2012年1月アーカイブ

1.概要 
 ・平成23年9月26日(月) 晴れ
 ・関ヶ原駅駅~16番~33番~32番~31番~20番~21番~近鉄東赤坂駅
 ・34,289歩(25.7km)

2.メモ
a.中学の同級生   メールで連絡をとっていた中学の同級生3名が、車で33番美濃国分寺まで会いに来てくれた。寺前の公園にシートを広げて弁当の昼食。(お接待、感謝・感謝)。M君はブルーシートだけでなく、お尻が冷えるからと毛布も準備していてくれた。女性への心優しい気配りである。
   ここで話しすぎたのと、31番の明星輪寺が山の上であった誤算もあり、15番辺りまで行く予定が東赤坂駅までになってしまった。*予定より2時間遅れ

b.留守のお寺   32番の円興寺は留守であった。朱印は、置いてあった紙に朱印済みものをいただいた。なお、14番善学院(無住)の納経もここでいただくことになっていたが、出来なかったため、後日に連絡をして郵送していただいた。

 

3.写真他

a.舞浜駅~東京駅~名古屋駅~大垣駅~関ヶ原駅~16番禅幢寺

mino11.jpg  第16番  普賢山禅幢寺   釈迦如来  聖観世音菩薩   曹洞宗
  薩摩国全幢寺の正磧和尚が開山。天正15年、秀吉の軍師であった竹中半兵衛重治の開基。本堂は寛文3年(1663)に重治の孫重常が建立。本堂の南側に竹中家代々の墓があり、また、寺の近くには陣屋跡もある。


b.16番~33番美濃国分寺 mino12.jpg ・ 第33番 金銀山美濃國分寺  薬師如来 十一面観世音菩薩  真言宗
  天平9年(737)、聖武天皇の勅願によって行基が創建。本尊は、欅の一木造り高さ3mにも及び国の重要文化財。昭和49~55年に発掘調査が行なわれ、寺域全体が史跡公園として整備され、発掘品などを納めた資料館も整備されている。


c.33番~32番円興寺

mino13.jpg ・第32番  篠尾山圓興寺  聖観世音菩薩  天台宗
  延暦9年(790)、東国教化のためこの地を訪れた伝教大師が、自ら観音像を彫刻して本尊として創建したと伝ええられる。像は、霊木の赤せんだんで刻まれいて国の重要文化財。

 

d.32番~31番明星輪寺

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 ・第31番 金生山明星輪寺  虚空蔵菩薩  十一面観世音菩薩   真言宗
   持統天皇の勅願、朱鳥元年(686)、役の小角(行者)の開基。本尊は石に刻まれた虚空蔵菩薩。伊勢の朝虚空蔵、京都の昼虚空蔵と並んで日本の三大虚空蔵とよばれる。大垣城主戸田氏の祈願所でもあった。子安地蔵菩薩は国重要文化財。

 

e.31番~20番天清院

mino15.jpg ・第20番   青蓮山天清院   阿弥陀如来  千手観世音菩薩   浄土宗
 寛文12年(1672)、大垣藩主戸田氏信公の三男、氏親の菩提寺として開基。明治に入り、大本山黒谷の法主獅子吼観定上人が呑龍上人像を寄進。現在は「子育てドンリューさん」と寺として親しまれている。

 

f.20番~21番安楽寺    mino16.jpg  ・第21番  紫雲山安楽寺   阿弥陀如来   聖観世音菩薩          浄土宗
 推古天皇元年(593)、聖徳太子により創建。壬申の乱(672)では大海人皇子が合戦の勝利を祈願したという。関ヶ原の合戦では、徳川家康の初本陣がここに張られ、大垣城の石田三成と杭瀬川を挟んで戦った。関ヶ原での戦勝後、三つ葉葵の家紋使用を許された。
 

 

g.21番から近鉄養老線東赤坂駅  mino17.jpg

 

1.概要

 ・平成23年9月27日(火) 晴れ(暑かった)
  ・東赤坂駅~14番~8番~16番~9番~10番~11番~3番~天神バス停
  ・38,718歩 (29km)

 

2.メモ

a.留守  8番善南寺は留守であった。納経の朱印は、「置いてある、用紙に朱印済みのもの持っていって下さい」のメモ書きがあったことから、そのようにした。

b.勘違い   3番金剛寺の手前で道がよく分からなくて、玄関内に数人の人影が見られた家の前で、「今日は、金剛寺はどちらでしょうか?」と問い合わせたら、「俺は年金暮らしで生活が楽でない、寄付は出来ない」との返事があった。最初は何を話しておられるのか理解できなかったが、坊さんの托鉢と勘違いされたようだ。「いえいえ道を聞きたくて、金剛寺はどちらですか?」と問い返したら、「分からない」の返答であった。「ありがとうございました」とお礼を言い、その家を後にしたが、お寺への案内板がそこから少し歩いたところにあった。白装束だったから、このようになったのだろうが、気分は良くなかった。

c.おまわりさん      春日郵便局の近くで小休止していたら、パトカーが停まり「名前の分かるものを」との職務質問があった。公務執行妨害をしてはいけないので素直に従い、頭他袋に入れてあった「納札」を渡したら、「これではダメだ、名刺か運転免許証を出すように」の指示があった。そのため、財布に入れてあった名刺と運転免許証」を出して渡したら「分かった、名刺は貰っておく」ということになった。若いおまわりさんだったが、危険人物扱いのような職務質問で気分が良くなかった。ところで、別かれる時に、「俺は〇〇寺の住職、寺を廻ってきたか」との問があった。「昨日、御参りしてきました、山の上ですね」と返事をしたら「この先道が狭くなるので車に気をつけていくように」とのアドバイスがあった。これまで四国遍路、百観音の歩き巡礼をしてきたが、おまわりさんに職務質問をされたのは初めてで、驚ろくとともに坊さんなのにと思った。反対に、坊さんだから気になっての職務質問だったのだろうか。

 3.写真他
a.揖斐(6:29、バス)~揖斐駅(電車)~近鉄東赤坂駅~14番善学院
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 ・第14番 影向山善学院  阿弥陀如来    聖観世音菩薩    天台宗
  神戸の日吉神社の別当寺。日吉新宮を護る寺院として、神護寺とも呼ばれる。本堂は藤原期の建物で、応仁10年(1404)銘の雲板がある。

 

b.14番~8番 善南寺 mino22.jpg ・第8番 高尾山善南寺   十一面子安観世音菩薩    浄土宗
  811年、池田山の山頂近くに伝教大師により創建。4度寺地を移していて、昭和18年、現在地に再建。懐妊仏として子授け、安産などにご利益があるとのこと。

 

 c.8番~15番 美濃安国寺 mino23.jpg

 ・第15番  楊岐山安國寺 十一面観世音菩薩  臨済宗
  康永4年(1245)、足利尊氏が夢想国師の勧めで、元弘の変以来の戦没者慰霊と国土安泰祈願のため、全国68ケ国に建てた安国寺の一つで、美濃国に建てたのが当寺。

 

d.15番~9番弓削禅寺

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 ・第9番   阿梨耶山弓削禅寺  馬頭観世音菩薩   臨済宗
 817年、伝教大師が神戸町の日吉権現建立の時に創建。昔、この地で温泉が湧き出て初めは湯華寺といわれた。白河法皇がこの霊湯で病気を完治され、自分で削った弓を奉納されたことから弓削寺になった。

 

e.9番~10番平安寺 mino25.jpg

 ・第10番  洞海山平安寺  薬師如来  聖観世音菩薩  臨済宗
 1085年、白河法皇が谷汲山華厳寺参拝の折に病気になり、9播の弓削禅寺(湯華寺)で湯治されたが、その平安殿が後に平安寺になった。

 

 f.10番~11番瑞巌寺 mino26.jpg

 ・第11番  萬松山瑞巌寺   地蔵菩薩  聖観世音菩薩   臨済宗
 天平年間(729~748)、行基上人が小堂を建立。1336年、尾張美濃伊勢三国の守護土岐頼康が父親の菩提を弔うために創建、後に勅願寺。聖観世音菩薩は円空作、本尊の地蔵菩薩は運慶作と伝えられる。

 

 g.11番~3番金剛寺 mino27-1.JPG ・第3番   春日山金剛寺   十一面観世音菩薩   真言宗
 昭和22年、立木多満が大師像を端巌寺から、本尊を美濃国分寺から迎えた。現在の本堂は昭和33年に完成、翌年に入仏。

 

 h.3番~天神バス停 mino27-2.JPG

1.概要

 ・平成23年9月28日(水) 晴れ

 ・天神バス停~12番観音寺~13番洞泉寺~東津汲バス停

 ・49,562歩 (37.2km)

 

2.メモ

a.ルート  12番観音寺から13番洞泉寺の区間で、川合から日坂は、国土地理院2万5千分の1地図の「日坂越」を越え「前谷」に抜けるルートを通りたかったが、事前調査において「尾根から先への道が見当たらない、山蛭が多い地域である」との情報があったため、林道の途中から東海自然歩道に入り和佐谷に抜けることとした。なお、山蛭については、万一食われた時のことも考え食塩を持って備えたが、注意していたこともあってか吸いつかれなかった。痩せが食われ血を吸われると貧血で倒れてしまう・・・。*東海自然歩道を歩いた人のHP記録によれば、峠(日坂越え)にはお地蔵さんがあり、前谷への入口は見当たらないとのこと。山蛭のいるところでの薮漕ぎは遠慮した次第 。*東海自然歩道への合流点から洞泉寺間は、東海自然歩道のルートと同じです。

b.駆け足  東津汲から13番洞泉寺間の往復は、帰りの終バス時刻を気にしての半駆け足であった。東津汲の売店に荷物を預かってもらい身軽になって往復しようと考えたが、帰りの時刻が閉店時刻に間に合わない様子であったことから、少し歩いた先の水圧鉄管の傍の茂みに荷物を隠し、半駆け足をした。その頑張りもあってか最終1本前のバスに乗れる時刻に戻れた。まだ営業中であった売店ではジュースと食べ物をゲットした。*洞泉寺は無住のため、朱印は前日に10番平安寺で済ませた。

12番観音寺  12番観音寺は、無住で近所の方が管理をされている。階段下で、「御参り?」と声を掛けられたおばあちゃんが登って来られ、本堂の扉を開けて下さった。朱印は筆書きでなく置いてある版木での押し印で、おばあちゃんが「申し訳ない、私は書けなくて」と盛んにおっしゃった。当方は、「昔しはどこの札所も皆このような版木だったようです」と説明したが、「申し訳ない」を繰り返されて恐縮した。自分で押したが上手く押せなくて「十一面千手観世音」の文字が少しかすれているが、それも良し、かすれた部分にはおばあちゃんの気持ちがこもっている。
     おばあちゃんとは「寺のお守りも大変ですね」や世間話しを少し
たが、「林業と養蚕がダメで、若者は町へ出ている、雨戸の閉まっている家が多い」などのお話しがあった。昔しは桑畑であったと思われる急斜面の畑にはお茶が植えてあったが、村で守ってきたお寺は、過疎化が進むなかで、今後どうなっていくのだろうか、考えさせられるとともに心が痛んだ。*この寺は、関ヶ原合戦での西軍の将(キリシタン大名)であった小西行長が捕縛されたところで、位牌もあるようだ。京都で石田三成などとともに処刑された。 

 

3.写真他

a.揖斐(バス)~揖斐駅経由~天神バス停~12番観音寺 mino30.jpg・第12番  施無畏山観音寺   十一面千手観世音菩薩     曹洞宗
 1181年、萬年山元正庵として創建。天台宗で本尊は、行基の刻んだ十一面千手観世音菩薩であったが、1648年、大垣藩主戸田氏信に献上し、代わりに現観音像を拝領した。その時に曹洞宗に転宗するとともに寺名を観音寺とした。

 

b.12番~13番洞泉寺

・その1 mino31.jpg ・その2 mino32.jpg  ・その3mino33.jpg

第13番 渓徳山洞泉寺    聖観世音菩薩    臨済宗
 古くは天台宗観音院と呼ばれたが事跡不詳。天文年間に小川但馬守が中興。文禄年間(1592~1596)、瑞巌寺三世が住んで渓徳山洞泉寺と称し臨済宗に改宗。

 

 1.概要

・平成23年9月29日(木) 晴れ

・実家~三輪神社~7番一心寺~白山神社~実家~6番東光寺~4番月桂院~2番来振寺~本巣駅~北方まくわ駅~大垣経由~舞浜駅

・24,822歩 (18.6km)

 

2.メモ

a.洞泉寺~1番横倉寺~華厳寺経由実家の区間  洞泉寺までの3日間で予想以上の時間を費やしてしまったことから、今回はこの区間を飛ばすことにした。山道(東海自然歩道)であることから、次回以降、雪の無い時期に歩くことにする。

b.一心寺への道  実家の裏山に位置する一心寺へは、実家から三輪神社、三霊社、松林寺、実家の墓、金毘羅宮などにお参りし、帰りは町の鎮守である白山神社(子供の頃にこの神社の神輿を担いだ)にお参りする一周コースをとった。この辺りは、子供の頃の遊び場(範囲)である。
  三輪神社は、伊勢湾台風で倒木により倒壊し建て替えられたが、その時に、アルバイトをしたことから(依頼があった)、一段と懐かしかった。檜皮葺きの屋根が美しい。檜皮葺きの方法など神殿建築現場を身近に見られたことから、今思うと良い勉強になった。

c.一心寺  安寿様(お足が少し悪いようであった)が朝の勤行中で、外で般若心経を唱えていたら扉を開けてくださった。堂内に入り再度お参りをした。子供の頃には、年に何回もお参りし、初収穫されたお米をお届けした寺なので(実家は農家)、非常に懐かしかった。春秋の彼岸に展示される地獄図絵は、恐ろしい思い出があるが、機会をとらえて叉見てみたいものた。*朱印は東光寺

d.月桂院  寺内の庭の花が、良く手入れされいて大変綺麗で感動した。ご高齢の大奥様が手入れをされているとのことを、朱印をしていただいた奥様から聞いて驚ろいた。ご詠歌は「はるははな、なつはたちばな、あきはきく、いつもたえせぬ、のりのはなやま」、で、そのとおりの花の綺麗な寺であった。応対された奥様の明るさも春の花のようであった。

 

3.写真他

a.実家(7時)~7番一心寺

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第7番 城台山一心寺   一光三尊善光寺如来   十一面観世音菩薩  浄土宗
 天保元年(1830)、槍ヶ岳・笠ケ岳の開山で知られる播隆上人が創建。上人直筆の掛け軸、鉄鉢、錫杖、ナタなどが伝えられている。

 

b.7番~6番東光寺  mino43.jpg

・第6番 醫王山東光寺    乳薬師如来   千手観世音菩薩   臨済宗
 1200年ほど前、天台宗の開祖伝教大師の創建。本尊の乳薬師如来は、伝教大師自らの作。

 

c.6番~小野百観音~4番月桂院 mino44.jpg

・第4番 清光山月桂院   延命地蔵菩薩  聖観世音菩薩  曹洞宗
 1581年、当地の清水城主、稲葉一徹が創建、一族の墓がある。梵鐘は1320年の銘があり、一徹が陣鐘として使用したものと言われている。

 

d.4番~2番来振寺 mino45.jpg

・第2番 寶雲山来振寺   十一面観世音菩薩   真言宗 
 715年、行基菩薩により開山、聖武天皇の勅願で七堂伽藍を建立。来振寺(きぶりじ)は勅号による。平安期(1088)の国宝の「五大尊像」がある。

 

e.2番~樽見線本巣駅から北方まくわ駅

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   西美濃三十三霊場の概要・歴史など                H23年12月

 

1.霊場の概要・歴史など

a.西美濃三十三霊場
  札所は、大垣市を中心に揖斐川町、池田町、垂井町、養老町、輪之内町、海津市、神戸町、大野町に点在しています。江戸時代に開場されましたが、その後衰退し、昭和55年、広域的な観光振興も合せ持たせ、大垣商工会議所が中心になって新たな三十三霊場が決められました。その後も、時の流れの中で見直しがおこなわれています。
  全行程を歩くと180kmほどで、関東の秩父巡礼の2倍弱です。

b.各札所における特記される事項
     1番 横蔵寺   「美濃の正倉院」と言われ、22体もの国重要文化財あり
  2番 来振寺   平安期につくられた国重要文化財の「五大尊像」あり
  7番 一心寺   槍ヶ岳開山の播隆上人が創建。鉄鉢、錫杖などあり。
*新田次郎著「槍ヶ岳開山」に記述あり
  12番 観音寺   関ヶ原の合戦の西軍の将「小西行長(キリシタン大名)が捕縛されたところ
  15番 安国寺  足利尊氏が戦没者慰霊のため全国68ケ国に建てた寺の一つ
  16番 禅幢寺  秀吉の軍師「竹中半兵衛」他竹中家の菩提寺。近くに陣屋跡あり
  21番 安楽寺  関ヶ原の合戦において、家康が最初の本陣を設けたところ
   25番 養老寺  「養老の滝」の孝子伝説で知られる源丞内の開基。滝の近く
  31番 明星輪寺 日本の三大虚空蔵の一つ。子安地蔵菩薩は国重要文化財
   32番 円興寺  本尊の聖観世音菩薩は国重要文化財
   33番 国分寺  聖武天皇の勅願寺。本尊は高さ3mもあり国重要文化財。資料館がある

 

2.ルート図

 ・赤線  第1区切り(H23.9.26~29)
  ・青線  第2区切り(H24.3.9~12)     annaizuno.1.jpg    

3.地域名などの説明

a.西美濃
 「西美濃」は、日本列島のほぼ中央、岐阜県の西部に位置し、
木曽三川の一つ揖斐川流域を中心とした南北に細長い地域です。海抜1200mの揖斐川源流部から扇状地を経て海抜0メートルの輪中地帯まで、広大な濃尾平野の一部を形成しています。変化に富んだ自然が楽しめるほか、古来東西文化の接点にあり、歴史文化資源も数多くあります。また、JR東海道本線や東海道新幹線、名神高速道路など、日本の東西交通の大動脈が所狭しと通っています。

b.大垣(美濃路大垣宿)
  美濃路は、江戸時代に中山道垂井宿と東海道宮宿を結んだ脇街道で、両街道を併用するためのパイパスとして多くの人が利用しました。
 大垣宿は、26町14間(約2.8km)もの長大でした。木曾三川の伏流水が集まる全国有数の自噴帯に位置し、豊かで美味しい水に恵まれていたことから、「水の都」とも呼ばれています。
 俳聖・松尾芭蕉が生涯に4度訪れ、
紀行「奥の細道」の終着地でもあります。桑名との水運で栄えた船町港から、谷木因らに見送られながら舟で伊勢へと旅立ちました。元禄年間に建てられた住吉灯台と船が往時を偲ばせます。周辺一帯にはむすびの句を刻んだ「蛤塚」はじめ句碑が多く、「奥の細道むすびの地記念館」もあります。

c.赤坂(中山道赤坂宿)
 大垣市街地の西北4kmにある赤坂宿は、中山道57番目の宿場町で、杭瀬川の水運や谷汲山華厳寺への巡礼街道の起点として栄えました。赤坂港跡には当時を偲ぶ常夜燈があるほか、幕末の皇女和宮降嫁の折に建てられた「お嫁入り普請」の一部が、今も古い街並みとなって残されています。*20番天清寺付近

d.関ヶ原古戦場
  慶長5年(1600)、徳川家康を総大将とする東軍と、石田三成率いる西軍が、天下分け目の決戦を繰り広げた地で、陣所跡など各地に石碑が建っています。石田三成布陣の笹尾山や小早川秀秋布陣の松尾山からは古戦場が見渡せます。歴史資料館があり関ヶ原合戦を分かり易く紹介しています。*18番妙応寺付近

e.墨俣一夜城
 木下藤吉朗(後の豊臣秀吉)が一夜にして築城し、太閤出世物語の出発点となった一夜城です。その城跡に当時の「砦的な城」でなく、「純金の鯱を配した天守閣」を建てたもので、内部は歴史資料館になっています。美濃路の宿場町であった墨俣宿についても紹介しています。*19番明台寺の近く

 

4.寺歴・縁起・由来などで特記される事

a.2番来振寺  神亀2年(725)、寺の裏にあたる白山の一面に黄金色の雪が降り積もったとのこと。なお、近くにある西国三十三番谷汲山華厳寺では、創建の延暦17年(798)、堂の近くの岩穴から油が噴出し、灯明に困ることがなかったとのこと。

b.9番弓削禅寺  ここは昔し、温泉が湧いたという伝説があり、初めは湯華寺といわれました。応徳2年(1085)、白河法王がこの霊湯で病気を完治され、自分で削った弓を奉納されたことから弓削寺となったとのこと。

c.11番瑞巌寺   円空作の観世音菩薩像がありますが、北海道から帰った頃の作品だといわれています。長く本堂南の経堂に保管されていました。昭和13年頃の住職さんが先々代の住職さんから聞かれた話しとして、「昔し器用な小僧がおったらしく、彫りかけの仏さんが沢山あったので、それで風呂を沸かした。この仏さんは一応完成していたので残しておいた」という言い伝えがあるとのこと。この観世音菩薩像を中心に、円空独特の木っ端仏が取り巻いていたのでしょう。製作された寛文年間(1660~)には、本堂が再建された時で、古材が沢山あったことから、しばらく滞在して彫刻したのではとのこと。何と、スケールの大きな話し。

d.25番養老寺  開基は養老伝説で知られる源丞内。近くに養老の滝があるが、滝がお酒になったとのこと。滝の水を飲んで車を運転することは止めましょう・・・

 

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