礼プランが出来ることを期待しております。

岩   2008-01-01 03:29:07
さっき浅草寺の狂乱のなかで坂東結願して帰宅しました。
両国>浅草寺>向島>南千住>北千住では物足りないということで
小田原>箱根>三島大社>沼津>吉原の富士塚をプラスしましたところ
ずっと強風の向かい風で酷い目にあいました
沼津の千本松原で杖と足を海に浸そうとしたら
股下までの大波+2m越す波涛に襲われて危ないところ&
そこから20km以上濡れたまま歩かざるを得ず、
本当になんでもないところで19年の死にかけ収めと相成りました
風だけで菅笠が見るも無残にずたずたになったので
浅草寺でくべていただきました。
それにしても今年以降すごいご開帳ラッシュですね
今年も良い旅を

舞浜のおじさん   2008-01-01 04:56:40
岩さん 明けましておめでとうございます。
それから坂東の結願おめでとうございます。
新年からハードな歩きですね。
濡れたままの歩き、凍傷になりませんでしたか
浅草寺での内陣でのお参りは狂乱の中で無理でした??
今年も楽しい歩きが出来て、楽しい話しが聞けることを
期待しております。

岩   2008-01-03 10:38:51
内陣には残念ながら。。
というか納め札入れすら大晦日から撤去されてて
賽銭をくるんでなげこむしかありませんでしたw
行列も外人率がとっても高かったです。
去年の西国谷汲での納経所でのこたつ接待がなつかしかったです^^

2008-01-17 12:00:24
舞浜のおじさん、私の掲示板への書き込みありがとうございました。本年もよろしくお願いします。
坂東巡礼の資料を整理され、古道を含めて、基準になる巡礼ルートを是非完成させて下さい。
趣味のガーデニングの写真見せてもらいました。この分野でも洗練さてたセンスがあるのですね。
私は小さい庭で野菜畑と仏壇に供える花を作っています。梅、柿の木が2本づつあり、梅酒と梅干しを作ったり、秋の甘柿を食べています。柿の実は全部採らずにすずめ、メジロ、ヒヨドリ、....の野鳥のために残しています。最近最後の柿の実が無くなりまいた。なお、HPの'うちの小っこい庭'のページは1年以上更新していません。(毎年、同じ花の写真の繰り返しで、マンネリ化して行き詰まっているからです。)

はるた   2008-01-18 23:38:31
舞浜のおじさん、こんにちわ。書き込みありがとうございました。
いま、庭には木の実はありませんが、毎朝一番に、仏さんに供えた'ご飯ととりの餌'(稗、粟、...、混合雑穀)を少しでもすずめの餌足しになればと庭に作った餌台に入れるのが日課です。(冬場はさすがに喜んで食べてくれますが、夏場の2~3ヶ月は、より美味しい食べ物が沢山あるのか?ピッタリと食べに来なくなり、もったいないですが台の上の腐りかけのご飯を取り除き、捨てる手間が加わります。)
一昨年から、渋柿の小さな木を植えました。干し柿を作るためです。なかなか大きくなりませんが、最近、寒肥を木の回り入れてやりました。
今後もよろしくお願いいたします。

はるた   2008-03-03 01:58:41
舞浜のおじさん、お久しぶりです。書き込みありがとうございました。
坂東の巡礼路の調査どんどん進んでいること喜ばしくおもっています。「北向地蔵」と「六道の辻」、「銚子街道の道標」を見させていただきました。写真と詳細地図を付けられて本当に分かりやすいものです。ぜひ、この古い巡礼道の調査を完成され、現地の古道整備がなされ、多くの人が'坂東の巡礼'をするようになること祈っています。

舞浜のおじさん   2008-03-04 11:02:28
はるたさん ご連絡ありがとうございました。
皆さんのご協力のもとに整理がポチポチと進んでいきます。ありがたいことです。
これから坂東巡礼をする人に何かのお役に立てばと思っております。
今後も何かとアドバイスなどをいただくことになるかと思いますが、よろしくお願いします。

まるせ   2008-03-17 22:19:39
舞浜のおじさん様、ご無沙汰しておりました。
 先月から自宅の八日市場をスタート地点として、徒歩順礼をはじめました。
 坂東順礼獨案内のメインルートの太線の道で歩こうと思っていますが、
平日は仕事があるので、基本は土日日帰りの区切り打ちです。
 まだ二回目で、この前の日曜日にやっと笠森・長南に到達したところです。
できたら、月二回で二年くらいで回ってきたいと思ってます。
よろしお願いいたします。ご報告まで。

舞浜のおじさん   2008-03-19 11:12:29
 まるせ様 準備完了 発願 スタートですね。
おめでとうございます。
 巡礼は、健康、時間、お金、さらに、ご縁、があって出来ると言われています。観音様とのご縁、道々での人々とのご縁を大切に巡礼を楽しんで下さい。
 心に残る坂東巡礼であり、無事満願されることをお祈りしております。
 道中でのおもしろいニュース、これから歩く人への参考事項などがありましたらご連絡下さい。楽しみにしております。
 舞浜のおじさん

岩   2008-04-18 03:49:36
一月前に秩父の総開帳にあわせて百観音結願を達成してまいりました。
本当に秩父を順延しておいてよかったです^^
浅草寺がラストだったら味気ないところでした。
ただ、既に元善光寺・善光寺・北向観音は歩き済でしすので
善光寺から新潟に出て、出羽三山を報告の地に代えて歩くことにしました。まるせさん、頑張ってくださいね。応援しております。

舞浜のおじさん   2008-04-18 08:38:08
 岩さん 百観音の結願おめでとうございます。元気に歩けることに感謝・感謝ですね。
 ところで、秩父の坊座窪峠(柴原温泉~32法性寺)は歩かれましたか。歩かれたようでしたら様子を教えてください。
 これからも元気なお便りをお待ちしております。

舞浜のおじさん   2008-04-19 06:53:47
まるせさん 巡礼は順調ですか。
お願いです。もう通過されたかもしれませんが。間に合うようでしたらよろしくお願いします。
1.清水寺の近くの三門駅先の「三門の北向き地蔵」の状況、写真
2.JR南三原駅先の旧道の加茂坂を歩かれるようでしたら、その状況と道標の写真
*これからの人への情報としてよろしくお願いします。

まるせ   2008-04-20 05:12:15
ご無沙汰してます。まるせです。
いや~、おはずかしい。仕事や他の用で、最初の意気込みどおりに行かず、
未だに、清水寺まで到着していません。
昨日やっと、長南~長者町の区間を歩いてきたところです。
この区間には、獨案内に「とらみ村ぐんだり」や「いづなごんげん」の別記が
あるので、直行ルートをとらずに、これらを回る寄り道ルートで歩いてきました。
雨模様で傘を用意しましたが、降られなくて、良かったです。
ご要望の三門ですが、次回5月連休開けてからになると思いますが、
忘れずに確認してきたいと思います。
加茂坂の方は、野島崎方面も歩いてみたい気があって、どちらにするか
迷っているところです。こちらも、行きましたら、ご報告いたします。
岩さん、
ご声援ありがとうございます。
また、百観音満願達成おめでとうございます。
私も、車では回っているので、せび歩きでもと思っています。

舞浜のおじさん   2008-04-23 12:05:19
 まるせさん よろしくお願いします。
「いずなごんげん」は東浪見駅近くの権現神社のことですか?一宮町の観光案内にもないもので。
現在はどのような状況なのでしょうか 立派な社でしょうか ご利益は?

まるせ   2008-04-24 13:06:57
 「いづなごんげん」は、岬町和泉の飯縄寺です。
天狗のお寺として古くから信仰を集めていて、江戸時代は江戸から沢山の参拝客で賑わったとか。
二畳分の巨大な江戸時代の賽銭箱もあります(笑)。
縁起によると、火防・家内安全・海上安全・商売繁盛・無病息災・厄除・盗賊除など13の御利益があるそうです。
 今は、ご近所の方だけがお参りに来る普通の寺という感じです。
 ただ、波の伊八の欄間ですとか、彫刻はすごくて最近は、行元寺ほかと回るJRの企画バスがあるみたいですよ。バスの駐車場が新しく整備されてました。
 今回が初めてだったのですが、5時過ぎに到着でしたので、本堂は閉まっていました。
 ご住職は、開けましょうかと言ってくださったのですが、申し訳なくて遠慮してしまいました。

舞浜のおじさん   2008-04-25 07:16:21
まるせさん ありがとうございました。
波の伊八の欄間で有名になってきた飯縄寺ですか。
JRがパンフレットを作って売り出しています。パンフが手元にあります。
賽銭箱の大きさが2畳分とは、江戸時代の賑わいが偲ばれます。13のご利益のおすそ分けを期待してら罰が当たりますかね。
舞浜のおじさん

   西国観音霊場てくてく巡礼記(思い出 2/2)


10.冷房 tonneru.jpg 
 真夏をはじめ暑い日の、特に車がバンバン走っている国道の歩行は疲れる。
 汗を流しヨレヨレになって歩いている時に、クーラーを効かせた車が排ガスをかぶせて通り過ぎて行くと、精神的にもくたばってくる。
 暑い中を好きで歩いているのであるが、クーラーが当たり前の日常生活をしている身には、まさに「温室から出された花」と同じで、頑張りがきかなくて泣きが入ってくる。
 振り返って見ると、一種の熱中症にも似た状態と言うか、身体全体で息をし始めながら「もう駄目だ」と日影やクーラーの効いたレストランやスーパーに駆け込んだこともあった。
 平成10年9月の巡礼行は暑い時期を避けたにもかかわらず予想外の残暑に痛めつけられた。
 「9月だからそんなに暑くない」という先入観のもとでの、30度を越える炎天下の歩行でバテバテになってしまった。出発前から身体が本調子でなかったのと、2日目からお腹の調子も悪くなり本当に辛かった。この時はちょうど2日目の泊まりが兄貴の家であったこともあり、3日目はまる一日の居候を決め込んで体力の回復を図かることにした。
 いずれにしても、身体が疲れている時は、暑さが身体に与える影響は大きいようだ。子供のころに母親に「寝不足すると暑さ負けするから早く寝なさい」と言われたことが思い出された。
 ところで、車にクーラーが入っているのが当たり前の時代であるが、クーラーの入っていない車を見た。それは自衛隊の車である。
 若狭の小浜から熊川宿への国道で、隊員、野砲、燃料タンクなどなどを乗せたり引っ張ったりした自衛隊の車両が、十数台連ねて追い抜いていったが、どれにもクーラーは入っていなかった。
 戦争になれば暑い寒いのなんて言っておれないのだから、日頃からの訓練と言えばそれまでだが大変なことである。指揮官車のジープにも入っていなかったけれど、隊員輸送用の車両にはクーラーを入れてあげてもと思った。

 

11.義民 松木庄左衛門 kumakawashuku.jpg
 若狭から近江今津への若狭街道(国道303号)沿に熊川宿がある。
 福井県と滋賀県の県境の近くに位置し、この宿場町に残っている只一軒の「菊屋旅館」に泊まった。
 ここに泊まることにしたのは、近江今津港から竹生島行きの船の時間(11時10分)から逆算して、早朝に出発すると丁度よい時間になるからである。
 地図では「熊川」としか表示されていないが、古い宿場町であることを到着してから知った。この宿場町には15時頃に着いたことから、シャワーで汗を流した後に町を見学することにした。
 ところで、この宿場町は「重要伝統的建造物群保存地区」指定のもとに町並みの保存が進められていて、町の中央部付近に「若狭鯖街道熊川宿資料館、宿場館」もあった。
 宿場館で頂いたパンフレットによれば、
・宿場町の誕生について、
 秀吉に重用され若狭の領主となった浅野長政は、天正17年(1589)に熊川が交通と軍事において重要な場所であることから、諸役免除して宿場町としました。この政策はその後の代々の領主、藩主にも受け継がれ、最初40戸ほどの寒村が200戸を越える町となり繁栄しました。
・若狭街道(鯖街道の主要ルート)について
 古くから若狭街道は、海産物のみならず小浜に陸上げされた日本海諸国の物資を、京都方面に運ぶ重要な道でした。なお、この若狭街道は、西国霊場の29番札所松尾寺から30番宝厳寺への巡礼の道でした。享保8年(1723)7月25日には422人、前後3日間では1,000人の巡礼者が熊川に宿泊したことが「御用日記」に明記されています。
ということである。sabakaido.jpg
 偶然ではあるが、巡礼に関係のある良い宿場町に宿泊出来た。これは、宿の奥さんをはじめ皆さんの家族的な温かいもてなしもあってのこと。
 ところで、この町を少し痛い足を気にしながら見学をしていたら、義民を祀った神社があった。鳥居の前から簡単にお参りしたが、ここに説明立札があったことから紹介する、
 「松木神社。関ヶ原の戦いのあと若狭の領主となった京極高次は小浜湾に望む雲浜の地に壮大な城を築いた。そのため領内の百姓には年貢の増額とか労役の提供など多くの負担がかけられたが、特
にそれまで一俵が四斗であった大豆年貢が四斗五升、または五斗入に増額された。そしてこの制度は領主が酒井忠○になり、天守閣も造られて新しい小浜城が完成しても改められなかった。苦しみあえぐ百姓たちは、年貢引下げの嘆願運動を十数年にわたって繰り返したが、小浜藩ではまったくこれを聞き入れなかった。捕縛投獄の抑圧にも屈せず、あくまで年貢軽減を訴え続けた上中郡新道村庄屋松木庄左衛門は、慶安五年(1652)五月十六日ついに日笠川原で磔の刑に処せられた。しかし、悲願は聞き届けられ大豆年貢の引下げは実現した。時に庄左衛門は二十八歳の若さであった。義民の遺徳を永久にあがめ拝し奉るために、昭和八年ここに松木神社が建立された。」
 私は生まれが百姓だからこのような話しには弱い。
 私の田舎にもこれと似たような話しがある。私財を投げうって治水に努めた岡田さんを祀った三霊神社である。親父を手伝って氏神様達の門松を飾っていた時に、この神社だけ門松を飾らないことから、「どうして」と親父に聞いたら、「岡田さんは治水の仕事で正月はなかったから」と聞いて、いたく感動したものだった。
 このような義民の話しは、千葉県の佐倉地方にもあり芝居で演じられたこともあるが、何時までも大切に語り続けていきたい話しである。
 ところで、この神社は昭和八年の建立で、軍国主義の高まりの頃で少し気になるが、義民の話しは話しとして率直に受け取めておくべきであろう。

 

12.勧誘

sionomisaki.jpg 巡礼中に休憩のため道端で休んでいる時に宗教の勧誘を2回受けた。その一つを。
 姫路の少し手前の豊国という所で、足の裏の豆を気にしながら靴を脱いで休んでいたら乗用車が停った。中から2歳位の子供を連れたご婦人が出てこられ「何をしているのですか」の質問を受けた。
 「巡礼です」と回答するとともに西国巡礼の地理的内容を説明したら「大変ですね。私は○○会のものですが、そんなに苦労し修行しなくても幸せは得られますよ」との言葉。そして経典らしき本を広げられ○○○様はこう言われています。と本の内容を読み上げられた。
 私は、○○の会については「病気や怪我をしても輸血を拒む宗教」という程度の知識しか無かったし、昔から他人の宗教を否定はしないが、自分のことに干渉をされたくないので「別に修行のために巡礼をしている訳でなく、好きでやっているのです。そして私はお子さんと同じ歳頃からお寺参りをしていたし、50歳を過ぎたこの歳で宗教を代える気はありません」とハッキリ言ったが、「50歳過ぎても大丈夫です」とのお勧めである。
 「救って下さるのは○○○様だけです」というような言葉も出たが、日本は「八百万の神なのだ」と思いながら「疲れていますので一人にして下さい」と言ってお引き取りを願った。
 

13.お接待
arukearuke.jpg 巡礼中にお接待をいただいた。
 白装束の巡礼スタイルによるものであろうが、頭の下がることである。
 地図を頼りに思い出してみると、
 ・和歌山県海南港付近  200円  おばちゃん
 ・槇尾寺の茶店     昼食のお茶漬け  おばちゃん
 ・兵庫県JR生瀬駅先  150円     おばちゃん
 ・京都府神懸峠     飴1袋      おばあちゃん
 皆、おばあちゃんである。
 これらはカタチのあるものであるが、カタチの無い温かいお接待も沢山いただいた。
 最も多いのはやはり道案内・旅館の案内である。初対面にも係わらず多くの方に面倒がらずに丁寧に教えていただいた。
 次に多いのは旅館、食堂などでの親切である。宿代をサービスしていただいたり、洗濯用の洗剤を無料で頂いたり、疲れているだろうと食事を部屋まで運んで下さったりである。何といっても皆さんの笑顔に迎えられ送られたことが一番の励みになった。
 「車に乗って行くか」と声を掛けられることもあった。この言葉には丁重にお断りして歩き続けることとしたが、お断りするたびに「相手に気まづい思いを抱かせているのでは」と気をもんだ。
 歩いていて、歩いている人に出会うと「今日は」となるべく挨拶をするようにしていたこともあり、短い会話を交わすこともあった。この会話で一番多かったのは、「お遍路さん」であった。専門的には「遍路」と「巡礼」の言葉を使いわけされているようだが、一般の人から見ればどちらでもよいことかもしれないし、何といっても四国遍路が盛んなせいであろう。
 中年の太ったおばちゃんとの短い会話の中で「富士登山ですか」と例外的な問いかけを受けたこともあった。西国巡礼について簡単に説明したが、おばちゃんはポカンとした感じであった。このおばちゃんは「身体の調子が悪くて診療所へ薬を貰いに行く途中である。糖尿で血圧が高い。そして健康保険が切れてしまう」などの身の上話しがあった。
私しは「歩きなさい、歩きなさい」とアドバイスをした。そして別れ際にも「お大事に、歩き、歩きよ」と言ったが、彼女はどの程度理解されたのだろうか。薬師観音のお慈悲を願って止まない。
 多くの温かいお接待に私の出来るお返しは、皆さんの健康・長寿の願いも合わせて観音様に手を合わせる事であった。

 

14.瑪瑙(メノウ)
chichibuzimaken.jpg 若狭湾の小浜から熊川宿への国道27号線は、歩車道の区分がなく車の量も多いことから、これを避け平行している旧道を歩くことにした。
 JR小浜線東小浜駅のある遠敷(おにゅう)という古い町並にさしかかったところで、軒下に「若狭瑪瑙加工所」という看板を掛け、玄関先に商品を並べた小さな店があった。
 「あれ、若狭でもメノウが産出するのか?」と思うと共に、昔かしテントを背負っての北海道旅行で、例文島の海岸で白いメノウの原石を拾ったのを思い出した。そして「手ごろのものがあったらワイフに買っていくかな」と思った。
 これまで「遍路、巡礼は物見遊山の旅行ではない」という私しなりの理屈のもとに、土産物を持ち帰ったことがなかったのに、この時だけはなぜか異なっていた。きっと四国に続いての百観音巡りも終盤になり、これまで気持ち良く送り出してくれたワイフに、「ありがとう」という気持ちが醸し出してきたのかもしれない。
 入口のドアーガラス越しに商品の陳列ケースが見られたことから、ドアーを開け中に入り「ごめんください」と言ったが誰も出てこられない。
 大きな声で「ごめんください」と繰り返しながら店の中を見回したら、正面に沢山の表彰状が飾ってあった。古いのは明治10年の「内国勧業博覧会、大久保利道」、新しくは高島屋大阪支店のものである。「明治10年と言えば西南戦争の頃で、この店は由緒ある店なのだ」と思っているところで、品の良いおばあちゃんが杖を頼りに出てこられた。
 品物を見せて貰いながら大久保さんの賞状のことや、自分がどうしてこんな白装束なのかなどの話しをした。話しの中で失礼とは思ったが「どうして杖を」と聞いたら「脳梗塞で倒れたがリハビリの結果ようやく歩けるようになった」とのこと。
 「杖が必要でも歩けるようになって良かったね、自分でトイレへ行けるんだから良かった、良かった」とあたかも自分のお袋に話すように話しかけていたが、これはおばあちゃんが私の亡きお袋と同じ位の歳であったためであろうか。
 少しして旦那さんも出て来られ少しお話しをしたが、話題はやはり大久保さんの賞状のことで、分かったことは、「時の政府は外貨獲得のために殖産振興に腐心していた」ということ。
 ワイフのブローチと自分のカフスセットを求めたが、おばあちゃんが「お賽銭代わりに安くしておく」と言われ大変なサービスをしていただいた。
 それが気になったこともあり東京に帰ってから、礼状に同封し長命寺と坂東33番那古寺のお守り・四国遍路記を送ったら丁寧な返事が届いた。若い兄ちゃん(同行していた相棒)に感心したと立派なカフスセットも同封されていた。相棒は丁度就職をする前であったから良い記念になった。又手紙の書き方が亡き母と似ているような気もした。
matuoji.jpg 聞いた話しや品物に同包されていた説明書をもとに、若狭メノウに関しての話しを少々。
 まずは説明書の内容。「日本最古の歴史を持つ若狭瑪瑙は、享保年間に至り高山喜兵衛という人が浪速(大阪)へ出て眼鏡屋に奉公中、レンズを磨くことを習い、帰郷の後、この技術を応用して丸玉づくりをはじめました。
 その後明治初年に至り、中川清助なる人が玉作りのみに飽きたらず、技術の改良に腐心して遂に美術工芸品の彫刻法を案出し、併せて販路の開拓を図り内外各地の博覧会に出陳してその都度褒章の栄に浴するに及び、若狭瑪瑙の名声は益々高まり遂に昭和51年には通産大臣より伝統的工芸品として指定を受け、日本内地は元より、遠く海外にまで好評を博するに至りました。
 当龍玉堂は慶応元年に前記初代中川清助が創業以来百余年、代々その伝統を守と共に、更に技術の向上、デザインの研究を積み重ね現在では原石も瑪瑙・水晶に止まらず、遠く海外よりも各種宝石・貴石を輸入、その作品も仏像・香炉・盃・動物類置物・及びブローチ・イアリング・ネックレス・帯止・指輪など装身具に至まで多様に亘っております。 尚弊店は先代以来伊勢神宮・平安神宮のご神宝を謹作の光栄に浴し、昭和46年には"現代の名工"として選ばれ労働大臣より表彰を受けました。この栄誉に応えるべく作品一つ一つに心を込め、磨きをかけて製作いたしております。・・」
なお、現在は若狭では瑪瑙の産出はなく、海外の原石を使っての加工が主体で、瑪瑙だけでなくいろいろな種類の原石を加工しているとのことであった。
 私の机の前に、おばあちゃんから頂いた瑪瑙原石で作った小さなカエル(無事カエル)が置いてある。これを見るたびに、おばあちゃんの笑顔を思い出す。

 

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15.お地蔵さん
 沢山のお地蔵さんに会った。杖を持たない方の手を挙げてお祈りの仕草をしながら通り過ぎることがほとんどであったが、お会いするとなぜか気が落ち着いた。
 村や町の境界、道の交差点、峠などで、お独りだったり、六地蔵だったり、立派なお堂の中だったり、風化してお姿がなくなりかけていたり。
 おやっと思ったのは、京都付近のお地蔵様の多くが綺麗に化粧をされていたことである。真っ白なお顔、紅のお口、黒墨の眉や目、赤の光背、黄・青・緑の衣装などで本当に綺麗であった。これは都人(みやこびと)達の美意識による地域性なのであろうか。それとも化粧をされた方の、何時までも美しくありたいという願いなのであろうか。それとも、女性を綺麗に化粧し野辺に送る風習と同じなのだろうか。
zizokyoto.jpg ところで、お地蔵様の由緒などを説明をした立て札が在る場合もあったが、感動したものを一つ紹介したい。
 場所は滋賀県の14番三井寺から京都方面に向かい30分程歩いた場所で、北国街道の小関峠の頂きにあるお地蔵さん。その内容は、
 「峠の地蔵さん」 ここは北国街道、京都から近江路を湖北に通ずる小関峠の頂きに安置されて居る御地蔵さんのお堂です。(喜堂: よろこびどう)なんと素晴らしいお堂の名称でしよう。そのルーツの詳細は知る由もありませんが、十数年前大津に通じる道路の拡張工事が行われた際、叢に放り出されて居た御地蔵さんを見つけて今の地に安置されました。それよりこの人里離れた峠へ毎日供花をかかす事なく、近郷近在からのお詣りも絶えず、延々数千人の方々の一円からの御奉謝により、ここに立派なお堂が建立されることになりました。皆様の心が一つになって建立された喜びを忘れずお堂の名称としました。末永く庶民の暮らしと交通の安全をお祈りいたします。 峠の地蔵さん保存会一同」。
 この説明を読んで、この地域に住む人の心の温かさを感じた。何時までも大切にしたい日本人の心である。

 

16.善根宿
zenkonyado.jpg 普通の家に一泊させていただいた。善根宿である。
 丹波の生野から和田山に向かって歩いていて、上岩津あたりから宿をさがし始めたが見つからない。旅館そのものがないからである。
 3月末で5時をぎ少々薄暗くなってきたこともあり、少し焦りながら「暗くなっても見つからなければ、道と平行し走っているJR播但線で和田山へ出て泊まるか」「場合によっては寺か神社の軒下にでも泊まるか。(寝袋は持っていた)」と考えながら歩いていた。
 しばらくして電柱に登り作業している親父さんがおられたので、旅館か泊まれそうな寺でもないかを聞くことにした。
 「今日は! この近くに旅館か泊まれそうな寺がないでしょうか」と聞いたら、「この辺りには無いよ、和田山まで行けば在る」との返事。さらに、「俺の家に泊まっていけ、嫁さんも丁度居ないから」との言葉。
 これには驚いた、こんな世界がまだあることを。この驚きのせいか反射的に「いいですか?」と言ってしまった。
 「泊まれ、泊まれ、遠慮しないで」という言葉に引っ張られて玄関の敷居をまたいでいた。玄関横に繋がれた猟犬二頭の吠え声に迎えられて。
 建てたばかりの柱の太い立派な家で、汚れた靴下を脱いで上がったら、座敷に背の高さ位の大きな金ぴかの仏壇があった。
 小さい時から「よその家にお邪魔して仏壇があったら、挨拶代わりに先ずお参りを」と教えられていたこともあり、親父さんに許しをいただきお参りをすることにした。
 宗派を聞いたら私の宗派と同じ浄土真宗とのことで、置いてあった経本を広げ教信偈をあげることにした。
 この教信偈は小さい頃に家で習っており暗唱出来る程で、そのこと自体は全然問題なかったが、一日歩いてパンパンになった足をだましながらのおよそ30分の正座は「参った、参った」で、立つ時には両手をついてで少し時間がかかった。
 「何処からきた、何処行く」などの質問に答えたが、話しの中でご家族のお話しも出た。
 奥さんは病気で入院中。親父さんは数年前に勤めを辞められ今は専業農業とのことで、この点では話しが合った。私は百姓生まれだからで、そんなことで名刺の交換までした。
tanigumizori.jpg ところで話しが一通り終わったところで親父さんが「俺は出かける、風呂に入り飯を食って適当に寝ろ」との言葉とともに、ご飯とおかずの位置、風呂の沸かし方を教え、さらには「飲めるんだろ」と言いながら一升瓶を私の傍に置いて出かけられてしまわれた。
 そのような状況のもと、テレビを見ながら様子見をしていたが、親父さんはなかなか戻ってこられず、仕方なくて一人で食事し風呂を沸かして入った。
 何を食べたかは忘れてしまったが、よその家で勝手に電気釜の蓋をあけて食事することは、気が引けてあまり美味しくなかった。風呂は材木の匂いがしっかりとした。浴槽はステンレスであったが、椎茸栽培用の木を浸たすのに使ったばかりとのこと、これは翌日に聞いて分かったことである。
 その後は炬燵で横になりテレビを見ながらウトウトしていたが、9時を過ぎても戻られず少し不安がつのった。戻られたのは10時過ぎであった。
 「飲めるんだろう、飲め飲め」のお勧めのもと、コップ酒をなめるだけにしながら1時間程お話しをした。会社での話し、百姓の現状問題、猪が畑を荒らす話し、猟犬の話しなどなど。
 11時頃になって「明日の朝が早いので」とお願いし会話を終え寝ることにしたが、親父さんが勧めてくれたのは親父さんが寝ておられた布団であった。「私しは炬燵でよいから」と断ったが、結果して男の匂いのする親父さんの布団に寝た。
 朝は6時に起きたが、親父さんが朝食を準備し待っておられた。味噌汁まで作ってである。これには頭が下がった。
 美味しい朝食を食べた後に、仏壇にお参りして出発することにした。
 「お孫さんにオモチャでも」と少しばかりのお礼を仏壇の前に置き、それから玄関で親父さんのリクエストに答えて写真を撮った。写真を撮る間猟犬が唸っていたがワンワンとは吠えなかった。
 思い出して見ると、本当に貴重な経験の一晩であった。
 親父さんが家の前の道まで送りながら、「仕事に疲れたら俺の家に来て百姓でもやれよ」と言われたが、この言葉は観音様の言葉だったのかもしれない。

   

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                                                     33番華厳寺 精進落としの鯉  

 

 

 

<西国・坂東・秩父百観音巡礼、四国遍路の満願を感謝して>

 満願の西国33番華厳寺、これまでのように般若心経を唱えていると、何かがグググと身体の芯からこみ上げてきました。
 それは感激だったのでしょうか、それとも法悦だったのでしょうか。

 何かが変わりました。この「てくてく巡拝」で。
 初めのころは手を合わせながら「家族が健康でありますように」「無事歩けますように」などなど、あれこれと現世のお願いをしていただけだったけど、何時からかは静かな心でただ手を合わせるだけに、そして、その後は「ありがとうございます」になってきました。

 サラリーマン生活の中での休暇を工面しての「てくてく歩き」でしたが、思い出がいっぱいです。雨の道、雪の道、霰の道、真夏の道、強風の道、ぽかぽか陽気の道、花咲く道、迷った道、車にビクビクした道などいろいろありました。ただ「てくてく」と歩きました。足の血豆がつぶれて頭の心までズキズキしたこともありましたが、それも思い出。「てくてく歩き」は、「歩く座禅」だったのかもしれません。

 巡礼、遍路で感じたのは人の親切です。感謝・感謝です。観音さまやお大師さまはお寺だけでなくて道中にこそおいでなのです。沢山、沢山、千手千眼観音なのです。
 「おはようございます」の小学生の元気な挨拶に、老人会による花いっぱいの道に、その土地の暖かさを感じました。

 亡き両親、義母、友の供養の願いを込めて、西国と秩父は親父がくれた数珠を手に、こだわりの一杖一笠の白装束で歩きましたが、初めは恥ずかしく思いました。でも、巡礼姿を見るのは本当に久しぶりだと、両親と同年代のおばあちゃん二人に涙を流して喜んでいただけました。

 一夜の宿をいただいた家では、大きな仏壇の前でご先祖さまに経を唱えたら、親父さんが「ありがとう」と言われました。道端のお地蔵さんやガードレールの花瓶の主にも歩きながら手を合わせました。
 あの世の皆さんが、観音様の膝元で幸せであることを願っています。

 最後に、皆さんのご健康をお祈りしております。
 合掌

kiyomizujikyo.jpg・四国遍路八十八ケ所  昭和60年~平成4年
・秩父三十四ケ所    平成2年~平成3年 
・坂東三十三ケ所    平成3年~平成9年
・西国三十三ケ所    平成2年~平成16年 (最後の6年間は都合により中断)
 (写真は京都府 清水寺)

 

  

 西国観音霊場てくてく巡礼記
  *この巡礼記は、平成17年3月に制作した巡礼記を、ブログ用に構成変更したものです。

 

<まえがき>
この巡礼記は、西国三十三ケ所観音霊場の歩行記録です。
  巡礼中に用いた地図(国土地理院の5万分の1)に記載していた歩行時間と、印象に残った事のメモを整理したものです。
  歩行記としては、平成5年5月の「四国八十八ケ寺歩き遍路記」、平成10年6月の「坂東三十三ケ所てくてく巡礼記」に続く三冊目で、私しの思い出として、足跡を整理してみました。
  歩行は、東京(江東区)と舞浜(千葉県浦安市、途中で転居)から、サラリーマンでの休暇取得可否、体調、それからお金とも相談しながら、1週間程度の宿泊巡礼を基本に、その回毎に前回の歩行終点から歩き続けることにしました。(当然ながらそこまでは交通機関を利用します)
  発願は、1番の青岸渡寺とし、順番どおり巡ることを基本としましたが、京都市内の18番と19番は近道を選んだことから逆になってしまいました。

 歩行記録の概略をまとめると、
(1)歩いた人は、私しと下の子供。
ただし、同行は2回、延べ16日間)
 (2)巡拝に要した年数は15年間(平成2年~16年)。出かけた回数は6回。
    *最終回の前6年間は、都合により中断。
 (3)延べ日数は、車・船中泊を含め33泊-39日(史跡などの見学を含む)
    宿泊内訳  旅館・民宿25泊、船・車中4泊、善根宿1泊、親戚3泊。
 (4)歩行距離 936Km
    *国土地理院の5万分の1地図での地図上の距離。
    *回毎の起終点が駅・バス停等になるため、若干の廻り道をした日もある。
 (5)平均歩行距離 29.2 km/日、(最大 41 km/日)
 (6)費 用    約 61万円
 (7)使用した地図  国土地理院の5万分の1地図  43枚
 *歩行距離は、ガイドブックなどによると歩いて240余里( 960km、40~50日)。車で1200kmと言われているが、今回の地図上の距離は936kmであった。


kyotokaido.jpg 

(1)長谷観音

 八番札所の長谷寺へは、前日宿泊したJR桜井駅前のビジネスホテルに荷物を置いて、片道一時間半ほどを荷物なしで往復した。身軽なこともあり快適に飛ばしてお寺へは八時ちょっと過ぎに着いた。
 花の寺と言われていることもあり夏の紫陽花を期待していたが、およそ一ケ月遅れということで愛でることは出来ず、花には縁無しであった。
 だが、カイドブックに書いてあったとおり、三百九十九段・百八間の回廊、本堂の造りは素晴らしかった。そして、何よりも観音様のお姿に感動した。
 入口で頂いた案内書によれば、観音様について「本尊十一面観世音菩薩(重文)は御身の丈三丈三尺六分(十米余)光背四丈一尺(十二米余)楠の霊木で顕造せられている我が国最大の御仏像で、現在の御本尊は天文七年(1538)仏師東大寺仏生院実清良覚の作と伝えられています。金色に輝く十一面の御尊顔で、右手には錫杖と念珠、左手には蓮華のある水瓶をお持ちの独特のお姿で、これは観音・地蔵の御徳を併せ持った世に長谷型観音と称される御尊像で、慈悲の深さを表しています」と記載されているが、何と言えばよいのか、文字では表わしがたい感動を受けた。
 真ん前で、しっかりと見上げなければお顔が見えない背丈、金ピカ、髭のあるお顔だけではなく、何か別のものがあった。大きさ・輝きに圧倒されるというのではなく、この大きさ・輝きに観音様の「衆生を救う」と言うか、案内書にある「慈悲の深さ」のようなものを感じたのであった。
 こんな言い表し方が許されるかどうか迷うところであるが、「お母さーん」といった感じである。
 お寺を巡っていて感じたことだが、ほとんどのお寺の観音様が秘仏ということで厨子の扉の中におられる。衆生のお願いを何でも聞いて頂けると言われる観音様が、どうしてお姿を隠しておられるのかよく分からないが、ここ長谷寺の観音様は、それらの観音様の分まで「まとめてどうぞ」といった感じで、大きなパワーを感じた。hasedera.jpg
  観音様の大きさということでは、同じ大きさの鎌倉長谷寺の観音様、六番の壺阪寺、大船観音、大谷観音などを拝観してきていたが、これらの時とは違ったものがあった。この違いには、「見る」と「拝む」の違いかもしれない。鎌倉の長谷寺などではワイワイガヤガヤの手を合わせない観光客と一緒であったが、ここ長谷寺は朝早くの静寂の中でお参りは数名、それも熱心な信者の方が経を唱えながら本堂を廻っておられれ、そんな環境が「拝む」「拝む以上」の感情を醸しだしたのかしれない。
 ところで、経を唱えながら本堂を廻っておられた中年男女の、観音様への願いは何だったのだろうか。いったい何回廻られるのであろうか、三十三回か、それとも百回か、私は般若心経一回と一周だけだったが、カウンターを持って真剣に廻っておられる姿には、同年代の者として心打たれるものがあった。
 このお二人が長谷観音のお姿と同じほど大きなお慈悲を受けられることを願いつつ、寺を後にした。

 

2.観音様と私 miyokakugi.jpg
 観音様と私の関わりは幼い頃にさかのぼる。もの心がつく前から父と母に連れられ観音様にお参りに行っていた。
 私の育った故郷は、奥美濃地方と呼ばれ、濃尾平野を潤す三大河川の一つ揖斐川が山間から平野部に流れ出る扇状地にある。裏山の中腹には槍ケ岳開山で有名な播隆上人のゆかりの寺、今は尼寺の一心寺がある。
 この故郷の地には、西国三十三ケ所の巡礼道が通っており、満願の三十三番谷汲山華厳寺へは7Km程である。
 幼い頃の記憶をたどれば、春・夏のお彼岸、お正月の元旦に、家族六人で毎年お参りに行っていた。末っ子の私は母の手に引かれながら、兄達に遅れないように一生懸命歩いていた。
 西国巡礼の最後のトンネルである小野坂トンネルの手前の、明覚寺の薄暗い堂内でユラユラしていたローソクの炎、寒い朝に地下水が湧き出る池から立ちこめていた白い水蒸気、門前で売っていた「ういろう」のサッカリンの甘さ、寺の裏手で滝を眺めて食べた弁当の味、谷汲中学校が見えてきた時にお寺はもう少しだとホッとしたこと、お寺の階段巡りの暗闇が恐かったこと、などなどいろいろ思い出される。
 どうもこれが、西国三十三ケ所観音霊場を歩いて巡る原点になっているような気がする。
 兄達が車で西国三十三ケ所観音霊場を巡っていると聞いた時、私を歩いて巡るように思わせたのは、母の手に引かれて歩いた時の母の手の温もりだったのかもしれない。
 観音様は仏様になる前の仏様と同じ資格の仏様、仏様と人間の間にいて人間を助けてくださる仏様などと親父に教えて貰ったけど良く判らなかった。お姿はどうしても女性、母親に見えるのは昔も今も同じである。
 少年時代になると、観音様にはあまりお参りに行かなくなったが、縁が無かった訳ではない。
 この頃には家の百姓をそれなりに手伝っていたが、白衣を着た爺ちゃん婆ちゃんを乗せた西国巡礼〇〇様御一行の観光バスが、土煙を巻き上げ私に被せ被せて通り過ぎるのを、コンチキショーとブツブツ言って荷車を引いていたことが思いだされる。この頃にこれといった病気をしなかったのは、この土埃りによる観音様の御利益があったのかもしれない。
tanigumiike.jpg 「一人で歩いていると寂しくはないですか?」と時々問われたが、巡礼は「観音様と同行二人」寂しさはあまり感じない。特に、私の場合には、観音様、親父に貰った数珠、母の手の温もりと、「同行四人」のにぎやかさである。
 このようなこと考えると、私の西国徒歩巡礼は巡礼というよりは、幼い頃の観音様への道を、そのまま故郷への道として、同行四人で歩き続けたのかもしれない。
*一心寺に関しては、新田次郎著「槍ヶ岳開山」にも記載されています。
*明覚寺は、現在は100m程車道脇に下られています。歩き道であった旧同寺前の道はほとんど廃道に近い状態です。

 

3.亀
 和歌山県のJR岩代駅と切目駅のほぼ中間に位置する橋が谷付近で、国道の側溝をノコノコと元気よく歩いている亀を見つけた。
 前日の雨に誘われて出てきたのだろうが、側溝からは出られようもなく、このままでは真夏の太陽で日干しになってしまうのでは、と思い助けてやることにした。
 スッポンではないようだが、食いつかれないように慎重に右手で甲羅の真ん中をつかんだら、おとなしく首と足を引っ込めた。15cm程の大きさでズシリとした重さがあった。
 そのまま持って歩き、1km程進んだ所の小川の土手に放してやった。
 朝食の残り物で野良犬にでもやろうと持っていた玉子焼きを、引っ込めた頭の前に置いて少し離れた所からから見ていたら、ゆっくりと頭と手を出してあたりをうかがった後に歩き始めたが、玉子焼きは完全に無視された。そのため玉子焼きを頭の前に置き直したが、前と同じように無視された。
kame.jpg まあ食欲が無いのだろう、と解釈してバイバイすることにした。歩いてきた国道で車に轢かれた亀の干物を見てきたこともあって、国道にノコノコ出かけて車に轢かれるなよと願いつつ。
「助けた亀に乗せられて・・・」ではなが、何か良いことがあるのでは大いに期待していたが、残念ながら乙姫さまには出会えなかった。巡礼の心得に「異性にはたわむれの言葉などをかけない」とあり、乙姫さまに会ってはいけない巡礼の身ではあったが。
 翌日の宿で、玉手箱を開けた後のような乙姫さまが、鯛の付いたお膳を運んでこられたのは、龍宮城の再現だったのか! そう解釈しておこう。
 浦島さんのような色気のある恩返しは受けなかったが、自分達が交通事故に遭わなかったことは、何にも代えがたい亀の恩返しだったのかもしれない。亀さんありがとう。

 

4.おばあちゃん nachitaki.jpg
 巡礼を始めた初日、JR紀伊浦神駅の手前において追い抜いていった軽四輪がすぐ先をUターンした。そして、運転席からおばあちゃんが出てこられ「お遍路さん、お遍路さん」と呼ばれる。初め何のことかよく判らなかったが、自分のスタイルが遍路と同じであることから自分のことだなと思い、頭を下げ「こんにちは」と挨拶をした
 農業をしておられるのではと思われるスタイルのおばあちゃんは、にこにこして「お遍路さん家に寄っていって下さい」とおっしゃる。「変なことを言うおばちゃんだな」と思っていたが、続けて「ぜひとも家に寄って休んでいって下さい」と言われ、「お接待」だと気付いた。
 お接待は素直に受けるのが「巡礼の心がまえ」であるが、当方は休暇を都合つけての巡礼行で少しでも先へ進みたい欲望から、「せっかくのお誘いですが先を急ぎますので」とお断りした。そうしたら、おばあちゃんは「おじいさんが、あんたが家の前を通り過ぎるのを見て、呼んでこいと言うからこうして車で迎えに来た、ぜひ来て欲しい」とおっしゃる。
この言葉に「ついて行くかな」と思ったが「先を急ぐ」という考えが強くて、「おばあちゃん、悪いけど先を急ぐから」を繰り返しお断りしていた。
 おばあちゃんは、寂しそうな顔をして「それではお接待だけでも」と言いながらポケットに手を入れておられたが、「急いで来たからお金を持って来なかったわ」と言われた後、さかんに「悪いね、悪いね」とおっしゃる。私はこの言葉に恐縮し「悪いのはこちらですよ、わがままいってすみません。いいですから、おばあちゃん長生きしてね」と言っていたが、そう言うのが精一杯であった。
 あきらめて去られるおばあちゃんの車を眺めながら、本当に悪いなと思った。そして、歩き始めてからしばらくは「どうして行かなかったのか」「急ぎだと言っているがこの巡礼には期限があるわけでもなし、まったくサラリーマン根性が抜けないのだから」「死んだお袋と同じ位の年寄りに罪なことをしたものだ」などなど、自己嫌悪で足取りが重かった。
 今でも「行っておけばよかったのに」と思うがどうしょうもない、ただ救いは、おばあちゃんに「身体に気をつけて長生きをしてね」と言えたことであるが、懺悔としてこの巡礼記に残すことにした。

 

5.小原峠越え
sankakuten.jpg 小原峠の標高はたかだか270m程だが、この峠越えには苦労させられた。その苦労話しを少々。
 湯浅から藤白(海南)へは、有田市経由の国道42号線でなく、拝ノ峠越えの巡礼道を通る予定でいたが、「山道はいやだ」と同行の相棒が言いだしたことから、この道は行かないことにした。
 だが、国道42号線は三角形の二辺を行くことになり遠回りになることから、相棒には「簡単な峠越えだから」と言って、地図の中間に位置する小原峠を越えることにした。
 峠越えにあたっては、登り口に当たる下中島にあったお寺(名前は忘れた)の本堂軒下を借りて二時間程休憩をとった。相棒はグウグウと昼寝をしていたが、私は少しウトウトしただけで昼寝までとはいかなかった。でも、真夏の暑さを避けられたことと足を休めることは出来た。
 二時半を過ぎたことから出発することにしたが、少し歩いたところで前から農業の方らしき人がこられたので念のため道を聞くことにした。
「小原峠の道はこれでよいのでしょうか、峠の道はしっかりしていますか」と聞いたら、「これでよいよ、神社との別れ道があるけどそこを右側だよ、標示を右、右」の返事であった。
「この道で間違いない、標示を右側だ」と意を強くし少し歩き始めたところで、分岐点に出くわした。石碑があって「左○○神社」と書いてあった。「おお、さっきの親父さんが言っておられたとおりだ」と、「右、右」と忠実に右側を進むこととにした。
 山全体がミカン畑で、頂上付近のあちこちではスプリンクラーの水幕が涼しげに白く光っている。道巾は2m程だが舗装されていて「さすが有田ミカンの産地だ、全山これミカンだ」と感心しながら坂道を10分程歩いたところで、歩いている方角が少し違ってきていることに気づいた。
北へ向かうべきなのに北東に向かっている。コース決めは地図と磁石を持っている私の仕事でこういう時は辛い。念のため一人で上の様子を見に行ったが、100m程登ったあたりで道巾が狭くなり、方角も東に向かっていて間違いであることが判った。
douhyojunreikaido.jpg 前の分岐点に戻り左側の道を登ことにした。舗装された巾2m程のつづら折りの坂道を登ったところで、山の尾根の一歩手前の場所にたどり着いた。だが尾根を越える道がはっきりしない。道は尾根とほぼ並行に走っているばかりである。荷物を置いて少し先まで調べたがダメであった。
木々の間から尾根の向こうの空が見えるような感じもするのに、どうして見つからないのかと腹立たしくなってくる。今いる道はコンクリートでパンパンに舗装されている。
 ついに捜すのを諦めて強行突破することにした。「地図によれば尾根の向こうもミカン畑で、道があちこちと走っている。「そんなに長く雑木を押し分け進むことはないだろう」との判断のもとに。
 前面は柿畑で一段高いことから、畑への上がり口を捜すためコンクリートの土手沿いに少し道を戻ったところ、段差の少ない影の場所にペンキで「○○神社」と矢印付きで書いてあるではないか。「ここなのか」と段差を登り歩き始めたが、道なんか何もない。柿畑である。
「どうなっているのだ、道も柿畑にされてしまったのか?」と考えたが、考えていてもはじまらないので進むことにしたが、畑が終ったところで今度は背丈を越すボウボウの夏草が迫ってきた。「さっきの矢印はなんだったのだ、カンニンしてや」と泣が入る。でも進むより他ない。少しでもボウボウでないところを選びながら金剛杖で草を押し分けて進んだ。
 悪戦苦闘して進むこと10m程で、小さな木製の標識を草の中に見つけた。書いてあるではないか「左、〇〇神社」と。なんだー、これなのか、親父さんの言っていた分岐は。と気持を強くして真っ直ぐ押し進ことにした。磁石をみれば北を指していてOKである。
 「マムシさん、出てこないで」と念じつつ、ボウボウを更に20m程進んだあたりで少し小道らしくなり、そして急に左側にお堂が現れた。お堂は正面が一間半ほどの大きさ、屋根を越す樹々に囲まれ薄暗く、まるでお化け屋敷の様相であったが「峠に着いた」という喜びを与えてくれた。なぜなら、古くからの名のある峠には、お堂や地蔵などが置かれているのが常だからである。
 格子戸越しに薄暗い堂の中を見たら、仏座像が三体おられた。塗りは少し剥げていたが目だけが光っており恐い感じがしたが、手を合わせて後にした。
 お堂からの道は通り易く少し歩いただけで地図にある道に出た。この道は舗装がされていて、これで難行苦行の峠越えは突破できた。
 この道に出たところで小休止をとったが、地図を眺めながら「30分ちょっとで峠越えが1時間以上もかかってしまった。こんなことなら国道を行ったほうが早くて楽だったな」と思ったが、口には出さなかった。相棒が足に出来た引っかき傷に薬を塗っていたから。

 

6.通円茶屋 tuenchaya.jpg
 10番三室戸寺まであと一息のところ、宇治川に架かる宇治橋の橋際にある通円茶屋において、ガイドブックの薦めもあって団子と薄茶で一服した。
 白装束のスタイルであったことから、店内のテーブルでなく店前の藤棚の下の赤い毛氈の縁台でいただいた。代金は480円であった。
 一日歩いて疲れていたせいか大変美味しかった。若い頃にほんの少し裏千家のお茶を習ったことがあったが、お湯加減も丁度でこれまでに味わったことのない甘さ、香であった。
「お茶の本場宇治」といった感じを受けた。
 店先に置いてあったお店のパンフレットによれば、現在の店舗は三百二十年前に建てられた江戸時代の貴重な建造文化財とのこと、そして足利義政、豊臣秀吉、徳川家康もこの店でお茶をいただき一服したとのことであるが、寺院の大伽藍と異なり道ばたの民家という感じで、庶民レベルの歴史を感じさせる場所であった。
 またパンフレットに「宇治橋とともに守り続けた、830年ののれん、宮本武蔵もお通さんも休んだ茶屋、名物茶だんごを味わいながら、宇治茶を一服召し上がれ」と書いてあったが、なによりも気楽に一服出来たのがよかった。


7.女子学生
 箕面滝から箕面駅への川沿いの遊歩道で、三人連れの女子学生に呼び止められた。
「すみません写真を撮って下さい」の言葉にニコニコして(巡礼は親切なのだ、特に女性には、観音様なのだ)渡された使い捨てカメラのシャッターを切ってあげた。写し終わって歩き始めようとしたら「何をしているのですか?」の質問を受けた。
 スタイルがスタイル、巡礼のほぼフル装備なのだから、変なオジサンとばかり質問を受けるのは当たり前かもしれない。
「巡礼です、由緒あるお寺を歩いて巡っているのです」と答えたが、彼女達はキョトンとしている。そこで「キリスト教のパレスチナ巡礼とか回教のメッカ巡礼を知っている」と言ったら、知っているというので、「あれと同じで、日本にも巡礼のシステムは在るのだよ、代表的なのは、近畿を中心にした西国、関東の坂東、埼玉県の秩父、四国の四国遍路。ここ西国には三十三の観音霊場が在り、歩いて巡っているの、全部歩けば千キロ程よ」と学校の先生になっていた。
douhyohokeji.jpg あれこれと話している間、彼女達が真面目な顔をしているものだから、ついつい調子に乗ってしまい、今度はこちらから質問し本格的な講義になった。
 「ところであそこに見えるお寺(日本四弁財天の滝安寺だったと思うが)には、お寺なのに鳥居が在るけどどうして?」。
彼女達は少し考えていたが「分かりません」。
「日本史で習わなかったの、江戸時代までの神仏混合と明治の廃仏毀釈」と説明。
「分かりました」と素直な彼女達。
「ところで、仏教の教え・言わんとしていることは何?」
「・・・・・・」の彼女達。
「これは私が本を読んだ範囲の知識だけど、キリスト教は一般にラブ、愛を教えているようだが、仏教はこの愛の他にもう一つプラスアルフアーが在るようだ。だけどこの答えは教えてあげない。大学生なのだから自分で勉強しなさい。「ヒントは私の背中だよー」
と宿題を出して別れた
 別れて少し歩いたところで、「アーアー少し調子に乗りすぎちゃった」と自責の念。
 ところで、私しの背中には「南無大慈大悲観世音菩薩」と書いてありました。

 

8.名産品
rokakudo.jpg 歩いていてその地域の名産品というかローカル色に触れられることは、楽しみの一つである。
 歩き旅ではじっくりと肌で感じられる。
 特に、中学生時代の社会科で習ったような事だと、それはもう感激である。
 思い出すと色々あるが、印象に残ったものを挙げてみる。
・和歌山県太地
 黒潮が流れる潮岬に位置し、昔は近海捕鯨が盛んであった。これを記念した鯨館があり見学をした。
・和歌山県紀伊由良付近
 味噌の元祖の地で、国道に面しての売店の多さに驚ろかされた。興国寺がある。
・和歌山県湯浅の小原峠付近
 有田みかんの産地で、山全体がみかん畑である。農道はコンクリートで舗装され、土手も綺麗な石積みされていて歴史を感じさせられた。
・奈良県桜井市
 工場から流れ出たと思われる素麺が道路の側溝を白くユラユラゆれていた。これを何箇所かで見た後に「そうだ三輪素麺の産地なのだ」と気づいた。
・奈良県天理市
 天理教の本山が在り立派な宿と黒法被の関係者の姿が目立った。門前町でなく宗教都市である。
・京都府宇治
 宇治茶の産地で、宿のお茶にも抹茶が入っていて美味しかった。宇治橋際の通円茶屋での一服は、830年の「のれんの味」がした。
・兵庫県生野
 生野銀山で有名なところであるが、普通の田舎町と同じで銀山の面影はなかった。
・京都府加悦町
 丹後ちりめんの産地で、織機の音がガチャガチャとリズムカルに聞こえた。
・福井県若狭地方
 原子力発電所の銀座通りと言ってもよい程の電気の産地である。美浜、大飯、高浜の原子力発電所で関西で使う電気の半分が発電されているとのこと。立派な体育館・グランド、老人ホーム、駅などなどなど、が軒並みに建っていた。
同行していた相棒が「どうしてこの町にはお金があるの」と尋ねたので、電源立地助成金の話しをした。宿のおばちゃんが「又、あそこで建てているよ」と話してくれたが、宿代は部屋の狭さと設備の割には高く、原子力に悪乗りの割増料金であった。

 

9.団扇(うちわ) douhyonakayama.jpg
 暑の歩き巡礼に団扇を持って行くと、意外にも役に立つことから「お勧め」である。
  「左団扇」ではなく、虫除けの団扇である。これは四国遍路の時に涼しさを得るために使っていて、意外なところでの使い方があること気づいた。生活の知恵といったところであろうか。
 山の上の寺を目指して林の中の道をハアハアいって登っていると、汗の匂いを嗅ぎつけてなのか蚊やアブがワンサカ寄って来る。日差しのある所ではそんなでないのだが、日影のヤブのような所では蚊が10匹や20匹どころではない。
 これをバタバタと追い払うのであるが、直撃音の「パチ」が聞こえた時には「南無阿弥陀仏」である。
 団扇は普段はリックに入れておいて、このような時にだけ使うのだが、涼しい風を得ることも出来まさに一石二鳥である。成相寺の登りでは必需品であった。
 ところで、蚊の話しを一つ。
 台風接近の風の強い日に藪に面した道(国道)を歩いていて、トンボの重爆撃機と言われる鬼ヤンマがワンサカと飛んでいるのに会った。当方にぶつかりそうになると器用に避けていく。
よく観察したら、強い風により藪から吹き流される蚊を狙って集まって来ているようである。私の目にはゴミか蚊なのか判別出来ないが、鬼ヤンマはしっかりと見分けて確実に捕食している。
 スイスイと飛ぶのではなく、器用にホバーリングしていて蚊が流されてくると急角度で飛びついて行く。この動作は爆撃機でなく戦闘機である。
 台風接近の強風のこの日は、蚊にすればとんでもない仏滅、鬼ヤンマにすれば大漁ということになるが、私には台風という大型扇風機の風を受けての涼しい歩きになった。

< 四国八十八ケ寺歩き遍路記 (2/2)>


(15)三坂峠
yondaihoji.jpg 「三坂越えれば吹雪がかかり、戻りゃつま子が泣きかかる・・・」の馬子唄のとおり、 土佐街道の難所と言われてきた三坂峠の道は、前日に降った雪がまだ残っていた。
 峠からの松山側の眺めが良いとのことであったが、黒い雲が低くたれこめており、残念ながら良く見えなかった。
 峠には立派な売店が有り、ここで休んだ後、標高差約700メートルの急な山道を一気に下りたが、雪が凍っていてよく滑った。
 雪の上には、誰か一人だけ通り過ぎた足跡が残されており、我々と同じく山道を下っていたが、前日のもののようであった。途中からオートバイのタイヤ跡もあり、タイヤの溝の深さからみてマウンティングバイクのようで、下から上ってきたが上りきれず諦めて戻ったようである。歩くのでさえ大変な山道を、よく上ってきたものだと感心したが、こんな山道をバイクで上り下りすれば、道が崩れてしまうのにと気になった。
 坂の途中に雪の上に頭を出した小さな石碑があった。この場所で事故にでも遇って亡くなられた人を供養した江戸時代のもので、手を合わせて通りすぎることにした。
 急坂を終わり車が通れる程の道幅になるあたりから、雪が無くなり空も晴れて温かくなってきた。オーバーズボンとヤッケを脱ぎながら、瀬戸内の暖かさと、馬子唄の「三坂越えれば吹雪がかかり・・・」の歌詞どおり、峠の厳しさを実感した。

 

(16)行き倒れ
yondohyomaru.jpg 本山寺から弥谷寺への道で、夏の暑さを避けて休みながら昼寝をしょうとしたが、適当な場所がなかなか見つからない。見つからない、見つからないと言いながら歩いているうちに2時を過ぎてしまったので、よい場所ではないが道脇の農家の小屋の日陰で休むことにした。
 シートを敷いてリックを枕にして昼寝をし始めたが、少したったところで誰かに起こされた。
 目を開けたら、おじいさんが立っておられ「お遍路さんどこか具合が悪いのかい」とおっしゃている。
 「いいえ、一寸暑いもので涼しくなるまで休んでいるのです」と返事をしたら、「そうか」と言って「ここは風が通らなくて暑いから、こちらへ来て休みなよ」と言いながらすぐ傍の自宅へ誘って下さった。
 「ありがとうございます、少し休んだら出発しますので」とお断りしたが、さかんにおっしゃるので、のろのろと後ろを付いていくこととした。
 お家は農家で、庭先の日陰に物置台を運んでこられ、「ここに座れよ」「麦茶を飲むか」など大変なお接待である。
 「どこから来たの」「親子なの」「歩いているの」などなど、矢継ぎ早の質問に答ええて一段落してからも、麦茶とお菓子を運んでこられた奥さんと、氷水を持ってこられた隣りの奥さんも加わって、あれこれと話しをした。
 おじいさんは、農協に勤めていたが卒業されたとのことで、この地方での作物とか、溜池と香川用水とか、現在の農業問題など、いろいろ話して下さった。
 印象に残ったのは農業用水の話しで、香川用水が出来て水の確保が楽になったとのこと。また、この水は最初は高台の溜池に貯えられ、その後途中の溜池を経由しながら田畑を潤し、一番低い溜池に流れこんだらこれをポンプアップして、高台の溜池に戻し再使用するとのことで、降雨の少ない瀬戸内地方では水を大切にしていることが良く分かった。
 私が岐阜県美濃地方の農家の生まれであることもあり話しが弾んだが、この間、子供は目を半分閉じていた。
 3時までの休憩予定が20分も超過してしまったので、お礼をいって出発したが、まずいことをしてしまったと反省しながら歩いた。いいかげんな所で昼寝などしたものだから、どうも皆さんに「行き倒れ」ではないかと心配をかけてしまったようである。
 ところで、この皆さんに心配をおかけしたことは、すぐに仏罰として戻ってきたのである。
 ここでの20分間の長居によって、弥谷寺の納経の時刻に間に合うか間に合わないかの状況になってしまい、お寺への登り道と262段の階段を駆け足をしたのである。
 ガイドブックに書いてあった遍路の心得に「いやなこと、苦しいこと、くやしいこと 、悲しいことなどいろいろあるが、これは全て大師のはからいと感じ、ひたすらに合掌の気持ちであり難く受けること」とあったが、「修行がたらない」との大師の「はからい」で、あったのか、なかったのか、階段の上りはしっかりと苦しかった。

 

hyoshikishiramine.jpg 

 

(17)宿で聞いた話し
 民宿の主人に聞いた話しの内、印象に残った遍路の話しを一つ。
 九州の人で奥さんと子供が二人あったが、その人が出稼ぎに出ている間に家が火事になり、家と家族の全てを失なってしまったとのこと。
 悲しみを振り切って生きていかなければ」と思われたそうだが、どうしても心の整理がつかず、あれこれ悩んでいたところ、その時に遍路を紹介する人があって、亡くなった家族の供養にと遍路に出られたとのこと 。
 働きながら、気にいったところでは1~2ケ月の長期滞在をしての遍路で、その宿では1ケ月程滞在されたとのこと。
 2回打ったところで、なんとか心の整理がつき、九州に戻られたとのことで、元気に過ごしているとのお礼の便りがあったとのこと。
 この話しを聞いて、遍路は素晴らしいリハビリシステムであると思った。
 遍路は、確かに宗教とか信仰をベースに成り立っているものであるが、八十八ケ所のお寺だけで成り立っているものでなく、四国の人、風土、歴史そして八十八ケ寺を巡る間の時間・空間などによって、成り立っているように思われた。
 家族を亡くしたこの人は、遍路によってメンタルリハビリを受け、過去に囚われることから解き放たれて、残された人生を前に向かって歩きだされたのである。
 これこそ本当の「弘法大師のおかげ」と言って良いのではなかろうか。

 

(18)宿捜し yonfudashimoda.jpg
 遍路中において一番苦労したのは宿捜しである。
 少しでも先へ進みたいことから、宿捜しはいつも行き当たりばったりで、夕方になっても宿が見つからなくて、あせったことも何回かあった。
 万一のことも考えて、野宿出来るように寝袋やテントを持ったこともあったが、使ったのは2回だけであった。
 夏ならいくらでも野宿は可能であるが、風呂に入って汗を流して疲れを取らないと翌日が大変だし、洗濯をする必要があり、宿に泊まることを最優先とした。
 ところで、苦労した宿捜しにおいて、生活の知恵と言うべきか、苦労の結果と言うべきか、経験を積む中で良い方法を考えだした。特別どういうことでないが、昼頃になったら電話ボックスに入り電話帳と持っている地図をもとに、夕方までに着けそうな町や村に宿がないかを捜し、あれば順番に電話をして予約するのである。
 そうしても見つからない時は、何らかの交通手段があるかを地図と地元の人に聞いて調べ、あとは「電話帳に載ってない宿もあるわいな」と先に進むのである。
 そうして、夕方になってもどうしても宿が見つからなければ、当日の遍路はそこで中断し、あとは文明の利器の交通手段を利用して、宿がありそうな町へ行き泊まるのである。翌朝は、交通手段を利用し前日の場所に戻り、そこから前日からの遍路を続けるのである。交通手段を利用したこの方法を使ったのは3回あった。
 ところで、電話ボックスの電話帳を利用した宿捜しにおいて困ったことがあった。それは峠を越えるような場合で、峠の先の宿捜しの場所とこちら側の電話帳が異なり、こちら側に先の電話帳が置いてない場合である。また、いたずらで電話帳が無くなってるときにも。

 

(19)蝮(まむし)
yonmichishirube.jpg 夏の山道での「まむし注意」の表示札には、ドキッとさせられるしマイッタナと思わされる。
 遍路中、確か3~4回蛇さんに出くわした。雲辺寺の上りでは、マムシらしき色の小さな蛇さんを踏みかけて、反射的に足を止めたこともあった。
 私は、田舎育ちだから蛇さんは見慣れているが、それでも一瞬ドキリとさせられる。 「蛇さん」と「さんづけ」にして親しみをもつようにしているが、トカゲも同じで、どうしても爬虫類は好きになれない。東京育ちの子供達は逃げ廻っていた。
 ところで、「まむし注意」の表示札のことであるが、表示札があれば注意はするものの、具体的な注意手段としてはこころもとない。
 蛇さんを見慣れている私が先頭に立つことと、杖を持った手をいっぱい延ばして、なるべく先の方を叩きながら「蛇さん蛇さん道をあけて下さい」と念じながら歩く以外、方法が無いのである。
 草むらの多かった白峰寺付近では、金剛杖のご威光に全てをお任せして歩いた。

 junreizushou.jpg

(20)やさしい奥さん
 大宝寺へ向かう道において、宿が見つからずお寺に泊めていだだくことにした。
 寝袋を持っていたものの雪が降っているし、寒さが厳しいこともありそうすることにした。
 (このお寺に泊まれることは、松山市の宮崎さんが「突合の分岐」に掲示された案内地図に書かれていた。)
 「ごめんください、歩き遍路ですけど宿がみつかりませんので、軒下でけっこうですから貸していただけないでしょうか」
 「お遍路さん、この寒いのにご苦労様、おあがりなさい」と奥さんのやさしい声。
 遠慮なく上がらせていただき、本堂の続きの間に案内していただいた。
 「お正月で子供達が戻ってきていたんですけど、今日帰りました。小さな山寺ですけど、どうぞゆっくりしていって下さい」 (当日は正月三日であった)
 「御飯は!」
 「いえけっこうです。食べ物を持っていますので」と答えたものの、持っているのはビスケットだけであった。
 夕食にはみすぼらしい内容と量であったが、「軒下だけを」と言った手前、食事までお願いするわけにはいかなかった。
 しかし、ほどなくして、「お正月の残り物ですが」と言われて、奥さんがお正月料理を大きなお皿いっぱいに運んでこられた。
 里芋、蓮根、人参、蒲鉾、こんにゃく、・・・。数の子まである立派な正月料理である。おなかが空いていたこともあり、いい匂いがする。
 「遠慮なくいただきます」と言っていただくことにした。
 子供達には「少しだけ食べさせていただこう」と言ったものの、空腹には美味しいの一言である。朝からパン類しか食べてなかったからよけいである。
 三分の一程食べてしまったところで、眼の前に置いておけば食べつくしてしまうので「ごちそうさまでした」と言って隣の部屋にお返しした。
 少したって、新調の布団を運んでこられた。
 「これは松山市の宮崎さんからお預かりしているものです」との説明があったが、掛布団の表地には般若心経が書いて(染めて)あり、この布団を掛けるにはまだ若いのではと、何か変な感じをいだかせる布団であった。
 寝るにあたっては、布団を汚さないように寝袋で寝ることとし、敷布団だけ使わしていただいたが、夜中に寒くて、結果として寝袋の上に掛けて使わせていただいた。
 布団が布団だから、きっと病気をしないで長生きするかもしれない!。
 朝は寒かった。雪はコンコンと降っているし、素足で歩く板の間は氷のように冷たかった。yonhiwada.jpg
 朝は凍って水道が使えないからと、奥さんが洗面器に水を汲んでおかれたが、カチンカチンに凍っていて使えなかった。
 出発しょうと準備していたら「御飯ですよ」と言って、奥さんが朝食を運んでこられた。昨晩、食事をしないで出かけますとお話ししておいたのに。
 遠慮するような状況でなかったことから食べさせていただいた。
 湯気の上がる御飯と味噌汁は大変美味しかった。
 出発にあたりお礼をとお話ししたが断られた。しかたがなくて、それでは仏様にということで仏様にお預けすることにした。
 寺をでるとき、奥さんがお餅を一袋「荷物になりますが」といって下さった。
 住職さんは「歩いている人には荷物になるのに」と奥さんに言われたが、奥さんがどうぞどうぞ言われたのでいただくこととした。
 30cmほど雪の積もった峠道を歩くには、荷物は少なければ少ない程良いことは、骨身にしみるほど分かっていたが「遍路はお接待を素直に受けなければならない」と本を読んで知っていたので、素直にいただいた。
 (なお、このお餅は、途中一個として減ることなく東京までリックで運ばれた。)
 住職さんが、「この雪での峠越えは大変だから町まで車で送っていく」と、さかんにおっしゃったが、歩き遍路のワンパターン「歩いていますので」といって断わった。
 雪道を歩きながら、「どうして奥さんは朝食を準備してくださったのか!」と子供と 話しあったが、きっと、「夜に出されたお正月料理を沢山食べてしまったから、おなかが空いていることが分かってしまったのでは」ということになった。
 奥さんの母親のような温かいお接待を思い出すと、今でも胸が熱くなってくる

 

(21)お軸
yonusironatu.jpg ウトウトとした眠りの中で、背中の冷たさで目がさめた。
 テントのシートは水浸しである。
 夜半から降り出した雷を伴った雨は、相変わらずの土砂降りの横なぐりで、息をつきながらテントをバタバタとあおっている。
 橋の下にテントを張ったのだが、横なぐりの雨は遠慮なくテントを襲ってくる。
 うるさい程だが子供達は丸くなってグーグーと寝ている。
 目覚めのボーとした意識の中で、頭のそばへ置いておいた懐中電灯を引き寄せ、入口を少し開け外を見た。
 電灯の丸い輪が浮かび、水の流れているのが見える。昨夜のゴロゴロした石のあった川原は、一面水が流れている。
 更に光の輪を手前へ引き寄せると、これはびっくり、テントのそばまで水が流れているではないか。
 「これはあぶない!」逃げなくては。
 「オイ、起きろ、水が出た逃げるぞ」と、大きな声で叫びながら素足で飛び出した。 そして、外に囲ってあったリックをテントに投げ込む。
 「荷物を入れて逃げろ」と言いながら、自分も荷物を押し込む。
 子供達が靴を履こうとしている。
 「靴なんかよい、リックにほり込んで早く逃げろ。なんでもいいから早く逃げろ」と 叫ぶ。
 リックを抱かえて、暗闇の中を高台に向かって素足で走る。斜面は水が滝のように流れ、ゴツゴツした石で足の裏が痛い。
 少し登って「おい大丈夫か」と叫ぶと、「ここだ」と二人の返事が帰ってくる。
 その方向に歩き懐中電灯を向けると、ビショビショに濡れた二人の顔が浮かんだ。
 ヤレヤレと思うと共にテントをどうするかを思う。恐る恐るとりにいくことにした。懐中電灯で水の流れを確認しながら、テントの片端を思いっきり引っ張り引きずり倒す。
 こういう時は思わぬ力が出るものだ、無我夢中である。そのままテントを引きずって 子供達の所へ行く。
 三人そろったところで、街灯のある斜面の上の道路に向かう。
 街灯の下でテントを丸め近くの農家の小屋の軒下にもぐりこんだ。
 雨は相変わらず土砂降りで、下着まで濡れており背中がゾクゾクと寒い。リックからポリ袋にいれてあった衣類を取り出し全部着替えた。
 そして、ラジオを聞きながら朝をむかえることにした。
 時計を見たら4時であった。
 明るくなり雨が小降りになったところで、傘をさして逃げ出した所を見にいくことにした。
 夢中で逃げた斜面を降りて川原を見ると、茶色の濁流がごうごうと音をたてて流れている。
 昨夜テントを張っていたと思われる所を見れば、なんと、背の高さ以上の深さで濁流が流れているではないか。
 とても泳げるような並大抵の水の勢いではない。
 「ほんの少し目が醒めるのが遅かったら」と考えたら、その瞬間、背筋がゾクゾクとした。
 そして、「よかったなあー、流されなくて」とこみ上げてくるものがあった。
  ・・・・・・・・
nakagawa.jpg 以上が雨中の脱出ドラマである。
 場所は鶴林寺と大竜寺の中間点の那賀川に架かる橋の下で、時は昭和62年8月13日の未明、お盆のことである。
 この雨は、地元の人が「何年ぶりかの豪雨で、水の出るのが早く川舟もたくさん流されてしまった」と言っておられた程の記録的な豪雨であったようである。
 この脱出ドラマを考えると、濁流に流されないですんだのは、
 第一は、テントを張る場所を万一のことを考え、水辺の近くでなく少し高台を選んで いたこと。
 第二は、遠くまで照らせる懐中電灯を持っていたこと。などによるが、
 反対に、このようなドラマを演じてしまった原因としては、
 お願いすれば公民館に寝られたものを、テントを張るときは青空一杯の天気で、せっかく重いテントを持ってきたのだからと、テントを張ってしまったことによる。
 また、土砂降りの雨の中で、高台だから大丈夫と油断していたことなどにもよる。
 ところで、このドラマにおいて忘れてはならない事がある。
 それは、お遍路さんには大事・大事の「お軸」を流されてしまったことである。
 農家の小屋の軒下に逃げ込んで荷物を調べたら、お軸だけ無くなっていたのである。
 この事をどう理解すればよいのだろうか!
 「お軸が私達の身代わりになられた」とは考えられないだろうか!
 四国には数え切れないほどの、弘法大師をはじめとした仏様の「功徳・おかげ」の話しが言い伝えられているが、私達の経験したドラマは、この「おかげ」ではなかっただろうか!
 「結果からの解釈」と言ってしまえばそれまでだが、理屈ではない何かを感ぜざるを得ない。
 こう感じたのは、私だけでなく子供も同じだったようである。
 なお、流されたお軸の仏様には、徒歩順拝が終わったあとに、感謝のお礼参りを車でさせていただいた。
 「ありがとうございました」の気持ちをいっぱい込めて。

 

yononi.jpg 

 

<あとがき>
 「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。舟の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老いを迎ふる者は、日々旅にして旅をすみかとする。古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、・・・・」 (「おくのほそ道」松尾芭蕉)
  芭蕉の「漂泊の思ひ」とまではいかなくとも、いづれの年よりか、チリンチリンの音にさそはれて、一杖一笠を友に「通しの歩き遍路」をしてみたい。
  遍路の旅に死せる古人と、ガードレールに縛りつけられた花瓶の主に、手を合わせながら。
  合掌

 

*ブログ制作時点での補足
  年末年始の休暇を利用しての遍路行もありました。宿の確保に苦労をしましたが、無理をいって泊めていただいた面もあり、宿の方に大変ご迷惑をお掛けしたのではと反省をしております。


 

四国八十八ケ寺歩き遍路記
 この遍路記は、平成4年5月にワープロで制作した遍路記を、ブログ用に構成変更したものです。

<まえがき>
 この記録は、親子遍路の歩行記録です。
 遍路中に用いた地図(国土地理院の5万分の1)に記載していた、歩行時間とお金に関するメモを整理したものです。
 サラリーマンでの少ない休暇に都合をつけて、また、子どもの学校の休みを利用しての遍路行には、思い出がいっぱいです。
 花咲く道、暑さの道、雨降る道、雪降る道、・・・ 親子で歩いた遍路記録として、印象に残った人との出会い・出来事なども思い出として残すことにしました。
  
 この歩行記録の概略をまとめると、

(1)巡拝に要した年数は、8年間(S60~H4)。出かけた回数は9回。

(2)歩いた人は、私と子供
   (1番~10番は私のみ、11番~50番は3人、51番~88番~10番~1番は2人)

(3)延べ日数は、船中泊を含め47泊-56日。(史跡などの見学を含む)
   宿泊内訳  民宿・旅館34泊、 お寺4泊、 野宿2泊、 船中泊7泊。

(4)延べ歩行日数・距離    38日   1,215Km
   前回又は前日の歩行終点を起点に歩き続けた。止むを得ず用いた交通機関は、雲辺寺下りロープウエイ、屋島寺下りケーブルカー、八栗寺上りケーブルカー

 (5) 費用  約 150万円
(6)使用した地図  国土地理院の5万分の1地図  42枚

*ブログ時点での補足
  私達が遍路をした時には、へんろ道保存協力会の地図は未発行でした。宮崎さんが現地に案内プレートを精力的に設置されていた頃です。
  そのため、平幡さんのガイドブック(1冊版)を参考に5万分の1地図上での近道という近道を選び歩きました。なお、36番青竜寺先の横浪有料道路の歩きは選定ミスであったと思っております。真夏にアップダウンのある何もない車道を歩くのは疲れます。

 

yonannaiita.jpg 

 

< 四国八十八ケ寺歩き遍路記  思い出(1) >
  ・思い出を思いつくままに

 

(1)歩くこと

yonnatuhanzubon.jpg 真夏の土佐路を汗して歩きながら「どうして歩いているのか、どうして歩き続けていのか」と自問することもあった。
 また、東京では「どうして歩くの? どうして車で巡らないの?」とよく聞かれたが、考えてみれば車を運転出来ないわけではないし、レンタカーでも借りてアクセルを踏めば、10日もあれば巡れるのに。
 「あいつは変わっている、物好きだ」と思われても、慌ただしいこの世の中では当たり前のようである。
 そんなときには「千年続いた歴史あるスタンプラリーの様なものさ」「JRの全国一周スタンプラリーと似たもんさ」と軽く答えることにしていたが、本当にそんなものだろうか?
 歴史の重みとか、宗教的なものだけでない何かがあるようである。
 そもそも歩き始めた時には、八十八ケ寺全部を巡ることなど全然考えていなかった。
 四国鳴門への出張が、たまたま1番霊山寺が近かったこと、そして厄年に近い年齢であったことから「1番から行けるとこまで1日歩いてみるか」の軽い気持ちであったはずである。
 確かにスタートの動機には、「厄年」、「歴史あるお寺」と二つのキーワードが揃っているが、これだけではその後の「続けて巡る」のキーワードは生まれてこない。
 どうも頭だけでは理解出来ない、ハートで理解すべく「あったかさ」とか「親切」が「続けて巡る」の重要なキーワードになったような気がする。
 雨の降るなかで霊山寺までの道を聞いたら、車でお寺まで送って下さった親切な親父さん。曲がり角まで一緒に歩いて親切に道を教えて下さった人達などなど、最初の1日目のインパクトが非常に強かったように思われる。
 全国の観音霊場を歩いて巡拝された80才を過ぎたおじいちゃんが、「観音さまというのはお寺におられると思っていたが、巡拝しているうちに身近にいる方々こそ本当の観音さまだと思えるようになった」と新聞の文化欄に書いておられたが、どうもこれとあい通ずるところがあるような気がする。
 車では得られないものが歩くことにより得られるようだ。
 四国霊場巡拝○○様御一行の観光バスが通り過ぎる時、子供が「バスに乗っているじいちゃん、おばあちゃん達は我々のことをどう思うかな、若いのに物好きな暇の有る者と思うかな」と問いかけたが、私は「きっと、じいちゃん、ばあちゃんは、我々のことをうらやましく思っているよ、体に自信が持てなくてバスで巡るだけでも精一杯の人から見れば、歩けることは素晴らしい事なのだ。きっと歩きたいと思っているよ!」と答えた。「歩ける」という、「あたりまえのことが当たり前に出来ることに感謝する」ことを理解させるには、子供はまだ若すぎるようである。
yonuwagima.jpg 同じような意味の言葉として「ゴルフが出来ることに感謝する」をよく聞くが、これは老ゴルフプレイヤーの言葉のようである。
 ところで、「歩き遍路」は「歩くから歩き遍路」である。
 歩くことは当たり前のことだが、この歩くにも信念を必要とするときがある。
 スーと止まった車から「お遍路さん乗っていかない!」の接待の言葉は、歩いている者には大変ありがたい最高の言葉であるはずだが、歩き遍路は「どうもありがとうございます、歩いておりますので」と、丁重に断わらなければならない。
 足の裏に豆をつくり、歩くたびにズキズキと痛みが頭の芯まで響くような時には、この「乗っていかない」の言葉は精神的にあまりよくない。
 この車の誘惑に負けて歩くのを中断する人も多いとも聞くが、納得できる話である。歩き遍路にとって歩くことは、修行であるように思われる。
 「座禅」の言葉を借りて「歩く座禅」と呼びたい。「専修座禅」「専修念仏」と同じ呼び方をすれば、「専修歩行」ではなかろうか!

 

(2)初めてのお接待
yonfdadaishi.jpg 通り過ぎた車が戻ってきて、中から出てきた奥さんに千円毎のお接待をいただいた。お接待のことは、遍路紀行文とかガイドブックで知っていたが、過去の良き時代のもと理解していたから本当に驚いた。
 ただ、「ありがとうございます」の言葉を返し、頭をペコペコ何回か下げ繰り返すのが精一杯であった。
 この最初のお接待で、歩き遍路に目覚めるというか、いいかげんには歩けないと自覚した。
 その後も数多くのお接待いただいたが、お礼を言うのに併せて、手を合わせることが自然に出来るようになったのは、この最初の接待から何回か後のことである。

 

(3)信念
yonfudagasho.jpg 往復の交通機関は別として、四国へ着いてからの歩き遍路中は、アルコールは飲まないこととした。
 家では毎日飲んでいた晩酌のビールを、飲まないと決心したからには、一滴も飲まなかった。
 このことは、子供に対して鼻高々の自慢できることで、よい見本を見せられたと思っている。
 体中の細胞の水分が蒸発してしまったのではないか、と思われるほど汗をかいた日の民宿で、親父さんが「一杯やっか!」と、水滴の浮かんだよく冷えたビールを持って隣りに座られたときに、「飲めませんので」と嘘を言って丁重に断るのは、これまた修行である。
 一滴も飲まなかったことは正解であったようだ。なぜなら、カラカラに渇いた喉には、1~2リットルの水でさえ「竪板に水のように流れ落ちる」のに、ビールだったらザルになっていたと思われるからである。

 

(4)雨
yoname.jpg 雨降りの歩き遍路にはわびしさがただよう。
 グチョグチョになった靴の中、大型車にあおられる菅笠とカッパ、そして車にハネかけられる水溜まりの水、などなど。でも、うつむいて、もくもくと歩くだけである。
 「かわいい子には旅させよ」の本当の意味は、「かわいい子には雨降りに歩かせよ」のことではないかと思われるほどである。
 テレビの時代劇に出てくるカッコよい股旅もののヤクザの兄ちゃんも、わら草履での雨の日はわびしかったのでは、と見方が変わってくる。
 慣れてくるとそういうものだと納得してくるが、いずれにしても雨は、わびしく、うっとうしい。

 

(5)トンネル
 トンネルは、歩き遍路にとって地獄の一丁目である。
 ゴーゴーと吠えるような音を発てて近づいては通り過ぎる大型車は、まるで怪獣である。この怪獣の発する風圧に負けないように、身体を壁側へ寄せるとともに、両足を踏ん張って身構えをしなければならない。でも、あまり身体を壁側へ寄せると白衣が黒くなってしまう。特に、車道より一段高い歩道がないトンネルは恐怖である。
 また、千メートル以上もある長いトンネルでは、怪獣の吐き出す毒ガスで胸が苦しくなってくるし、天井に設置してある排ガス用のジェットファンのキンキン音で、耳と頭が痛くなってくる。
 宇和島の手前にあった1710メートルの、松尾トンネルは特に印象に残っている。トンネル内では、地獄から早く逃げ出そうとするためか、無意識に歩行スピードは早くなるし、出口に出たときには、ほっとすると同時に疲れがどっとでてくる。
 ところで、車の運転手にとってトンネル内の遍路姿はどう映ったのだろうか?
 ヘッドライトに照らし出された白い遍路姿を、オバケが出たと感じた人はいなかっただろうか。「俺はオバケだぞー」と言いながら歩いたこともあったが、これは「怪獣め近ずくな」と思った時のことであった。
 以上のように、トンネルは地獄の一丁目ではあるが、車が通らなければ別である。
 杖の音がカーン、カーンとリズムカルに響き「歩いている」「前進している」ことを実感させてくれるし、「トンネルを過ぎたら雪国であった・・・」ではないが、出口には、何かしらの新しいものを期待させてくれるからである。

 

(6)自動販売機
yonfudaganba.jpg 歩き遍路には水筒が不可欠であるが、荷物を軽くするということでは、自動販売機を上手く活用することも一つの手段である。
 いまや自動販売機は、民家の在る無しにかかわらず何処にでもある、と言っても過言ではない。金儲けのためだろうが、そのエネルギーには感心させられた。
 だが、置いて無いところ、置けないところがあることを発見した。それは電柱の無いところである。あたりまえのことであるが、電気が無ければ自動販売機は動かないからである。
 日本の道路という道路には電柱が建っているが、無いところがある。山越えの新しい道路で、旧道が残っていて電柱はそちらにあり、新道には無い場合である。
 遍路中この自動販売機には大変お世話になった。特に夏には。何時でも良く冷えており、これを飲み始めたら、生温かくなった水筒の水は飲めなくなってくる。これは、冷たくて美味しいというばかりではなく、水筒が軽くなり荷物も軽くなるという、別の意味もあってのことである。
 ところで、飲み物のことであるが、汗をかきかき歩き続けていると飲み物の好みが変わってくる。オレンジジュースのような甘いもの、炭酸の入ったものなどは喉が受付けなくなり、代わりにお茶やスポーツドリンクが良くなってくる。
 私達は、ハチミツシモン、ポカリスエット、ウーロン茶をよく飲んだ。

 

(7)五右衛門風呂
douhyoyuki.jpg 31番延光寺前の遍路宿坂口屋さんの風呂は、五右衛門風呂であった。
 私が育った頃の田舎の風呂も五右衛門風呂であったことから、私には懐かしさを感じたが、子供達には大変だったし、貴重な経験だったようである。
 「湯船の壁に触ると熱いぞ」と注意していたのに、「アッチチ」と大きな声を上げていた。
 ガイドブックによれば、坂口屋さんは三代続いた遍路宿とのことで、大変気分よく泊めていただいた。シーズンオフであったこともあり、泊まり客は私達だけであった。
 夕食後、三代目のおじいさんとあれこれお話しをしたが、トツトツとした話し方に、宿の主人としての年輪を感じさせるものがあった。
 朝出発する時、おじいさんが見送って下さったので、兄ちゃんが並んで写真を撮らせていただいた。帰京後、お礼を兼ねて写真を送らせていただいたら、ていねいな返事をいただいた。
 五右衛門風呂とおじいさん、心に残るよき遍路宿であった。

 

(8)走る
watashi.jpg 歩き遍路はただ歩けばよいのだが、時によっては走る、というか走らされることがある。私達は三回あった。
 その1とその2は、納経の締切時刻の6時に間に合わせるため、その3は渡し船に間に合わせるためである。
 まずその1は、遍路ころがしで有名な神峰寺の登りで、「真っ縦て」と言われている旧道をハアハアといって登った。お寺に着いたのはちょうど納経締め切りの6時で、帰りは暗い車道をガクガクになった膝をかばいながら下りた。宿(浜吉屋さん)での階段の上り下りは、四つん這いであった。
 その2は、弥谷寺の登りで、坂道に入る頃から早歩きになり、262段の階段では駆け足であった。特に最後の108段の階段は「これでもか」という感じで迫ってきて、まいった・まいったであった。
 納経を終えて本堂の外へ出ると同時に、入口の扉がギギギーと音をたてて閉まった。振り返ると、扉の前の階段に松葉杖や義足が置いてあったが「この階段を松葉杖や義足で歩くのは大変だな」と思った。
 その3は、四万十川の渡し(下田~初崎)で、渡しの手前およそ15分間を真夏の太陽の下で駆け足をした。乗船場が分からなかったこともあり非常にあせった。
 船に乗り込んでのヤレヤレと落ち着いたところでの、ヒンヤリした川風は心地よかった。座っていても前に進めることも合わせて。

 

(9)夏の暑さ
 歩き遍路は、クーラーを持って歩けない。
 雪降る冬は、それなりの防寒着を着て歩けば暖かくなるが、夏の暑さはどうしようもない。流れ出る汗で背負ったリュックの中まで濡れてしまう。
 直射する日差しに道路のテリカエシが加わることはよくあることだが、これに道路脇のコンクリート壁のテリカエシが加わると、もうだめだ。暑い暑い暑いの三重奏である。さらに、アブラゼミのジージーの鳴き声が加わると、精神面も加わって4重奏となり頭がボーとしてくる。
 歩き遍路はめずらしいと、自転車でわざわざ話しにこられた70歳過ぎのおじいちゃんが、「真夏の遍路は、普通より倍のご利益がある」と励ましてくださったが、本当にそう思われるほどである。
 土佐路は「修行の道」と言われているが、真夏の土佐路は全くそのとおりであった。

 

(10)おじいちゃん
yonchizuyamagoe.jpg 歩き遍路は珍しいと、自転車でわざわざ会いにこられた70歳過ぎのおじいちゃん、自転車を押しながらいっしょに歩き10~20分話しをしていかれた。
 「昔は皆が歩いたよ、この峠越えの道は、春には列が出来る程だったよ」
 「戦前は馬喰をしていて、この峠を越えて宮崎まで子馬を買いに行き、育てて軍用馬として買ってもらったよ」
 「冬は歩けば暖かくなるけれど、真夏の遍路は暑くて大変だ、倍のご利益あるよ」「峠道の草刈りを昨日しておいたよ、綺麗になっているから大丈夫だよ」など、など。
 この峠越えの道は、おじいちゃんの言われたとおり、草刈りと、はみ出した雑木の枝落としがされており、数多い山道の中で最も歩き易かった。
 歩き遍路しか通らないと思われる山道を、遍路のために綺麗にしていただいたおじいちゃん、ありがとうございます。長生きしてください。

 

(11)再会
 大阪の学校の先生と、種間寺から青竜寺まで同行した。
 菅笠を被り重そうなリックを背負った、本格的な歩き遍路である。
 この先生とは特別の話もせず、何処から来たか、何時から歩き始めたか程度を話しただけだが、強い思い出が残っている。それは再会である。
 我々が青竜寺で納経を済ませたのは1時過ぎであった。ここで、私達親子は、夏の暑さを避けるために、3時過ぎまで昼寝をしながら休むこととした。
 しかし、先生は当日の宿がまだ先であることから、休まずに出発された。(私達はテントを持っていたことから、宿のことは気にしなかった。当日は野宿した)
 出発にあたり、「お元気で」とお別れをしたが、4日後の足摺岬の金剛福寺からの戻り道でバッタリと再会した。
 「あれー、どうしたんですか。先に行かれたはずなのに!」から話が始まり5~6分立ち話しをした。
 先生は、別れた日に宿に着かれたのは8時過ぎで、暑さと長時間歩かれたため疲れはてて、翌日は10時過ぎまで起きられなかったとのこと、私達はこの間に先生を追い抜いてしまったのである。
 「兎と亀」の話しがあるが、この場合、どちらが兎で亀かよくわからない。どちらも兎と亀のようである。
 「歩き遍路は、別れてもまた逢う」と昔から言われているそうだが、その通りになった。
 「夏休みを利用して4年で巡りたい」と言われていたが、あれからもう2年はとっくに過ぎており、きっと望みを達せられたことだろう。


(12)学生
yondohyokaku.jpg ローラースケートで遍路している元気な学生に会った。
 七子峠の登り坂を、背中に着けた菅笠をなびかせるようにして、汗をかきかき追い抜いていった。が、少したったら戻ってきた。
 「こんにちは」とていねいに挨拶をして、「本格的な親子遍路に会ったことが無いから少し話していきたい」と言って、一緒に歩き始めた。
 こちらは別に「本格的な」親子遍路では無いが、彼がそう思うならそれはそれでよいとして話をした。
 彼は、沖縄出身の香川大学の4年生で、最後の夏休みに何かをしょうと考えたとき、四国の大学を卒業したという証しのために、四国と言えば88ケ寺、お遍路にしたとのこと。
 また、若者らしくローラースケートに挑戦したとのことである。
 1番から舗装してない山道は歩くとして、ローラースケートで走っているとのこと。顔は真っ黒、たくましい限りで、菅笠を背負っていなければマラソンの選手と見違うようなスタイルであった。
 確か「どうしてお遍路しているのですか!」というような質問を受け「どうしてかよく判らない、巡れるチャンスにめぐりあったから」と答えたような気がするが、記憶がしっかりしていない。
 なにぶんにもこの峠の登りは、急で長くて暑くて、疲れはてて頭がボーとしていたから。
 人間疲れると脳への栄養が行き届かないためか、思考力が落ちるようである。
 彼とは10~15分話しをし、峠を越えたところで別れたが、ローラースケートによる下り道路の走行は、快適そのもののように見え、同じ二本足で進む者としてうらやましく思った。

 

(13)道に迷う
hashikinen1.jpg 金剛頂寺から山の下の国道へ下がる、昔からの遍路道を探したがなかなか見つからない。山の上であるが平坦な所で、畑と樹々の中に農家が点在する見通しの悪い場所である。
 地図を持っていたが、巾1メートルほどの農家への入口道と農道が入り組んで、さらに樹々が目隠しをしており、あっちこっちと歩いているうちに、自分達がどのあたりにいるのか判らなくなってしまった。
 まったくの「アイム ロスト」で、道を見失ってしまったのである。
 しかたがないため、付近の農家に聞くことにした。
 1軒目は犬が吠えるだけで留守であったが、2軒目は年老いたおじいさんが縁側におられた。
 「すみません」と言ったが聞こえないらしい。どうも耳が遠いようである。今度は大きな声で言ったら、こちらを向いてくださった。
 「遍路道を教えて下さい」と言ったら、うなずきながら教えてくださった。
 そして、別れ際に、「この遍路道は歩く人がほとんどいないから、道がなくなっている所もあるよ。そして、ここは"弘法大師も道に迷われ三日三晩さまよわれた"といういわれのある有名な場所で、気をつけて行きなさい」と親切に教えて下さった。
 教えられたとおりの道を行き、下り道の入口に行きつけたが、ここからの遍路道は道なき道で、草木を押し分けての大変な道であった。
 そんな道を歩きながら、「スーパーマンの弘法大師さえ迷われたんだから、我々の凡人が迷うのはあたりまえだね」と子供と話しあったが、弘法大師と比べ同じにするのは不謹慎かもしれない。
 同じ間違いをして、少し弘法大師に近づいたような気もするが、これもおかしな解釈というべきか!

 

(14)犬 hashikinen2.jpg
 四国の農家は家が立派で、必ずといっていいほど犬がいる。そして、必ずワンワンと吠える。
 車が通っても吠えないのに、なぜか歩いている人間には遠くにいる時から吠える。
 チリンチリンの鈴の音によるものかと思い、音をしなくしたが同じであった。
 四国四県を巡り判ったことだが、徳島、愛媛、香川の犬はワンワン、キャンキャンと鳴くのに対して、高知の犬はガウガウとまさに吠え狂う。
 高知は土佐犬の土地、多かれ少なかれ土佐犬の血が流れているようである。
 忘れられない犬がいる。
 野良犬で、カワハギの干物の焼いたのをお接待でやったら、尻尾ふりふり頭を上下させながらついてきた。
 しかし、あんちゃんが犬に弱いことから、「あっちへいけ」とカワハギを遠く投げて追い払ったが、いつまでもついてくる。
 そのうちにカワハギも少なくなり、とうとう、石と空き缶を近くへ投げて追い払う始末になってしまった。
 そうしたら、今度は私達の前に行き、20~30メートル先を後ろときどき見ながら歩きはじめた。
 「まあ離れているから」とそのまま歩いていたが、何時までも先を歩いていく。
 「いなくなったな」と思いながら、遍路道に従って曲がり角を曲がると、まだ前にいるではないか。
 そんなことが2~3回続くと、今度は犬がどこで曲がるか、そして私達が進む道と一緒でないかが、最大の関心ごとになってきた。
 しかし、この関心ごとが更に1~2回続いたところで、とうとういなくなってしまった。いなくなって、何か友がいなくなったような寂しさを感じた。
 ところで、犬がいなくなったところで、犬の嫌いなあんちゃん曰く「あの犬は弘法大師のおつかいで、我々の道案内をしてくれたのだ!」と、
 石と空き缶を投げて罪深いことをしたものだ。罰が当たりませんようにと、それからは野良犬へのお接待をなるべくするようにした。

 坂東巡礼の感想文(2/2)


(8)ヤクザ
sasagawa.jpg 坂東の巡礼道には、昔のヤクザ(任侠)の世界で有名な土地があります。
 一つ目は「・・赤城の山も今宵限り・・」の舞台となった群馬県の国定。
 二つ目は「・・止めて下さる、妙信殿・・」の舞台となった千葉県の笹川と飯岡である。
 一つ目の国定は、悪代官を懲らしめた国定忠治さんの「国定」である。江戸時代には、百姓やこの世界の人間は姓を名乗れなかったことから、地方、村の名前を頭に付け「国定村の忠治さんを国定忠治」としていた。ということは、昔かしの社会科の授業で得た知識だが、国定の地名が残っていることに感激した。(笹川と飯岡についても同じ)
 そんなことで、忠治親分さんのお墓があればお参りをしていこうと思っていて、注意して歩いていたら案内看板がありました。「少し先に行った所だ」と確認して歩いていたはずだったのですが、他事を考えていたのか通り過ぎてしまいました。戻るのはおっくうなことから、結果としてお参りはしませんでした。
 これは今でもとても残念なことをしたと思っています。それは「任侠の世界の人のお墓にお参りすると勝負事で勝ち運が得られる」というジンクスがあるからです。
 このジンクスは「森の石松さんの墓石が削り取られて小さくなってしまったため、建て直した」という新聞記事から得た古い知識ではありますが。
 私は勝負事(競馬、パチンコなど)をしませんが、宝くじは時々買うことがあります。観音様の現世利益とこのジンクスが重なれば、勝運は完璧であると思われますが、いかがなものでしようか? 乞うご期待をといったところです。
 二つ目の笹川と飯岡は、「天保水滸伝」の主役と言える笹川繁蔵さんと飯岡助五郎さんの「笹川」と「飯岡」です。「天保水滸伝」の中では笹川繁蔵さんは良い親分、飯岡助五郎さんは悪親分ですが、飯岡助五郎さんのお墓のある光台寺に置いてあった印刷物「遊侠、飯岡助五郎と現国山光台寺縁起」によれば、これが全くの逆でありました。 その内容を印刷物から紹介しますと、
iioka.jpg 助五郎さんは飯岡浜一帯を縄張りとする親分であり網元で、又銚子御陣屋より十手、補縄を預かり関東取締役御出役の際には道先案内を努める程の身分でありました。
 この頃、利根沿岸の香取郡須賀山村笹川に、笹川繁蔵という博徒が現れ、先輩の大親分である助五郎を蹴落とすために、若さに委せて縄張りを荒したり本宅を襲撃するようなこともありました。そのため助五郎は関東取締役より召捕状を受け、天保15年8月6日夜半、利根川を川船に乗り総勢百数十名にて笹川へ向い、笹川岸にて笹川方百余名と大乱闘になったものです。
 その後の弘化4年7月4日夜、助五郎の子分堺屋与助などが繁蔵を闇討ちにして、助五郎のところに首を持ってきたので、助五郎はこれを丁重に葬りました。
これを「天保水滸伝」と称したものですが、作者の曲筆によって、助五郎は悪親分に仕立てられてしまった。・・・・・・。という内容であります。
私には本当のところはよく分からないが、きっと「天保水滸伝」の作者は、体制側と反体制側という両者の立場の違いと、最後に闇討ちがあったという事実から、助五郎を悪親分にした方がヤクザ世界のドラマに仕立て易かった、読者受けし易く書くことが出来たということではなかったかと。
 「武士道というは死ぬことと見つけたり。(葉隠)」ではないが、日本人は「死」の瞬間を特に重要視することから、子分がやったとはいえども「闇討」という言葉が付きまとう助五郎さんを、一般的には受入れ難いのではなかろうか。
 さて、事実はよく分からないが、私が両者のお墓にお参りした感想として、繁蔵さん(平手造酒もおなじ場所にある)のは、本当に立派な石碑であったのに対して、助五郎さんは一般的なこじんまりした大きさでした。ところが、繁蔵さんには正月元旦であったにも係わらず花の一輪も無かったのに対して、助五郎さんにはお花と名誉挽回の立て看板、印刷物が置いてありました。
 この事実は非常に印象に残りました。石碑の大きさ立派さが逆に虚しさを感じました。人間の評価は時代と共にいろいろ変わるものだと。
 繁蔵さん(平手造酒)のお墓は、「天保水滸伝」が浪曲、講談、映画などで盛んに取上げていた時代に建てられたような気もします。商業主義的な動機のもとに。
 いずれにしても、時代を駆け抜けた両者の冥福を祈り、手を合わせてきました。勝負事のジンクスを期待するのではなく純粋に。

 

(9)ルート取り
gumyoji.jpg まえがきに書いたとおり ルート取りは右まわりとし、地図と何回もにらめっこしながら、マクロ的に全体の歩行距離が最も少なくなくなるであろうと考えられた、14番弘明寺をスタート点すなわち発願寺としました
ルートの選定は、若い頃に山歩きをしていたこともあり登山道を含め地図上での道という道を選び抜いて、距離の短くなりそうなルートにしました。
 そのルートは、出発前に地図に朱入れをしておき、それにもとづき現地を歩きました。なお、現地で近道が出来そうな場合は、その場その場で判断して行動しましたが、近道のつもりが行き止まりでかえって遠回りになったケースも多かったような気がします。
 今回歩き終えたところで、このルート取りを振り返ると、間違っていたとは言わないまでも、それ以外のルートの方が良かったのでは、と思われるものもあります。それをピックアップしてみると、
水沢寺~満願寺~中禅寺~大谷寺間
asegata.jpg 満願寺~中禅寺間で峠を2回越えることと、足尾~中禅寺間の山道(登山道)が急坂で荒れていた
 ことから、水沢寺~満願寺~(国121号)~中禅寺~大谷寺。又は水沢寺~(国122号)~中禅寺~(国121号)~満願寺~大谷寺のルートが考えられる。
清瀧寺~龍正院~円福寺~千葉寺
 円福寺~千葉寺間の東金から千葉寺間において房総半島の丘陵地山越えがあることから、番号通りの、清瀧寺~円福寺~龍正院~千葉寺、のルートが考えられます。
c.千葉寺~笠森寺~清水寺~高蔵寺~那古寺
 千葉寺~笠森寺~清水寺及び清水寺~高蔵寺に房総半島の丘陵地山越えが2回あり、番号通りの千葉寺~高蔵寺~笠森寺~清水寺~(国128号) ~那古寺のルートが考えられます。
  なお、以上の代替えルートについては、自分で歩いていないことから「ハッキリしたことは不明である」ということを補足しておきます。
ところで、これらの代替が考えられるルートについては、苦労はあったものの反面印象に残ることが多くありました。
kuma.jpg 足尾~中禅寺間の山道(登山道を含む)では、ゴーストタウンのような足尾銅山跡と鉱害で禿山になり崩れ落ちる山肌が見られ、自然は一度破壊されるとその修復には時間が必要であることを痛感しました。聞くと見るのでは大きな違いで「百聞は一見にしかず」といったところでした。又この道では「熊出没注意」の立て札があったり、野猿があちこちに見られたりで、それなりの面白さがありました。
 房総半島の丘陵地山越えでは、前夜に強風が吹いたこともあり、山栗が沢山舗装道路に落ちていました。これは観音様からのご利益であるしてありがたく頂くこととし、リックが重くなる程持ち帰り茹でて食べました。実が小さいため割って中身をスプーンでほじくり出しながらでしたが、美味しかったです。

 

(10)日本水準原点
suijun.jpg 坂東をはじめお寺を歩くにあたっては、国土地理院の5万分の1の地図を何時も使っています。これは若い時の山歩きで使っていて使い慣れているからです。
 この地図には標高が記載されていますが、この標高の「原点」があることを地図で見つけました。ルートからは少し離れていましたが記念に見ていくことにしました。
 場所は千代田区霞ケ関で国会議事堂の近くです。公園の中に3m角程の石造りの建物があり、正面に古い書体で「水準原点」と書かれた表札がはめ込んでありました。貫祿のある造りでした。
 近くには御影石の説明板が置いてありましたので、その内容を紹介します。

 日本水準原点について ――― 日本水準原点は、全国の土地の標高をきめる基になるもので、明治24年5月国がここに設けたものです。水準原点の位置は、この建物の中にある台石に取り付けた水晶板の目盛りの零線の中心で、その標高は24.4140メートルと定められています。この値は明治6年から長期にわたる東京湾の潮位観測による平均海面から求めたものです。建設省国土地理院
 ところで、道路を歩いていると道路脇に1等水準点とか2等水準点の標石が時々見られますが、これらはこの水準原点を原点にしているわけです。
 この原点を見てからは、歩いていて地図に水準点表示があると、標石探しをしたりしましたが、心ない人のせいかそれとも自然災害によるものかよく分かりませんが、斜めになったり、ひっくり返ったものがあって心が痛みました。あたかもお地蔵さんがそのようになっているようで。

 

(11)ガマの油
 「・・・・・サァーテお立会い、このガマ、どこに住むかというと、ご当地よりはるか北、北は常陸の国に筑波の郡、古事記、万葉の古より関東の名山としてうたわれておりまする筑波山のふもと。おんばこという露草薬草を食らって育ちます。サァーテお立会い、このガマからこの油を取るには山中深く分け入って捕らえきましたるこのガマをば、四面鏡張りの箱の中にガマをほうり込む。サァー、ガンマ先生、己のみにくい姿が四方の鏡にうつるからたまらない。・・・・・・(お土産に買ったガマ油の袋に入っていた印刷物より)」 の口上で有名なガマの油は、25番大御堂の直ぐ近くの筑波神社前のおみやげ屋さんで買うことが出来ます。 この薬の薬効は切り傷、虫刺されなどであったような気がします。
 ところで25番大御堂の境内に、ガマに関する句碑が在りました。「一陣の 筑波の風や 四六ガマ  木下貴意」 この句碑の横には御影石の説明板が建っていました。内容を紹介します。
gama2.jpg「貴意は、水戸に来て四ケ年の勉学であったが、俳句を良くし、書道も優秀、殊にガマの油の販売に努力し、今日の成果を挙げたが、ガンを病み、一年有余の闘病も空しく、六十二年七月八日没した。六十五才、洵に惜しまれる女性であった。ご冥福を祈る。 昭和六十二年十一月吉日 元祖ガマの製造本舗貴学園 社長 種村玄碩」 木下貴意さんは、ガマの油売りに貢献した人のようである。
 どのようなことをされたのかを知りたくて貴学園へ電話を入れてみたが、電話に出た方の返事は「良く分からない」ということであった。
私の育った田舎でも大きなガマを時々見かけたが、四六ガマとは特別の呼び名である。ガマ油の袋に入っていた印刷物によれば、「・・・四六五六はどこで見分ける、前足の指が4本で、後足の指が6本、これを合わせて引き面相は四六のガマだ・・・」という説明である。
 25番大御堂への登りの山道には、この四六ガマが出て来そうなムードの草むらもあったことから、その顔を拝顔することを期待したが、雨蛙の一匹にも会えなかった。

 

(12)気になったこと
yonaki.jpg 三十三ケ所のお寺を巡ってお寺に関して感じたことを2~3点。
 第1に、お寺(建物)を維持していくには大変だなー、と思った。ガイドブックなどによれば寺が栄えた(建物が沢山建っていた)のは、ほとんどが時の権力者の保護を受けていた時代だったようだから。
 これを逆に見れば、現代はこれを望むべく状況でなく、広く一般から浄財を求めなくてはならないからである。本堂再建などの寄付を求めるお寺もあったが、本当に大変な感じがした。
 26番清滝寺は檀家寺でなく、老人会有志のボランティアにより納経の受付がなされているようだが、受付のおじいさんの笑顔が印象に残った。おじいさんに観音様のお慈悲がありますように願ってやまない。
第2に、お寺の境内に犬が5~6匹いて、参拝の人にワンワン、ギャンギャンと吠え狂っていた寺があったのには参った。住職のどのような考えなのか判らないが、少しは常識をと言いたい。
 第3に、お寺の直ぐ側の洞穴で発掘された出土人骨を、宝物館に展示している寺があったのには驚いた。この出土人骨には横臥屈葬の姿が見られるとのことで、これから考えると発掘はお墓を掘ったことになる。学術的なことはよく分からないが、古墳などを発掘し骨が出土した場合、どこまでが遺体でどこからが出土品(品物)なのだろうか。
 私しは遺体として手を合わせてきたが、お寺が見せ物にするのはいかがなものだろうか。お寺なのだから、御本尊以上にしかるべく扱いをすべきで、展示するなら写真か複製で十分ではなかろうか。

 

(13)野宿
dokan.jpg足利~17番満願寺~足尾間は、交通の便の関係から2日工程とし満願寺付近で宿泊する予定であったが、お寺も、付近の旅館も泊めてもらえなかった。食事なしの宿泊だけでよいから、と粘ったがいずれもだめだった。よくあることだか一人での宿泊にはついてまわる話しである。
 「30分も行けば泊まるところがあるよ」と紹介されたが、それは車でのことで、1日歩いてきた人間にとっては天文学的な数字の距離である。
 そんな経験を西国廻りなどで数多くしてきたこともあり、軒下を借りれば何とか宿泊が可能な、寝袋と小型テント(雨具兼用、自分で作った)をリックの底に入れてある。ここ満願寺の近くでは、この寝袋と小型テントにお世話になることになった。土捨て場にあった直径1m程のコンクリート製の土管の中で、これを使って寝た。途中にあった雑貨店で貰ったダンボールを敷いたが、背中が痛かった。
 当初は公民館か学校などの軒下でこっそり寝ることで考えていたが、地元の人からの「近くにキャンプ地があるからそこでこっそり寝ては」のアドバイスがあり、そこを見に行く途中にこの土管を発見し、この中で寝ることにした。
 軒下とか土管を選ぶのは、突然の夕立でズブ濡れになるのを避けるためである。
 背中の痛さと少し寒かったこともあり夜中に何回も起きたが、寝始めの頃には鳴いていた虫の音もその頃にはなく、本当に静かで真っ暗闇であった。
 肉体的には少ししんどい環境であったが、精神的には満ち溢れた経験が出来た。
 宿を断られたイライラは、「かえって良い思いをした」と解釈し流してしまうことにしている。

 

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 <あとがき>
  巡礼記録のまとめも、この「あとがき」で終りです。
 7年間も費やしましたが「健康維持目的のウォーキング的な坂東観音霊場巡り」を無事終え、巡礼記もまとめることも出来ました。満足感と共に率直に喜びたいと思います。
 「観音様のおかげ」と思っています。
 日帰りが基本であったせいかとも思いますが、坂東巡りは四国遍路の時のような味わい、暖かさが今一つといった感じもします。学校の帰りの小学生が「今日は」と挨拶してくれたことが一度ありましたが、人との接触が少なかったからかもしれません。
 「巡礼の会」の彼女の話しではないが、「観音霊場巡りは点が基本」であって、道すがらに何かを求めるのは欲張りだったのかもしれません。
 ところで、歩いた1,108.4km にこだわるわけではないですが、「巡礼路」とは一体何なのでしょうか。

 「道(路)」について国語辞典で調べると、
 ・人、馬、車などが行き来する道。
 ・人間がそれに従がって行なわなければならない事柄。
 ・途中(学校へ行く道で )
 ・方法(生活の道)
 ・教え、道理
 ・みちのり(千里の道;;; )
 ・専門、方面(その道の大家)
 とありますが、巡礼(路)道は、これらのどれに当てはまるのでしょうか。
 「人、馬、車などが行き来する」という物理的な道でなく、柔道、剣道、華道、茶道と同じように「教え、道理」を求めるべく、すなわち自己の内部を高めるべく道(歩行、歩くぎょう)であったような気もしますが、今回の「てくてく歩き」によって私のハート、脳細胞には、何の変化があったのでしょうか?

 最後に、この巡礼の期間中に故郷の友が亡くなりましたが、今回の巡礼行でお会いした観音様達のもとで、あの世で安らかであることをお祈りしたいと思います。
 「往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸に全く往ける者よ、さとりよ、幸いあれ。 「 般若心経・現代語訳」
 合掌

 

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 <坂東札所霊場会の会報に紹介>
*巡礼記制作後に13番浅草寺(坂東札所霊場会)に納めさせていただきました。
 平成11年1月1日発行の「坂東」第6号に紹介されました。

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                坂東巡礼感想分 (1/2)
  *平成10年6月にワープロで制作した巡礼記を、プログ用に構成変更したものです。

 

<まえがき>
 この巡礼記は、坂東三十三ケ所観音霊場の歩行記録です。
 巡礼中に用いた地図(国土地理院の5万分の1)に記載していた歩行時間と、印象に残った事のメモを整理したものです。
  歩行記としては、平成5年5月にまとめた「四国八十八ケ寺歩き遍路記」に続く二冊目で、私くしの思い出として、足跡を整理してみました。
 歩行は、住まいの深川(江東区)と舞浜(千葉県浦安市、途中で転居)からの日帰りを基本に、その回毎に前回の歩行終点から歩き続けることにしました。(当然ながら、そこまでは交通機関を利用します)
 ルート取りは右まわりとし、地図とにらめっこしながら、全体の歩行距離が最も少くなるであろうと考えられた、第14番札所「弘明寺」を発願寺としました。
 歩行記録の概略をまとめると、

 (1)巡拝に要した年数は、7年間(平成3年~9年)。
 (2)出かけた回数は33回。延べ歩行日数は、36日(全日31日、半日5日) 宿泊3回
 (3)歩行距離   1,108Km
   *国土地理院の5万分の1地図での、地図上の距離。
   *回毎の起終点が駅・バス停等になるため、若干の廻り道をした日もある。
 (4)平均歩行距離  33 km/日、(最大46km/日)
 (5)使用した地図  国土地理院の5万分の1地図  48枚

*歩行距離は、ガイドブックなどによると330里(1300km)と言われていますが、これは道路整備がされていなかった昔のものと考えられる。又330里の数字が観音霊場の33ケ所の数字と一致することのは、偶然というべきか、それとも私の考え過ぎか。

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< 坂東巡礼の感想文 (1/2) >
 歩行の都度に地図の端や裏側に残しておいたメモを読み返して、印象に残った事項を感想文として整理してみました。


(1)観音様の現世ご利益(その1)
bato.jpg 坂東巡りでの一番の特記事項は、道路際の土手に散乱していた千円札を7枚も拾ったことです。観音様の現世ご利益そのものでした。
 場所は栃木県馬頭町の国293号と国461号を接続する県道(?)の、健武の大島付近の人家の無いところで、歩いていて紙切れのゴミと見えたものが、近づいたら、見慣れた千円札に似ており、「アレアレ」ということで手にして確かめてみたら、本物であったわけです。
 この最初の一枚を確認すると同時に、次の行動は当然ながら「まだあるのでは?」ということで、3~4mの範囲を見回したところ、さらに2枚ありました。
 こうなったらもうだめです。欲望の炎がメラメラと燃え上がってきました。道路反対側の土手も含めて近くの50mぐらいの範囲を、目を見開いてしっかりと捜すことにしました。
 「千円札があるなら万札もきっと在る」と心で念じながら。残念ながら一万札は見つかりませんでした。最終的には千円札が7枚でした。
 ということで、このお金捜しには30分程費やしました。時間を忘れての行動でした。まったくの銭ゲバ行動で大いに反省しております。おはずかしい。
 ところで、「この7千円をどうしたの?」ということですが、「観音様に感謝しながらビールを飲みました」というような不謹慎なことはしませんでしたから御安心を。 「観音様にいただいた物は、そのままお返しを」ということで、その後のお寺での寄付とかお賽銭にさせていただきました。
 本当です、信じなさい、信ずることは疑問を解消してくれます、氷が融けるように。

 

(2)歩くこと
 坂東を歩いて巡ろうと感じたのは、四国遍路をしていた時で、四国と百観音巡り(西国、坂東、秩父)の達成を記念に建てられた江戸時代の石碑を見た時です。
 今に比べれば格段に交通の便が悪い江戸時代に、全てを歩かなければならない時代に達成したのだから「凄いことだ」と感じたことが、動機になっているように思われます。
私の育った田舎(岐阜県の奥美濃地方)には西国の巡礼道が通っており、満願寺の33番谷汲山華厳寺は歩いて2時間程のところにあります。そんな縁があって西国は機会をとらえて何時か廻ろうと考えていましたが、坂東は対象にはなっていませんでした。
 坂東は西国に追加するかたちになりましたが、それはそれとして、結果として坂東は住でいる東京に近いこともあって、西国より早く達成(満願)することが出来ました。
 (現時点での西国巡りの歩行は、28番成相寺の少し手前までです)
巡るにあたってはまず全体計画をということでガイドブックを探しましたが、車によるものばかりで、歩いて巡るものは見当たりませんでした。
  このため、巡礼ツアーを実施されている「巡礼の会」にも電話して聞いてみましたが、「歩くのは有りません」とのとで、しかたがなく全て自分でルート取りをすることにしました。 (*四国遍路では歩く人も多く、歩行者用の専用ガイドブックが発行されているのだが)
hyauhachi.jpg  ところで、「巡礼の会」に電話した時のことですが、相手の話しの中で印象に残った言葉がありました。それは遍路と巡礼の違いに関する説明です。
 彼女曰く「四国遍路はお寺とお寺の間を歩く過程が重要であり、その過程が修行になっている。すなわち四国遍路は修行のために行くのである。が、観音巡りの巡礼は、お寺において観音様の前で一心にお願いすることに意義があり、四国遍路のように歩く過程は重要視されない。したがって、坂東を歩く人はいないから歩行者用の専用ガイドブックは無い」とのことであった。遍路は「線」、巡礼は「点」で、観音霊場巡りでは歩くことには意味が無いということのようである。
 この理屈は、その時にはよく分かりませんでしたが、その後に観音経の解説書などを読むことにより、なんとなく理解出来るようになった気もします。
 「真心をもって一心に観音の御名を称えれば、その音声を観じてたちどころにわれわれの苦悩を観音菩薩は救いたもう。(妙法蓮華経、普門品第二十五)」
観音様には、その前で一心に「南無大慈大悲観音菩薩」と称えることで御利益があるようである。

 まあこの理屈は理屈として、観音様の前での御利益もさることながら、これに追加しての、過程(プロセス)での現世利益も求めての「健康維持を目的としたウォーキング的な坂東観音霊場巡り」を始めることにしました。

 

(3)おばちゃん観音
「延べ歩行距離 1,108Kmを完全に歩いた」ということは、厳密にはそれは嘘になります。厳密には2Kmほど車に乗ったというか乗せられたというか、歩かないで車に乗っております。それは八溝山からの帰り道です。
 八溝山へは東京駅の山手線始発4時44分に乗って出かけたが、常陸大子駅に着いたのはちょうど9時で、予想以上の遠さで4時間以上もかかってしまいました。
 予定より1時間程遅く、そこから歩き始めて白坂にある待月旅館に着いたのは11時で、そこに荷物をおいて八溝山へ出発したのはその16分後でした。
 *荷物を宿に置いたのは、宿が見つからなかった時のことを考え、寝袋と小型テントをリックに入れてあり重いためです。
 宿のおばちゃんに「これから八溝山を往復してくる」と言ったところ、「無理だよ。ここからの往復は一日仕事だ。もう昼に近いのだから暗くなってしまうよ」、とのアドバイスがありましたが、「6時頃までには戻ります」と言って急いで出かけることにしました。
 腐れ沢からは林道に入り急な坂を急ぎ足で登りましたが、日輪寺に着いたのは15時40分、急いで納経を済ませ境内の見学もしないで出発したのは、16時少し前でした。帰りの下りの山道では暗くなりかけていたこともあり、暗くならない内に舗装された林道へ着いておこうと、駆け足をしたものの結果としておばちゃんの忠告どおり腐れ沢入口から少し進んだあたりで真っ暗になってしまいました。
matuzuki.jpg 道路には街灯らしきものは一 灯もなく、木々に囲まれていることもあり、まったくの暗闇でした。そのため道路端に引いてある白線を、非常用に持っていたペンライトで照らして、道巾と方向を確認しながら歩くことにしました。目を大きく見開いて。
 途中で、後ろに何かの動きを感じたため振り向いたら、二つの目玉がギラリ、オッカナビックリでした。よく見たらそれは犬でしたが、確実に寿命が1年は縮みました。
 いずれにしても出発の時に話していた「6時頃までには戻ります」は、大幅に遅れてしまうことになりました。あまり遅くなると宿のおばちゃんに心配かけてしまうことから、公衆電話が最初に見つかった本宮付近(?)で電話を入れることにしました。「本宮の近くにいます。そちらに着くのは7時半頃になるけど食事と風呂をよろしくお願いします」と言ったら「いいわよ、気を付けてね」という返事で、これで安心と引続きペンライトを点けて急ぐことにしました。
 歩き続けていると後ろから来た車に「八溝山に行ってきたお兄さん」と声を掛けられました。今度は人間です。ビックリしながら「そうです」と返事をしたら「遅いから迎えに来たよ」と、宿のおばちゃんでした。
 「乗れ、乗れ」と言われる言葉に、最初は「歩くことにしているので」と断わったものの、オバチャンの善意のことを考えると、この断わりの言葉は一度しか言うことが出来ませんでした。
 そういう事情で車に乗りましたが、その距離は2Km程ではなかったかと思います。「全部歩こう」は、そういう次第で厳密には完全ではありません。
でもこれは「おばちゃんが観音様の代わりになり迎えに来て下さった」と思うことにして、難しく考えないことにしています。「おばちゃん観音」の車に乗ったのだと。
 率先して乗ったのでないことは、八溝山への車道の登りで同乗を誘って下さった参拝者がおられたけど、断って歩き続けたことを観音様はご存じなのだから。

 

(4)観音様の現世ご利益(その2)
kitajo.jpg 今度のご利益もお金のお話しです。
 小田十字路~ No.26清滝寺~JR土浦駅の歩行は、真夏の7月末であったこともあり半ズボンの軽装で行ないました。そのため、終点のJR土浦駅では電車に乗る前に長ズボンに着替えることにしましたが、着替えの良い場所がないため、駅西口公園(広場で池が在り)の植木の陰で行なうことにしました。公園の通路(ここは人通りが多かった)から植木の方へ2~3歩踏み入れたところ、目に飛び込んできました。黒っぽい革のサイフが。
 拾って中身を確かめたら8千円と銀行のキャッシュカードが入っていました。しかし、持ち主につながるような名刺とか領収書などは入っていませんでしたので、駅前の交番へ届けることにしました。本当です、届けました。
 クーラーの無い暑い交番の中で、若い警察官の指示にもとに自分の住所・氏名などのお決まりの事項を書ましたが、この記入の間には「近くの百貨店で買い物をしていて手荷物が無くなった」とおばちゃんが飛び込んで来て、もう一人の警察官が出かけたり、「近くに本屋さんは無いか」と道を尋ねる人が来たりで、「交番勤務も案外大変だなあー」とか、「本屋ぐらい自分で捜せ」と思ったりもしました。
 ところでこの届けたサイフは、私が交番を出て30分もたたない後に落とし主が現れ無事本人に戻りました。これは落とし主からのお礼の手紙で知ったことです。
この手紙によれば、「お金は駄目でもキャッシュカードだけでも、と期待半分で交番へ行ったのだが、届けてあっていたく感激した」とのことです。
 そしてお礼にと、それなりの金額の切手が同封されていました。又この方はカメラマンで、綺麗なニューヨークの夜景写真も同封されていました。
 ということで、観音様の現世ご利益(2)のお話しは終わりです。

 

(5)観音様の現世ご利益(その3)
 ご利益はお金ばかりでない。何といってもそれは「無事巡り終えたこと」です。
 このことを忘れては「ご利益」どころか「罰」が当たることになります。
 巡っている間に交通事故に遇わなかったこともさることながら、7年の間、大きな病気もすることなく無事生活出来たことは、観音様のお陰です。
 半分は巡礼、半分は健康管理のウォーキングが目的でしたが、観音様のご利益でもって十分目的を達成することが出来ました。
 坂東の観音様、ありがとうございました。
 さて、巡っている間に交通事故には遇わなかったものの、道路の狭いことや歩道がなかったことなどからヒヤヒヤしたことが何回もありました。ひどかった所としては、
・No.16 水沢観音から下ったJR群馬総社駅付近の県道(?)、歩道が無く車も多い。
・No.26 清滝寺の手前国道 125号線から入った道路、採石場へのダンプが多く道路巾も狭い。
・小湊鉄道飯給駅~JR久留里線小櫃駅間の県道(?)、採砂場が多く丁度東京湾横断道路の開通関連の地域開発のせいか、ダンプが数珠つなぎで運転も荒かった。
・国道 127号線の鋸山付近、道路が狭く車が多い。特にトンネルが狭い。
 次に、一都六県を歩いての各県の車の運転マナーに関しては、一番運転の荒いのは千葉県でした。道路整備も遅れています。
 ところで運転マナーに関して「一言」言わしてもらうと、運転手を二種類に分類出来ます。その一つは歩行者がいるとスピードを落として、少し避けながら通り過ぎる、親切な、思いやりのある運転手。
 もう一方はスピードを落とさないし避けることもしない「俺の道だ、退け退け」の、どうしょうもない、ヤカラ運転手。このヤカラのダンプを避けるため「お慈悲を・・・」と叫びながら、反対側の土手に飛び逃げたことも何回かありました。
 車の運転は、心に余裕を持ってしたいものです。

 

(6)十一面観世音菩薩の仲立ち?
dososhin.jpg 会社の上司である(今は定年退社された)Fさんと、巡礼中に偶然のバッタリの顔合せを2回もしました。Fさんも坂東巡礼をされていたもので、この2回の偶然の場所がこれまた偶然の十一面観世音菩薩の長谷寺なのです。(読み方は異なる、はせ寺とちょうこく寺)
 1回目は6番長谷寺(飯山観音)の納経所で、Fさんから「アレーO君では?」というわけで、奥さんの丁寧な挨拶に恐縮しながら返礼をしました。次の星谷寺へ向かって少し歩いた所で、クラクションを鳴らして追い抜いて行かれました。
 2回目は15番長谷寺(白岩観音)の少し手前の町屋橋の上で、バイクを歩道に停め地図を広げている二人連れがいました。
その脇を通り過ぎる際に地図をチラッと見たら「坂東巡礼○○マップ」と書いてあることから、「坂東廻りですか?」と声を掛けたら、2人が顔を上げて「アレーO君ではないの?」、「Fさんでは」ということになりました。
 先の飯山観音でお会いしてから丁度半年後のことです。四国の歩き遍路においては、昔から「歩き遍路は二度会う」と言われていますが、それと同じようになりました。
 私の5万分の1の地図で、白岩観音の位置を教えてあげその場を離れましたが、少し先の白岩観音の境内で追いつきました。
 白岩観音では私が先に出発しましたが、少し歩いた所で「お先に・・・」と声を掛け、片手を振りながら追い抜いて行かれました。50歳を過ぎての夫婦でのバイクツーリングは、なかなか粋なものです。
 特に奥さんの赤いスポーツタイプのバイクがGoodでありました。

 

(7)道祖神
  ほほえましい道祖神の石像(石碑)を村はずれの路傍に見かけることがありました。数はあまり多くありませんでしたが、群馬県と栃木県に多かったような気がます。
 風化してしまい彫られた夫婦像がほとんど判別出来ないものや、近年に設置されたマンガチックなものなどいろいろありました。
 その前に花などが供えてあると「赤ちゃんを願ってのお花かな、それともお礼のお花かな」などと思ったりもしましたが、これは現代においては思い過ぎかもしれません。一般的には病院へ行くのが先のようだからです。いずれにしても日本の一つの風景として残しておきたいものです。
 ところで、おもしろい道祖尊(神)が有りました。一般的な夫婦像でなく男性のシンボルなのです。
shinbol.jpg 場所は、今市市の猪倉と宇都宮市の新里町を結ぶ市道(?)で、市境になっている峠です。(宇都宮ICの左側に位置する) 大きさは直径40cm、高さ1.5mほど、大谷石製のリアルティーの豊かな立派なものです。
 この像は周囲を木枠で囲い、屋根付で、傍には教育委員会の説名札が立ててありました。
 その内容は「この峠は宇都宮から日光へ抜ける裏街道で日光参拝の人が通った・・・」と書いてあったような気もしますが、詳しい内容は忘れてしまいました。メモしておくべきでした。
 「日光参拝の大名女中さんもここを通ったのでは、これを見てどう思ったかな?」とニヤニヤしたり、 「江戸時代はおおらかだったから別にどうこういうこともなかったかな」などと考えながら歩いていたら道を間違えました。
 近道をしようとゴルフ場の方へ右折したのでしたが、これが少し早すぎて一本手前の道だったようです。地図にない軽四輪しか通れないような細い道で、林の中を500m程進んだところで完全な行き止まりになってしまいました。
 ところで、この軽四輪しか通れないような細い淋しい林の中の道を歩いている途中で、私は拝みました本当の道祖神を。軽四輪車が止まっていて、その中に生身の道祖神がおられ、そして見てしまったのです。第九の歓喜の世界を。
 峠の道祖神でニヤニヤしたばかりなのに、5分もたたない内に今度はウハウハの世界です。
 そんなことで、ここを通り過ぎた先は完全な行き止まりでしたが、戻るには気がひけて(二人の邪魔をしては悪いので)、無理して行き止まりのヤブみたいな所を強行突破することにしました。地図と磁石を頼りに本来の道を目指して。
 途中でジメジメした沢のようなところも通りながら、今日は何という日なのか」と思いました。
 手と顔にブッシュによる引っかき傷を2~3作りながら、舗装された道にたどり着いた時には、本当にヤレヤレと思うとともに疲れがどっと出てきました。
 お二人さんに、道祖神、観音様の御利益がありますように?? 

  提案ルート外のルート地図(千葉寺~船橋~市川~金町~草加)


1.このルートは、坂東巡礼独案内図でも示されている、29番千葉寺~12番慈恩寺へのルートの千葉寺~草加までです。なお、草加から先の草加~慈恩寺は、提案ルートの13番浅草寺~12番慈恩寺と同じルートですので、そちらを見て下さい。
2.千葉寺~市川間は、江戸期の主街道であった房総往還(房総半島内廻り)を歩くことにしました。そのために遠回りする部分もありますので、その部分はそれぞれの考えのもとに歩いて下さい。
3.JR下総中山駅近くの中山法華経寺は、日蓮(日蓮宗)の聖跡です。時間に余裕のあればお参り下さい。その少し奥に中山競馬場がありますが、巡礼には関係ないでしよう。
4.市川~金町(新宿)は、独案内図のとおり松戸を経由することとし、松戸の渡し跡の近くを通ることにしました。
 この区間には、寅さんでおなじみの柴又帝釈天や歌に歌われた矢切の渡しがありますので、参考ルートを示しておきました。渡しは3~11月は毎日、12~2月は土・日・祭日のみで、荒天時は欠航です。船頭さんの電話 047-363-9357。

・その1(千葉寺~花見川)

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・その2(花見川~船橋)

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・その3(船橋~本八幡駅)

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・その4(本八幡駅~矢切駅)

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・その5(矢切駅~八潮駅)

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・その6(八潮駅~草加)

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 提案ルート外のルート地図(井ノ口~大山~長谷寺)

     (井ノ口(中井町)~蓑毛~大山~巡礼峠~長谷寺)

1.このルートは、提案ルートの勝福寺~光明寺の井ノ口(中井町)で分かれ、蓑毛、大山などを経由して6番長谷寺へ至る、坂東巡礼独案内にも示されているルートです。
 この道は、大山への古くからの信仰の道でもあり、叉、現在もハイキングコース(一部には関東ふれあいの道)として利用されていています。したがって、道と案内標識などはしっかりしておりますが、蓑毛~大山間はそれなりの山登りになりますので、六根清浄でも唱えながら頑張って下さい。
2.大山は、山頂の石尊大権現と山腹の大山寺を中心に信仰を集めてきましたが、明治6年の神仏分離令により石尊大権現は大山阿夫利神社と改称、大山寺(不動堂)は破却されました。また、山頂の石尊社は本社(奥の院)となり、中腹の不動堂跡には拝殿が設けられ下社と称され、神社として整備されてきました。
 現在、下社の下方、女坂の中ほどに大山不動尊(関東三大不動の一つ)を祀る雨降山大山寺(うこうさん・だいさんじ)が置かれています。(下社からはケーブルカーの利用も可能、不動前駅)
3.江戸時代には、例祭日(7月28日~8月17日)だけしか山頂への登山が許されませんでした。したがって、この時代の坂東巡礼者の多くは現在の下社で参拝を済ませたと思われますので、今回のルート選定においても上社(山頂)には登らないことにしました。
4.後半の巡礼峠から長谷寺のルート(その6図参照)は、提案ルートの光明寺~長谷寺のルートと重複します。ここでは、提案ルート(里道ルート)とは別に関東ふれあいの道ルートを示しておきます。このふれあいの道ルートは、ハイキングコースで長谷寺へは近道になりますが、尾根道で峠を二つ越すなどのアップダウンがありますので、展望を楽しみながらもそれなりに歩く必要があります。1時間半ほどですが、夏場は山蛭の恐れがありますので十分気をつけて下さい。食われた時には、引き取るのではなく、塩をかけて外れるのを待つのがよいようです。山蛭のいるところは塩は必携のようです。


 

・その1(井ノ口~秦野駅)  *その3以降とは縮尺が異なる

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・その2(秦野駅~小蓑毛)  *その3以降とは縮尺が異なる

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・その3(小蓑毛~大山)

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・その4(大山~日向山荘)

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・その5(日向山荘~巡礼峠)

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・その6(巡礼峠~長谷寺)

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   提案ルート外のルート地図(下野宮~佐竹寺 (独案内のルート))


a.このルートは、坂東巡礼独案内図に描かれているルートです。H18.12にJIさんが、H19.6にATさんが歩いておられます。
 歴代の水戸藩主は、一代のうちに必ず一度は八溝山に参拝することが慣わしだったそうですので、西山荘経由でこのルートを歩いたことが推測されます。
b.交通の便がよくありませんので、事前調査を十分してからお出かけ下さい。
c.小生瀬は、江戸時代初期に、村民500人が水戸藩の侍に皆殺しになった「生瀬騒動」の悲劇の地です。お祈りしてお通り下さい。 
d.竜神峡の大吊橋は、長さ375mで歩行用としては本州一の長さです。少し寄り道になりますが時間に余裕があればどうぞ。
e.西山荘~佐竹寺間の詳細は、提案ルートの日輪寺~佐竹寺を見て下さい。

・その1(下野宮~小生瀬)

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・その2(小生瀬~釜の平)

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・その3(釜の平~竜神ダム)

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・その4(竜神ダム~中染町)

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・その5(中染町~松平町)

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・その6(松平町~西山荘)

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・その7(西山荘~佐竹寺) *1図~6図とは縮尺が異なります。

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・H.21.5.16 追記

  H21.5.9、越生駅~慈光寺間(地図のその10と11)の山道の部分をメインに現地調査を実施しました。
  カテゴリーの「現地調査結果」、「m.越生~慈光寺」を見てください。

 

 

 

  提案ルート外のルート地図(星谷寺~慈光寺)               H.20.7.20

1.このルートは、十辺舎一九の坂東順礼の地名を追っかけることにしました。地図上に地名を記載しておきました。
 坂東順礼の経過地名は、本文によれば、星谷~橋本~八王子~灰嶋(拝島)~峰が崎(箱根ケ崎)~金子~並柳(双柳)~可山(鹿山)~平澤~毛呂~越生~大野~慈光寺で、18里24町(約75km)となっています。
 ところで、慈光寺の前の大野は、慈光寺から秩父へのルート上にあることと図面には入っていないことなどから、本文でのミスと考えられます。叉、「灰嶋と峰咲きの間に玉川あり」とも記載されていますが、これもミスと考えられ八王子~灰嶋の間になります。
 金子~並柳(双柳)~可山(鹿山)~平澤~毛呂~越生については、「このへんすべて難渋のところにて支度すべき茶屋なく不自由なり、とかう弁当のしたくしてもつべきなり」と記述されています。現代風に言えば「コンビニが無い」といったとこだったのでしょうか。 
2.このルートは坂東の巡礼道でありますが、それよりも大山への巡礼道(八王子道)として使われていたことから、道標などでは大山と刻んだものが多いと思われます。
2.このルートは、星谷寺~八王子間はJR相模線、八王子~越生間はJR八高線によく沿っています。歴史的には古くからあった街道に沿って鉄道が後から敷かれたわけですが。
3.飯能に六道の辻があります。飯能市郷土館から頂いた情報によれば、地名になっており小字である。ここには安永6年(1777年、明治維新の81年前)の庚申塔が建っており、道標も兼ね台座に 南 八王子 大山道、北 おごせ 上州道、西 はんのう ちゝぶ道、東(判別不能)と刻まれています。
4.越生梅林の手前の三叉路の道標には、左 子ノ権現三里二十五町、右 じこうへ二里と刻まれています。叉、近くの最勝寺の六地蔵(門前から境内に移された)にも慈光寺への道が刻まれています。なお、同寺には「源頼朝将軍祈祷所」 の石碑があり、慈光寺へ度々お参りした頼朝がお参りしたようです。
4.越生から慈光寺間は、林道などの多いローカルな道ですが、一部には山道もありますので、地図と現地の標識をよく読んで進んで下さい。

・その1(星谷寺~原当麻駅)

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・その2(原当麻駅~南橋本駅)

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・その3(南橋本駅~片倉)

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・その4(片倉~八王子IC)

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・その5(八王子IC~牛浜駅)

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・その6(牛浜駅~箱根ケ崎)

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・その7(箱根ケ崎~阿須)

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・その8(阿須~宮沢湖)

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・その9(宮沢湖~毛呂)

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・その10(毛呂~広見峠)

 

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・その11(広見峠~慈光寺)

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〇H22.5.9 追記

 東金~笠森寺間については、坂東巡礼独案内や十辺舎一九の坂東巡礼のルートと推察される、下図に示すような茂原を経由しない内陸ルートがあります。本ルートについては「いいの」が確定できないことから推測ルートになりますが、このルートを利用される方は、現地調査報告の「東金~本納」、「笠森~本納駅」を参考にして下さい。ルートとしては少し複雑ですので、地図をよく読みながら歩く必要があます

iiojigaiyouzu.jpg                東金~いいの~笠森観音  概要図

 

 

 

提案ルート外のルート地図(松尾~茂原~笠森寺)  H20.7.20


a.この区間は、27番飯沼観音から31番笠森寺への巡礼道の一部を成すものです。飯沼観音から松尾までは、提案ルートの「飯沼観音~千葉寺」を参照して下さい。
b.茂原~笠森寺間は、現地調査報告「茂原~笠森~清水」も参考にして下さい。
c.松尾~成東~東金~大網は銚子道、大網~茂原は房総東往還の一部で、江戸期からの主要街道でした。国道を出たり入ったりになりますが、旧道を拾つてのルートを選びました。
d.成東駅近くの浪切不動は懸崖造りです。かってはこの辺りも海辺で、海上の漁師達の目印になったようです。九十九里の浜辺が隆起している証で、海岸線が100年間に200m程沖合いに進んでいて、浜辺に沿った街道が百年に一本の割合で出来ているようです。道路が海岸線に沿って綺麗に並行しているのが地図でみられます。
f.茂原は東身延と呼ばれた藻原寺(そうげんじ)の門前町として栄えた町です。
g.笠森寺の手前の長福寿寺は、房総三国の天台宗の中心として、檀林が置かれていた名刹です。門前を「三途川」が流れています。時間に余裕があればお参り下さい。

 

・その1(JR松尾駅~成東駅)

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・その2(成東駅~東金駅)

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・その3(東金駅~永田駅)

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・その4(永田駅~新茂原駅)

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・その5(新茂原駅~千田)

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・その6(千田~笠森観音)

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〇H21.8.30 笠森寺手前の大庭ルートの追記

 ・笠森寺の真北方向にある大庭部落から笠森寺に登る参道については、これまで「江戸期には大いに使われていたが現在は廃道状態」との情報のもと、ルート放棄していましたが、最近、「関東ふれあいの道」として存続していることが判明しました。このため、現地調査したところ、歩けることが判明しましたので、ルートとして追記しました。*標識はしっかり設置されています。*追分(長柄山)から笠森寺間は、「関東ふれあいの道(森と森をつなぐ道)に指定された道を歩くことになります。
   なお、どちらを歩くかについては、調査者としては車の少ない大庭ルートを推奨いたしますが、山道を避けたい方は表門ルート(車道が主)となりますね

 大庭ルートの詳細は、現地調査結果(笠森寺~刑部)を見てください。

 

 

   提案ルート外のルート地図(千葉寺~笠森寺)    H20.7


a.このルートは、ほとんどが房総街道と呼ばれる道です。房総街道は、浜野~潤井戸~針ケ谷~刑部~長南~小土呂~大多喜~佐野~松野~勝浦(叉は安房小湊)で、途中の追分から茂原へ分岐する道があることから、一部は茂原街道とも呼ばれています。
 上総丘陵を抜けるこの道は、かっては大多喜藩の参勤交代の道であり、叉日蓮ゆかりの小湊誕生寺を訪れる人々の信仰の道でもありました。
b.坂東順礼独案内図では、サブルートとして描かれており、千葉寺~草刈~潤井戸~長柄山~笠森寺で、地図上に地名を明示しておきました。
c.房総半島の分水嶺となっている権現森(その3図の下部)173mは、房総街道では第一の難所で、千葉からここまでは登り道となります。

・その1(千葉寺~浜野)

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・その2(浜野~潤井戸)

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・その3(潤井戸~権現森) 

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・その4(権現森~笠森寺)

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   提案ルート外のルート地図(清水寺~高蔵寺)


a.このルートは、養老川を挟んで房総の山並みを二つ横断します。少しパワーを必要としますが頑張って下さい。
b.城下町であった大多喜と久留里を経由します。大多喜は古くから交通の要衝で、徳川四天王の一人である本田忠勝が10万石で封じられ地です。久留里は新井白石が青年期に数年を過ごしました。前者には県立総南博物館、後者には市立久留里城址資料館があります。時間があるようでしたら寄られて、かっての城下町の雰囲気を味わって下さい。
c.このルートは、H19年にOSさん(大阪弁さん)が歩いておられます。

・その1(清水寺~行川)

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・その2(行川~風の村)

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・その3(風の村~月崎)

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・その4(月崎~久留里)

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・その5(久留里~高倉観音 )

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提案ルート外のルート地図(高蔵寺~那古寺)


a.このルートの東京湾沿いの道は、房総往還(浜街道)と呼ばれ坂東巡礼独案内図やこみなと参詣房総往来記(十辺舎一九)などにも記述されています。江戸庶民の巡礼・観光の道でした。叉、東京湾の海防のための重要な街道でした。
b.鋸山付近の断崖絶壁の下を行く道は、当時の旅人には困難な道であったようです。現在も隧道(トンネル)が多く、歩行者専用の脇トンネルのあるトンネルもありますが、狭いトンネルがほとんどですので、トンネル通過にあたっては車に十分注意されるようにお願いします。赤色点滅灯の携帯が望まれます。
 なお、鋸山の日本寺(五百羅漢)にお参りすることも考えられます。当地は絶景が売り物の観光スポットであり、道はハイキングルートとして整備されていますが、切り出した石を降ろしたという急坂を登るには、少し汗を流す必要があります。地図に破線で示しておきました。
c.岩井駅の先の旧木の根峠は通れません。道が途中で消え山蛭がお迎えです。
d.那古寺の手前に崖観音があります。時間に余裕があればお寄り下さい。
e.高蔵寺~上総湊間は、下図に示すように鹿野山経由と佐貫町経由の2ルートがあります。

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・前者は坂東順礼独案内図にも示されており、神野寺へお参りするルートです。鹿野山(352m)を登り降りする必要があり一汗流す必要があります。なお、このルートの詳細は、カテゴリー、現地調査報告の「上総湊~小糸川」と「小糸川~高蔵寺」を見て下さい。
・後者は途中に低い峠越えのような登り降りがありますが、比較的平坦な道です。

 

・その1(高蔵寺~館山自動車道)

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・その2(館山自動車道~佐貫)

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・その3(佐貫~竹岡)

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・その4(竹岡~鋸山)

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・その5(鋸山~安房勝山)

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・その6(安房勝山~宮本)

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・その7(宮本~那古寺)

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〇H22.8.28 追記 (情報)八溝山の尾根への山道「A」の情報

 H19.11.27に追記した題記の情報に関しては、H22年8月27日に現地調査に行ってきました。夏草が生い茂り道が無くなっています。このため、尾根まで出られず引き返しました。ということで、ルートとしては、道整備がされるまでは「放棄」ということになります。ご注意下さい。詳細は、現地調査報告「雲巌寺~日輪寺」を見てください。 

 

〇H22.8.6 追記  (情報) 黒羽~日輪寺間の雲巌寺付近のルート

 下図における雲巌寺付近のルートは、赤線で示した雲巌寺経由を提案していますが、近道として、尻高田経由の青線ルートも考えられます。
  このルートを、H21.11.23、マルセさんが新ルートとして歩かれました。ルートの後半の道が荒れていて大変だったようで、
GPSを頼りの強行突破もあったようです。現状では「一般の人には勧められない」とのことです。   shiritakada.jpg     

 〇H19.11.27 追記事項  八溝山の尾根への山道「A」の情報  
 地図の<黒羽~日輪寺> その3(南方~日輪寺) に示してある日輪寺近くの尾根へのショートカットと考えられる山道「A」の状況について、地元の関係者に電話で教えていただいたところでは、「道は公道ではない。左に分岐している赤破線の道は上の林道まで通じているが、尾根近くは枝葉がはみ出している細い山道である。一般の人には通行をあまり奨められない。下の入り口には鎖の車両通行止が設置してある」 でした。*青破線の道は、本文のe項に記述のとおり、ATさん(arukitabiさん)が強行突破で尾根へ抜けられたという状況ですので、通行は勧められません。(H22.8.28の追記を参照して下さい、ルートとして不可です)

 

    提案ルート外のルート(黒羽を経由して日輪寺へ)   H19.11.18

a.黒羽を経由し栃木県側から日輪寺に至るルートは、下図に示すような3つが考えられます。
 ①今市から日光北街道(国道461号)を使っての、矢板、大田原を経由し黒羽に至るルート
  (坂東順礼独案内のルートです。なお、このルート利用の方は大谷寺の参拝が終わっていると思います)
 ②提案ルート上の喜連川から大田原を経由して黒羽に至るルート。
 ③提案ルート上の小川町から黒羽に至るルート

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 b.提案ルートでは、日輪寺へは大子町からの往復になりますが、これを避けたい方はこれらのルートを選ぶことになるでしょう。
c.①の今市から大田原までは日光北街道で、これについてはカテゴリー、提案外ルート、今市~大田原を見て下さい。ここでは、②と③の地図を掲載させていただきます。
d.ところで、②と③のどちらを選ぶかは、①は旧陸羽街道で、ATさん(arukitabiさん)がH19年に歩いておられます。 ②は古墳が点在し風土記の丘資料館もある道で、JIさん(爺さん)がH18年に歩いておられます。ということで、後は皆さんにお任せします。
e.日輪寺手前のハ溝山へのショートカットと思われるルートがありますが、歩くのは難しいようです。(最後の図参照)  「Aルートの青破線の道」をATさんがH19年にトライされましたが、最後はブッシュをかき分けての尾根道への直登(強行突破)だったようです。*この付近の道情報に詳しい方は情報を下さい。
f.黒羽には、松尾芭蕉が奥の細道の途中に訪れ、旅中最も永い14日間逗留しています。雲厳寺にも寄っています。同寺にはお参りになり八溝山への道中の安全をお祈り下さい。
g.黒羽から八溝山を過ぎ下野宮あたりまでは、宿の確保が難しいようです。この点に十分注意して下さい。

<喜連川ルート>

・その1(喜連川~南和田)

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・その2(南和田~佐久山)

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・その3(佐久山~大田原)

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・その4(大田原~那須神社)

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・その5(那須神社~黒羽)

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<小川町ルート>

・その1(小川町~下河原)

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・その2(下河原~黒羽)

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<黒羽~日輪寺>

・その1(黒羽~雲厳寺)

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・その2(雲厳寺~南方)

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・その3(南方~日輪寺)

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提案ルート外のルート地図(満願寺~足尾~中禅寺)


a.このルートは、かっての山岳宗教の行者達が、満願寺から日光山に入峯するのに使ったと伝えられる道です。なお、このルートは道すじわろしということで、江戸時代の「坂東順礼独案内」や「金草鞋坂東順礼」などでは、この道を避け粟原~鹿沼~大谷寺(提案ルート)の道を教えています。
b.現在でも、足尾から中禅寺への峠越え道が道筋わろしの状況にあります。したがって、地図とコンパスが使え、ある程度のハイキング経験のある方以外にはお勧めできないルートと考えられます。渡渉箇所もありますので大雨後での通行は特に注意が必要です。
 *足尾から峠までが良くありません。足尾側はハイキングにあまり使われないようです。
c.中禅寺への峠越え道としては、阿世潟峠と半月峠があります。両峠ともH18~19に巡礼者が歩かれていますが、いずれも道探しに苦労されています。現状での選択としては半月峠をお勧めします。これはこのルートを歩かれたATさん(arukitabiさん)が、自分の苦い経験のもとに後日(H19)に再挑戦され、ルートポイントに標識を付けられたからです。*頭が下がります、感謝・感謝。
d.半月峠ルートの詳細はATさんのHPに、阿世潟峠ルートの詳細はOSさん(大阪弁さん)のHPに、それぞれ掲載されていますので参考にして下さい。
e.満願寺~足尾間は、宿の確保が難しいことから注意してください。足尾にはあります。
f.満願寺~粟原間の地図は、提案ルートの満願寺~中禅寺のその1図を見て下さい。
g.旧粕尾峠は通れますが、山道ですので慎重な道探しが必要です。入り口はNo.27カーブ、出口はNo.44カーブです。 H18.11にATさんが歩いておられます。

<全体図>

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・その1(粟原~遠木)

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・その2(遠木~山ノ神 )

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・その3(山ノ神~足尾 )

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・その4(足尾~峠)

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・その5(峠~中禅寺)

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提案ルート外のルート地図(秩父34番~群馬藤岡)


1.坂東巡礼の中に秩父巡礼を組み込んで巡礼する方が、秩父34番から坂東15番長谷寺へ向かうルートです。
2.ルートとしては、皆野、鬼石、浄法寺などを経由し、慈光寺~長谷寺のルート上にある群馬藤岡までです。
3.ルート上の鬼石にある浄法寺は、伝教大師最澄が国土と人心を鎮めようと全国に建てた八寺の一つで、東国における天台宗の中心的なお寺です。時間があればお参り下さい。
4.34番からでなく親鼻橋方面からの場合は、かっての秩父街道(国道140号線)を北上し中野上で左折、出牛峠を越え出牛に至るルートもあります。

・その1(秩父34番~徳蔵寺)

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・その2(徳蔵寺~八塩)

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・その3(八塩~三名湖)

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・その4(三名湖~群馬藤岡)

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  提案ルート外のルート地図(慈光寺~秩父1番)


1.坂東巡礼の中に秩父巡礼を組み込んで巡礼する方には、必須であろうルートです。
 林道ができたりして巡礼道としての細部は変化してきていますが、古くから秩父を目指した巡礼者達が歩いてきた道です。
2.ルートとしては、坂東9番慈光寺から外秩父の山並みを通って、秩父1番四萬部寺に至ります。具体的には二つのルートを記載しましたが、それぞれの特徴は下記のとおりです。
 なお、両ルートを含めこのあたりは外秩父のハイキング・トレッキングコースが多く整備され、さらには林道が複雑に入り組んでおりますが、案内標識はしっかりと設置されていますので、現地で標識と地図を良く突合せながら進んでください。
3.慈光寺を出て直ぐに霊山禅院があります。慈光寺の塔頭として創建された関東で最古の禅寺であります。時間に余裕があれば山道での安全をお祈り下さい。それから堂平山には慈光寺の奥の院があったという話しがありますが、今はその形跡は何もみられないようです。

a.白石峠ルート
 全体として林道がメインで、アップダウンの少ないルートです。
  慈光寺から白石峠付近までは、ときがわ町のお奨めのトレッキングコースです。定峰峠には茶店があります。なお、距離は慈光寺から秩父1番までで約18kmです。
 *JIさん(爺さん)からの提供情報(歩行実績、H16)を参考にしました。
b.七重峠ルート
 途中において白石の部落に下りる、山道の含まれるアップダウンのあるルートです。
 七重峠の下りは、急坂で足元も良くないようですので注意してください。
 *岩さんからの提供情報(歩行実績、H19)を参考にしました。


・その1(慈光寺~白石峠)

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・その2(白石峠~秩父1番)

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〇H22.2 追記   JIさん(バックパッカー田中さん)が、清水寺からの出だし部分の下布経由ルートを、歩き旅さんと同様に歩かれました。

 

〇H20.6 追記    清水寺から御宿へのルートで、坂東巡礼独案内と考えられる下布施経由のルートを、H20.6.14 歩き旅さんが歩かれました。岬ダムのところは通過不可のため迂回ルートを選んでおられます。

 

 

   提案ルートの地図(千葉県-6  清水寺~那古寺)    H19.9.25
a.この区間のルートは、江戸期の「房総東往還」をベースに選びました。現在の国道128号線の旧道といえる道です。
b.外房の断崖絶壁の下を行く道は、現在も隧道(トンネル)が多く、当時の旅人には困難な道であったようですが、「松島の岩山に似たり」と日本三景の松島に称される程の絶景の道でもあります。十返舎一九の「こみなと参詣房総往来記(文政10年)」に記述されているように、江戸庶民の参詣・観光の道でした。
c.歩行者専用の脇トンネルのあるトンネルもありますが、狭いトンネルがほとんどですので、トンネル通過にあたっては、車に十分注意されるようにお願いします。赤色点滅灯の携帯が望まれます。
d.清水寺から房総東往還への接続は、分かり易い「三門」へ至る東下ルートにしました。なお、このルートの他に下布施を経由し御宿に至る南下ルートがあります。この南下ルートは「坂東巡礼独案内」のルート思われるものですが、山越の道がほとんど廃道状態で、大きく迂回する必要があります。これについては、カテゴリー 「現地調査報告」「清水寺~御宿」を見て下さい。
e.海岸沿いの房総東往還から那古寺へ向かっての内陸へ入る地点としては、分かり易い和田浦からの県道296号線(和田丸山館山線)としました。なお、このルートのほかに南三原からのルートがあります。このルートは「坂東巡礼独案内」のルートですが、加茂坂を越えるのに注意が必要です。これについては、カテゴリー 「現地調査報告」「和田浦~那古寺」を見て下さい。
f.再度になりますが、歩行にあたっては車に十分気をつけて下さい。

・その1(清水寺~大原)

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・その2(大原~御宿)

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・その3(御宿~勝浦)

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・その4(勝浦~行川)

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・その5(行川~安房天津)

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・その6(安房天津~太海)

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・その7(太海~和田浦)

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・その8(和田浦~温石川)

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・その9(温石川~明石)

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・その10(明石~那古寺)

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 提案ルートの地図(千葉県-5 笠森寺~清水寺)


 この区間のルートは、「坂東順礼独案内」のルートと考えられる道を選びました。水田の耕地整理でもって、古い道は消滅してしまっているようです。
 なお、詳細は、カタゴリー 「現地調査報告」の「茂原~笠森~清水寺」を見て下さい。

・その1(笠森寺~給田)

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・その2(給田~岩熊)

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・その3(岩熊~清水寺)

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〇H23.1.17 追記  笠森観音の近くの旧道情報

 H22.12に、マルセさんが歩かれた情報です。大庭から緑色のルートで笠森観音に御参りし、ここから左方向の旧道を歩かれました。結果として、×印の箇所の道が荒れていて、通行は勧められないとのことです。なお、牛久側の道標は、文政6年(1823)のもので、うしく、きさらづ、た可くら、かのう道などが刻まれています。

 <参考、笠森観音付近の旧道について>  牛久方面から長柄町方面に行くには、笠森観音のある尾根(関東ふれあいの道が通っている。下図の青線)を越える必要があり、その道は笠森観音の境内を通過していました。(現在の国道はトンネルで通過) さらに、この道に上方向(大庭、千葉方面)からの道が尾根伝いに笠森観音の境内でつながっていました。切り通しもあり、荷車が通れる程の道幅があったことが推察されます。 

kasamorikyudo.jpg        *国土地理院2万5千分の1地形図使用。

 

 

提案ルートの地図(千葉県-5  高倉観音~笠森観音)   H20.7.20


a.この区間には、順礼古道がありますが、分かり易い県道33号線と国道409号線を選びました。なお、県道33号線区間(高蔵寺~東横田駅)は、千葉寺~高蔵寺間のルートと重複(往復)になります。
b.高蔵寺~東横田駅間の往復を避けるとすれば、巡礼古道を選ぶことになります。この古道ルートの高蔵寺から約2km程の区間には未舗装の軽自動車しか通れない程度の路があります。
d.巡礼古道に関しては、カテゴリー「現地調査報告」の「高蔵寺~地蔵堂」と「地蔵堂~笠森寺」を見て下さい。

・その1(高蔵寺~高谷)

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・その2(高谷~牛久)

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・その3(牛久~笠森寺)

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   提案ルートの地図(千葉県-3 千葉寺~高倉観音)


・千葉寺~姉ヶ崎間は、江戸時代の房総往還(船橋~館山)をベースにルート選定しました。
  したがって、現在の国道などを歩くより少し遠回りする箇所もあります。
・姉ヶ崎~高倉観音は、県道24号、165号、33号の分かり易いルートを選びました。
 なお、この区間には、巡礼古道と言える「たかくら道」が並行してあります。この道の詳細は、カテゴリーの現地調査報告「高蔵寺~小櫃川」、「小櫃川~姉ヶ崎」を見てください。道標の多い道です。ところで、同報告でも明らかなとおり、「高蔵寺~小櫃川」間は、道が荒れておりますので、一般の方は避けられ、県道33号線を歩かれるようにお願いします。

・その1(千葉寺~浜野)

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・その2(浜野~五井)

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・その3(五井~館山自動車道)

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・その4(館山自動車道~東横田)

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・その5(東横田~高倉観音)

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   提案ルートの地図(千葉県-2  飯沼観音~千葉寺)


1. この区間のルートは、「坂東巡礼独案内」の飯沼~千葉のダイレクトルートをベースに選びました。
 なお、ダイレクトルートに関しては、「文献調査結果」「独案内の飯沼~千葉」を見て下さい。
2.飯岡~松尾間は、江戸期の銚子道です。
3.銚子は、江戸時代には磯めぐりと呼ばれた一大観光地でした。現在でも見どころが沢山です。君ヶ浜、犬吠崎、満願寺、地球が丸く見える丘などいろいろあります。なお、磯めぐりについては「3.文献調査結果-江戸時代の滑川~銚子」を参考にして下さい。
 参考までに、犬吠崎経由ルートの一例を示しておきましたが、人それぞれに選んで下さい。
4.その1図に示した海岸沿いの愛宕山公園線(破線で示しました)は、近道ですが、有料の自動車が一般道になったもので、歩道がありません。車も多いようです。
5.その2図で示した青線の海岸側ルートは、国道歩きを避けたローカルルートで、風情のある場所もあるようです。八幡神社の前には巡礼塔があり道標も兼ねております。このルートはATさんがH20.4に、OSさんがH16.11に歩いておられます。、

・その1(飯沼観音~屏風ケ浦)

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・その2(屏風ケ浦~飯岡)

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・その3(飯岡~旭駅)

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・その4(旭駅~匝瑳(そうさ)市役所)

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・その5(匝瑳市役所~横芝駅)

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・その6(横芝駅~小川)

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・その7(小川~八街)

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・その8(八街~神田)

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・その9(神田~吉岡)

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・その10(吉岡~千葉寺)

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   提案ルートの地図(千葉県-1 滑川観音~飯沼観音)


  この区間は、江戸期の銚子街道をベースに、江戸時代に願主眞永が建てた12基の道標を追いながらの道を選びました。現在の国道356号線を歩くより少し寄り道歩きになるところもあります。
 なお、願主眞永の道標に関しては、カテゴリーの「文献調査結果」の「銚子街道の道標」を見て下さい。
 小見川からは、小南、猿田を経由し飯沼観音に至る「坂東巡礼独案内」のルートと考えられる内陸ルートがあります。これについてはカテゴリーの「現地調査報告」「小見川~猿田」を見て下さい。
 叉、銚子街道については、カテゴリーの「文献調査結果」の「江戸期の滑川~銚子」と「房総の街道」を参考にして下さい。

 

・その1(滑川観音~神崎)

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・その2(神崎~佐原)

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・その3(佐原~利根川橋)

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・その4(利根川橋~小見川)

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・その5(小見川~下総橘駅)

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・その6(下総橘駅~椎柴駅)

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・その7(椎葉駅~飯沼観音)

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   提案ルートの地図(茨城県-7 清滝寺~龍正院)


a.この区間は、ほとんどの皆さんが同じく歩かれる道です。ルート上の土浦、君島、江戸崎は坂東巡礼独案内にも記載されている町です。
b.土浦までは、つくばりんりんロードの利用も考えられます。車道歩きを避けたい方はこちらが良いかも。
c.土浦駅近くは、土浦城跡の亀城公園横を通るルートを選びましたが、このあたりは多くの道があり、人それぞれの選択のもとに歩いて下さい。
d.土浦から少し先の霞ヶ浦が左手に見え始めたあたりに予科練記念館があります。時間のある方は訪館し世界の平和をお祈り下さい。
c.江戸崎は、戦国時代までは城下町で多くの神社・寺があります。ルートの近くの瑞祥院には石仏五百羅漢があります。興味のある方はどうぞ。
d.利根川の手前4km程は、干拓による平べったい水田地帯です。水田・水田・水田の直線道を味わって下さい。

・その1(清滝寺~常磐高速道)

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・その2(常磐高速道~土浦)

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・その3(土浦~阿見町)

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・その4(阿見町~江戸崎)

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・その5(江戸崎~新利根川)

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・その6(新利根川~龍正寺)

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   提案ルートの地図(茨城県-6 大御堂~清滝寺)


a.この区間は、県道、国道脇の旧道がメインの道です。
b.大御堂の直ぐ近くにある筑波神社にはぜひお参りを。なお、ご神体は山そのもの(男体山と女体山)で、山麓の神社は拝殿です。
c.大御堂から北条までほぼ真っ直ぐ南に下るつくば道は、江戸時代からの筑波山参詣道で、日本の道100選の一つでもあります。北条の登り口には大きな道標があります。
d.清滝寺の近くには小野小町の墓がありますが、少し迂回するルートになります。なお、小野小町の墓は全国に数多くあるようです。

 

・その1(大御堂~国道125号)

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・その2(国道125号~清滝寺)

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   提案ルートの地図(茨城県-5 楽法寺~大御堂)


a.この区間は、県道をベースに旧道を出入りしながらの道を選びました。
b.この区間には、自転車道のつくばりんりんロートが並行しております。車道歩きを避けたい方はこちらが良いかも。
c.真壁は古い建物が残る味わい深い町です。ルート上に加えることにしました。質の良い御影石の産出で栄えました(迎賓館、三越本店の石材)。現在でも石材、石灯篭を産しており、歩道でこれらが見られると思います。
d.大御堂の手前は、車の騒音を避けての林道コースとしました。四六のガマに会えることを期待して歩いて下さい。
e.その3図において、つくしこ調整池の東側を通り薬王院にお参りして林道に抜ける、古くからの筑波山(男体山)への参拝(登山)道の一部を利用してのルートもあります。OSさん(大阪弁さん、H16)やATさん(arukitabiさん、H19)が歩いておられます。*H22.5追記 マルセさんも歩かれました。

・その1(楽法寺~真壁町) 

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・その2(真壁町~椎尾) 

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・その3(椎尾~大御堂)

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〇H22.5.25追記

 「b」の西明寺からの出だしのショートカットルートについて、H22.5にマルセさんが挑戦されました。道なきところを難行苦行の強行突破で、なんとか通り抜けられたとのこと。「古道探索・調査」以外は「通行不可」扱いが適切な扱いのようです。

 

 

   提案ルートの地図(茨城県-4 西明寺~楽法寺)


a.この区間は、県道をベースに部分的にショーカットのローカルな道を選びました。場所によっては旧道が出入りしていますので、そこは人それぞれの選択のもとに歩いて下さい。
b.西明寺からの出だしのショートカットルート(その1図参照)は、道が無くなってきており通行不可です。H19.10にATさんは引き返しております。当方はH6に道無きところを強行突破でした。
c.岩瀬駅から楽法寺近くには、つくばりんりんロードが並行しています。この道は1987年に廃線になった筑波鉄道の線路跡を再利用したサイクリング道で、車道歩きを避けたい方はこちらが良いかも。

・その1(西明寺~県境)

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・その2(県境~岩瀬駅)

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・その3(岩瀬駅~楽法寺)

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   提案ルートの地図(茨城県-3 観世音寺~西明寺)


a.この区間は、ほとんどの皆さんが同じく歩かれる道です。場所によっては旧道が出入りしていますが、そこは人それぞれの選択のもとに歩いて下さい。
b.日本三大稲荷の一つの笠間稲荷は、観世音寺を出て直ぐのルート上です。本殿は国の重要文化財で豊作・商売繁盛を祈る参拝者が多いようです。時間に余裕があればお参りを。
c.笠間から一駅先の稲田駅の近くに西念寺があります。浄土真宗の別格本山で教祖親鸞が教行信証をこの地で著しました。笠間からは往復9kmほどになり、歩く場合にはルート変更することがベターと考えられます。
d.西明寺の手前では、近道として関東ふれあいの道を歩くことにしました。下図を参考に現地の標識を見落とさないようにして歩いて下さい。なお、吊橋のところは、吊橋直下から上への道を登り吊橋上に出て南方向に進みます。 この道はarukitabiさん(ATさん)がH19に歩かれており、資料提供をしていただきました。

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・その1(観世音寺~仏ノ山峠)

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・その2(仏ノ山峠~西明寺)

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提案ルートの地図(茨城県-2 佐竹寺~観世音寺)


a.この区間は、ほんんどの皆さんが同じく歩かれる道です。場所によっては旧道が出入りしていますが、そこは人それぞれの選択のもとに歩いて下さい。
b.鳥居の前を通ることになる静神社は、延喜式内名神大社として、鹿島神宮につぐ常陸第二の宮です。巡礼の安全をお祈り下さい。

・その1(佐竹寺~静神社)

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・その2(静神社~鹿島神社)

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・その3(鹿島神社~大橋)

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・その4(大橋~観世音寺)

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    提案ルートの地図(茨城県-1 日輪寺~佐竹寺)


a.この区間は、分かり易くて交通アクセスの良い、久慈川に沿った国道118号線をベースに選びました。場所によっては旧道が出入りしておりますので、そこは人それぞれの選択のもとに歩いて下さい。
b.この区間には、江戸期の坂東順礼独案内のルートが並行してあります。山波を一つ東側へ越えた県道33号常陸大田線をメインにしたルートで(中間に国道461号線あり)、下野宮~小生瀬~天下野~中条~常陸大田です。(下図参照) このルートに関しては、カテゴリー「提案ルート外のルート」「天下野経由の佐竹寺」を見て下さい。
c.日輪寺~常陸大子間は、大谷寺~日輪寺間と重複(往復)になります。地図はそちらを見て下さい。
d.本区間には、日本三大名瀑の一つの袋田の瀧と水戸黄門さんの隠居所・西山荘があります。袋田の瀧は本ルートからの寄り道(往復5km)となります。西山荘にはルート取りを工夫し経由していくことにしました。
e.袋田の瀧の近くの月居山には、かっては立派な月居観音がありましたが、幕末の元治甲子の乱で焼失してしまいました。大きな瀧の近くには修験場・観音堂が必ずあります。那智、華厳にもありますね。瀧は天につながる(登る)道だったのでしょうか。現代的には「マイナスイオンがいっぱい」といったところでしょうか。
f.西山荘~佐竹寺間は、地域で指定している歴史の里遊歩道を歩くことにしました。なお、この道はH16年にはるたさん(OSさん)が歩かれており、資料提供のご協力をいただきました。

坂東順礼独案内のルート概要

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西山荘~佐竹寺(歴史の里遊歩道)

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<提案ルート地図>
・その1(日輪寺~門ノ井)、その2(門ノ井~下野宮)、その3(下野宮~常陸大子)は、大谷寺~日輪寺のその8~10を見て下さい。同じルートです。

・その4(常陸大子~上小川駅)

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・その5(上小川駅~下小川駅)

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・その6(下小川駅~山方宿駅)

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・その7(山方宿駅~世喜小学校)

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・その8(世喜小学校~佐竹寺)

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〇H22.11.10 追加 

 八溝山の登山口~日輪寺~頂上のルートについては、現地調査報告「雲巌寺~日輪寺」に詳細を掲載しましたので、参考にして下さい。

 

 

提案ルートの地図(栃木県-2 大谷観音~日輪寺)


a.この区間は、幹線道路をベースに選びました。場所によっては旧道が出入りしていますので、そこは人それぞれの選択のもとに歩いて下さい。
b.大谷寺から出だしの国道293号線の徳次郎までは、ローカルな道を選びました。地図を良く見て歩いて下さい。なお、近道として、高速道路の側道を歩かれた人もおられます。
c.大子町から日輪寺への区間は、次の佐竹寺への道との重複(往復)になります。この区間には、近津(ちかつ)神社が町付、上野宮、下野宮の3村落に鎮座されています。日本武尊が八溝山に住む賊を退治するときに加勢した神とのことで、光圀の保護を受けました。下野宮が本宮のようです。
d.日輪寺の手前の平郷から、右側の腐沢を上る道(県道248号八溝山公園線)がありますが、この道は林道を上部へ延長した新しい道です。*H5年頃には山道でした。
e.八溝山は、平安時代から金の採掘が行われ、遣唐使の資金にもなったようで、戦国時代(佐竹氏時代、佐竹寺は佐竹氏の祈願所でもあった)が最盛期でした。明治時代にも採掘が行われ、蛇穴から少し下った磯神、小田貝あたりでは遊郭もあったほどとのこと。山道で光っているものがあったら金鉱石かも?。茨城県での最高峰で1022m。


 

 ・その1(大谷寺~徳次郎)

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・その2(徳次郎~東北新幹線)

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・その3(東北新幹線~松山)

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・その4(松山~かけ山)

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・その5(かけ山~馬頭)

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・その6(馬頭~境明神峠)

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・その7(境明神峠~上岡三差路)

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・その8(上岡三差路~常陸大子駅~下野宮)

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・その9(下野宮~門ノ井)

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・その10(門ノ井~日輪寺)

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 提案ルートの地図(栃木県-2 中禅寺~大谷寺)


a.中禅寺~文挟間は、満願寺~中禅寺間と重複(往復)になります。地図はそちらを見て下さい。
b.この区間は、ほとんどの方が歩かれる道です。なお、同じ道を歩くのを少しでも避けたい方には、下図に示すような今市~鞍掛峠~大谷寺のルートがあります。宇都宮~今市の裏街道でH4年にMAさんが歩いています。日光街道の杉並木道(歩行専用道)と鞍掛峠の道祖尊を堪能して下さい。トンネルの手前を右への旧道を進みます。

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・その1~その4は、満願寺~中禅寺のその5~8を見て下さい。(往復です);

・その5(文挟~日吉神社)

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・その5(日吉神社~大谷寺)

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   提案ルートの地図(栃木県-1 満願寺~中禅寺)


a.この区間は、坂東順礼独案内と同じルートになります。出流寺~かそう(粕尾?)~粟野~香沼(鹿沼)~文挟~板橋~今市~初石(鉢石?)~中禅寺です。
b.このルートには、日光の神社・仏閣(世界遺産)、華厳の瀧(日本3大名曝)などがあり、時間がいくらあっても足らなくなります。
c.日光杉並木道(旧例幣使街道)の歩行では、江戸時代の気分を十分味わって下さい。例幣使とは、朝廷から毎年日光東照宮(家康の命日)へ幣束を奉納するために参向した勅使のことで、明治維新まで続きました。ルートは京~中仙道~例幣使街道~日光~江戸~東海道~京だったそうです。
d.文挟~中禅寺間は、次の大谷寺への道と重複(往復)になります。日光の神社・仏閣などへの寄り道を往・復のどちらにするかはお任せです。
e.中禅寺手前のいろは坂の歩行にあたっては、車に十分気をつけて下さい。途中に女人堂があります。なお、部分的にショートカットの登山道があるようですが、それについては現地で判断して下さい。
f.満願寺のスタートが奥の院になる場合は、来た時の道との重複(往復)を避けての下図のようなルートもあります。 ATさん(arukitabiさん)からの提供情報、H18.10に歩いておられます。

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・その1(満願寺~粟野)

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・その2(粟野~樅山駅)

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・その3(樅山駅~御成橋)

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・その4(御成橋~文挟)

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・その5(文挟~板橋)

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・その6(板橋~今市)

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・その7(今市~日光)

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・その8(日光~中禅寺)

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   提案ルートの地図(群馬県-2 水澤寺~満願寺)


a.この区間は、坂東順礼独案内に記載されている地名を追いかけての道を選びました。地名を赤文字黄色地で記入しました。水澤~野田~大久保~惣社~前橋~二の宮~大原~丸山~足利~田沼~沓尾(葛生)~出流です。
b.具体的なルート選定における特記事項は次のとおりです。
・群馬総社付近は、古墳群の中の道としました。
・前橋市内は、分かり易い近道としました。細部は人それぞれの選択にお任せします。
・国定付近では、あずま道を歩くこととし、国定の六道の辻を通りながら国定忠治の墓に寄るルートにしました。道が少し細かく変化しますので、地図を良く読みながら歩いて下さい。また、国定の先の大原(大原中交差点、かっての宿場)では、あかがね街道(足尾銅山の銅を馬で運んだ道、真南方向の利根川の平塚河岸へ)をほんの少し歩くことにしました。
・足利の手前では、坂東順礼独案内の丸山に寄ることにしました。古墳群があり東京国立博物館に展示されている国宝の武人埴輪はこの地から発掘されました。
*あずま道はJIさん(爺さん)とATさん(arukitabiさん)の、丸山はOSさん(はるたさん)、JIさん、ATさんのルートを参考にさせていただきました。
・足利には足利学校跡や鍔阿寺(ばんなじ)など寄りたいところが沢山あります。人それぞれの選択にお任せします。
c.起床峠は、登り口に通行止のバリケードが設置されています。H19年 ATさんの情報。脇から通られました。

・その1(水澤寺~関越自動車道)

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・その2(関越自動車道~前橋)

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・その3(前橋~今井町)

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・その4(今井町~国定)

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・その5(国定~大原)

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・その6(大原~丸山)

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・その7(丸山~足利)

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・その8(足利~出流原町)

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・その9(出流原町~葛生)

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・その10(葛生~日鉄鉱業)

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・その11(日鉄鉱業~満願寺)

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提案ルートの地図(群馬県-1 長谷寺~水澤寺)


a.この区間は、短くてほとんどの皆さんが同じく歩かれる道で、道祖神などの多い道です。
b.水沢観音の手前では、次の満願寺へのルートとの重複(往復)を避けての下図ようなルートもあります。
 ATさん(arukitabiさん)からの提供情報、H18.3に歩いておられます。

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・その1(長谷寺~新井)

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・その2(新井~水澤寺)

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・H.21.5.16 追記
  5月4日、慈光寺~小川町駅間(地図のその1)の山道の部分をメインに現地調査を実施しました。
  カテゴリーの「現地調査結果」、「n.慈光寺~小川町」を見てください。
 

 

   

   提案ルートの地図(埼玉県-4 慈光寺~長谷寺)  H20.7.19


a.この区間は、皆さんがほぼ同じく歩かれる道です。場所によっては旧道が出入りしていますが、そこは人それぞれの選択のもとに歩いて下さい。
b.寄居(荒川)~丹生(神流川)の間は、鎌倉街道に出入りしながらの道です。鎌倉街道踏切、広木の一里塚などの名前に注目してお歩き下さい。
c.小川町と寄居において、秩父街道を横断します。江戸から秩父への三街道の内の二つで、前者は川越道、後者は熊谷道と呼ばれました。
d.高崎では、高崎観音に近いルートにしました。(群馬八幡駅前経由です)  なお、群馬八幡駅手前に達磨さんで有名な達磨寺がありますので、時間に余裕があればお参り下さい。
e.慈光寺から小川町までの道は、小川町の推奨ハイキングコースです。麓までの所要時間とよく相談してスタートして下さい。(小川町駅まで約9kmで、TEさんの記録では、13時05分観音堂、14時44分麓の出口橋、16時45分小川町駅でした、奥さんと)
f.この区間(ルート)は、TEさん(H17)の実績を参考にさせていただきました。

 

・その1(慈光寺~小川町)

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・その2(小川町~男衾駅) 

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・その3(男衾駅~用土駅)

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・その4(用土駅~児玉駅)

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・その5(児玉駅~群馬藤岡駅)

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・その6(群馬藤岡駅~高崎)

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・その7(高崎~町屋橋)

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・その8(町屋橋~長谷寺)

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 提案ルートの地図(埼玉県-3 正法寺~慈光寺)


1.この区間は、昔しからの巡礼道で、ほとんどの皆さんが同じく歩かれます。なお、地球観測センターを過ぎたあたりでショートカットされる方もおられますが、そこは人それぞれの選択にお任せします。

2.「地球観測センター」付近において、道選びに頭を悩ます方が多いようですので、少し解説しておきます。
①地点 「地球観測センター」にぶつかったところで、道なりに直進してしまわないこと。「地球観測センター」の案内板どおりに右手に鋭角気味に右折して下さい。
②地点 「地球観測センター」への入り口(左側)がありますが、御用がないなら直進して下さい。
③地点 舗装道から土の道に分岐するところでは、右側の土の道(上り坂)を進んで下さい。車両侵入禁止の看板があるかもしれませんが、歩行者はOKのはずです。
④地点付近 道なりにそのまま(北西方向に)進みます。右側はゴルフ場、左側は廃棄物処理場で倉庫・作業場があります。
⑤地点 車道に出たら、少し左に進むと、右手に山道の続きがありますので、そこを進みます。先に進むと笛吹峠があり、南北に走る鎌倉街道と交差しており案内板、東屋、トイレなどがあります。
*本内容は、岩さん(H19.9)からいただいた情報をベースに作成しました。また、JIさん(爺さん)、ATさん(arukitabiさん)の監修をいただきました。

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3.その1図のA地点は、変則的で、車道へはいったん南方向に下りていく。下りたら車道を少し北方向に(下りてきたのとは逆方向に)進むと、左手に山道の続きが見えるのでそこを進みます。

4.慈光寺は、鎌倉時代には幕府の庇護もあり大いに栄え、75坊の僧坊を持つ関東屈指の大寺院でした。重要文化財が沢山あります。登り道の途中に鎌倉期の青石塔婆が9基あります。明治時代に各坊跡に残されていたいたものを、山門跡に集めたもののようです。一見の価値があります。

 

・その1(正法寺~明覚駅)

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・その2(明覚駅~慈光寺)

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  提案ルートの地図(埼玉県-2 安楽寺~正法寺)


a.この区間はほとんどの皆さんが同じく歩かれる道です。なお、正法寺の手前の高速道路を過ぎてから少しのところからは、少し廻り道になりますが、かっての巡礼道・表参道からのお参りにしました。
b.ルート上の北向地蔵にはぜひお参りをして巡礼の安全をお祈り下さい。叉、時間に余裕があれば吉見百穴、岩室観音にもお寄り下さい。

・その1(安楽寺~東松山橋)

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・その2(東松山橋~正法寺)

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  提案ルートの地図(埼玉県-1 慈恩寺~安楽寺)


a.この区間は、道が縦横に走っていることもあり、区切り歩きでの利用鉄道駅や、宿泊場所などの条件によってルートがいろいろと変わってくると思います。道を上手に使って歩いて下さい。
b.その2地図の中央部に六道という名の交差点、交番があります。少し変則的ですが「六道」です。巡礼の安全を念じながら車に気をつけてお歩き下さい。
c.安楽寺手前に息障院があります。安楽寺とは元は一緒だったようです。時間に余裕があればお参り下さい。

 

・その1(慈恩寺~東北新幹線)

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・その2(東北新幹線~桶川駅)

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・その3(桶川駅~荒井橋)

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・その4(荒井橋~安楽寺)

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提案ルートの地図(東京都-1 浅草寺~慈恩寺)


a.この区間は、坂東順礼独案内のルートをベースにしましたが、春日部経由のところは近道になる岩槻経由にしました。岩槻は城下町、人形で有名です。
b.ルートのほとんどが日光街道で、草加での松並木や草加煎餅の焼ける香り、越谷の古い町並みなどをお楽しみ下さい。
c.慈恩寺の直前に、孫悟空でおなじみの玄奘三蔵の塔があります。時間があるようでしたらお参り下さい。
d.その1図には、花魁(おいらん)で有名な吉原(ルートからほんの少し離れています)を示しておきました。江戸時代に、風紀上の配慮から街から離れた水田地帯に特別地として設けられたようで、現在、名前が残るのは交差点とバス停名のみのようです。歴史・時の流れを感じながらお歩き下さい。小塚原刑場跡の位置も示しておきました。

・その1(浅草寺~千住新橋)

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・その2(千住新橋~谷塚駅)

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・その3(谷塚駅~蒲生駅)

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・その4(蒲生駅~越谷)

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・その5(越谷~岩槻橋)

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・その6(岩槻橋~慈恩寺)

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    提案ルートの地図(神奈川-5 弘明寺~浅草寺)

a.この区間は、ほとんどを旧東海道を歩くことになりますが、具体的には自分の目的に合わせてルートを決めて下さい。例えば、川崎大師、池上本門寺(日蓮が入滅した地)、増上寺(徳川家の菩提寺)、国会、皇居桜田門(桜田門外の変)、東京駅、上野東照宮などに寄るなど。 
b.弘明寺を出たところでは、保土ヶ谷の北向地蔵に寄ることにしました。少し道が変化していますので地図を良く見て歩いて下さい。
c.花の銀座のメイン通りを歩きます。巡礼の心得の一つ「身だしなみ」にはご配慮を。

・その1(弘明寺~青木橋)

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・その2(青木橋~鶴見)

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・その3(鶴見~大森町駅)

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・その4(大森町駅~北品川駅)

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・その5(北品川駅~新橋駅)

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・その6(新橋駅~浅草寺)

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  提案ルートの地図(神奈川県-4 星谷寺~弘明寺)

a.この区間は、星の谷道、弘明寺道、大山道などの古い道をなるべく取り入れるようにしましたが、入り組んでいるところは分かり易い道にしました。なお、巡礼道は厚木基地により寸断されているようです。
b.巡礼坂、巡礼橋、宮沢六道の辻(道標)、不動坂の大山道道標など、かっての巡礼道の面影を残すものがあります。これらを見ながら巡礼を楽しんで下さい。*厚木基地の飛行機の騒音は楽しめませんが、国を守るためですご理解を。
c.不動坂の大山道道標は、下図を参考にぜひ見つけ出して下さい。道路整備などで付近にあったものが集められたと考えられます。ここは旧東海道から大山方面への起点でした。

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・その1(星谷寺~桜ケ丘駅)

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・その2(桜ケ丘駅~東海道線)

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・その3(東海道線~弘明寺)

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 提案ルートの地図(神奈川県-3 光明寺~長谷寺~星谷寺)

a.この区間は、ほとんどの皆さんが同じく歩かれる道です。
b.巡礼峠のお地蔵様には、娘巡礼の悲しい物語があります。よくお祈りしてお通り下さい。この付近は標識が整備されていますので、地図と突合せながら進んで下さい。
c.巡礼峠から長谷寺までは、ここで示したルート(里道ルート)とは別に、関東ふれあいの道である尾根を歩くルートもあります。このルートの内容は「提案ルート外ルートの大山経由の長谷寺」を見て下さい。
d.中津川橋の歩道へ登る階段は、見つけづらいですがアプローチ部の前の方にあります。

1.その1(光明寺~東名高速道)

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2.その2(東名高速道~巡礼峠)

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3.その3(巡礼峠~長谷寺~中津川橋)

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4.その4(中津川橋~星谷寺)

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  提案ルートの地図(神奈川県-2 勝福寺~光明寺)


a.この区間は、下図に示すように二つのルートがあります。
・七国峠ルートは、六本松の跡や七国峠を通るアップダウンのあるローカルなルートです。途中に曽我兄弟の墓、曽我梅林、蜜柑畑などもあり、季節が合えば楽しいハイキング巡礼になります。なお、地図とコンパスはあればより安心と思います。
*六本松の跡(峠)は、かっての鎌倉道、大山道、箱根道が交わる重要な地点でした。芭蕉の句碑があり、この付近一帯はハイキングコースになっています。
・県道63号ルートは、勝福寺に来たときの東海道を戻り、二宮と大磯のほぼ中間に位置する国府新宿から県道63号線を北上する、分かり易いルートです。
b.どちらのルートを選ぶかは、皆さんにお任せですが、同じところを極力歩きたくない方は七国峠ルートになりますね。なお、その2図の上部の平塚富士見カントリークラブとレイクウッドカントリークラブの間の道は公道で通れるそうです。ところで、大阪弁さんはレイクウットカントリークラブの中を歩き始めたのはよいのですが、途中で追い出され、迷走歩きになってしまわれたようです。
*七国峠は甲斐、上総、駿河、伊豆、安房、武蔵、相模の各国が一望できたことから、この名称がつけられたそうです。バス停七国峠から少し先で、現在はゴルフ場が遮っていて、かっての七国は一望することはできません。

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・その1(勝福寺~坂呂橋)

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・その2(坂呂橋~県道71号)

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・その3(県道71号~光明寺)

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  提案ルートの地図(神奈川県-1 鎌倉~勝福寺)


< 鎌倉市内 (杉本寺~岩殿寺~田代寺~長谷寺) >
a.鎌倉と逗子に位置する1番杉本寺~岩殿寺~安養院~長谷寺は、番外としての名所・仏閣の組み入れ方によって、人それぞれの異なるルートになりますので、ここでは寄り道をしないルートにしました。
b.杉本寺~岩殿寺間は、源頼朝と妻政子が岩殿寺へのお参りに歩いたと言われている、
巡礼古道を歩くことにしました。ウォーキングやハイキングコースとしても歩かれ標識もしっかりしていますので、現地対応で歩いて下さい。なお、山道もありますので足元には注意して下さい。取り付き部の詳細は下図のとおりです。

 

kamakura2.jpgd.岩殿寺へは、かっては寺の裏側からの道もありましたが、宅地開発などで消滅してしまいました。したがって、杉本寺側からは大回りになりますが、地図のとおり南側の正門からお参り下さい。
e.名越切通と極楽坂切通を歩くことにしました。鎌倉は山と海で守られた要害の地であったことを味わって下さい。
f.鎌倉の大仏様は、奈良の大仏様と同じく伽藍内におられましたが、室町時代の明応4年(1495年)に大津波が稲瀬川をさかのぼり伽藍を流してしまいました。それ以来、お気の毒に露座でおられます。

 

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<4番長谷寺~勝福寺>
a.この区間は、大きく分けて二つのルートがあります。湘南の海岸沿いのルート(主にサイクリング道)と藤沢に出ての旧東海道のルートです。どちらにするかは皆さんにお任せします。*江ノ島(日本三大弁天様の一つ)に寄ってから藤沢に出るコースも考えられます。なお、東海道のルートは破線で示しておきました。
b.このルートには、大山への巡礼道が入り組んでおります。「大山・・・」と刻んだ道標に会えることもあるて゜しよう。

b.藤沢から旧東海道への区間においては、表示ルートより少し廻り道になりますが、藤沢駅から国道467号線を歩き遊行寺(藤沢駅の北方向)にぜひお参り下さい。同寺は一遍上人のゆかりの地で時宗総本山です。藤沢はこの寺の門前町として栄えてきた町です。

 

・その1(長谷寺~鵜沼橋)

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・その2(鵜沼橋~茅ヶ崎)

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・その3(茅ヶ崎~大磯)

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・その4(大磯~二宮)

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・その5(二宮~勝福寺)

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  坂東巡礼の番外     H19.8   

 

 坂東巡礼には、西国巡礼や四国遍路での納経帳に記されているようなレベルの、番外札所は無いようです。
 人それぞれの番外参拝、名所・旧蹟観光になります。
 ここでは、皆さんの検討基礎資料として、提案ルート上の名所・旧蹟などをピックアップしてみました。
 この内容は、これまでの歩き巡礼者の実績などを参考にしました。

 なお、「坂東順礼独案内図」では、5~6番の間で「大山の大山阿夫利神社(大山不動尊)、22~23番の間で「村松虚空蔵」、28~27番の間で「香取神宮」「樹林寺」「滝野不動」「猿田神社」、32~33番の間で「清澄寺」、33番~30番の間で「鹿野山の神野寺」に寄っています。

 

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 < 番外の番外 > ――― 祈りの場所
   ここを通過する時には、よくよくお祈りを?
 

a.生麦事件の跡
・14番弘明寺と13番浅草寺の間、横浜市鶴見区生麦1丁目、国道15号線と旧東海道の交差点、キリンビール横浜工場の一角にあります。
・社会の授業で習った、幕末の動乱期に起きた外国人殺傷事件を伝える生麦事件の碑です。
・事件の内容は省略します。

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b.鈴ケ森刑場跡
・14番弘明寺と13番浅草寺の間、東京都品川区大井2丁目、京浜急行大森海岸駅から10分、大経寺内です。
・江戸時代の公開処刑場で、人通りの多い東海道沿にありました。
・天和3年(1683)に起こった放火事件の犯人・八百屋お七の火あぶりの刑はここで実施されました。
  

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c.伝馬町牢屋敷跡(処刑場跡)
・14番弘明寺と13番浅草寺の間、東京都日本橋1丁目、地下鉄日比谷線小伝馬町駅の直ぐ傍、大安楽寺内(十思公園)です。*国道6号線南側歩道上にも吉田松陰の碑があります。
・江戸時代の牢屋で、叉処刑場でもありました。死罪(打ち首)の大半は牢内で執行されました。
・安政の大獄では、吉田松陰、橋元佐内、頼三樹三郎ら、五十余人が伝馬町牢送りとなり、そのほとんどが当地で処刑されました。

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d.小塚原刑場跡
・13番浅草寺と12番慈恩寺の間、東京都荒川区南千住2丁目、JR南千住駅の直ぐ傍、回向院内です。
・江戸時代の公開処刑場で、人通りの多い奥州街道沿にありました。吉田松陰、橋元佐内、頼三樹三郎らの多くの志士が葬られています。
・明和8年(1771)には杉田玄白らが刑死者の腑分けを実見し、「ターヘルアナトミア」の信憑性を確認、翻訳書「解体新書」を刊行しています。鼠小僧らもこの地で処刑されました。

    kotukahara.jpg    ( 参考 )
小塚原と鈴ケ森は磔、火焙り、獄門の公開処刑場でした。なぜ小塚原と鈴ケ森が刑場に選ばれたかの理由は、江戸に入る東西の入口で、宿場があり、往来が多く、見せしめ効果が大だったからです。北の入り口になる板橋にもありました。

 

  「北向地蔵」 と 「六道の辻(六本辻)」      H19.8


 坂東巡礼のルート上に「北向地蔵」と「六道の辻(六本辻)」があります。
 これまでの情報をもとに整理してみました。これ以外にもあるようでしたらご連絡下さい。

1.北向地蔵 
ルート上(近く)に4ケ所鎮座されています。巡礼の安全をよくお祈り下さい。

(1)保土ヶ谷の「北向地蔵」
 14番弘明寺から13番浅草寺へ向かって歩きはじめて少しの、JR保土ヶ谷駅の手前の横浜清風高校脇の交差点に鎮座されています。
 地蔵が見守るこの道は「かなざわかまくら道」として古くから多くの人に利用されてきました。
 ここは「かなざわかまくら道」の分岐点であり、地蔵の角柱には「是より左の方かなさわ道」「是より右の方くめう寺道」と刻まれ、金沢方面と弘明寺方面への道しるべにもなっています。
 この地蔵が享保2年(1717)に建立されたいきさつとして、次のような話が伝えられています。
 「この付近で、道に迷った旅の僧が途方に暮れていると、近くの寺の住職が現れて寺に泊めてくれました。住職が言うには「道に迷って困っている僧がいるので救いに行くように」と夢の中で地蔵に告げられたとのことでした。それを知った旅の僧は、地蔵に対する感謝と旅の安全を願う気持ちから、自分の持ち物を寄進して、北(江戸)を向いた地蔵を建立したそうです。
 その後、修繕の時などに地蔵の向きを変えても、いつの間にか北向きに戻っているので「北向地蔵」と呼ばれるようになりました。」
 なお、弘明寺からこの地点までの旧道は、高速道路や宅地開発などでズタズタになってしまっているようです。
*言い伝えは保土ヶ谷市のHPから引用。

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(2)吉見の「北向地蔵」
 11番安楽寺から10番正法寺(吉見百穴)へ向かって1.2km程歩いた交差点に鎮座されています。この交差点には八坂神社の入り口もあります。
 台石左面に「いわむろ山くわんおん道」、右面に「比企くわんおん江」、正面に「よしみくわんおん道」と刻まれ道しるべにもなっています。
 観音霊場めぐりの巡礼者達の信仰を集めてきましたが、この地蔵を信仰すると占いが良く当たるというので、占師の信仰が厚いといわれているそうです。

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(3)三門の北向地蔵     H20.2.8追記
 32番清水寺から東方向(海方向)へ歩きJR三門駅に出たところに鎮座されています。ルートからは150m程離れておりますが、時間に余裕があれば順礼の安全をお祈り下さい。ここから那古寺への道には、交通安全に気を使う箇所が多くありますので。
 このお地蔵さまの「言い伝え」などについては、いすみ市教育委員会社会教育課からいただいた情報では、「関連する資料や言い伝えは確認できなかった」とのことです。
 

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(4) 蒲生の喜多向地蔵 H21.3.30追記
   13番浅草寺から12番慈恩寺へのルートの、蒲生の地蔵院(綾瀬橋から約300m先、左側)の境内にあります。院へ電話で問い合わせたところでは、古くから北向きで、地域での信仰対象であったこと、近年では子授かりのご利益とのことでした。
  本地蔵の存在情報は、巡礼中のマルセさんからいただきました。

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2.「六道の辻」 
 道が2本交差することはごく一般的ですが、3本が同じ場所で交差することは珍しいことです。その希少性と六方向への別れ地点になるからなのでしょうか、仏教的意味を被せて「六道の辻」と呼ばれることがあります。
 「六道」とは地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の世界のこと。つまり、この場所こそ、あの世とこの世をへだてる境界だ、ということのようです。お墓の入り口に「六道」と書いた立て札を見ることがあります。
  魔界に迷いこまないよう、よくお祈りしながらお通り下さい。

(1)宮沢の「六道の辻」
 8番星谷寺~14番弘明寺間のほぼ中間、新幹線を渡る手前で、横浜市瀬谷区南瀬谷2丁目にある日向山小学校の東側です。
 ここを通る道は、古くから「星の谷道」「弘明寺道」と言われていました。
巡礼道は、北西方向から南東方向へ真っ直ぐ進みます。

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(2)高浜の「六本辻の道標」
 9番慈光寺~15番長谷寺(白岩観音)間の15番の近く長野新幹線の手前です。
地元教育委員会の説明板によれば、「六道の辻」ではなく「六本辻の道標」と示されています。
説明板には「平らな自然石に方向を刻んだ踏み石型(磁石型)の道標。六方向を放射状に「志らい王」、「のみち」、「高さき」、「やはた」、「むろ田」「はるな」を示している。大きさは、70cm×80cm、厚さ40cm。文化十酉年が記されている。・・・・ (文化10年(1813年、明治維新の55年前))

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(3)国定の「六道の辻」
 16番水沢寺~17番満願寺間のJR両毛線国定駅から南西方向1100m程のところです。
国定忠治の墓が近くにあり、ルートの取り方によってはルートから少し離れるかもしれません。
この地域は、江戸時代には交通の重要な要所でしたので、幕府直轄の天領となっていました。
 通称あづま道と、足尾銅山と世良田の平塚河岸を結ぶ「かしけど(河岸街道、初期の銅街道の一つ)」の2本と、さらにここを起点とした武蔵国秩父、中瀬へ通じる熊谷道と観音坂を越えて足利、古河方面通ずる2本が新たに発する交通の要衝だったようです。
 建柱時は現在地より6m南の道中央にあったそうです。

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(4)伊奈の「六道の辻」   H19.11追記
  慈恩寺から安楽寺へのルート上の埼玉県北足立郡伊奈町寿2丁目に、六道という名の交差点があります。また、近くには六道という名のバス停や交番もあります。
 現交差点は五道(変則六道)ですが、地図でみるとかっては六道であったことが推察されます。道路整備などで変わってしまったのではないでしょうか。
 ところで、地元の伊奈町役場(歴史遺産管理の方)に問い合わせたところでは、「六道??」でした。叉、石碑なども残っていないとのことです。
 六道の成れの果て?のようですが、六道といえるでしょう。少し移動してしまったと思われる1本に迷いこまないよう気をつけてお通り下さい。

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(5)飯能の「六道の辻」    H20.1.12追記
  8番星谷寺~9番慈光寺間の飯能にあります。 地元の飯能市郷土館から頂いた情報では、六道は地名で小字だそうです。
 庚申塔が建っており、安永6年(1777年、明治維新の81年前)、道標を兼ねており台座には、南 八王子 大山道、北 おごせ 上州みち、西 はんのふ ちゝぶ道、東(判読不能)と刻まれています。
 飯能は今も昔しも秩父への入り口です。江戸期の代表的な三つのルートの一つで、飯能を通る道は吾野通りと呼ばれていました。

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H21.7.22追記 マルセさんが6月に現地を通られ情報と写真をいただきました。
 東の判別不能については、所沢ミち 江戸ミち とのことです。ちヽ婦道、於ごせと彫ってあるそうですが、読むのに楽しくなりますね。

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(6) 清水の「六道の辻」    H20.8.13追記
  提案ルート外の19番大谷寺~20番西明寺間の益子(西明寺)に近い清水という交差点です。六道の名前ではありませんが六交差点です。
 地元の真岡市文化課からいただいた情報では、言い伝えや道標などはないようで、その少し北東には宝きょう院塔や二十三夜塔があるようです。
 

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(7)鎌倉由比ガ浜の「六道の辻」      H21.4.29追記
 ルート上の4番長谷寺の手前、六地蔵という名の交差点です。六道の名前ではありませんが六道の辻といえるでしよう。少し変則的ですが道路整備で変わってしまったのでしよう。
 六地蔵さんがあり、このあたり一帯の地名にもなっています。鎌倉時代にこの地のやや北によつたところに刑場があり、この刑場跡に罪人の霊を弔うために祀ったのが六地蔵のはじまりで、後に人通りの多いこの地に移されたとのこと。

六地蔵と六道、つながっていますね。変則的な道に迷いこまないよう、よくお祈りしてお通り下さい。

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(8)板仏の「六道の辻」  H21.7.22追記   マルセさんが6月に現地を通られ情報と写真をいただきました 
   提案外ルートの星谷寺~慈光寺間で、高麗川駅の800m程先の「板仏」交差点直ぐ左側を通っている旧道にあります。道標はありませんが「四本木の板石塔婆」と呼ばれる鎌倉時代の大きな板碑があります。阿弥陀さまの板碑です。昭和時代に建立されたお地蔵さまもおられます。

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坂東順礼道の現地調査結果(小見川~小南~岩井滝不動~猿田)


  調査目的と調査年月・概要は、「佐原~香取神宮~小見川」と重複しますが、参考文献の関係もあり再掲します。

1.調査目的
   「坂東順禮獨案内図」や十返舎一九の方言修行金草鞋第十編 「坂東順礼」などに記載されている題記のルートを調査した。
 <参考文献と記載地名>
(1)「坂東順禮獨案内図(大黒屋平吉板)」  佐原~香取~津宮~小見川~小南~滝野~猿田
(2)「坂東順礼(十返舎一九)」   佐原~香取~津宮~小見川~小南~滝野~猿田
(3)「復刻古地図  安房・上総・下総三国図(1843年)」
(4)房総の歴史街道(さいとうはるき)2002年
(5)大日本帝国陸地測量部 5万分の1  明治36年測図

 

saharasarugaizu.jpg                                           第1図 概念図 (地図使用承認C昭文社第05E001号)

 

2.調査年月日・概要
・平成17年12月23日晴れ、当初はJR小見川~小南~猿田~JR松岸の予定であったが、行きの電車の中で考えが変わり、手前のJR佐原駅で下車し、JR佐原駅~香取神宮~小見川を追加した。そのため猿田の手前で暗くなってしまい、猿田~JR松岸間は調査出来なかった。
・調査の足は、折りたたみ自転車による。
・使用した地図は、国土地理院の1/25000と1/50000。

3.調査結果(総括)
a.総括
・「復刻古地図安房・上総・下総三国図、大日本帝国陸地測量部5万分の1(明治36年測図)などを参考に、近道を基本にルート取りをしたがこれ以外にもいろいろ考えられる。
・④地点付近は、土地区画整理で大幅に変わっているようである。
・(25)~(26)間は、暗くなり、かつ未舗装であったことから、直線で進むのを止め民家のある迂回ルートをとった。そのため、中間地点にあると言われている道標の調査ができなかった。

 

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                                                   第2図 小見川~下飯田 

                         

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                          第3図 下飯田~青馬

 

  omisaruzu3.jpg                                                       第4図 青馬~岩井滝不動

                               omisaruzu4.jpg                                                            第5図 岩井滝不動~猿田

 

b.現地の状況(第1図~第5図、写真参照)
 ①国道357号線三叉路 青面金剛碑、弁財天堂、地蔵があり。綺麗に清掃されていた。
 ②国道357号線直角曲がり部、東小学校の傍 
  観音堂、墓地あり。碑が多い。ここで休憩した。江戸期のものが多いが損傷が激しい。
 ③忠魂碑 荒れている。時代の流れなのか寂しさを感じて写真をとった。

omigawasaruta1.jpg④道標 文化5年(1808)  右 をミかハ 可とり さはら道、左 いハ井 さるた道
 ⑤地蔵 道標があるとのことであるが発見出来ず。西 志ゆりんじたべ道、左 ささかわ てうし とのこと。
 ⑥道標  此方 ひら山 東の庄 新町 い・・・

omigawasaruta2.jpg ⑦地蔵堂(小屋) 中を覗くだけだった。
 ⑧県道265号から⑨方向への入り口 写真の左側に立派な家(屋敷)があった。
 ⑨平山観音堂(平山青年館) 観音堂は今にも崩れそうで荒れている。昔しは現在の公民館のように使われていたのだろう。使われないと朽ち果てる。
omigawasaruta3.jpg ⑩道標 大正15年10月 伊勢参宮 関西社寺 参拝記念
  西 平山 小見川  此方 八木山
 ⑪三角点 標高53.7m 白い表示柱があったことから写真を撮った。畑の畦にある。 omigawasaruta4.jpg
   ⑫小南 蔵福寺 真言宗
 ⑬小南 八丁堰方面への入り口 ここから急な下り。
 ⑭溜下バス停 八丁堰下の県道265号に出たところ。
 ⑮庚申塔 安永9年 青面金剛 邪鬼 磨耗している。

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 ⑯伊勢屋 三叉路 お地蔵さん
 ⑰仲町 地蔵群 磨耗してきている。かっての村の「はずれ」であったのか。
 ⑱清滝弁財天 清掃が行き届いていた。

omigawasaruta6.jpg ⑲県道73号から岩井滝不動(竜福寺)への入り口 小さな表示板あり。
 ⑳岩井滝不動(竜福寺)への参道。参道といっても何もない。碑がある、寛政○○・・・。
(21)岩井滝不動(竜福寺) 真言宗、竜福寺の森(県天然)に囲まれ静かなところ。
   境内には幾つも滝があり47滝と称されている。渇水期で水の量は少なかった。
   本堂廊下を廻りながらお百度の人がおられ、当方は静かにお参りした。

omigawasaruta7.jpg(22)滝郷学園 
(23)橋本地区編入記念碑 畑作地域が広がる。近くに開墾の地名も残っており開墾地域と考えられる。
(24)僧ケ塚地蔵 町指定文化財 立派なお地蔵さんである。少し暗くなってきており不気味?

omigawasaruta8.jpg(25)倉橋三叉路 道標  右 くらはし道  左 さるた道   暗くてフラッシュ撮影。
  *左のさるた道を行きたかったが、真っ暗やみ、人家なし、僧ケ塚地蔵を見たばかり、未舗装道で草が生えている、ということで断念し、右のくらはし道にした。後日調査することにしよう。??  
(26)倉橋 県道71号線への出口 フラッシュ撮影するも「闇夜のカラス」の写真です。
(27)猿田神社 暗くて入り口を探すのに一苦労。自転車のライトを外して使ったが暗闇の神社は怖い、墓場より。

omigawasaruta9.jpg4.まとめ
・このルートは、「坂東順禮獨案内図(大黒屋平吉板)」や「坂東順礼(十返舎一九)」にもとづくものである。
 細かい道選びは別として、マクロ的なルートとしては間違いないであろう。
・現在の巡礼においては、岩井滝不動と猿田神社にこだわらないとすれば、このルート選びの魅力は少ない。
・交通の便、コンビ二利用の食糧・トイレ確保などから、国道356号線での旧道を拾いながらの歩きが本命であろう。 坂東順禮獨案内図などのルート取りにこだわらないのなら。

坂東順礼道の現地調査結果(佐原~香取神宮~小見川)     H17.12.23


1.調査目的
   「坂東順禮獨案内図」や十返舎一九の方言修行金草鞋第十編 「坂東順礼」などに記載されている題記のルートを調査した。
 <参考文献と記載地名>
(1)「坂東順禮獨案内図(大黒屋平吉板)」  佐原~香取~津宮~小見川~小南~滝野~猿田
(2)「坂東順礼(十返舎一九)」   佐原~香取~津宮~小見川~小南~滝野~猿田
(3)「復刻古地図  安房・上総・下総三国図(1843年)」
(4)房総の歴史街道(さいとうはるき)2002年
(5)大日本帝国陸地測量部 5万分の1  明治36年測図

saharasarugaizu.jpg                                              第1図 概念図 (地図使用承認C昭文社第05E001号)

 

2.調査年月日と概要
・平成17年12月23日晴れ、当初はJR小見川~小南~猿田~JR松岸の調査予定であったが、行きの電車の中で考えが変わり手前のJR佐原駅で下車し、JR佐原駅~香取神宮~小見川を追加した。
そのため、終盤の猿田の手前で暗くなってしまい、猿田~JR松岸間は調査出来なかった。
・JR佐原駅~香取神宮~小見川間は、「香取神宮を経由した内陸ルート」の考えにもとづくもの。
・調査の足は、折りたたみ自転車による。
・調査に使用した地図は、国土地理院の1/25000と1/50000。

 

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                                                  第2図(佐原~東関東自動車道)

 

saharaomizu2.jpg                                                 第3図(東関東自動車道~小見川)

 

3.調査結果(総括)
a.総括
・県道55号線 佐原~小見川工業団地(第3図の⑧地点先)間は、間に東関東自動車道の佐原香取ICがあるせいか、大型車の通行が多く、歩道も少なく歩くには課題が多い。
・道としては、昔の面影も残っているものは少ないような気がした。

b.現地の状況(第2図、第3図、写真参照)
①JR佐原駅 江戸時代中期より利根川の河岸港として栄えた。市内のほぼ中央を流れる小野川沿いには、土蔵造りの商家や千本格子の民家が残る。
②諏訪神社鳥居
③伊能忠敬旧宅内の伊能忠敬銅像  忠敬さんは中年おじさんのあこがれです。
伊能忠敬旧宅前の樋橋 竿漕ぎの遊覧船があった。船頭のおばちゃんは美人?多い。写真??

saharaomigawa1.jpg④香取神宮 剣を目指す人には有名。江戸期の3社巡り(香取、息栖、鹿島)観光のポイント。
 巡礼者もここには寄ったようである。
⑤庚申塔 この他にも地蔵が見られた。

saharaomigawa2.jpg⑥多田稲荷神社 写真?
⑦境界標 従是より西 千葉縣小○○ 小見川であろう。
⑧道標 文化8年(1811)樹林寺観音 樹林寺はここより東南東方向約10km。
 てうし、小見川、成田不動、香取大神宮、さくら、ふる ・・・・他は読めず。

saharaomigawa3.jpg⑨道標 明治28年10月 四面に沢山の道案内表示がある。 
 きよみづ、佐原、香取大神、成田、東京、くは畑、分郷、下こほり、富田、小見川、樹林寺、鹿島大神、さつかハ、てうし、春日大神、伊勢大神、琴平大神
⑩道標2基 年代?
・西 木のうち○ふ留た○○、香取、飯○ 成田 江戸 東 小見川
・奉納 西国三十三所・・・・
⑪佐藤尚中生誕地碑  順天堂大学を設立した。

saharaomigawa4.jpg4.まとめ
・車の通行が多く、歩道の整備も少ないことから、現在の巡礼道としてはあまり勧められない。
・巡礼道としては国道356線が本道であろう。香取神宮にお参りするなら香取神宮から津宮へ出て国道356線を歩くことになる。
  なお、江戸期には、利根川上流の木下(JR木下駅先)から夜船で津宮に着き、そこから歩いて香取神宮にお参りすることが多かったようで、香取神宮~津宮間は参拝、巡礼のメインルートであった。

◎H21.4.13追記  地蔵堂~丹原~大蔵~国道409号線~上総牛久間の追加調査を実施。同じカテゴリーでまとめてあります。

 

                                             H19.4.15 

坂東順礼道の現地調査結果(高蔵寺~笠森寺間の内 地蔵堂~音信山~笠森寺)

1.調査目的
   高蔵寺~笠森寺間において、巡礼古道と言われているルートについて、文献調査と現場調査を行った。その内の地蔵堂~笠森寺間を整理したもの。
なお、本調査は、参考文献(2)~(5)を参考にして実施している。資料提供して下さった高崎芳美氏、安藤道由氏にお礼を申し上げたい。
 <参考文献>
(1)復刻古地図 天保14年(1843)「安房・上総・下総三国図」 人文者
(2)「道しるべでたどる古道~高倉道の場合~」千葉県立博物館文化セミナー千葉講座 高崎芳美 H16.11
(3)「富来田の古道(2)」 (残された古道・道標)  富来田公民館 安藤道由 H15.8
(4) 歴史の道散策 「巡礼街道を歩いてみよう」 Ⅰ~Ⅲ 鎌足公民館他3館共催 H16.1~H17.11
(5)木更津市史資料抄報Ⅱ 富来田地区石造文化財調査 木更津市教育委員会 昭和59年3月
(6)復刻古地図 江戸末期「坂東巡礼独案内図」大国屋平吉板 人文社

 

zizodokasamorigai1.jpg                                               第1図 概念図 (地図使用承認C昭文社大05E001号)
                               
(参考) 音信山(おとづれやま)
最高海抜は189m、土地の人が三重山と呼ぶように1つの山でなく尾根続きの山並である。鎌倉後期の藤原長清編纂の「夫木和歌集」にこの山のホトトギスを歌ったがある「ほととぎす たつねきたれは 今こそは をとくれの かひになくなれ」。現在、尾根には林道が走っており、その道脇には音信山光明寺本院跡の碑が建っている。

2.資料及び現地調査結果における主要情報・課題など 
a.地蔵堂(高倉観音)側から音信山の尾根への登り道は、文献(3)~(5)などによれば、第2図において、①地点から丹原経由の「笠森道」、①地点から③⑤地点方向の「赤道」、②地点からの「幸田道」の3つが示されているものの、どの道を巡礼道として利用していたかは明らかでない。
b.赤道の登りつめた⑤地点に道標(地蔵菩薩、台座に「ま里谷みち、加もみち」)がある。叉、尾根を越えた反対側直下には音信山光明寺跡碑があることなどから、赤道が音信山の尾根越えの道であったことは間違いないであろう。
c.①②地点の道標には、「かも」「おゝたき」「こうた」などの尾根越え先の村落名が刻まれているものの、「かさもり、笠森観音」という文字は見当たらない。したがって、道標から巡礼道を推察していくことは難しい状況にある。
*「こうた、幸田」は、音信山の東側に位置する山口、駒込、久保などの村落(郷)名。
「かも、加茂」は高滝地域付近の村落名。(高滝湖の加茂橋、加茂小学校などの名が残っている)

zizodokasamorizu1.jpg                                                   第2図  地蔵堂~上総久保 

d.音信山の尾根を越えてからの下り道と、下ってからの笠森観音までの巡礼道は明らかでない。叉笠森と刻んだ道標も一つも見つかっていない。
e.⑧地点の道標(山口の旧道で通称ごうど坂、現在は廃道で山の中に位置する、文久2年(1862年))には、「天下泰平五穀成就、是より西江壱丁程行 西たん原道、左ハ市野々 真理谷道、坂下りかも大田喜道、是より北たち花道」と刻まれており、a.で述べた3つの道は、ここにつながっていたことも推察される。さらには、これらの道は尾根道(現在の林道)でもつながっていたことも推察される。
*たち花道 金沢にある橘禅寺への道と推察される。
f.「笠森霊園脇の尾根つたいに巡礼道があった、笠森観音の昔の入り口は現在の反対側(尾根側)であった」という地元の人の話しがある。*現在はハイキングコースになっているようである。
g.参考文献6「坂東巡礼独案内図」には、高倉観音~笠森観音の道は描かれていない。
h.参考文献1「安房・上総・下総三国図」には、高倉観音~真理~真理谷~栢橋(かやはし)~国吉~牛久~国道409号線沿いの村落~笠森観音の道が描かれている。現在の道としては真理谷から栢橋に行き以降は国道409号線を笠森観音に行くことになる。

3.巡礼道の推定(まとめ)
a.音信山の尾根越えの巡礼ルートとしては、第1図に示す鶴舞を経由するAルートと牛久を経由するBルートが考えられる。なお、Aルートは距離的に最短ルートとなる。
b.Aルートは、歩き巡礼における近道理論、⑤地点の道標と光明寺跡碑、⑦地点の道標、「笠森霊園脇の尾根つたいに巡礼道があった」という地元の人の話しなどから、このルートが巡礼道であったと推察されるが、音信山の麓に位置する山口から先(鶴舞付近)において道標が一つも見つかっていないことは大いに気になるところである。
c.Bルートは、鶴舞経由より廻り道で道標も見かっていないが、牛久は宿場、馬継場、養老川を利用した舟運の物資集積地として近郷の交通の要所として栄えたところであり、この地を経由しての巡礼ルートは十分考えられる。
d.A、Bルートのいずれにしても、音信山の尾根から笠森観音間(市原市エリア)は、巡礼道を裏付ける寺名などを刻んだ道標などが見当たらず、確定することが困難な状況にある。なお、別の考えとして、一つのルートだけでなくA、Bを含めた複数のルートを利用していたことも推察される。
e.ところで、これらのルートが現在においても利用出来るかについては、音信山の尾根への上りと下りの古道が荒れており、一般者用としての利用が不可能な状況にあるため、この古道を利用しての尾根越えは断念せざるを得ない状況にある。
すなわち、高倉観音~下郡~真理谷~地蔵堂~音信山の尾根へと進んできた巡礼古道は、音信山の尾根で行く手を阻まれたことになる。
f.せっかくの巡礼古道をどう生かすかは、次の2案が考えられる。筆者としては、地元において牛久道と呼ばれ、叉、「安房・上総・下総三国図」に描かれている道を利用する①案を推奨する。
①案 牛久道利用 ――― 第1図のCルート
 真理谷の宿より北方向に進み四空野を経由して国道409号線の栢橋(かやはし)に出て、国道409号線を牛久経由で笠森観音へ。なお、国道409号線の栢橋~牛久間には、「かさもり、たかくら」と刻まれた道標が見られる。
②案 尾根林道利用
;地蔵堂~(県道169号)~丹原~音信山の尾根林道~山口への下り林道~山口(以降Aルート)も考えられるが、廻り道になることから、山口にある大地蔵に参拝するなどの目的がある以外はあまり奨められない
(参考)
・第2図の⑩地点に像高275cmで日本一の高さの大地蔵(坐像、鎌倉時代の作?)が鎮座されている。もともとは⑤地点の音信山光明寺跡地にあったが、大正時代(?)に現光明寺位置(池和田)に移転する際、あまりにも重いので養老川を渡すことができず、やむをえずこの地に残されたと伝えられている。*西国33番華厳寺の御本尊を思い出させる。
・鶴舞は明治2年に鶴舞藩庁が置かれたことにより栄えた比較的新しい町です。

zizodokasamorizu2.jpg                                              第3図  上総久保~笠森寺

 

4.調査年月日と概要
・平成19年4月15日(日)晴れ 小湊鉄道上総鶴舞駅で下車、折りたたみ自転車を使って調査。
上総鶴舞駅~外部田~金沢(笠森道の最初の部落)~外部田~駒込~山口~山口大地蔵~旧道入り口~林道を上り音信山の尾根林道~赤道を下り~県道168号~市野々~県道168号で下郡駅へ。
・赤道の下りでは、棚田へ出る最後の100m程は道が完全になくなっており、竹薮状態で自転車を運ぶのに大苦戦、これまでの調査にない最難関場所であった。
・音信山の尾根林道へは、自転車を押して登った。ウグイスが沢山鳴いており「鳴き声が上手い、下手だ」と批評しながら楽しんで歩いた。
・音信山の尾根林道では、古道への入り口を探して行ったり来たりした。入り口らしき場所からブッシュを押し分けながら少し入ったりもしたが、赤道以外は確たるものを見つけられなかった。なお、赤道の入り口は偶然その場所に車を停めておられた地元の人の教えていただいたもの。一緒にいた子供の「奥にお地蔵様があるよ」の言葉が決定打に。
・田植えが始まっていた。仕事中の農家の方が手を休めて道などを親切に教えて下さった。感謝、感謝。
・鶴舞付近の写真は、H17年8月の調査結果のもの。

5.現地での聞き取り調査結果など
①地点 赤道と笠森道への入口 道標(馬頭観音)此方たかくら きさらす、此方いちの之道、此方かも おゝたき道。文政9年(1826)、高さ65cm。
jizodokasamori1.jpg②地点 自性院入口 道標(地蔵菩薩) 是よりひがし壱丁行 右ハうしく道一り 左ハこうた道三十丁、是よりにしハたかくら道二里半 たつ巳ハ高滝邨江道一り半。享保6年(1721)、高さ116cm。現在は院の入り口に建っているが、本来は下の道路脇あたりにあったのではと言われている。 
②地点 店のご主人に自性院の場所を教えていただきながら話しをした。「自性院にお参りなら雨戸を開けましょう」とおっしゃったが遠慮してお参りした。「幸田道の上にあるトンネルは落ちており通れない、その上の私の山を通れば良いと思うが確実なところは不明」とのことであった。
①と③の間 棚田への水引きを点検中の農家のご主人に赤道について聞いた。「道は荒れているだろう、このところ全然使っていないから、自転車は大変だっただろう」との慰めの言葉をいただいた。
③地点 赤道の棚田部分からの上りの入口 竹薮状態の悪路を突破し棚田部分に出てから、付近に別の入り口があるのではと調べたが、それらしきものは見当たらなかった。棚田に近い約100mは廃道状態。自転車を運びながらのブッシュ通過には泣きが入るほどの厳しさがあった。

jizodokasamori2.jpg④地点 尾根林道と県道169号との合流Y字路 笠森道の金沢側入り口を探したが見つけられなかった。 
⑤地点 赤道入り口を20m程入った所 道標(地蔵菩薩、台座部) ま里谷みち、加もみち。安永6年(1777)。文献5(S59)では上部仏像が亡失していることになっているが現在はある。
⑤地点 林道を越えた笠森側の直下 音信山光明寺跡碑。真新しい、設置工事中の感じ。
 *お寺があったことは近くに水場があるはず。山越えの旅人の休憩所にもなっていたのであろう。

jizodokasamori3.jpg⑥地点 林道の南側Y字路 このあたりは平坦部で舗装されている。

jizodokasamori4.jpg⑦地点 旧山道と直進山道(これらは行き止まり?)のY字路 この付近は軽自動車が通れる道巾である。 
⑧地点 道標(現在は廃道で山の中)天下泰平五穀成就、是より西江壱丁程行 西たん原道、左ハ市野々 真理谷道、坂下りかも大田喜道、是より北たち花道。文久2年(1862年))
 入念に探したが発見出来なかった残念。西方向に尾根を越え丹原へ行く道があったことになる。
*H19.2.6に地元在住者により実存を確認した報告あり。ブログに写真あり。
⑧と⑨の間の林道登り口地点 林道はここから急な登りになる。

jizodokasamori5.jpg⑨山口村落の端地点 地蔵あり。
山口の村落で農作業中の方と少し話をした。「山道は荒れていて通れない。⑧地点の道標があることは知らない。小学生の時に遠足で山道を通り尾根を越え丹原へ遠足に行った」とのこと。
⑩山口の大地蔵地点 像高275cmの寄木造りの地蔵菩薩像。坐像としては日本一の高さ。
jizodokasamori6.jpg⑪金沢村落地点 農作業中の方と少し話をした。「山道は荒れていて歩きでも通れない。昔は丹原の人が牛久へ買物に行くのにこの道を通った」とのこと。巡礼者の通過について問い合わせたが?であった。
 叉、少し東方向の水田で田植え準備中の農家の方と少し話をした。「山道は荒れていて通れない。巡礼については?」とのこと。
jizodokasamori7.jpg⑫小湊鉄道の踏み切り地点
⑬林祥寺地点
⑬と⑭間の村落地点 農家2件を訪ね巡礼や道標について聞いたが「知らない」とのこと。
⑭国道297号線の入り口地点 鯉見橋の近く。農家1件を訪ね巡礼について聞いたが「知らない」とのこと。第2図の××印した所に「道と橋があったが、木造橋が流されてしまい現在の鯉見橋になった」とのこと。

jizodokasamori8.jpg⑮国道297号線を跨ぐ道路橋地点。左側に昔しの切り通しの崖があった。
⑯鶴舞の町並み地点 県道284号線の郵便局の近く。
⑰西蓮寺地点 ここから奥野へは急な下り道(標高差50m程)
⑱奥野トンネル地点 トンネル上の尾根道への連絡入り口がないか探したが見つからなかった。
jizodokasamori9.jpg⑲笠森観音
○小湊鉄道上総鶴舞駅 駅がボーイスカウトの集合場所となっており、リーダーとしてとして来ていた若者に巡礼道について聞いた。「笠森霊園脇の尾根つたいにハイキングコースがあり歩いたことがある」とのこと。*上総鶴舞駅は大正14年築、「関東の駅百選」の碑がある、とは思えない無人駅であった。

6.あとがき
  このレポートをまとめ終えて振り返ると、音信山からの笠森側(市原市側)がすっきりしない。追加調査が必要と考えられる。
  なお、地元の加茂公民館において「古道を歩く」という地域文化活動も始まっているようで、地元力を期待するなどしてそれなりに進めていくこととする。
  いずれにしても、音信山への上り下りの古道が、ハイキングコースなどとして一般の人でも通れるようになっていくことを期待したい。

 

◎H21.4.8 追記  再現地調査を実施 (その2)を見てください)  

◎H19.9.13 追記  岩さんよりの道路通行情報
 高倉観音~下郡間の変電所への突き当たり地点(第2図の③地点)を通ったが、Bルート側は倒竹が多く入り口が見つからない状態にある。通行は難しい。特に荷物を背負っては。
                                                                                                                  平成19年4月22日
坂東順礼道の現地調査結果(高蔵寺~笠森寺の内 高蔵寺~下郡~地蔵堂(その1))

1.調査目的
高倉観音~笠森観音間において、巡礼古道と言われているルートについて、文献調査と現場調査を行った。その内の高倉観音~地蔵堂間を整理したもの。
なお、本調査は、参考文献(2)~(5)を参考に実施している。資料提供して下さった高崎芳美氏、安藤道由氏にお礼を申し上げたい。
 <参考文献>
(1)復刻古地図 天保14年(1843)「安房・上総・下総三国図」 人文社
(2)「道しるべでたどる古道~高倉道の場合~」千葉県立博物館文化セミナー千葉講座 高崎芳美 H16.11
(3)「富来田の古道(2)」 (残された古道・道標)  富来田公民館 安藤道由 H15.8
(4) 歴史の道散策 「巡礼街道を歩いてみよう」 Ⅰ~Ⅲ 鎌足公民館他3館共催 H16.1~H17.11
(5)木更津市史資料抄報Ⅱ 富来田地区石造文化財調査 木更津市教育委員会 昭和59年3月
(6)復刻古地図 江戸末期「坂東巡礼独案内図」大国屋平吉板 人文社

 

takakurajizogaiyo1.jpg

                                         第1図 概念図(地図使用承認C昭文社第05E001号)

2.調査年月日と概要
・平成18年2月6日(月) 曇り時々雪 JR木更津駅からバスで高倉観音へ、折りたたみ自転車を使って調査。馬来田、音信山経由で上総牛久あたりまで調査する予定であったが、道が荒れていた(廃道に近い)変電所付近での調査に手間取ってしまい、上総牛久までの調査は時間的に無理と判断し馬来田までとした。なお、帰るには少し時間があったことから、前の調査で見落としていた大鳥居付近(約4km先)の道標を調査しながら帰った。
・馬来田~地蔵堂間は、平成19年4月15日(日)の調査結果にもとづく。

3.調査結果(総括)
a.本調査ルートは、本調査結果によるまでもなく、地元(地域)において巡礼古道として認識されていること、叉、道標などから、高倉観音~笠森観音間の巡礼古道として位置づけされる。
b.③~⑤地点間は、変電所のため巡礼道が分断されており、左右どちらかに逃げざるをえない。
・右方向(⑨地点方面、Bルート)は、変電所のフェンス沿いの空間を利用すれば何とか通行は可能であるが、道というものではないことから一般の人には勧められない。
・左方向(川崎方面、Aルート)は、軽自動車が通行可能な道で、こちらを推奨する。写真参照。
c.参考文献6「坂東巡礼独案内図」には、高倉観音~笠森観音の道は描かれていない。
d.参考文献1「安房・上総・下総三国図」には、高倉観音~真理~真理谷~栢橋(かやはし)~国吉~牛久~国道409号線沿いの村落~笠森観音の道が描かれている。なお、高倉観音~真理間の通過村落は描かれていない。

 

takakurajizozu1.jpg                                               第2図  高倉観音~地蔵堂間(その1)

 

takakurajizozu2.jpg                                                 第3図  高倉観音~地蔵堂間(その2)

 

4.現地での聞き取り調査結果など
①地点 道標(六地蔵、振袖地蔵と呼ばれている) 久留りへ二り、此方 かさも里へ五里、たかくらへ五丁。高さ143cm。安永3年(1774)。
*暴漢に襲われ殺害された娘の菩提を弔うため村人達が建立したもの。
takakurajizo1.jpg②地点 道標 東此方かさもり、西此方たかくら道、北此方木更津みち。享保2年(1717)。2本に折損。
③地点 変電所への突き当たりのY分岐地点。左(川崎方向)は軽自動車通行可。右(田川方向)は道が殆どないが、変電所のフェンス沿いに何とか通行は可、緩い下り、一般の人には勧められない。

takakurajizo2.jpg④地点 道標(庚申塔) 左 高くら道、右 かさもり道。高さ63cm。時期不明。

takakurajizo3.jpg⑤地点 道標2基。
a.聖観音 加さも里道、たか具ら道、文化5年(1808)、高さ57cm。
b.光明真言塔 此方かさもり道四り、此方高くら一り、かのふ山三り。文政11年(1828)、H=100cm。
takakurajizo4.jpg⑥地点 妙真寺。道標(地蔵菩薩)、台座部分、東かさもりへ四り、西高くらへ壱里、文化・文政期?

takakurajizo5.jpg

⑦地点 善鐘寺。道標3基。
a.庚申塔 たかくら道、かさもり道。元は小櫃川近くにあったが昭和23年に現在地へ。高さ75cm。
b.六地蔵 西たかくら道、東かさもり道、宝暦6年(1756)、元は小櫃川近くにあった。高さ138cm。
c.地蔵菩薩 此方たかくら道、文化13年(1816)。高さ95cm。

takakurajizo6.jpg

⑧地点 下郡橋。川は小櫃川。
⑨地点 田川地区、薬師堂。

takakurajizo7.jpg⑩地点 久留里線の踏み切り
⑪地点 善雄寺。道標(六地蔵)、これより内十八丁川道、西たかくら一里十八丁、か乃―道、これより十七里きたゑど道、これより三里半ひ加しかさもり道 此内二里○○、これより二里南くるり道。元は久留里街道沿いにあったと考えられている、元禄15年(1702)。高さ96cm。
takakurajizo8.jpg⑫地点 道標(地蔵菩薩)台座部分、東ハかさもり三里、南はたかくら二り、享保9年(1724)。簡易な堂あり。H=155cm。

takakurajizo9.jpg⑬地点 道標2基。(第4図参照)
a.道標(台座のみ) 西ハ高くら道二里、北ハかさもり道四里。
b.道標(観音像) 此方笠森道三里半、従是真如寺道八丁。天保7年(1836)
*真如寺分岐部から移設されたのではと言われている。
*この地点より北方向に進み四空野を経由して国道409号線の栢橋(かやはし)に出て牛久に至る道がある。地元において牛久道と呼ばれ、文献1「安房・上総・下総三国図」にも描かれている。
⑭地点 地蔵堂のY字路 県道168号線から169号線の分岐(丹原、大蔵経由で牛久へ)takakurajizo10.jpg

 

 

douhyou13.jpg                                                     第 4図  ⑬地点の道標位置詳細

 

 

 

 

 

 

 

 坂東順礼道の現地調査結果(高蔵寺~姉ヶ崎の内 小櫃川~姉ヶ崎)     H18.1


1.調査目的
   「坂東順禮獨案内図」や十返舎一九の方言修行金草鞋第十編「坂東順礼」などに記載されている題記のルートを調査した。
<参考文献と記載地名>
(1)「坂東順禮獨案内図(大黒屋平吉板)」  高倉~大曽根~姉崎
(2)「坂東順礼(十返舎一九)」 高倉~大曽根~姉崎
(3)「道しるべでたどる古道~高倉道の場合~」 高崎芳美 千葉県立博物館文化セミナー千葉講座 2004.11
(4)「復刻古地図  安房・上総・下総三国図(1843年)」
(5)房総の歴史街道(さいとうはるき)2002年
(6)大日本帝国陸地測量部 5万分の1 明治36年測図

obituanesakigai.jpg                                            第1図 概要図 (地図使用承認C昭文社第05E001号)

 

2.調査年月日と概要
・平成17年12月9日(金) 晴れ JR久留里線横田駅から折りたたみ自転車で滝の口へ、そこから前回とは逆方向に旧道ルートに再挑戦。入り口探しと悪路に苦労したが、道標に遇うことにもできて旧道の雰囲気を十分味わえた。
 高速道路工事中の箇所からはCルート(笹子)を調べながら大鳥居(小櫃川)へ。
・小櫃川からは大曽根、鎌倉街道、袖ヶ浦浄水場などを経由してJR内房線姉ヶ崎駅までを調査。 
・前回を含めた上総湊~鹿野山~小糸川~高倉観音~小櫃川~鎌倉街道~姉ヶ崎間の旧道をベースとしたルート は、千葉県立中央博物館の高崎氏の発表資料「文化セミナー千葉講座(道標でたどる古道高倉道の場合)2004.11.20」及び同氏から送っていただいた君津市立久留里城址資料館「平成11年度企画展(鹿野山紀行)1999.10 を参考にした直線ルートである。
・なお、このルートは「坂東順禮獨案内図」、十返舎一九の方言修行金草鞋第十七編「こみなと参詣房総往来記」、第十編「坂東順礼」などに記載されているルートであると推察される。

*高蔵寺~小櫃川は別報告による。

obituanesakizu1.jpg                                                第2図 小櫃川~鎌倉街道

 

 

obituanesakizu2.jpg                                                第3図   鎌倉街道~姉ヶ崎

 

3.調査結果(総括)
・⑦地点及び袖ヶ浦浄水場脇部の旧道はバリケートで閉鎖されており通行不可である。これはゴミの不法投棄を防ぐためのようである。千葉県では車の通れるところはゴミの山になってしまうようで、鹿野山付近でも酷い現場があちこちにみられた。
・この小櫃川~鎌倉街道~姉ヶ崎区間は、一般的な巡礼道として取り扱える。
・今回調査した「たかくら道」と同じ姉ヶ崎を起点とする別ルートとしては、第1図に示す「県道24号、33号ルート」が考えられる。このルートはTEさんが歩いている。

4.現地での聞き取り調査結果など
①地点 上望陀 昔の小櫃川渡しの取り付き村。道標が4基あるとのことであるが、地図での場所を間違えていたため発見できなかった。長楽寺、長徳寺ほか。
・郡札 十三番 長楽寺   南 たかくら   北 ちはてら 弘化2年(1845)
・東 ちば・・・、 南 た・・・ 、 西 なかじ。*ちばてら、たかくら、なかじまと推察される。
・東 ちば道七里、 南たかくら道二里、 西 きさらす二里、明和3年(1766) 
・青年団道標  昭和2年(1928)
②地点 道標   東笠森四リ、是より西高くら二リ、北ちば道六リ、宝暦10年(1760) 
③地点 道標があるとのことであるが発見できなかった。
・東 くるり四里、 西 たかくら二里半余、 北 ちば道六里、宝永元年(1704)

obituanesaki1.jpg④地点付近 道標が3基あるとのことであるが2基しか発見できなかった。
・南 たかくら道二リ半、 北 ちばたら道 六リ半、文化8年(1811)
・方 ちば・、 八王寺(*北西方向の野田神社とのこと)
・青年団道標 北 約一町左折し坂道ヲ上リ姉崎町ニ至ル、大正10年(1931)*南と西は省略。
*このあたりには門構えの立派な屋敷が多い、小櫃川がもたらした広い水田の恵みであろう。
⑤地点 蓮華寺入り口 道標?

obituanesaki2.jpg⑥地点 神社東側の墓地  神社から墓地への細い急な登り道あり。墓地内を通過して⑦方向へ。
⑦地点 旧道の入り口はバリケートで閉鎖されていた。ゴミの不法投棄防止か?
⑧地点 鎌倉街道に出たところ  道標3基あり。
・南 たかくら道、 北 ちば道、経年不明
・南 たかくら道、 北 ちば道、経年不明 
・青年団道標 北 ・・・・・ヲ経テ姉ヶ崎駅に至ル二リ、 南 約七町ニシテ大曽根部落に至ル、大正12年(1921)
⑨地点 鎌倉街道の姉ヶ崎方面曲がり角   南 たかくら道、 北 ちば道、経年不明 *高速道路工事で移設されたものか?  道は掘割になっている館山自動車道を「鎌倉道橋」で渡っている。
   この地点から姉ヶ崎間の道は、明治36年の5万分の1地図と同じである。館山自動車道建設で変わっていない。

obituanesaki3.jpg⑩地点 道標があるとのことであるが発見できなかった。
・北 ちはてら道、 南 たかくら道、西 のたみち、文政13年(1830) *外野公民館
⑪地点 道標があるとのことであるが発見できなかった。
・北 ちばみち、 南 たかくら道、経年不明
⑫地点 袖ヶ浦浄水場入り口左、 南 たかくら道、 北 ちばてら道、寛政8年(1796)

obituanesaki4.jpg⑬地点 道標 これより 江戸ミち、 これより たかくら道、安永5年(1776) obituanesaki5.jpg⑭地点 端安寺 道標、お寺の前の通りは房総往還 
・是より ちばてら四里八丁、 たかくら 四里、文政元年(1818)
・右 きさらづ、ぼう志う、  左 たかくら、くる里、天保ニ年(1831)

obituanesaki6.jpg

5.まとめ
a.小櫃川(大鳥居)~鎌倉街道--- 第 2図参照
・ルートとしては、第2図に示すルートで基本的にはOKであるが、⑤地点の墓地を通過する道は分かりづらいので、④地点からのぞみ野住宅地の北側部道路か神社北側の道を選ぶことがベターであろう。
c.鎌倉街道~袖ヶ浦浄水場~姉ヶ崎 --- 第 3図参照
・ルートとしては、第3図に示すルートで基本的にはOKである。
 前述のとおり袖ヶ浦浄水場の旧道は通行止めである。

<参考> 端安寺(ずいあんじ)には、この地にも及んだ戊辰戦争で亡くなった地元鶴牧藩士5名の墓碑がある。

〇H21.4.18追記 追加調査結果(その2)をアップ済みで、そちらも見て下さい。  

 

 坂東順礼道の現地調査結果(高蔵寺~姉ヶ崎の内 高蔵寺~小櫃川)  H18.1.7

1.調査目的
 「坂東順禮獨案内図」や十返舎一九の方言修行金草鞋第十編「坂東順礼」などに記載されている題記のルートを調査した。
<参考文献と記載地名>
(1)「坂東順禮獨案内図(大黒屋平吉板)」  高倉~大曽根~姉崎
(2)「坂東順礼(十返舎一九)」 高倉~大曽根~姉崎
(3)「道しるべでたどる古道~高倉道の場合~」 高崎芳美 千葉県立博物館文化セミナー千葉講座 2004.11
(4)「復刻古地図  安房・上総・下総三国図(1843年)」
(5)房総の歴史街道(さいとうはるき)2002年
(6)大日本帝国陸地測量部 5万分の1 明治36年測図

 

takakuraobitugai.jpg                                        第1図 概要図(地図使用承認C昭文社第05E001号)

 

2.調査年月日と概要
・平成17年11月20日(日) 晴れ JR木更津駅からバスで福岡へ、前回の未調査部分(鹿野山~小糸川のCルート)を調べると共に、前回に写真を撮った糠田の農家の人に写真を届けた。
 その後は、小糸川~高倉観音~小櫃川間の旧道を調べたが、高倉観音から少し進んだ中ヒリキの先において、高速道路の工事中で道が寸断されておりその先への入口を見つけられなかった。
 (日曜日で工事現場はバリケードで閉鎖中侵入は不可)  *第2図参照

 

takakuraobituzu1.jpg                                                    第2図 高倉観音~小櫃川 
 

   そのためゴルフ練習場側(裏側)から迂回して強引に工事現場に入り捜すも見つけられなかった。止むを得ず現場の急な斜面を自転車を肩に下り玉野ルートに逃れ、Bルート(県道33号)を調べながら小櫃川へ。小櫃川付近を調べる間に暗くなってしまい、自転車でJR内房線巌根駅へ(約7km)。
・平成17年12月9日(金) 晴れ JR久留里線横田駅から折りたたみ自転車で滝の口へ、そこから前回とは逆方向に旧道ルートに再挑戦。入り口探しと悪路に苦労したが、道標に遇うことにもできて旧道の雰囲気を十分味わえた。
 高速道路工事中の箇所からはCルート(笹子)を調べながら大鳥居(小櫃川)へ。
・小櫃川からは大曽根、鎌倉街道、袖ヶ浦浄水場などを経由してJR内房線姉ヶ崎駅までを調査。
・前回を含めた上総湊~鹿野山~小糸川~高倉観音~小櫃川~鎌倉街道~姉ヶ崎間の旧道をベースとしたルート は、千葉県立中央博物館の高崎氏の発表資料「文化セミナー千葉講座(道標でたどる古道高倉道の場合)2004.11.20」及び同氏から送っていただいた君津市立久留里城址資料館「平成11年度企画展(鹿野山紀行)1999.10 を参考にした直線ルートである。
 なお、このルートは「坂東順禮獨案内図」、十返舎一九の方言修行金草鞋第十七編「こみなと参詣房総往来記」、第十編「坂東順礼」などに記載されているルートであると推察される。
 注、小櫃川~鎌倉街道~姉ヶ崎間は、別報告としてまとめた。

3.調査結果(総括)
・第2図の②~③間は、旧道の面影が残っている。なお、②地点では旧道は新道を高架で横断しており、入り口は高架の下部にある。
・④~⑤間は、高速道路の工事中であり旧道がなくなっている。完全に道路が寸断されている。
・⑤~⑥~⑦間は、道が荒れており、山歩き的に歩ける人以外には勧められる道ではない。旧道(古道)の面影が残っており、少し手入れがされれば良い道になるのに残念である。
*⑥地点付近では、山仕事のため軽四輪が通れるように整備されていた。樹木でのトンネルのような道。
・以上の状況から、現状では④地点から県道33号線(Bルート)を選ぶことになる。なお、ルート全体としては①地点から県道33号線(BBルート)を選ぶことも考えられる。

4.現地での聞き取り調査結果など
①地点 道標が2基あるとのことであったが発見出来なかった。
・地蔵(新しい)の台座が道標 南ハ高蔵道、左ハ木更津道、右ハ千葉ミち、享保12年(1727) 
・東此方 ちば寺道、南 高蔵六丁、寛政6年(1794) 
②地点 旧道への入り口
③地点 旧道内でのT交差点部 廃屋あり。

takakuraobitu1.jpg④地点 旧道出口 道標があるとのことであったが発見出来なかった。高速道路工事のため移設?
・右 たかくら半道、左 ちは七リ半、経年不明。  
⑤地点 高速道路工事中、バリケード部が旧道の入り口。道標があるはずだが発見出来なかった。
・此方 たかくら道一リ、此方 きさら津二リ、此方 ちば道 七リ、経年不明。


takakuraobitu2.jpg⑥地点 T交差点 道標が2基、地蔵、成田山碑あり。
・南 高くら一リ、かのう山三リ道、西木更津二リ、當慈眼寺道、北ちばてら七リ 文化5年(1808) 
・北 富岡村滝の口ヲ経テ中川村ニ至ル、南 鎌足村方面ニ至ル但シ約一町左折シ吉野田ニ至ル、大正11年。西側に下った所に民家3軒あり、その内の一軒の奥さんに道を聞きながらお話しをした。ここの地蔵、道標などはここの3軒でお守りされているとのこと。感謝・感謝。
 なお、⑥地点から⑤地点へ向かって350m程は道が整備されていた。その終点には軽自動車がありご夫婦で木を伐採をされていた。少し話しをした。定年になり田舎へ戻り自分の山(林)で椎茸栽培用の原木伐採をしているとのことで、この地点まで自分達が道の手入れをしてきたとのことである。⑤地点までの道を親切に教えていただいた。ご夫婦に遇ったこの地点から⑤地点間は篠竹が茂っており、自転車を押しての通過に苦労・苦労だった。
*ご夫妻は当初⑦地点から軽自動車での通行を考えられたが、道が荒れ過ぎていたため⑥地点に変更とのこと。


takakuraobitu3.jpg⑦地点 道標があるとのことであったが発見出来なかった。右 かさも里五里、南 た加くら一里、左 ちば道七里。
墓地あり。この地点での高倉寺方向の入り口(道)は3ケ所あり。右は尾根道で墓地でストップ、真ん中が旧道、左は花ノ木谷部落への舗装道(軽自動車のみ)

takakuraobitu4.jpg⑧地点 県道33号線への出口
⑨地点 花ノ木谷部落 一軒の農家に旧道の入り口を聞いたところお爺さん(95歳?)がおられ、前に千葉県中央博物館の某氏の旧道(たかくら道)調査に同行されたとのこと。家に上がれということで炬燵に入りいろいろお話しを聞いた。旧道は荷車が通り、大鳥居の出口は高速道路と久留里線が交差するあたりであったとのこと。
⑩地点 花ノ木谷部落の奥部で、ため池があり⑥地点へ行く道があるはずであるが、貯水池から20m程で道らしき道は篠竹のブッシュに変わり消滅してしまった。そのため⑦地点へ戻った。
⑪地点 道標。 〇〇道と道の字がかすかに読めることから道標であろう。
⑪地点先  笹子部落、黒豆を脱穀中のご夫婦に道を聞きながらお話しをした。⑪地点の道標を教えていただいた。
⑫地点 道標? 劣化が著しい。
⑬地点  勝蔵院脇 道標2基あり。
・此方 ちば寺ミち七里、此方 高くらみち一里八丁、此方 きさら津ニ里、うしく三里道、
 文政3年(1819)
・下部が埋没している。是より右ハちば・・・、是より左リたか・・・、文明3年(1783)。元は小櫃川渡船場付近にあったとのこと。

takakuraobitu5.jpg⑭地点 福性院 堂の傷みが激しい。境内に古い多くの地蔵、墓石あり。

takakuraobitu6.jpg5.まとめ
・ルートとしては、第2図に示すAルートは高速道路工事でルートが分断されていること、又、道が荒れていることなどから、地図とコンパスで山歩きが出来る程度の人以外には勧められない状況にある。
したがって、現状では、BBルート~Bルート(県道33号線)を選択することになる。
なお、②~④区間は旧道の面影が残っており、この区間を部分的に通ることも選択の一つである。
 *Aルートは古道の雰囲気が多く残されており、少し手入れがされれば良い道になるのに残念である。

     坂東順礼道の現地調査結果 (小糸川~高倉)


1.調査目的
「坂東順禮獨案内図」や十返舎一九の方言修行金草鞋第十編「坂東順礼」などに記載されている題記のルートを調査した。
 <参考文献と記載地名>;
(1)「坂東順禮獨案内図(大黒屋平吉板)」  百首~叶山~高倉
(2)「坂東順礼(十返舎一九)」 百首~叶山~高倉
(3)「復刻古地図  安房・上総・下総三国図(1843年)」
(4)房総の歴史街道(さいとうはるき)2002年
(5)大日本帝国陸地測量部 5万分の1 明治36年測図


koitotakakuragai.jpg                          第1図 概要図 (地図使用承認C昭文社第05E001号)

 

2.調査年月日と概要
・平成17年11月20日(日) 晴れ JR木更津駅からバスで福岡へ、前回の未調査部分(鹿野山~小糸川のCルート)を調べると共に、前回に写真を撮った糠田の農家の人に写真を届けた。---柿を2個いただく。
 *鹿野山~小糸川のCルートの内容は前回報告分に含めてある。
 *Cルートについては「上総湊~鹿野山~小糸川」報告の第2図参照
 その後は、小糸川~高倉観音~小櫃川間の旧道を調べた。
・前回を含めた上総湊~鹿野山~小糸川~高倉観音間の旧道をベースとしたルート は、千葉県立中央博物館の高崎氏の発表資料「文化セミナー千葉講座(道標でたどる古道 高倉道の場合)2004.11.20」及び同氏から送っていただいた君津市立久留里城址資料館「平成11年度企画展(鹿野山紀行)1999.10 を参考にした直線ルートである。
 なお、このルートは「坂東順禮獨案内図」、十返舎一九の方言修行金草鞋第十七編「こみなと参詣房総往来記」、第十編「坂東順礼」などに記載されているルートであると推察される。
・資料整理の関係から、ここでは小糸川~高倉観音間の調査結果をまとめ記載した。

3.調査結果(総括)
・第2図の①地点から⑥地点へは、直行するのが普通であるが、道標があることとAルートの存在を確認するために②、③を経由したルートを調査した。;
・⑦から⑧区間は、かずさアカデミアパークの建設により旧道が失われてしまっているとのことであるが、なるべく旧道らしくかつ近道を選ぶことにした。
・以上の道は車が通れる舗装道路で、歩行の支障になるものは ない。なお、②~③間は旧道の雰囲気が残っている。

koitotakakurazu1.jpg

                         第 2図 (小糸川~高倉観音)

 

4.現地での聞き取り調査結果など
a.小糸川~高倉観音間(第2図参照)
①地点 道標あり。本村ヲ経テ秋元村久留里方面  *細部は読めず 
 近くの農家の奥さんに道を聞く。①~⑥間は昔しからの道であるとのこと。古いことを聞くなら長石地域の農家に聞くと良いのアドバイスをいただいた。長石には卍巡礼堂があり、こちらも巡礼道として利用されていたことが推察される。
②地点 道標あり。 南 鹿野ふ○○方面、北 高倉ぢ方面、西 周西○ 木更津方面、大正10年、大○○青年会。 
③地点 道標あり。 判読不可
④地点 ⑨の登り坂で切り通しになっており崖にお地蔵さんあり、今にも落ちそう。この付近は貝塚なのか崖は貝殻の積層が露出している。


koitotakakura1.jpg⑤地点 道標あり。配水場前。佐貫 富津方面。
⑥地点 道標あり。西 きさら津道、南 叶うのう道、東 ○○○道
⑦地点 道標あり  六地蔵タイプ。判読不可。ゴミ捨てが多い。
⑧地点 地蔵あり。台座などを新しくして花も生けて綺麗である。感激。
 高倉観音 納経時に道について聞いた。高倉観音から先の旧道について、適切なアドバイスをいただいた。

koitotakakura2.jpg5.まとめ
ルートとしては、第2図に示すA、Bのどちらのルートでも良いが、福岡から降りてくる道との近道接続になること、道標が残されていること、さらには旧道の雰囲気が残されていることなどから、Aルートがベターであろう。

 

 ◎H19.9.13 追記   岩さんよりの道路通行情報
 鹿野山~小糸川への下り道(第3図のAルートで鹿野山~荻作間)を通ったが、道が荒れており、一般の人には勧められない。道が沢筋化し段差のあるところが2ケ所程ある。
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                                     H17.11.13
 坂東順礼道の現地調査結果(上総湊~鹿野山~小糸川)


1.調査目的
 「坂東順禮獨案内図」、十返舎一九の第十編「坂東順礼」などに記載されている題記のルートを調査した。
 <参考文献と記載地名>
(1)「坂東順禮獨案内図(大黒屋平吉板)」  百首~叶山~(糠田)~高倉
(2)「坂東順礼(十返舎一九)」   百首~叶山~(糠田)~高倉
(3)「復刻古地図  安房・上総・下総三国図(1843年)」 
(4)「かのふ山紀行」 君津市立久留里城址資料館 平成11年度企画展リーフレット
(5)房総の歴史街道(さいとうはるき) 2002年
(6)国土地理院 5万分の1; 明治36年測図

 

2.調査年月日と概要
 平成17年11月4日(金) 晴れ JR上総湊駅から折りたたみ自転車で調査。
 高倉観音あたりまで行く予定であったが、鹿野山~荻作間の山道で時間を費やし糖田(小糸川)あたりで暗くなってしまい、当日はここで終了とし暗闇の中を自転車でJR君津駅へ(約6km)。

minatokoitogai.jpg                                        第1図 概要図(地図使用承認C昭文社第05E001号)

3.調査結果
a.総括
・スタート地点の上総湊は、湊川河口に位置する薬王院とした。ここから鹿野山間は車道の登りである。このルートは鹿野山への参道(東西南北)の一つの南参道であるが、マザー牧場などの建設により旧道は殆ど無くなってしまったと言われている。
 少しでも旧道近くをと仏母寺に寄るルートを選んだが、マザー牧場の通過とこの通過には入場料を必要とすることからルートとして不適確と判断される。
 *当日は門が開いていたことから、自転車を引いて静かに通過させてもらった。
・鳥居峠への入り口は見過ごしたのか発見できなかった。なお、国民宿舎は廃止され更地とのこと。
・測地観測所に寄ったが、この入り口部に道標があった。又、入り口から10m程は行った処に馬登への旧道の入り口があったが道は荒れている感じである。
・鹿野山~荻作間の旧道は、入り口部は車が通れる程の広さであったが、30m程で狭くなり歩くのが精一杯の登山道に変った。道は荒れ沢筋化しており、自転車は押す、肩に掛ける、ブッシュをかきわけるといった状態で、市販地図では二本線道路になっているが、これは間違いである。*地図会社へ連絡済
  一般の人には勧められないし、手入れがなければ数年で通行は不可能になると想定される。
・荻作~糖田間にも廃道に近い区間がある。
・鹿野山~糖田間の最短ルートとして、このル-ト調査をしたが、一般ルートとして位置づけるには無理があり、第3図に示すB、Cルートを選定することになる。

 

minatokanousan1.JPG                                                                                     第2図 上総湊~鹿野山

  minatokoitozu2.jpg                                                         第3図 鹿野山~小糸川

 

b.現地での聞き取り調査結果など
①地点 薬王寺 海辺にあり。松平定信が植えたと伝えられる銀杏の大木があった。近くに竹岡の標石もあった。
②地点 海良 橋からの突き当たり崖。地蔵があったも思われる切り込みの穴があるも地蔵はなし。
③地点 天羽高校近く 交差点角地。 崖の切り込みに地蔵群あり。道路工事で集められたものと思われる。

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④地点 更和 T字交差点。現在はここが鹿野山の入り口になっているが、天保14年(1843年)安房・上総・下総三国図によれば、台原~横峰が当時の入り口になっている。
⑤地点 福聚院。江戸期には佐貫への主要街道沿いにあり、又鹿野山への入り口であったことから、それなりの村であったと推測されるが面影はない。古い墓石が境内の片隅に埋もれていて「墓石の墓場」の状況にあった。時代の流れ・寂しさを感じさせられた。
⑥地点 ゴミ焼却場入り口

minatokoito2.jpg⑦地点 仏母寺入り口
⑧地点 仏母寺 尼寺で仏様の母マーヤが祭られ、子授けのお守りがある。家畜を供養することを願って建立された供養塔がある。マザー牧場と関係がありそう。
⑨地点 県道163号への分岐交差点
⑩地点 サンライフクラブ鹿野山への入り口。鳥居峠の入り口かも知れないが、関係者以外入場禁止の看板があり引き返した。

 

minatokoito3.jpg⑪地点 測地観測所入り口(春日神社前)  道標あり。入り口から10m程は行った処に馬登への旧道の入り口があったが、道は荒れている感じである。(入り口は軽自動車巾、未舗装)
⑫地点 荻作への旧道入り口  地蔵堂が道の反対側にある。樹木で覆われておりトンネル状態。
⑬地点 神野寺  納経時に道を聞いたところ、馬登からの旧道についてはTV撮影があって案内したとのこと。当方が目的としている萩作への旧道については、道が荒れているから気をけてのアドバイスを受けたがそのとおりであった。

minatokoito4.jpg

⑭地点 この付近に道標があるとのことであったが発見できず。自転車を押して・持っての重労働で、2度ほど両手を突いてのバッタリで手とズボンが泥まみれ。北斜面のため湿っている。
⑮地点 車道(未舗装)に出たところ  句碑あり、芭蕉関連。

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⑯地点 荻作 菅原神社手前  T交差点 近くの農家の奥さんに道を聞いた。100m程先に観音堂あり。 

minatokoito6.jpg 

地点 旧道入り口  道を間違え中島側へ、配水場先でウォーキング中の奥さんに道を聞いたところ旧道入り口まで案内して下さった。感謝・感謝。初めての人がこの入り口を見つけるのは大変である。道は荒れており自転車は押して通過。
 樹木が覆い被さりトンネル状態で暗い。ゴミの散乱もあり。約100mの区間。

⑱地点 旧道出口 出口部の農家の親父さんが草刈中で道を聞く。道探しの主旨を話している間にウォーキング中の近所のご夫婦も加わり30分以上お話しをした。当方が降りてきた道を犬と鹿野山まで登られたことがあるとのこと。
 「背後の道は市道であるが、上部に住宅が出来て土砂が流れ込み急に荒れてきた」とのこと。
 *三人の写真を撮ったことから、後日の調査時に届けた。柿を2個いただいた。
  minatokoito7.jpg⑲地点 この地点での小糸川の渡河は橋がなくて不可。水田地帯で土地区画整備済み。
⑳地点 福岡 台中  鹿野山北参道の入り口。鹿野山参道の大きな石碑あり。桜並木が続いている。
近くの長谷観音堂がありお参りした。堂の近くで農家のおばあさんと話したが、温かい話しが聞けて幸せであった。 *この地点の内容は11月20日の調査結果による。

  minatokoito8.jpg4.まとめ
・上総湊~鹿野山間は、調査した道(車道)を巡礼道にしてもOKである。
・鹿野山~⑮地点間の直線的な旧道は、通行不可(廃道)の取り扱いが適切と判断される。
・荻作~糖田間は、通行不可(廃道に近い)の区間があり、このルートも巡礼道とするのは不適切と判断される。
・以上から、上総湊~鹿野山~糖田間は、旧道(修行道)の歩きは適切でなく、鹿野山へのB、Cルートなどの車道ルートとなる。
<補足>
 地元の皆さんの話しでは、車の通らない道は急速に荒れる・廃道になってきているとのこと。これは地元において生活の一部として山に入らなくなったためとのこと。(山菜、茸、薪炭などを採りに行かなくなった

調査後の追加事項 ---加茂坂の通過について 

〇H20.6.18 *まるせさんからいただいた情報(H20.6.17)

 巡礼で加茂坂を通られ、次のコメントをいただきました。ありがとうございました。

 「峠のところまでは舗装道路で、館山側は未舗装でしたが問題なく歩けました。館山側の途中に家が一軒あり、その下は一部舗装がしてありました。落ち葉が敷き詰められた道を歩くので、天気の良い日でないと、靴は濡れるし、マムシが出てきそう」 


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                            落ち葉の峠道                         一軒屋の近く                 

 

〇H18.9.8 *館山市立博物館からいただいた情報(H18.9.8)
 加茂坂は道を違えなければ通ることは可能です。
 お作りになった地図の加茂越えルートよりも北側のルートで相賀というところへ出る道が旧街道です。峠手前で道がいくつもありますから、地図で地形をしっかり読んで歩かないとルートを間違えやすいところです。
 このルートで館山へ入ってしばらくすると個人の屋敷地へ入ってしまったようになりますが、すりぬけてください。道までは売っていないはずです。家の方がいたら挨拶をして通れば大丈夫です。
 西郷から正木へはまっすぐ向かうのが旧街道です。亀ヶ原へまわるのは地方巡礼で使ったかもしれませんが、亀ヶ原から正木への道は湿地地域でよい道ではありませんでした。
*管理人の補足  西郷から正木へ真っ直ぐ向かう道は、水田の区画整理のため消失しており、新しい農道を選んで歩く必要があります。


kamosakasetumei.JPGsaigoumichi.JPG 

 

坂東順礼道の現地調査結果(和田浦~松田~加茂~広瀬~那古寺)

1.調査目的
 「坂東順禮獨案内図」、十返舎一九の方言修行金草鞋第十七編「こみなと参詣房総往来記」、第十編「坂東順礼」などに記載されている題記のルートを調査した。
<参考文献と記載地名>;
(1)「坂東順禮獨案内図(大黒屋平吉板)」 江見~松田~つも~なご寺 *「つも」は「加茂」と推察されるが不明
(2)「こみなと参詣房総往来記(十返舎一九)」  和田~松田~加茂~広瀬~なご
(3)「坂東順礼(十返舎一九)」   江見~松田~つも~なご寺
(4)「復刻 古地図  安房・上総・下総三国図(1843年)」 松田~加茂~竹原~廣瀬~本織~府中~
 亀ケ原~正木~那古
(5)房総の歴史街道(さいとうはるき)2002年
(6)国土地理院 5万分の1 明治36年測図

2.調査年月日と概要
・平成17年10月7日晴れ後小雨。JR和田浦駅から折りたたみ自転車で調査。那古寺付近ではポツリポツリ。
・国道128号線の和田浦~加茂坂~水玉と、旧道である海発~加茂~竹原~田辺~広瀬~西郷~亀原~那古を調べた。
・旧道の加茂~竹原の峠越部分は、道が荒れており通行不可ということで、この部分の具体的調査は断念した。
・松田と海発では「たのくろ巡礼」のお開帳に遇った。ルート上の4ケ寺にお参りした。温かいお接待をいただいた。

 

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           ルート概要図(地図使用承認C昭文社第05E001号)

 

3.調査結果(図参照)
a.総括;
旧道は、加茂~竹原の峠越部分が通行不可であったが、参考文献、地域の人の話し、及び路傍の道標・地蔵などの存在から、巡礼道(街道)であったことは間違いないと判断された。
なお、通行不可と言われた峠越部分は、マムシの心配がなくなる冬期に現地確認調査をする予定。峠付近には石仏もあるとのことで、古き街道の埋もれゆく石仏の記録を残すためにも。 *参考文献(5)

wadanakozu1.jpg                                                      第1図 (和田から加茂坂)

 

wadanakozu2.jpg                                                     第2図 (加茂坂から亀ケ原)

 

wadanakozu3.jpg                                                      第3図(亀ケ原~那古寺)


b.現地での聞き取り調査結果など
①地点  自性院(海発)  たのくろ巡礼お開帳中で、お手伝いの皆さんに街道について聞いた。海側の道が旧道とのことで、お寺が旧道に面して一段と高い階段上にあり、津波を考慮しての立地ではと想定された。皆さんの巡礼に関するお話しから、この地域は巡礼(百観音、四国)に熱心のようである。
②地点 旧国道T分岐部の橋のたもと地蔵の祠
 *資料(6)(明治36年測図)では、現国道128号線は、このT分岐部を通っている。

③地点 加茂遺跡碑(資料館あり、無人で発掘品が展示されている。このあたりまで海だったようである。

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④地点 賀茂神社の鳥居前 70才代の農家のおばあちゃんが2人お話し中で、割り込んでいろいろ聞いた。「峠越えの道は旧道である。今は通れない。昔しは神輿が峠を越えた、そのために草刈などの道整備をした」とのこと。----峠については、雲行きがおかしいこと、マムシのこともあり具体的調査は断念した。
⑤地点 国道128号線 加茂坂上(切り通しの最上部) 歩道はしっかりしている。
⑥地点 加茂坂上から少し下がったと地点  お地蔵さん

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⑦地点 水玉バス停付近  六地蔵、馬頭観音 供花が綺麗だった。
 なお、①海発から⑦水玉間(峠越えの旧道)は、かつての房総東往還(浜野~茂原~御宿~鴨川~加茂~館山)の一部であり、外房地域の主要街道であった。

⑧地点 薗(その) 国道脇 観音像。この他にもお地蔵さんがあった(痛みがひどい)
⑨地点 田辺 お地蔵さん。T字路角の農家のおばあちゃんに道を問いながら話しを聞いた。
「旧道である。少し竹原側に行くと地蔵さまがある」など。そのとおりお地蔵さまがあった。
⑩広瀬 釈迦寺内 六地蔵さん。休憩がてらに寄った。左側にお墓があり江戸期の墓石が数多くみられた。

wadanako3.jpg⑪地点 台 道標? 傷みが大きい
⑫地点 西郷 お地蔵さん
⑬地点 蔵敷 お地蔵さん。川沿いの道は途中から未舗装(軽四輪は通行可、約200m)になり、終点はお墓の横。
⑭地点  亀ケ原  六地蔵道標。 このT字路は296号線(和田丸山館山線)と旧道が合流するところである。T字路角の農家のおばあちゃん(70歳?)に道を聞きながら、道路の道標について聞いた詳細は不明。旧道であることはご存知で、歩きの巡礼については、「この頃は見ない、皆さん車だから」ということであった。wadanako4.jpg

⑮地点 正木 お地蔵さん。 県道296号線沿いで、立派な生垣にすっぽり入っておられる。

⑯地点 正木 お地蔵さん。 左横の石は道標と思われるが不明。
⑰地点 那古寺 本堂は改修中。納経所で歩きの道について聞くも、資料などはなし。過去に神奈川県の人が江戸時代の古地図を持って巡礼道調査に来られ、地名などを調べ回答したが音沙汰がないと「おかんむり」であった。
「坂東順禮獨案内図」のコピーをお見せしたところ、これとは違っているとのことであった。

wadanako5.jpg4.まとめ
・旧道の加茂~竹原の峠越部分が通行不可であったが、参考文献、地域の人の話し、及び路傍の道標・地蔵などの存在から、巡礼道(街道)であったと判断された。
・通行不可の旧道の加茂~竹原の峠越区間は、現国道128号線に迂回せざるをえない。
・参考文献(4) (第4図参照)によれば、松田~加茂~那古は今回調査したルートになっており、現国道128号線の道はみられない。下三原~館山へは白子~瀬戸(千倉)~(県道188号線)~館山となっている。
・参考文献(6)(国土地理院 5万分の1 明治36年測図)によれば、現国道128号線の道筋はあって 「房総街道」と表示されている。この時代頃には険しい加茂~竹原の峠越を避けて、この道を歩いたことも想定される。;
・和田浦~那古に直線である現県道296号線は、参考文献(6)(国土地理院 5万分の1 明治36年測図)に記載があり、トンネルもある山間の道ではあるが、この時代にはこの道を歩いたことも想定される。
なお、参考文献(4)(「復刻古地図  安房・上総・下総三国図(1843年)」)にはこの道の記載はない。  *TEさんは、この県道296号線を歩いている。

 

wadanakozu4.jpg

                          第4図(復刻古地図 安房・上総・下総三国図 人文社)

・現在の歩き巡礼道としては、人それぞれの判断になるが、直線となる県道296号線ルートは捨てがたい。
*今回の調査では、お地蔵さまへお花のお供えが沢山、綺麗にされていたことが印象に残った。この地域の人びとの心の温かさを感じた。

坂東順礼道の現地調査結果(清水寺~下布施~御宿)     H17.9.23


1.調査年月日と概要
 ・平成17年8月27日(日) 曇り JR三門駅から折りたたみ自転車で調査。Aルートをメインに調査する予定であったが、岬ダムと高谷間が通行不可であったため、B、Cルートも調べた。時間がなく高谷側は一部のみ調査。
 ・平成17年9月18日(日) 晴れ  JR大原駅から自転車で調査。前回に調査出来なかった高谷側と高谷~下布施~御宿間を調査した。なお、時間に余裕があったことから勝浦まで足を伸ばした。

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                                             第1図 概要図(地図使用承認C昭文社第05E001号)


2.調査結果
a.総括
・Aルートは、岬ダムと高谷間が通行不可。岬ダム側と高谷側の入り口を覗いてみたが、岬ダム側は背丈以上の草木で入り口もみつからず。高谷側は入り口は確認できたが20m程で進んで通行不可。
・Bルートは、②地点で農作業中の人に聞いたら、通行不可ということで、具体的調査は断念。
・Cルートは、細尾~下原経由になる迂回ルートであるが、舗装道でしっかりしている。
・佐室~下布施~御宿間は、道標も残っておりルートであることを確認できた。

shimizuonjukuzu1.jpg                                                     第2図 (清水~佐室)


 

shimizuonjukuzu2.jpg                                                         第3図 (佐室~御宿)

 

b.現地での聞き取り調査結果など
①地点 Aルート入り口  地蔵尊の祠あり
②地点  稲の刈り取り中の農家の親父さんにルートについて聞いた。70歳程。
 ・「岬ダムまでは通行可だが、その先は通行不可」とのこと。
 ・岬ダムまでの途中においてトンネルがあった。軽自動車が通れる道幅であるものの途中から未舗装。
③地点  岬ダムから高谷への入り口
 ・背丈以上の草木で入り口も確認できず。
 ・岬ダム護岸の道を通って清水寺側へ戻り、Bルートの入り口部(④地点)へ行く。
④地点  Bルートの入り口部  稲の刈り取り中の農家の親父さんにルートについて聞いた。60歳程。
 ・Bルートは、「山へ入ったところで通行不可」とのこと。
 ・そのため、具体的な現地調査を断念した。
⑤地点  Bルートの大和田側  家の周りを片つけていた親父さん 60才ほど
 ・「Bルートは通行不可。今は山へ入らないから」とのこと。
 ・「昔は直ぐ前に橋があった」とのこと。それらしき形跡があった。
⑥地点  落合川の小箱橋右岸部 地蔵尊が2体。この地蔵尊には道案内に関する表示は無かった。

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⑦地点  長滝地区 農家。庭先の畑でオクラ収穫中のおばあさん2人。
 ・「昔はAルートの山越えで清水寺へ行った。法事を清水寺でした時に通った」とのこと。
 ・巡礼については、ご存知でなかった。
⑧地点 Aルートの高谷側 大練地区 農家の親父さん 80才ほど
 ・「家の横の道が清水寺への道の入り口」とのこと
 ・「今は山に入らないことから(用事がない、落ち葉・柴木も採らない)、道は荒れていて通行できない」とのこと 
 ・巡礼のことはご存知で、直ぐ近くにある石碑について説明あり。「巡礼中に亡くなった人を村の人たちで弔ったもの」とのこと。(碑に村人の記載があつた)
 *霊場阪東三十二番札所鴨根音羽山清水寺旧参道 六十六部佐助之碑 生国三重県度会郡度会町麻加江 昭和六十二年八月建立 高谷地区賛同者
 ・巡礼道を調査したが、20m程で進んで通行不可。道の形跡はあるがブッシュ状態。なお、その地点に墓石(地蔵)があり。薄暗い中でのブッシュを分けてのフラッシュ写真撮影。
shimizuonjuku2.jpg⑨地点 佐室字野田土地改良碑の右横  道標
 ・文政10年(1987)
 ・比の方 なご道    比の方 きよ水   *痛みがひどい
⑩地点  長志下 熊野神社入り口の右側  道標
 ・明和5年(1768)
 ・北 きよ水道   南 なご道
c.沢部から御宿間
 ・県道176号線 夷隅御宿線
 ・沢部~上布施付近間は、土地改良済地域の歩道付の道
 ・上布施~御宿間は坂の多い丘陵道路

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3.まとめ
・「坂東順礼独案内」の地図や十辺舎一九の「坂東巡礼」にも記載されている、清水寺から御宿間の最短ルートである佐室、下布施を経由するルートを調べた。
・残された道標や地元の人の話しから、巡礼道として間違いないと判断された。
・なお、清水寺から高谷(佐室)間の岬ダム経由の昔からの巡礼道は、残念なから廃道状態で通行不可であった。このため、少し回り道をしての細尾経由にせざるを得ない状況にある。
・清水寺~御宿間のルートとしては、以上の下布施経由ルートとは別に、清水寺から海側方向の三門に出て、海沿いの国道128号線を御宿に向かう海側ルートも考えられる。
 この海側ルートは、江戸時代の主要街道の一つである「房総東往還」であったこと、叉現在ではJR外房線が並行して走っていて交通アクセスが便利なこと、さらには宿泊可能な町があることなどから、現代の歩き巡礼道としては本命とも考えられる。

 

坂東巡礼道  茂原~笠森寺~清水寺ルートの現地調査結果   H17.8


1.調査年月日
a.H17.7.3(日) JR長者町駅から清水寺へ折りたたみ自転車で行く。事前に連絡してあった同寺にて情報収集後、Aルートを笠森寺方面へ調査し始めるが、夷隅川の渡し舟地点を調査し終えたところで梅雨明けの雨・雨で、ズブ濡れになりJR岬駅に逃げ帰る。ほとんど調査出来なかった。
b.H17.7.30(土) 茂原~笠森寺~清水寺をAルートに沿って調査。蒸し暑い天候で、芝原宿付近からゴロ・ゴロと雷様のバックミュージック入り。降られはしなかったが清水寺近くの桑田に着いたところで調査を中断してJR岬駅へ。

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                概要図 (地図使用承認C昭文社第05E001号)

2.調査結果
a.総括
・茂原~笠森寺間は、須田の三途川を渡ったところに道祖神の祠があったものの、道標などの特記すべきものはみられなかった。地元での聞き取りでは皆さんが親切であった。
・笠森寺~清水寺間は、長南町中央公民館前の標石と清水寺前の夷隅川の渡し舟地点を知ることが出来た。これらは成果である。
・「坂東順礼独案内」の地図や十辺舎一九の方言修行金草鞋の「坂東順礼」に記載されているものの、現在地が不明の「ししはら(猪原)」について尋ねたが、いずれも「芝原」ではないか、の返事であった。

b.現地での聞き取り調査結果
①地点   409号 米満地域  道路沿いの農家の親父さん。70歳程
・「道標などは見られない。前述の須田の三途川を渡ったところに道祖神がある」とのこと。
 ・茂原~笠森間の南総鉄道についてはご存知で、道路反対側のスーパー(八百屋さん)の土地が停留所であったとのこと。
  *南総鉄道  昭和5年~14年 単線。藻原寺と笠森寺への参拝客を狙ったものといわれているが、バスの運行により廃線。この軌道跡が現在の409号線になっている。なお、鉄道の前段として、明治42年~大正13年にトロッコ人車が運行している。

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②地点  409号 千田地域  西消防署先 旧道沿い民家の主婦(60歳?)と道向かいの若奥さん。
 ・「この旧道は元城下町(庁南城)で、この近くの家には屋号が残っている」とのこと。
  *有名な長福寿寺(東の比叡山)が近くにあり、ここの門前町(通り)であったとも推察される。
 ・「標柱は見ない」とのこと。
 ・四国遍路は知っておられたが、坂東巡礼はご存知でなかった。
 ・南総鉄道に関してはご存知で、「現在の409号を走っていた、家の前は旧道」とのこと。
③地点  長南町中央公民館前 
 ・題目(南無妙法蓮華経)塔 あり。
 ・角柱 安永6年(1777年) 
 ・右 大多喜 ぼう志う道  左 いちのミや きよみづ道

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④地点  報恩寺の正面階段下の墓地、墓地清掃中の親父さん、70歳?
 ・「この近くの旧道は、耕地整理で変わってしまっている。昔しは川の向こうであった」とのこと。
 ・「標柱は見ない。「ししはら」の地名は聞かない、「芝原」では?」とのこと。
 ・報恩寺にお参りし、境内の無縁仏が集められているところを調べたが、標石らしきものはなし。
  蜂の巣が近くにあり、蜂がブンブン攻撃してきて長居はできなかった。
⑤地点  148号 芝原宿交差点 中華料理店の親父さん 60歳?   *昼食で入店 
 ・「標柱は見ない。「ししはら」の地名は聞かない、「芝原」では? 」とのこと。 
 ・「清水寺の近くの夷隅川の渡しは知っている。赤い橋(音羽橋)が出来てなくなった」とのこと。

   ⑥地点 夷隅川に架かる音羽橋の左岸付近  敷地整備工事のおじさん(昼で休憩中) 65歳?
 ・「夷隅川の渡し舟については知っている。橋(音羽橋)が出来てなくなった」とのこと。
 ・「「ししはら」の地名は聞かない、「芝原」はある。」とのこと。
⑦地点  西光寺前(渡し地点近く)の石宮八幡宮傍の農家、 80歳?のおばあちゃんと若奥さん。   
 ・「清水寺への参拝者が家の前を通り、渡し舟に乗った」とのこと。
 ・「「ししはら」の地名は聞かない、「芝原」であろう」とのこと。
 ・四国遍路は知っておられたが、坂東順礼はご存知でなかった?
 ・渡しの場所を案内していただいた。お地蔵が一体おられ、河原へ下りる道の形跡が残っていたが、竹と草でのジャングル状態で侵入は不可。小雨も降っていたし。

mobarashimizu3.jpg⑧清水寺
 ・岬町の役場に巡礼道について問い合わせたところ、「清水寺がご存知である」という回答のもとに、清水寺にアポイントをとっておいて訪問したもの。
 ・「ご存知である」の話しは車道のことで、徒歩の道はご存知でなかった。
 ・調査しているAルートは、「清水寺において皆さんに渡している車道ルートと同じ」とのこと。
 ・「清水寺~御宿のルートを「独案内の絵」を持って調査している人が、前にもあった」とのこと。

3.まとめ
①茂原~笠森寺間(409号)は、大正時代にも人車鉄道が活躍した最短ルートでもあり、笠森寺への参拝、観光のメインルートであったと考えられる。
 なお、明治36年測量地図においても、このルートは車道として存在する。*内房線は運行している。
②笠森~清水寺のAルートは、長南町中央公民館前の題目塔に「いちのミや きよみづ道」の表示があること、「夷隅川の渡し地点近くでのおばぁちゃんの「清水寺の参拝者が多くが渡し舟で渡った」とのお話し、長南~清水寺の最短ルートであること、さらには明治36年測量の地図でもこのルートは車道として存在することなどから(荷車道程度か)、ルートとして間違いないと推察される。
 なお、このルートは、現在の巡礼ルートとしても十分耐えられる最短ルートでもある。
 以上の内容から、本調査Aルートは「坂東順礼独案内」の巡礼ルートとしては間違いないと考えられる。
③ところで、Bルートは遠回りではあるが、笠森寺~大多喜間はかっての房総街道であったこと、又、交通アクセスや宿泊施設の面で便利であることが特記される。
  *大多喜はかっての城下町

 

mobarashimizuzu1.jpg                                            復刻古地図 坂東順礼独案内図(人文社)

房総の街道


1.はじめに
 坂東三十三ケ寺巡礼道検討の第1ステップとして、江戸時代に整備された房総半島の街道の内、同巡礼道に関係のありそうな街道・道をピックアップしてみた。
(参考文献)
 ・房総の街道繁盛記  山本鉱太郎  崙書房出版
 ・房総の歴史街道絵本 さいとうはるき 崙書房出版
 ・千葉の道 千年物語 千葉日報社
 ・千葉県の歴史散歩  千葉県高等学校教育研究会歴史部会 山川出版社
 ・「古街道を往く」   千葉県広報協会
 
2.房総の歴史
  街道について述べる前に、房総の歴史について概説しておく。
・古代、房総の地は、下総、上総、安房の三国に分かれ、それぞれの国府は現在の市川市国府、市川市市原、安房郡三芳村に置かれていた。これら房総三国は、大和朝廷の支配力が及ぶ東端にあり、防人としての兵員、蝦夷地に対する軍事基地への兵量の供給地となっていた。
 この時代における東海道の本道は、東京湾へ注ぐ幾筋もの河川を避け、三浦半島速水から木更津への海上の道であった。
この海上の道に近い木更津地域が上総、遠い(江戸には近い)地域が下総と呼ばれる由縁である。
・平安後期、関東に源氏が勢力を広げると、房総の地は千葉常胤、上総弘常らの支配下に置かれた。彼らは、源頼朝の鎌倉幕府開設に際し、その有力な支持勢力となった。
・鎌倉時代には、日蓮宗がこの地で勢いを得た。開祖日蓮は安房小湊の出身といわれ、房総半島各地に日蓮宗寺院を造営している。出身地には誕生寺があり今日も参拝が絶えない。
・室町、戦国時代には、房総の地も争乱に明け暮れ、その後秀吉の小田原征伐により1590年に千葉氏は滅び、新しい勢力分野に塗り替えられた。
・江戸時代に入ると、幕府は江戸の東の守りとして、佐倉藩をはじめ、関宿、勝山藩など多数の藩に房総半島を細分化し、旗本領も配置した。この時代の特色ある産業としては、牧畜と水産業があげられる。下総の小金と佐倉、安房の嶺岡に幕府の牧場があり、馬の品種改良も行われた。漁業は九十九里浜の地引網で代表されるように、上方から移住してきた漁民によって発展していった。また、この時代には、利根川の治水事業にも力が注がれ、利根川の流れは東京湾から太平洋(銚子)へと変えられた。これとともに水田開発と運河の開削が行われた。湿地であった椿海(総武本線干潟駅の北側付近)の干拓事業は大規模なものであった。幕末には伊能忠敬が出ている。

3.房総半島の道
・江戸時代の房総半島は、大消費地江戸への穀類、魚介類、薪炭、塩などの供給地として、また、東北・北海道から物資輸送(東廻海運)の中継地基地(銚子)として、さらには、江戸庶民の行楽地(坂東各寺詣、香取・鹿島・息栖の三社詣、成田山詣、日蓮の誕生寺詣、銚子の磯めぐり、小湊詣など)として多くの旅人が訪れており、街道、道、道標などが数多く整備された。
・房総半島に高い山はなく、200~300mの山が続く丘陵地帯が多いこともあり、薪炭などの生産のための山道を含めると、道は半島全域にわたり網の目のように広がっている。
 *房総半島の最高峰は円山町の愛宕山。408mは全都道府県の最高峰中最も低い。
・房総の道は、①参勤交代などに使われた江戸への主要街道 ②村々から物資を運ぶために主要街道に接続された生活・商業の道 ③銚子、館山、富津、木更津などの港に接続する道に大別される。
・房総半島の主要街道を整理すると、以下のとおりである。

①銚子街道(利根の流れに沿った道)
・木下~安食~矢口~滑川観音~神崎~佐原~香取~津宮~大倉~小見川~笹川~椎柴~松岸~銚子
・主に、現在の国道356号線の道筋である。
・利根川に沿っており、JR成田線も平行している。
・利根川流域で生産された物資を輸送する主要陸路であり、鹿島、香取、息栖の三社詣や銚子磯遊びをする旅人の道でもあった。
・街道沿いの村々は、物資輸送、遊覧、神仏詣などの利根川河岸として栄えた。
・坂東巡礼としては、28滑川観音と27飯沼観音を結ぶルートである。この街道に沿って観音像を浮き彫りにした石柱が12基立つ。天明3~4年(1784~5)頃に願主眞永が建立した道標で、「飯沼観世音江何里」と刻まれている。
・昭和8年のJR成田線の全線開通により、物資輸送路としての使命を終えた。
*鹿島、香取、息栖の三社詣や銚子磯遊びをする旅人は、江戸から船で行徳に出て、ここから木下河岸まで歩き(木下街道を)、ここから木下茶船(8人乗り)にて利根川を下って目的地へ向かった、夜船が多かったようである。
*木下茶船による飯沼観音詣や銚子磯めぐりにおける上陸地点は松岸で、ここから陸路を銚子へと向かった。

②銚子道(九十九里浜に沿った奥の道)
・銚子~松岸~飯岡~旭~井戸野~八日市場~光~横芝~松尾~成東~波切不動~東金~大網
・主として、現在の国道126号線の道筋である。
・九十九里浜に並行しており、JR総武本線(銚子~東金)と、その先はJR東金線(東金~大網)が並行している。
・鰯の〆粕や干鰯などが八日市場、東金、大網に運ばれた魚の道、物資輸送路であった。
・坂東巡礼としては、27飯沼観音と31笠森寺、29千葉寺を結ぶルートである。
・明治30年の総武本線開通により、物資輸送路としての使命を終えた。
*九十九里浜は、土地の隆起により浜が沖に広がっており、百年に1本の割合で沖側に道路が出来ているようである。成東の浪切不動は波打ち際であった形跡がある。
*「上総の逃げぼう」といって、大網あたりから駆け落ちする者は、この道を銚子へ逃げたとか、魚の臭いだけでなく、色っぽいお話しのあった道でもある。

③九十九里道(九十九里浜に沿った中の道)
・飯岡~旭~八日市場~野栄~横芝~蓮沼~成東~伊能忠敬誕生地~白子~上総一ノ宮
・ほとんどが県道122号線(飯岡~片貝)、123号線(片貝~一宮)の道筋である。
・九十九里浜に並行しており、銚子道の一本海側の道で中道と呼ばれる。また、幕府直轄領を検分する役人が通ったことから、御検見往還とも呼ばれる。
・明治時代に、海岸沿いに新道(県道飯岡一宮線、九十九里ビーナスライン)が造られるまでは、九十九里浜の主要道であった。
・坂東巡礼としては、27飯沼観音と31笠森寺、29千葉寺、30清水寺を結ぶルートである。
・蓮沼において、御成街道の延長といえる直線の御成新道(県道124号、緑海東金線)がつながっている。
・上総一ノ宮は、九十九里浜の最南端であり、JR外房線は明治30年に開通している。

④房総東往還(房総半島外廻り)
・千葉市浜野~土気~大網~茂原~上総一ノ宮~大原~御宿~勝浦~安房小湊~天津~安房鴨川~江見~和田~南三原~九重~館山
・県道66号線(浜野~鎌取)、20号(鎌取~大網)、国道128号線(大網~館山)の道筋である。
・JR外房線(浜野~安房鴨川)、内房線(安房鴨川~館山)が並行している。
・房総往還(東京湾沿いの街道)の東側にあることから房総東往還と呼ばれる。
・九十九里浜の干鰯など外房の生産物を江戸へ運ぶための生活道であった。又、房総小大名の参勤交代の道でもあった。
・外房の断崖絶壁の下を行く道は、現在も隧道の多い道で、当時の旅人には困難な道であったようだか、「松島の岩山に似たり」と日本三景の松島に称される程の絶景の道でもある。十辺舎一句の「こみなと参詣房総往来記(文政10年)」に記述されているように、江戸庶民の参詣(一大観光地)でもあった。
・坂東巡礼としては、27飯沼観音、31笠森寺、33那古寺とを結ぶルートである。
*房総半島には、日蓮宗開祖の日蓮の誕生寺、修行した清澄寺、檀林など日蓮宗関係の寺院が多い。

⑤房総往還(房総半島内廻り)
・市川~八幡~中山~船橋~幕張~千葉~蘇我~浜野~五井~木更津~富津~佐貫~金谷~勝山~岩井 ~館山
・国道14号線(市川~千葉)、16号線(千葉~館山)の道筋である。
・JR総武本線(市川~千葉)、内房線(千葉~館山)が並行している。
・この東京湾沿いの浜通りは、かつては房総諸藩が江戸との往来に利用した公用の道で、また江戸へ諸物資を運ぶ輸送路であった。近世後期には海防関係社の通行及び江戸内湾防衛線として重要な役割を果たしていた。
・曽我、木更津、八幡、保田、金谷、勝山などの幕府指定の港も多く、江戸への物資輸送の港町として賑わった。木更津では五大力船による魚類輸送も多かった。
・上総湊から那古間は断崖絶壁が海に落ち込んでいるところが多く、隧道の多い当時の旅人には困難な道であったようだ。今でも、トンネルは歩いて通るのは遠慮したくなる狭さで、赤色点滅灯は必携である。旧道の隧道は落盤が多く通行は不可能である。
・坂東巡礼としては、33那古観音、30高蔵寺、29千葉寺、13浅草寺などとを結ぶルートである。
*船橋は、成田街道と御成街道の起点宿場で交通の要衝であった。房総各地からはもとより江戸からも旅人や物資が集まり、宿場町、商業町として栄えた。

⑥房総街道(上総丘陵を抜ける道)
・浜野~潤井戸~追分~針ケ谷~刑部~長南~市野々下~大多喜~佐野~松野~勝浦
・この道は房総往還の浜野から内陸部に入り、半島の背骨を南下して大多喜へ。さらに、外房の勝浦に延びている。
・参勤交代の道であり、江戸への道はよく整備されているが、針ケ谷坂、棒坂、小土呂坂などの難所が旅人を苦しめた。
・日蓮上人誕生の地である小湊や外房の磯を訪れる、信仰と観光の道でもあった。
・坂東巡礼としては、31笠森寺の脇を通る道で、29千葉寺、32清水寺などとを結ぶルートである。
*起点の浜野は、九十九里一帯や東上総地方の年貢米などを江戸へ送る湊として栄えた。江戸の小網町と結ぶ船も出て、旅人で賑わった。
*半島の中央部に位置する大多喜は、交通・軍事の要衝の地で、当時は房総最大の大名が配されていた。

⑦鹿野山道(山岳信仰の道)
・木更津桜井~中烏田~中島~福岡~鹿野山~鳥居峠~更和~関尻~大和田~関尻~木の根峠~金束~寺門~坂東~鴨川
・烏田川(桜井~中島)、小糸川(中島~鹿野山)、湊川(更和~木の根峠)、加茂川(木根峠~加茂川)などの流れに沿っている。
・鹿野山は標高353m、清澄山、鋸山と並び房総三山に数えられる。この山頂にあるのが神野寺で山岳信仰の人々を集めていた。十辺舎一九の坂東巡礼、房総道中記においてもここに参詣する道順になっている。参詣ルートは福岡(木更津)方面からの北参道、佐貫方面からの西参道、久留里、西粟倉方面ルートからの東参道、桜井(木更津)からの信仰の道などがある。北参道の起点である木更津には江戸への船便もあり、利用者が多かったようである。
・坂東巡礼としては、上総湊(百首)~更和~鹿野山~30高蔵寺~木更津のルートとして使われたようである。

⑧久留里道(半島中央への道)
・木更津~祇園~清川~横田~馬来田~小櫃~久留里
・国道409号(木更津~馬来田)、国道410号(馬来田~久留里)の道筋である。
・小櫃川の流れとJR久留里線に沿っている。
・久留里は城下町で、沿道で集積された米、薪炭、酒などはこの道を運ばれ、木更津港から五大力船で江戸へ運ばれた。
*五大力船は約20トン、江戸までは風が良ければ3時間ほど、船頭は2人。
*小櫃川には川舟が通い、米などを積み久留里から木更津まで1日で下ったようである。

⑨渓谷への道(房総の険①)
・黄和田畑~筒森~小田代~三又~市川~三叉~小谷松~大多喜
    *小田代~栗又~会所~清澄山      *筒森~御嶽山~麻綿原高原~清澄山
・黄和田畑~小田代~大多喜は国道465号、小田代~栗又~会所は県道178号線の道筋である。筒森~御嶽山~麻綿原高原~清澄山は山道である。
・内陸を結ぶ山の道。養老渓谷の道。房総最大の滝「粟又の滝」が観られる。
・筒森~御嶽山~麻綿原高原~清澄山は、十辺舎一九の房総道中記にも出てくる道。
・清澄山にある清澄寺は、日蓮宗を立宗した日蓮が修行を積んだ寺。境内東側の「旭の森」で「南無妙法連華経」の題目を唱えたという。
清澄山からの眺望は、海に迫る房総の山なみ、眼下に広がる大海原と見渡せ、雄大そのもの。真言宗を立宗した空海も室戸岬で広大な太平洋を視ながら修行したとのこと、「広大な海」が共通するキーワードのようである。
・麻綿原高原と清澄山は、江戸時代も今も名勝観光地である。

⑩渓谷への道(房総の険②)
・久留里~広岡~高水~亀山~折木沢~蔵玉~黄和田畑~清澄温泉~四方木峠~清澄~浪切不動~天津
・国道410号(久留里~広岡)、国道465号(広岡~黄和田畑)、県道81号(黄和田畑~天津)の道筋である
・小櫃川に沿って源流の清澄山へ、そして外房の磯(天津)をめざした道。
・亀山は、古くから山間の物資の集散地で、木材、炭、シキビなどが集まった。物資は小櫃川の流れを利用して江戸へ送られた。この水運は明治時代まで盛んであったが、大正元年、木更津~久留里間に県営の軽便鉄道(今の久留里線)が開通し、しだいに衰えていった。

⑪御成街道(鷹狩の道)
・船橋東照宮~船橋大神宮~津田沼~長作~千城台~八街~滝台~東金~蓮沼
・37kmの直線道路。家康が鷹狩りを名目にこの地方の百姓を総動員し約1ケ月足らずの突貫工事で造らせた道である。軍事目的が狙いであったようだが、九十九里地方の海産物や下総台地の物資を運ぶ輸送路としても使われた。鷹狩りによる通行は計11回が記録されている。蓮沼において九十九里道とつながっており、鷹狩は九十九里道にも及んだようである。
・現在は、四街道付近で自衛隊基地に、八街付近では耕地整理などにより分断されており、直線ではなくなっている。

⑫成田街道(お参りの道)
・行徳河岸~原木~海神~船橋大神宮~前原~大和田~臼井~佐倉~酒々井~伊篠~成田
・成田山新勝寺は江戸時代から庶民の信仰が厚かった。そのため成田に向かって幾つかの道が開けたが、最も賑わったのが行徳から船橋、佐倉を経て成田に至る成田街道であった。江戸の小網町から行徳河岸を経て成田まで約64kmである。
・成田へは、江戸川を遡り関宿で利根川に入り、下って滑川観音の少し手前の新川から成田への行く、船による参拝の道もあったようである。

⑬木下街道
・行徳河岸~市川八幡~中山~船橋法典~馬込沢~鎌ヶ谷~白井~十余一~鹿黒~大森~木下河岸
・古くは木下道、鹿島道、銚子街道といわれ、約36kmである。途中の十余一において千葉ニュータウンにより分断されている。
・銚子からの物資輸送や、香取・鹿島・息栖詣の参拝客、銚子遊びをする旅人に大いに利用され、俳人松尾芭蕉も歩いて「鹿島詣」を著している。
・中山には、日蓮宗五大山の一つである中山法華経寺がある。日蓮直筆の「立正安国論」が保存されている。

⑭鮮魚街道
・布佐~発作~浦部~白井~藤ケ谷~六実~五香~八柱~松戸
・生ものや塩干物を多く運んだことから鮮魚街道といわれた。利根川の布佐河岸と江戸川沿いの松戸の納屋河岸を結ぶ街道で、距離は約30kmである。納屋河岸からは船に積んで江戸日本橋の魚市場へ運ばれた。
・藤ケ谷の陸上自衛隊下総航空基地により分断されている。
・銚子を夕方に出た鮮舟(船子3人)は、夜間に二十里余りの利根川を溯り未明に布佐に着いた。ここで荷を駄馬に積み替え陸路を松戸の納屋河岸へ。夕方には再び船に積み替え、翌朝、江戸日本橋の魚市に間に合った。計35時間程であった。
  こうした輸送は秋から翌春にかけてのもので、夏場の渇水期には生簀仕立ての活舟で銚子から関宿を経て日本橋に魚を運んだこともあった。活船には猪牙船が使われた。この船は舳先が尖った小型の船でなかなか早かったようで、江戸の深川ではよく吉原通いに使われたようである。

注、各街道を現在の国道や県道の番号などで説明していますが、街道(旧道)は現道を出入りしていることが多いことから、実ルートの決定にあたっては前述の参考文献などを参考にされたい。

 

kaidootodokuannai1.jpg                            第1図 房総の街道と独案内のルート
                     *図をクリックすると拡大します。(移行後も)

          方言修行金草鞋十七編 
           「こみなと参詣房総往来記」  房総往来道順略記

 当時の旅では、どのような道(街道)を用いていたかを知る参考資料として整理してみました。

・著者 十辺舎一九  文政10年(1827年(明治維新の41年前) )


<緒言>
 行徳とり始め、浜街道を経て、小湊にいたり、それより、清澄豆原初日の峰、笠森に参詣し、浜野に出る道を記す。
  鹿野山、鋸山、保田羅漢、那古観音等は濱街道のうちなり。其他名所古跡もらさず委くす。
  舟路は登戸、寒川、木更津船百首、天神山よりの海上。相州浦がに至る。・・・・・

 

kominatomoto1.jpg                第1図 文中の図面

 

                                             kominato1.jpg                                             第2図  現在地への置換え
                                凡例   赤線 道中記ルート、緑線 図面の記載ルート
 

   

 

  記述の内、坂東巡礼の千葉寺、高蔵寺、那古寺、清水寺、笠森寺に関するルート情報を抜粋すると以下のとおりです。

1.奈良和・木更津の項
 木更津より25丁ゆきて大田(*真舟村)なり、このところより高倉、やながせ(*矢那?)のかたへゆく道あり。

2.鹿生山・佐貫の項
 鹿野山は大田より3里。・・・・鹿野山より佐貫へ3里あり。

3.市部・那古の項
 勝山より新湊をすぎて、市部(*岩井村)の宿、それより木の根峠をうちこし、那古村にいたる。此のところ飴の名物、観音門前に飴やおほし。那古寺は千手観音、坂東順礼第三十三番目の札所なり。

4.大滝の項
 大多喜は御城下なり。これより清水観音へ3里。これは坂東三十一番の札所なり。(*三十二番の間違いです)

5.長南の項
 長南より東浜、一宮(*一宮町、JR上総一ノ宮)へゆく道あり。叉、銚子街道、千町(*JR茂原駅の北東方向の東郷)、大網、東金のかたへゆく道あり。ここより江戸道は、長柄山へ出て、潤井戸へゆけども、これより笠森へ参詣し、茂原、鷲の巣と、まはるなれば、長柄山のかたへはゆかず。

6.笠もりの項
 笠森観音、坂東三十一番の札所なり。此所より長柄山へ二里、江戸へかへる道順なれども、これより長南にかへり、茂原鷲の巣へまはるゆへ、一里後へ戻る。

7.茂原の項
 笠森より長南へもどり、長南より法華谷(*長南町坂本。日蓮宗法華寺。日向上人の墓あり)。それより高師(*JR茂原駅の北側)へでる。此高師より本納へ一里、埴谷へ三里ゆく道あり。叉、千町(*茂原市東郷)、大網のかたへもゆく道あり。茂原へは一里。・・・・・茂原は、・・・・・これより鷲の巣へ近し。

 

kominatokasamori.jpg

                      第 3図 笠森観音付近の経路図

         江戸期の滑川観音~飯沼観音間の雑学
 まえがき
 滑川観音~飯沼観音を結ぶ銚子街道は、江戸期には利根川沿いの幾つもの河岸を結びながら、物資の輸送、観光、巡礼道として大いににぎわいました。
 下記文献において、巡礼に関連すると思われる事項を、雑学としてピックアップしてみました。
 調査の結果、江戸期の滑川観音から飯沼観音間の巡礼ルートとしては、銚子街道(現在の国道356線)を使った「陸ルート」と利根川を使った「舟ルート」の二つのルートがあったことが分かりました。

<参考文献>
・「利根川図志」 著者 赤松宗旦  津本信博訳 株式会社教育社発行
・房総の歴史街道絵本 さいとうはるき 崙書房出版
・房総の街道繁盛記 山本鉱太郎 崙書房出版
・古街道を往く 千葉県企画部広報県民課 千葉県広報協会
・千葉の道千年物語 千葉日報 千葉県広報協会
・「富士見十三州輿地全図の内、安房・上総・下総三国図、天保14年(復刻版、人文社)

<参考事項> 利根川と船運について
 利根川は、承応3年(1654年、明治維新の214年前)までは埼玉県東部を南進して東京湾に流れ落ちていました。香取あたりは「香取の海」と呼ばれる沼沢地で、その先は常陸川といわれていました。江戸幕府はその流れを、60年余の難工事の末に変えました。これで利根川は江戸川と結ばれ、江戸への物資輸送の大動脈となりました。また、軍事的には江戸を守る北の外堀としても機能しました。両河川の接続部には関宿があり、関所が設けられていました。
 明治になると外輪蒸気船が登場しました。明治23年には、利根運河(常磐自動車道が利根川を横断するところ~東武東上線運河駅先~江戸川の越谷ゴルフ場先)が開削され、航路が23km短縮し、東京~銚子間の行程が1日になり
ました。最盛期には1日100隻以上の船が通航しました。*利根運河は、昭和16年の洪水で通航不能です。

<参考事項> 利根川沿いの鉄道(JR成田線)について
 利根川沿いの銚子街道と利根川の水運が転機を向かえるのは、鉄道の開通です。明治30年~31年にかけて佐倉~成田~佐原間、昭和6年に佐原~笹川間、昭和8年に笹川~松岸間が開通しました。この鉄道開通により利根川の水運と同時に陸路も一挙にさびれていきました。
 なお、JR総武線(九十九里浜沿いの鉄道)の銚子までの延長は、明治30年で、銚子と九十九里浜沿いで採れる海産物の輸送を一手に引き受けることになりました。これにより、九十九里浜道とこれとつながる東京湾方面への道もさびれていきました。

*「利根川図志」は、埼玉県立埼玉図書館のデジタルライブラリーに掲載があり、インターネットで見ることができます。
 
1.「利根川図志」における巡礼に関する事項
 「利根川図志」 著者 赤松宗旦、安政5年(1858年、明治維新の10年前)初版、利根川流域の歴史・風俗・動植物などについて紹介する民族地誌です。

tonegawazue.JPG                               出展 埼玉県立埼玉図書館デジタルライブラリー 

 

民族学の父柳田国男にも大きな影響を与えたといわれます。
 使われている流域の地図(第1図参照)は、「富士見十三州輿地全図の内、安房・上総・下総三国図、天保14年(1843年、明治維新の25年前)(復刻版、人文社)と一致しており、10年前に出版されたこの地図をベースにしていると考えられます。
 坂東巡礼の滑川観音から飯沼観音間に関連すると考えられる記載事項をピックアップすると次のとおり。 なお、(*)のところは筆者の補足追記事項です。

 

  tonegawa1.jpg                                     第1図 「利根川図志」  滑川~香取  村落と街道

 

 

  tonegawa2.jpg                                         第2図 「利根川図志」  香取~富川  村落と街道

 

 

  tonegawa3.jpg                                                  第3図 「利根川図志」  富川~銚子 村落と街道

 

a.大杉大明神
 *神が仮の坊主になり源義経公を助けた旨の縁起の趣意がのべられている。9月27日が祭り日。江戸期の巡礼記録において立ち寄っている例があることからピックアップした。
b.滑川観世音
 滑川村にある。滑川山竜正院という。坂東巡礼28番の霊場である。
本尊は十一面観世音、脇立ちは不動明王、毘沙門天である。
 「佐倉風土記」には次のようにある。承知7年(840年)定朝が彫ったという十一面観世音を安置してあり、長は一丈二尺である。竜正院と呼んだ。小田将治は、一寸二分の観音と地蔵像を、小田川の朝日が淵よりあげて、本尊の腹に収めた。はじめ将治は化女が自ら朝日と称して、粉河寺より来たのだという。また八十歳ばかりの老僧が衣をあんで水にひたしいたことを、感応して、後に二像を得たという。
 朝日が淵 本堂から一丁ばかり西の田圃の中にある。昔しはここが常陸と下総の境で、小田川の流れであったのではないだろうか。現在ではその淵瀬は変わりはて、草地となり、大きなしだれ柳が、六、七本あって、その下に碑がある。
c.夕顔観世音
 五郷村の樹林寺にある。霊験あらたかな観世音である。門の外に高い石坂があり、この石坂を逆さに向かって這いおりるときは、子供の病を除くこと ができるという。年来の願いによって、参詣する人は皆逆さに這いおりるのである。この寺はもと寿林寺と書いたのであろうか。・・・・
 *樹林寺は内陸ルートの近くにあり、道標もあることからピックアップした。
d.岩井不動
 岩井村にある。仁王門、本堂、鐘楼堂などがおごそかである。山の上から清水が落ちる滝口が数か所ある。四十八滝あるという。堂の後ろの方に大滝がある。・・・・・・・・・
 *坂東巡礼独案内図に入っている。
e.猿田大権現
 猿田村にある。
*坂東巡礼独案内図に入っている。
f.松岸
 銚子に往き来する旅人は、この河岸からあがる。歓楽街があって大変繁昌している地である。・・・・
 *舟による巡礼者の飯沼観音側の上陸地点。色町もあったようである。
g.飯沼観世音
 飯沼山円福寺は十一観世音(坂東二十七番)仁王門鐘楼(石垣)、本堂の額、円通殿(書は得水)、二重塔龍蔵権現(銅瓦)、石の華表がある。常芝居は今宮の芝町にある。・・・・
h.犬吠が崎
  海上砥(荒砥)がここから出るので、一名石切の浜ともいう。このところに胎内くぐりという岩窟があって浪うち際へ通りぬけ、岩山へはいのぼるたいへん危険なところである。・・・・・・
i.外川の浜
  ここは、昔、家が千軒あった漁場であつたが、今から八十年前に津波で家を流され、なくなってしまったが、今また家数が多くできて、大漁場となっている。・・・・・・・
j.椿の海
 今の干潟八万石というのがこれである。「香取志」に次のようにある。
 神宮から隔てること六里ほど、香取、匝瑳、海上の三郡の交わるところに接している。周囲十里あまり、この湖水は今は消滅して、田圃になっている。古老が伝えていうには、太古にはこのところはたいへん大きな椿の木があり、高さは数百丈、枝葉は三里に広がりわたり、花が咲くときは天は真紅に染まり、花が散る時は、錦を敷いたのではと疑うほどすばらしい。大神はいつもこの世に現れる。やがてこの椿の木も寿命がつきて、根ごと倒れてしまった。その根の跡が湖となった。だからこれを椿の海という。・・・・・・・

 

2.三社詣と銚子磯めぐり
  江戸期には銚子は一大観光地で、香取神宮、鹿島神宮、息栖神社をお参りする「三社詣」と、飯沼観音を中心に銚子の海岸部を一周する「磯めぐり」は大ブームでした。
  この三社詣と磯めぐりの道筋は、坂東巡礼の滑川観音~飯沼観音の巡礼ルートと重複するのことから、「利根川図志」に記載されている地図などを参考に整理してみました。
  なお、このルートは、陸を歩く「陸ルート」に対して、河を使っての「舟ルート」と言えるのではないでしょうか。


  isoasobi.JPG                    第4図 「利根川図志」  銚子浜磯巡りの図

 

a.三社詣と銚子磯めぐりの旅程概略
・3泊4日程度(船中で2泊?)
江戸小網町~(夜船)~行徳河岸~(木下街道を歩き、約38km)~木下河岸~(夜船、木下茶船)~津宮河岸(香取神宮)~(船)~松岸河岸~(歩き、約4km)~飯沼観音~(歩き)~銚子磯めぐり(歩き、約15km)~息栖神社~(歩き、約8km)~鹿島神宮~(船)~潮来~(夜船)~木下河岸~(船)~行徳河岸~(木下街道を歩き)~江戸小網町
*江戸小網町を早朝に出立し、その日の内に木下河岸に着く健脚者もいたようです。
・磯めぐりのルート 第4図参照   「利根川図志」から抜粋(一部追記)
b.参考事項
・木下茶船  全長7m程の屋形船、定員8名、5名集まれば出船、船中を寝食の場としました。延宝6年(1678)頃から営業し夜出て夜戻ることが多かった。  
・木下河岸  滑川観音より約15km上流で、木下茶船で栄えた。正徳年間(1711~)には20艘も。
・「アシカジマ」には、アシカがいたようで、「利根川図志」ではアシカについて詳しく解説しています。
・俳人芭蕉は、門人河合曾良と宗波とともに貞享4年(1687年)に鹿島詣をしています。深川の芭蕉苑~(舟)~行徳~(木下街道を歩き)~布佐~(夜舟)~鹿島です。

H19.10.3 追記   犬吠崎の「胎内めぐり」;に関して
 (銚子市教育委員会生涯学習課文化班より頂いた情報)
 現在「胎内めぐり」を実施した場所は、まだ残っております。しかし、岩盤崩落の危険性があるため、現在、立入禁止となり、そばに近寄れない状態となっております。

H21.10 追記 「胎内めぐり」について
 H21.10、旅行で訪れた際に覗いてきました。柵があり立入禁止でしたが脇から入られたことからこっそりと。なぜか人が沢山いました。トンネル形状の穴(胎内)は残っていましたが、侵食(崩れ)が多い状況でした。過去には灯台下の波打ち際に遊歩道があったようですが、完全に侵食され残骸がところどころに。天気がよく波が穏やかだったことから、石飛びして一周してきましたが、危険ですので止めましょう。砥石に使えそうな石を1個拾ってきましたが、使えました。写真がなくてみません。

 


3.願主眞永が建立した銚子街道の道標
 銚子街道(現国道356号)の滑川観音から飯沼観音間には、願主眞永が天明3~4年(1784~5、明治維新の84年前)頃に建立した道標が、12基建っています。
 この道標には全て「飯沼観世音江何里」と飯沼観音までの里程が示されています。
 このことは、この時代には利根川に沿った巡礼道が存在し、大いに使われていたことを示しています。
 この詳細は、カテゴリー、文献調査結果、d.銚子街道の道標 を見て下さい。

 〇H19.12.29  マルセさんからのアドバイス
  つりとのは、いハとみ(岩富)の誤字ではないか。

<書庫整理係のコメント>
 岩富は、千葉からの距離3里半がほぼ一致していることと、富士見13州輿地全図の内安房・上総・下総三国図(天保14年、人文社)において、このルート上の村落(千葉~吉岡~馬渡~岩富~埴谷~古和~猿尾) の一つとして描かれており、想定されるところです。これまでのお悩み解消ということになります。


〇坂東順礼独案内(江戸両国 大黒屋平吉板)の
   27番いい沼~29番千葉寺間ダイレクトルートの現在地図への置換え  
 H19.5.20

1.まえがき
 第1図に示す坂東順礼独案内(江戸両国 大黒屋平吉板)の27番飯沼観音~29番千葉寺間のダイレクトルートについて、文献調査結果などをまとめたものです。

 

dokuchoshichibazu1.jpg

第1図 坂東巡礼独案内図(江戸両国 大国屋平吉板)

いい沼から千葉寺(抜粋、人文社) 

 

2.調査結果
a.玉さき
 現在の旭市飯岡
旧郷社玉崎神社(祭神玉依姫命)、門前町、銚子街道宿場の一つ
b.わしと
 現在の旭市網戸(あじと)
銚子街道宿場の一つ、猿田方面(海産物輸送)と飯岡方面(旅人道)への分岐点
椿の海の沿岸、葦草が多かった。弘願寺(現在廃寺)の門前町
c.よこしば
 現在の横芝
 多古への街道の分岐点。
d.はんや
 現在の山武市埴谷(はにや、地元では訛って「はんや」と言う)
アララギ派歌人蕨真(わらびしん)の生地、しだれ桜の長光寺の門前町
e.つりとの
 次の説があるが不明。
・千葉市中央区鶴沢町鶴ヶ沢では?
・四街道市吉岡に「きたどの」の小字名があるが? 「北殿→つりとの」と変化。 
*国道51号線と県道66号線の接続地点付近

3.説明
・調査にあたっては、旭市図書館と千葉博物館のご協力を得ました。
・不明の「つりとの」については、前述のとおり2つの説がありますが、距離的に「はんや」と千葉寺の中間地点(3里半)ということから考えると千葉寺側過ぎることになります。
・独案内の図ではルート全体が下総側に位置しているが、今回の調査結果では上総の八日市と成東間の横芝(銚子街道に位置する)から分岐し下総に入っており、疑問の残るところである。
・第3図に示すAルートは、「つりとの」が不明の中での本命ルートと想定しました。これは、富士見十三週輿地全図の内安房・上総・下総三国図(天保14年 1843年(明治維新の25年前))において、このルートが明示されていることによります。
同図では、猿尾(松尾))~植谷~岩富~馬渡~吉岡~千葉で示されているが、馬渡~吉岡~千葉間は佐倉街道(千葉~佐倉)でもある。なお、馬渡は現在の国道51号線と県道22号線の接続地点である坂戸と同じ地点に位置します。
・坂戸の接続地点付近には、道標などが11基近くあるようで、昔から街道の接続地点であったようである。
延亨5年(1748)に設置されたものには、右 成戸(成東?) 八日市 いいぬま道、左 成田 なめ川 かしま道 と記されており、この時代に既に街道であったことを示している。
・「つりとの」が確定出来ない中での別ルートとしては、植谷からのB1、B2ルートによるルートも考えられる。なお、このルートのJR日向駅~千葉寺間は、OSさんが歩いておられます。
 この他にも、Aルートの坂江からB2ルートへ合流するルートなどいろいろ考えられるところです。
・「つりとの」は、平安時代の寝殿造りにおける泉殿、渡殿、釣殿の釣殿(つりどの→つりとの)からの名前ではないかとも推察されますが、推察の範中です。
・TEさんがこのルート全体(飯沼観音~千葉寺)を歩いておられます。TEさんの見識の深さに脱帽です。

 

choshichibazu1.jpg第2図 現在の地図への置換え(銚子~横芝)
          地図使用承認C昭文社第05E001号

 


choshichibazu2.jpg第3図 現在の地図への置換え(横芝~千葉寺)
地図使用承認C昭文社第05E001号

江戸時代の巡礼記録(書籍・地図)

 書籍などから入手出来た江戸時代の巡礼記録において、札所順やルート選定の参考になると思われるものを紹介します。なお、詳細を知りたい方は出典の内容を見て下さい。

 

1.江戸時代(金草鞋)
・方言修行金草鞋第十篇(坂東順礼)  著者 十辺舎一九
・文政元年出版(西暦1817年、明治維新の51年前)
・札所間の道順(通過する村)は、「坂東順礼独案内図」(江戸両国大黒屋平吉板)とほぼ一致しています。
・江戸浅草寺を発願寺に右廻りの環状一筆画。
 詳細は、カテゴリーの6.文献調査結果にまとめてあります。
 (出典)(故)柴田顕成氏の現代語への翻訳資料(私家本)。奥様に資料提供していただきました。
 

 

kanewarajigenzai1.jpg 

 

2.江戸時代(独案内)
・復刻古地図「坂東順礼独案内図(江戸両国大黒屋平吉板) 出版社 人文社
・江戸末期。この時代のガイド地図。
・札所の参拝順と経過地域名、地域間の距離が記載されています。
・メインルート以外のルートも記載されています。
 下図は、27番飯沼観音~29番千葉寺間を抜粋したものです。
・札所間の道順(通過する村)は、方言修行金草鞋第十篇(坂東順礼)著者十辺舎一九とほぼ一致しています。

 詳細は、カテゴリの「6.文献調査結果 h.坂東順礼独案内図」にまとめてあります。*H23.2.17 追記

 

dokuannaigaiyozu1.jpg 

 

3.江戸時代(観音霊場記) -----H20.4.13追記
a.坂東三十三所観音霊場記 全10巻  著者 沙門亮盛
  明和8年出版(西暦1771年、明治維新の97年前)

kannonreijou.JPG                          出展 埼玉県立図書館デジタルライブラリー

 

b.この「坂東三十三所観音霊場記」は、西国札所についての多量な出版に比べ、数少ない坂東札所関係の資料の中でも正確にして豊かな内容で、貴重な資料といわれています。
 なお、この書は各寺院毎の由縁、縁起などの記述が主であって、巡礼道・行程に関する事項ほとんどみられませんが、ピックアップすると以下の3点です。
 ①第1巻 1番杉本寺の項において、「・・・・ 余に那古の浜八溝の嶺などは。一箇所の霊場を拝するに。数日の間難所を往返するも ・・・・・」
 ②第6巻 17番満願寺の項において、「我が故郷を出立より。遠くこの地に巡り来れども。まだ十七番目なれば。笈摺を解納るの那古までは。遥の路程を経るならんと。山河の難所に疲労して。行先を思ひ歎息する意なるべし」
 ③第8巻 24番雨引山の項において、「二十三番佐白より二十番の益子へ出る。必ず仏の山という所を過ぎる。円形の山相並びて。その中間往来の路なり。路の西の方は下野分。東の方は常陸の国なり。東なる山は雨引の方なれば。ひたちなる仏の山と云。路次の難所を除いて。十七番 十九番 十八番 二十一番 二十二番 二十三番 二十番 二十四番と巡るなり。佐白より仏の山へ三里。仏の山より益子へ三里。益子より雨引寺へ五里。」
c.以上の内容から分かることは、①と②では坂東巡礼の路程の厳しさを、③では路次の難所を避けるための17番から24番間の札所順を、叉、二十三番佐白より二十番の益子への道筋として仏の山峠を通ることを述べていることです。
d.③で述べている札所順は下図のとおりで、これは、坂東巡礼独案内図や十辺舎一九の方言修行金草鞋第十篇(坂東順礼)と同じ札所順です。
e.ところで、この霊場記の出版年は西暦1771年で、十辺舎一九の金草鞋の坂東順礼の出版年の西暦1817年より46年前のことで、この時代より下図の札所順が一般的であったことが推察されます。

<参考> 著者 沙門亮盛について
・ 亮盛(りょうせい)は、二郷半領幸坊村(現埼玉県三郷市)出身、江戸時代中期・後期の真言宗豊山派僧侶で、
大和長谷寺にも登学しています。
・宝暦9年から明和8年まで山口(所沢市)の金乗院に住み、本霊場記はこの間に著しました。
・金乗院は、武蔵野三十三観音霊場の一つで13番 山口観音とも称されています。住所は所沢市上山口 野球でおなじみの西武ドームの前です。
・坂東三十三所観音霊場記は、初版の名和本とその後に再版された寛政本(5冊)がありますが、寛政本と思われるものが埼玉県立図書館のデジタルライブラリーにあり、インターネットで見られます。

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 江戸時代の巡礼記録(紀行文)


 書籍などから入手出来た江戸時代の巡礼記録において、札所順やルート選定の参考になると思われるものを紹介します。なお、詳細を知りたい方は出典の内容を見て下さい。 

1.江戸時代(ENさん)
・文政10年(1827年、明治維新の41年前) 全行程110日。
・長野より榛名神社経由で15番長谷寺へ。坂東と秩父巡礼後に高崎、軽井沢、善光寺を経由し戻り。
・八溝山へは黒羽~橋場~大子経由(雲巌寺経由でない)。 八溝山~22番佐竹寺へは天下野経由。
・成田山、香取神宮、鹿島神宮、息栖神社を参拝。
・26番清滝寺~神崎橋は古渡橋(大杉神社)経由。 30番高蔵寺へは鹿野山経由。
・12番慈恩寺へは市川橋、金町(新宿)、越谷経由。 6番長谷寺へは大山経由。
・10番正法寺は橋本、八王子、入間経由。
(出典)
 九代五郎次坂東・秩父の足跡を訪ねて「60日間徒歩の旅」 T氏
 

 

ensan1.jpg 

 

2.江戸時代(EMさん) 
・文化14年(1817年、明治維新の51年前)11月11日~翌年2月27日。全行程110日。
・良助、はる、市之右エ門の3名。
・信濃の白馬より松本、甲府経由で5番勝福寺へ。坂東と秩父巡礼後に榛名神社、妙義神社、善光寺を経由し戻り。
・大山、日向薬師、江ノ島、鶴岡八幡宮、上野の寛永寺、鋸山の日本禅寺、竜禅寺(廃寺)、成東不動、香取、鹿島、息栖、成田山、大杉神社、天性寺(烏山駅近く)、岩船地蔵(JR岩舟駅近く)に参拝。
*鹿野山には寄らず。
・天性寺、岩船地蔵、大杉神社への参拝は注目されるところ。
・八溝山~天性寺間のルート詳細は不明。
・17番満願寺~12番慈恩寺間のルートは注目される。
*天性寺 JR烏山駅の近く。烏山は小川町から約10Km南方向でかっての城下町。
(出典)
「白馬の歩み」 白馬村誌 第3巻(社会環境編下巻) P424

 

emsan1.jpg


 

 現代の巡礼記録(その2)

1.ATさん
・H21.10.24 浅草寺にて満願されました。おめでとうございます。
・平成17年~4年半、延べ50日。二人、東京からの日帰りを基本とした区切り。
・平面図と縦断図の掲載があり資料として非常に貴重です。特に縦断図はユニークな存在です。
・「坂東順礼独案内図」に準じた札所回り順番。各国分寺跡に寄っておられます。
・発願寺は13番浅草寺、叉、ここにお礼参りする環状一筆歩きの考え。
・8番星谷寺から12番慈恩寺、及び29番千葉寺~13番浅草寺は、他に記録がみられないことから非常に貴重な資料です。
・土木技術者としての経験を生かして、江戸期の街道を丹念に選んでおられます。
・18番中禅寺へは半月峠越え。 八溝山へは黒羽経由。
・21番日輪寺~22番佐竹寺は天下野経由(久慈川沿いではない)。
・水戸経由。千葉県への利根川越えは、長豊橋とし同じところの歩行を避けておられます。
・鹿野山経由。高蔵寺~笠森寺間は下郡経由。
・矢切の渡し、柴又帝釈天経由。
・銚子街道の眞永の道標探し・資料整理では、8里道標の発見など大変お世話になりました。ありがとうございました。

 *下地図は、ATさんのHPから転用

http://homepage3.nifty.com/arukitabi/ 

  kitaharagaiyou.jpg  

 ・H21.10.24、満願の日に同行させていただいた時の、下総国分寺での写真です。

arukikokubuji.JPG 

 2.JIさん(バックパッカー田中さん)
・H22.2.10 満願されました。1番杉本寺への御礼参りも。おめでとうございます。
・平成16~22年。1人。長野県からの区切り(3回)。
・野宿(テント)を基本とした歩きで、八溝山や筑波山の山頂部での宿泊などルート選定に柔軟性がみられます。
・YAさんの資料を参考にしておられます。
・1番杉本寺を発願寺。
・大山経由。
・9番慈光寺~15番長谷寺は秩父1番を経由。
・18番中禅寺へは阿世潟峠越え。*半月峠越えを試みるも途中で断念。
・19番大谷寺~21番日輪寺は、小川町、黒羽、雲巌寺、八溝山頂上などを経由。
・21番日輪寺~22番佐竹寺は天下野経由(久慈川沿いではない)。
・24番楽法寺~25番大御堂は筑波山頂上経由。
・27番円福寺~29番千葉寺は、成東~日向駅~法宣寺~千葉寺。
・29番千葉寺~高蔵寺~笠森寺は、千葉寺~姉ヶ崎~東横田駅~高蔵寺~下郡駅~高滝~鶴舞~笠森寺
・31番笠森寺~清水寺~那古寺は、笠森寺~下布施~御宿~南浦~館山~那古寺。なお、那古寺から1番杉本寺は東京湾横断道路をバスで。


(出展) バックパッカー田中の一人旅
   http://27.pro.tok2.com/~chet05/

 

  jisan1.jpg 

・H22.2.5に東横田駅~高倉観音~下郡駅間を同行させていただいた時の写真です。テントを持っての重装備です。 jijinimotu.JPG 

 3.マルセさん
・H22.7.31 満願されました。おめでとうございます。出発の八日市場の実家で一巡です。
・平成20/7から。千葉県から日帰り(一部宿泊あり)区切り。
・坂東巡礼独案内のルートを追っかけてのルート選びです。迅速図などを参考に独案内のルートを良く研究されています。独案内の決定版といえます。

・地元の千葉県八日市場をスタート、31番笠森寺が発願寺。
・東金から笠森寺へは、本納~真名~国府里~飯尾寺~長柄町役場~笠森寺
・笠森寺~上総一ノ宮~清水寺において、独案内に記載のある「軍茶利見寺」「泉の飯縄寺」に寄っておられます。(とらみ村ぐんだり、いつなごんげん)
・那古寺へは清澄山、南三原、加茂坂(旧道)を、高蔵寺へは鋸山と鹿野山を経由
・慈恩寺~浅草寺は岩槻経由、江ノ島・藤沢経由、光明寺は平塚より、大山の上社経由。
・いろは坂は、第1と第2をループ。
・黒羽~蛇穴間は、少し複雑歩き。
・佐竹寺の先は、村松虚空蔵と水戸経由。
・香取、鹿島、息栖の三社まわり、銚子磯めぐりもされています。

 *下地図は、マルセさんのHPより転用


(出展)マルセ的世界 
  http://maruse164.blog47.fc2.com/blog-category-3.html  

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 現代の坂東歩き巡礼記録(1)


 私の歩行記録とインターネットや書籍などから入手出来た巡礼記録において、札所順やルート選定の参考になると思われるものを紹介します。なお、詳細を知りたい方は出典の内容を見て下さい。

 

1.MAさん(私の歩行記録)
・平成3年~平成9年。1人。東京からの日帰り3
3回区切り。
・地図上での短距離(近道)を基本に札所回りの順番とルートを選定。右回り一筆画き。
・発願寺は14番弘明寺。
・17番満願寺の先(野宿)、19番大谷寺~常陸大子間の小川町、常陸大子~21番日輪寺間の桜井において一泊。
・8番星谷寺から13番浅草寺へ(大山街道)。
18番中禅寺へは阿世潟峠越え。
・八溝山へは常陸大子からの往復。32番清水寺は大多喜からの往復。

 

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2.YAさん
・平成9年~平成16年。2人。神奈川からの日帰り区切り。一部において宿泊あり。
・坂東巡礼ルート(道)のガイドを目的に、複数ルートを地図付きで説明がされており資料として非常に貴重です。
・坂東巡礼は終えているが、地図を含めた内容のアップは栃木県まで。
・OSさん、JIさんは、
このサイトを参考にされているようです。
・大山経由。8番星谷寺~14番弘明寺~13浅草寺へ。
・9番慈光寺~15番長谷寺は秩父1番を経由。 18番中禅寺へは阿世潟峠越え。
(出典) ~平成~坂東・秩父膝栗毛―2号館

            http://yajikita-junrei.cocolog-nifty.com/    

 

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3.OSさん
・平成17年~平成19年。二人。関西からの4回の区切り歩き。
・地図上での短距離(近道)を基本に、札所回りの順番とルートを選定。
・YAさんの記録を参考にされています。
・詳細地図の掲載があり、資料として非常に貴重です。
・発願寺は1番杉本寺。
・18番手前の阿世潟峠越えでは、道に迷い苦労された経験から、この道を歩くことを推奨されてません。
・八溝山へは常陸大子からの往復。
・宿の確保が難しい、9番慈光寺の手前と常陸大子~八溝山では、一部においてタクシー利用があり。
・27番円福寺~成東間は、九十九里浜自転車道。 成東からJR日向駅経由で
29番千葉寺へ。

 *下地図は、0SさんのHPから転載


(出典)
http://www.chonta.sakura.ne.jp/
   

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4.TEさん
・平成17年。二人。東京から日帰りの45日の区切り歩き。
・江戸時代の資料も参考に、札所回りの順番とルートを選定。旧道を優先。
・地図掲載はないが、後続する人の参考資料として、道路名などが詳述されており、資料して非常に貴重です。
・発願寺は1番杉本寺。
・18番中禅寺へは、文挟からの往復。
・八溝山へは山方宿からの往復。(この付近は水戸に宿を確保しての日帰りの繰り返し歩き)
・27~29番へは松尾駅、八街駅を経由。 30番高蔵寺へは姉ヶ崎から。
・東横田駅~高蔵寺間は往復。
(出典) 中高年バックパッカーの旅
http://www5.ocn.ne.jp/~homeless/index.html

 

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 5.KNさん
・平成15年~18年。
・神奈川県、東京都、埼玉県の部分巡礼。右回りの区切り歩き。
・五街道、秩父札所など巾広い歩きをされている。 神奈川県内に詳しい。
・大山への巡礼道研究(歩き)を、H6年頃から実施されている。
・金草鞋のルートを参考にされている。
・6番星谷寺~9番慈光寺間は、他に記録がみられないことから非常に貴重な資料です。
*経過地は、星谷寺~下溝~上溝~橋本~八王子~拝島~箱根ヶ崎~金子~双柳~越生~上谷~慈光寺 *JRの相模線と八高線沿いです。
・11番安楽寺~蓮田間は未実施。 他の分断部は、五街道歩きで歩行済につき省略?
(出典) 巡礼の道を歩く(坂東33所巡礼のうち相模、武蔵巡礼道)
http://www.kkg.jp/jyunrei.html

 

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  現代における巡礼ルート(提案ルート)


1.まえがき
a.「現代版の札所順・ルートを示して」というリクエストにお答えてして、分かり易い札所順・ルートを簡単に説明しておきます。
   なお、寄り道(例えば大山や鹿島神宮参拝など)はしないことを前提にしております。
b.十辺舎一九の「方言修行金草鞋第十篇 坂東順礼」において、「この順礼その順にはまわりがたし、ただ道順よきように参るべし」と記されているように、坂東を番号順に廻ることは効率的ではありません。
c.坂東は、1番から順に廻り14番から1番へ戻る一つの内環があり、次に、その外側に15番から順に廻り33番から鎌倉にもどる外環が付属するように形になっています。これは私の大胆な推測になますが、鎌倉を中心にした防衛線上の情報ネットワークとして、最初に第1情報ネットワークとして内環が、その後に鎌倉の勢力拡大に伴い第2情報ネットワークとして外環が形成されていったのではないでしょうか。 
 

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  d.ここでは、これまでに入手した歩き巡礼者の実績を参考に、札所の廻り順・ルートを説明します。

 

2.現代版の札所順・ルート

*本提案ルートにもとづく地図は、カテゴリーにあります。
  ・H19. 9.29  千葉県を作成
  ・H19.10.18  茨城県を作成
  ・H19.10.25  栃木県を作成 
  ・H19.10.27  群馬県を作成
  ・H19.11.16  埼玉県を作成
  ・H19.11.20  東京都を作成
  ・H19.12. 7  神奈川県を作成

 

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 a.神奈川県
1番杉本寺→2番→3番→4番→5番→7番→6番→8番→14番弘明寺
b.東京都、埼玉県 
  (14番弘明寺)→13番→12番→11番→10番→9番慈光寺 
c.群馬県
(9番慈光寺)→15番→16番水沢寺~17番満願寺(栃木県です)
d.栃木県
(17番満願寺)→(文挟経由)→18番→19番~21番日輪寺(茨城県です)
e.茨城県
(21番日輪寺)→22番→23番→20番西明寺(栃木県です)→24番→25番→26番清滝寺~28番龍正院(千葉県です)
f.千葉県
 (28番龍正院→27番→(JR松尾~JR八街経由)29番→30番→31番→32番→(和田浦経由)→33番那古寺

   なお、この札所順・ルートを選んだポイントは次のとおりです。
・発願寺(スタート)を1番杉本寺にすると、必然的に8番星谷寺→14番弘明寺となります。
 なお、発願寺を14番弘明寺にすると、8番星谷寺から13番浅草寺へ大山街道を歩くことになりますが、同街道は街道の面影は殆どなくなっており14番→13番(東海道)にあるような名所・旧跡もあまりありません。 
・9番慈光寺→15番長谷寺は秩父経由もありますが、山道が多く一般的ではありません。
・17番満願寺→18番中禅寺は足尾(阿世潟峠、半月峠など)経由もありますが、峠までの道が荒れていて一般的ではありません。
・19番大谷寺→21番日輪寺は札所番号順の20番西明寺経由もありますが、江戸時代の打ち順を尊重し日輪寺への直行としました。なお、道としては黒羽町経由と小川町経由がありますが、宿確保の面などから小川町経由としました。
・27番円福寺→29番千葉寺は複数のルートが考えられますが、江戸時代の巡礼道でもあることを尊重し八街経由としました。
・29番千葉寺~31番笠森寺は笠森寺への直行と30番高蔵寺経由がありますが、笠森寺への直行はその後の打ち順(31→32→30→33)において房総の山並みを2回横断しなければならないことから避けました。高蔵寺経由は札所番号順であること、江戸時代の巡礼道を多く歩けること、景色の良い房総の海岸線を歩けるなどの利点もあります。

 

3.札所順にもとづく説明
a.発願寺(起点)
 江戸時代には、住まい(自宅)から全てを歩いての巡礼であったことから、坂東巡礼道に取り付く札所が発願寺になっていたようですが、特別な目的(例えば、「坂東順禮獨案内図」にもとづき歩くなど)がない限り、交通機関の発達した現代では、1番杉本寺を発願寺にするのが一般的ではないでしょうか。なお、これは余談になりますが、関西方面の方が貸切りタクシーを利用される場合には、新幹線新横浜駅に近い14番弘明寺を発願寺にされることが多いと聞いております。


b.1番杉本寺→2番→3番→4番→5番勝福寺 
 このルートは皆さんがほぼ同じになります。(参考資料 YAさん、OSさん、TEさんなど)
5番勝福寺の先において大山へ寄る場合には、7番を先に済ます4番→7番→5番になります。

 *参考資料の「YAさん」などは、カテゴリー 4.現代の巡礼記録(その1)(その2)によります。

c.5番勝福寺からのルート
7番→6番と大山経由6番への2つのルートがあります。
①7番→6番ルート 平地のルートです。(参考資料 YAさん、OSさん、TEさん)
②大山経由6番ルート 山登りルートです。(参考資料 YAさん、JIさん、KNさん);

d.6番長谷寺→8番番星谷寺
 このルートは皆さんがほぼ同じになります。(参考資料 YAさん、OSさん、TEさんなど)

e.8番番星谷寺からのルート
14番弘明寺へ、12番慈恩寺へ、9番慈光寺への3つのルートがあります。
①14番弘明寺へのルート 一部は大山道(参考資料 YAさん、OSさん、TEさんなど)
②12番慈恩寺へのルート 江戸期のルート(参考資料 ATさん)
③9番慈光寺へのルート  参考資料 KNさん

f.14番弘明寺→13番→12番→11番→10番→8番慈光寺
 このルートは皆さんがほぼ同じになります。(参考資料 YAさん、OSさん、TEさんなど)

g.8番慈光寺→15番長谷寺
 直行と秩父1番経由の2つのルートがあります。
①直行ルート JR八高線沿いの平地ルート(参考資料 OSさん、TEさんなど)
②秩父1番経由ルート 山道あり(参考資料 YAさん、JIさん)

h.15番長谷寺→16番→17番満願寺
 このルートは皆さんがほぼ同じになります。(参考資料 YAさん、OSさん、TEさんなど)

i.17番満願寺→18番中禅寺
 足尾経由と文挟経由の2つのルートがあります。
①足尾経由 阿世潟峠か半月峠越えがあり、山道歩き経験者以外の一般の人には奨められない。
      (参考資料 YAさん、ATさん、JIさんなど)
②文挟経由 JR日光線沿いのルート、文挟~中禅寺間は往復になる。
(参考資料 TEさんなど);

j.18番中禅寺からのルート
 19番大谷寺と21番日輪寺への2つのルートがあります。
①19番大谷寺ルート このルートは皆さんがほぼ同じになります。
 (参考資料 OSさん、TEさん、ATさん、JIさんなど)
②21番日輪寺ルート 19番大谷寺ルートの今市で分岐し矢板~黒羽~21番日輪寺。
 (参考資料 なし(国道461号)。黒羽~21番日輪寺はJIさん、ATさん)

k.19番大谷寺→21番日輪寺
 20番西明寺経由と直行の2つのルートがあります。
①20番西明寺ルート (参考資料 TEさん)
②直行ルート 小川町で分かれての、黒羽経由と常陸大子経由の2つのルートがあります。
・黒羽経由 交通の便が良くない(参考資料 JIさん、ATさん)
・常陸大子経由 常陸大子での交通確保が可(参考資料 OSさん、MAさん)

l.21番日輪寺~22番佐竹寺
 下野宮で分かれての、久慈川沿いと小生瀬・天下野経由の2つのルートがあります。
①久慈川沿いルート JR水郡線沿いで交通に便利(参考資料 OSさん、TEさんなど)
②小生瀬・天下野経由ルート 江戸期のルート、交通の便が良くない(参考資料 JIさん)

m.22番佐竹寺→23番→20番→24番→25番→26番→28番龍正院
 このルートは皆さんがほぼ同じになります。(参考資料 OSさん、TEさんなど)

n.28番龍正院~27番円福寺
 このルートは皆さんがほぼ同じになります。(参考資料 OSさん、TEさんなど)
*小南経由の江戸期ルートも考えられます。(参考資料 金草鞋坂東巡礼、現地調査資料)

o.27番円福寺~29番千葉寺
 九十九里浜沿いを進み内陸に入り千葉寺を目指しますが、内陸に入る地点をどこにするかによってルートが異なります。代表的な地点としては次の3箇所になります。
 ・松尾地点 松尾~八街~坂戸~29番(参考資料 文献調査結果(独案内の飯沼~千葉間)、TEさん)
 ・成東地点 成東~日向~内小間子~29番(参考資料 OSさん)
 ・東金地点 東金~29番(参考資料 MAさん)

p.29番千葉寺~31番笠森寺
直行と30番高蔵寺経由の2つのルートがあります。
 ①直行ルート 浜野付近から内陸部へ(参考資料 OSさん、MAさん)
 ②30番高蔵寺経由ルート 姉ヶ崎から内陸部へ、姉ヶ崎~30番は2つのルートがあります。
 ・県道ルート (参考資料 TEさん)
 ・古道ルート (参考資料 現地調査資料)

q.30番高蔵寺からのルート
31番笠森寺と33番那古寺への2つのルートがあります。
①31番笠森寺へのルート  馬来田経由と東横田経由の2つのルートがあります。
 ・馬来田経由 古道のようです。上総牛久で東横田経由ルートと合流。(現地調査資料)
  *高蔵寺~馬来田~鶴舞~笠森寺のルートも考えられます(現地調査資料)
 ・東横田経由 県道と国道409号です。高蔵寺~東横田は往復(参考資料 TEさん)。
②33番那古寺へのルート 佐貫経由で内房を33番那古寺へ(参考資料 OSさん、MAさん)。
 なお、②ルートの上総湊~浜金谷~保田~岩井間は、国道とは名ばかりで、歩道なしの片側一車線トンネルが数多くあります。赤色点滅灯の携帯が望まれます。くれぐれもご注意を。H19.8 岩さんからの情報。

r.31番笠森寺~32番清水寺
大多喜経由と芝原経由の2つのルートがあります。
 ①大多喜経由 いすみ鉄道の利用可(参考資料OSさん、MAさん)
 ②芝原経由 江戸期のルート、交通の便が良くない。(参考資料 TEさん、現地調査資料)

s.32番清水寺~33番那古寺
 外房海岸沿いと30番高蔵寺経由の2つのルートがあります。
①外房海岸沿いルート 内陸に入る地点をどこにするかによってルートが異なります。
 ・和田浦地点 内陸で起伏あり(参考資料 TEさん)
 ・南原地点 江戸期のルート(参考資料 金草鞋坂東巡礼、現地調査資料)
②30番高蔵寺経由ルート
  大多喜、久留里の城下町経由で30番高蔵寺へ。その先は30番高蔵寺からのルート参照。
  (参考資料 OSさん、MAさん)

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高蔵寺   奉納草鞋

 

ルート選定における基本事項


 坂東巡礼に限ったことではありませんが、歩き巡礼者の課題は、「宿」「食べること」「トイレの確保」ではないでしょうか。
 この課題の解決のためにルート(道)選定が左右されることも少なくありません。
 さらに、区切り(日帰りなど)の巡礼では、その日の起・終点地点における交通手段確保のための駅選びから、ルート(道)選定が左右されるケースもあります。

a.宿の確保
 日帰りの区切り歩きであっても、交通の確保面から宿を確保しておいた方かベターのところがあります。(タクシーを使うのならば別ですが)
・17番満願寺~足尾~阿世潟峠(半月峠)~18番中禅寺
・21番日輪寺(八溝山)前後 
 叉、季節によって異なりますが、宿の確保が難しいところとしては、
・9番慈光寺付近
・17番満願寺~足尾区間  *足尾には宿があります。
・21番日輪寺(八溝山)の前後 

b.食べること
 昼食は、宿のお弁当(おにぎり)や道中のコンビニ、商店などで買ってリックに入れておけば済むことから、問題なしといえるでしょう。早めの確保がボイントになります。

c.トイレの確保
 女性には切実な課題ですね。コンビニ、スーパー、駅などを利用することが考えられます。
コンビニ利用では幹線道路(国道など)を多く歩くようにする必要があります。

d.交通機関の利用が不便なところ
・9番慈光寺付近 JR八高線の本数が少ない。
・17番満願寺付近 東武佐野線の本数が少ない。
・19番大谷寺~21番日輪寺間の小川町付近と黒羽町付近 鉄道なし、バス利用。
・17番満願寺~18番中禅寺間の足尾付近 わたらせ渓谷鉄道の本数が少なく都心より遠い。
・19番大谷寺~21番日輪寺間の大子町付近 JR水郡線の本数が少なく都心より遠い。
・32番は清水寺~33番那古寺の外房海岸ルート JR外房線本数が少なく都心より遠い。

e.房総半島から羽田空港への交通機関
 茂原、清水寺、那古寺、高倉観音あたりから羽田空港へ行く場合の交通機関としては、JRによる東京経由が一般的ですが、東京湾横断道路を通る高速バスを利用することも考えられます。

 

巡礼古道 (千葉県 高蔵寺~姉ヶ崎)

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 1.坂東巡礼の歩き用地図について
  四国遍路と西国観音巡礼の「歩き用ガイド地図」は、立派なものが発行されていますが、坂東観音巡礼用のものは残念ながら見当たりません。
 「坂東も四国や西国と同じような地図を!」という声が聞かれますが、それはそれとして、作成されるまでのつなぎ資料として、本ブログを参考にしていただければ幸いです。
 なお、地図作成リクエストとは別に、「あまり詳しい地図があると自分の歩き巡礼道を決める楽しみがなくなってしまう、坂東だけは残しておいて!」という声もあることを、蛇足になりますが付記させていただきます。
 

2.坂東の巡礼道について
 四国八十八ケ寺霊場めぐりと、西国・坂東・秩父などの観音霊場めぐりでは、「遍路」と「巡礼」の言葉の使い分けがされています。四国は「遍路」、観音霊場は「巡礼」です。
 詳しいことは別として、四国遍路ではお寺とお寺の間を歩く過程が重要視され、遍路道を歩くことが修行である、修行になると言われています。一方、観音巡礼ではお寺の観音様の前で一心にお願い(お祈り)することに意義があると言われています。
 すなわち、遍路は「道、線」、観音巡礼は「お寺、点」がキーワードになるようです。
 四国遍路では、修行僧空海が修行された道(足跡)や衛門三郎が空海を追い求めて歩き続けた道(足跡)を、現代においても追い求め歩く(追体験する)ことが第一の目的になるようです。したがって、四国遍路のガイド地図では、足跡を正確に捉え提供していくことが必要で、詳細地図作成のニーズにもなっているようです。
 一方、観音巡礼では、「お寺、点」が主で「お寺の間、道」は従となります。「どの道を歩いても良い、自分の歩いた道が巡礼道」になるようです。
 ということですが、歩き巡礼者のほとんどの方が、「出来れば、少しでも歴史的重みのある道を歩きたい」という思いをお持ちになるのではないでしょうか。
 ところで、関東地域の道路は都市開発や水田の区画整理などで大きく変わってきています。江戸時代の主街道であっても廃道になってしまっていたりで、歴史ある巡礼道を歩くことが難しくなりつつあります。
 したがって、坂東では、「道、古道」にあまりこだわるのでなく、「古き巡礼者達はこの山並み、景色、河などを友に歩いていたのでは!」という「巾広いとらえ方」のもとに、歩き巡礼を楽しんでいただきたいと思います。

 

消えつつある峠への道(千葉県 音信山の近く)

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3.自分が使用する歩き用地図の作成方法
 以下を参考に自分用の地図を作成して下さい。

a.ベースとする地図
 「国土地理院の地形図(2万5千分の1)」を推奨します。
本ブログにおいて引用させていただいた巡礼実績者のほとんどの方がこれを使用されているようです。
 全部で100枚程必要で、大きい書店で販売しております。(1枚270円(税込み))
 なお、出かける前に、予定ルート(道)、寄り道ポイント、宿の電話番号などを赤鉛筆で書いておくと現地で助かります。疲れてくるとあれこれ考えるのが面倒になってきますので。
 *私はこの予定に加えて、現地でおいて、休憩地点、時刻、特徴(例えば公園前)などの実績も地図上にメモしております。(山歩きの頃からそうしております)

b.バス路線、バス停名、道路名などを知る方法
 一般の道路地図を利用するのがベターです。
 この地図としては、昭文社の「県別マップル ○○県 広域・詳細 道路地図」(一冊2400円程)が良いのでは。道路番号、呼称、バス路線、停留所名などが記載されています。
 神奈川、東京都、埼玉県、群馬県、栃木県、茨城県、千葉県の7冊必要です。
 *国土地理院の2万5千分の1と同様に実績者の多くの方が利用されています。

H22.7追記 インターネットの地図検索(マップルなど)でも調べられます。コンビニも。お金を使う必要はないですからね>


 なお、パソコン利用でしたら、昭文社の「スーパーマップルVer8デジタル」の購入が考えられます。「関東甲信越版」5000円程で、何冊も買うよりお徳?  さらには、この地図は自分のHPなどでの私的使用は自由ですので、巡礼記を制作しこれへの地図掲載を考えている方は最初からこれにするのがベターかもしれません。
*地図の複製使用には、普通は発行元の許可を必要とします。 

c.宿の有無など
 細かいことは、県とか市町村の観光協会に問い合わせれば、親切に教えていただけると思います。

 

4.国土地理院の地形図(2万5千分の1)の折り方 (参考)


 

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 ・書籍などからの情報

 ・歩かれての実績情報(道、地域、お寺、宿など)

 ・今後歩かれる方へのアドバイス

   などがありましたら、コメントからお願いします。

 

 書庫整理係 舞浜のおじさん

 

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