坂東巡礼道 茂原~笠森寺~清水寺ルートの現地調査結果 H17.8
1.調査年月日
a.H17.7.3(日) JR長者町駅から清水寺へ折りたたみ自転車で行く。事前に連絡してあった同寺にて情報収集後、Aルートを笠森寺方面へ調査し始めるが、夷隅川の渡し舟地点を調査し終えたところで梅雨明けの雨・雨で、ズブ濡れになりJR岬駅に逃げ帰る。ほとんど調査出来なかった。
b.H17.7.30(土) 茂原~笠森寺~清水寺をAルートに沿って調査。蒸し暑い天候で、芝原宿付近からゴロ・ゴロと雷様のバックミュージック入り。降られはしなかったが清水寺近くの桑田に着いたところで調査を中断してJR岬駅へ。

概要図 (地図使用承認C昭文社第05E001号)
2.調査結果
a.総括
・茂原~笠森寺間は、須田の三途川を渡ったところに道祖神の祠があったものの、道標などの特記すべきものはみられなかった。地元での聞き取りでは皆さんが親切であった。
・笠森寺~清水寺間は、長南町中央公民館前の標石と清水寺前の夷隅川の渡し舟地点を知ることが出来た。これらは成果である。
・「坂東順礼独案内」の地図や十辺舎一九の方言修行金草鞋の「坂東順礼」に記載されているものの、現在地が不明の「ししはら(猪原)」について尋ねたが、いずれも「芝原」ではないか、の返事であった。
b.現地での聞き取り調査結果
①地点 409号 米満地域 道路沿いの農家の親父さん。70歳程
・「道標などは見られない。前述の須田の三途川を渡ったところに道祖神がある」とのこと。
・茂原~笠森間の南総鉄道についてはご存知で、道路反対側のスーパー(八百屋さん)の土地が停留所であったとのこと。
*南総鉄道 昭和5年~14年 単線。藻原寺と笠森寺への参拝客を狙ったものといわれているが、バスの運行により廃線。この軌道跡が現在の409号線になっている。なお、鉄道の前段として、明治42年~大正13年にトロッコ人車が運行している。
②地点 409号 千田地域 西消防署先 旧道沿い民家の主婦(60歳?)と道向かいの若奥さん。
・「この旧道は元城下町(庁南城)で、この近くの家には屋号が残っている」とのこと。
*有名な長福寿寺(東の比叡山)が近くにあり、ここの門前町(通り)であったとも推察される。
・「標柱は見ない」とのこと。
・四国遍路は知っておられたが、坂東巡礼はご存知でなかった。
・南総鉄道に関してはご存知で、「現在の409号を走っていた、家の前は旧道」とのこと。
③地点 長南町中央公民館前
・題目(南無妙法蓮華経)塔 あり。
・角柱 安永6年(1777年)
・右 大多喜 ぼう志う道 左 いちのミや きよみづ道

④地点 報恩寺の正面階段下の墓地、墓地清掃中の親父さん、70歳?
・「この近くの旧道は、耕地整理で変わってしまっている。昔しは川の向こうであった」とのこと。
・「標柱は見ない。「ししはら」の地名は聞かない、「芝原」では?」とのこと。
・報恩寺にお参りし、境内の無縁仏が集められているところを調べたが、標石らしきものはなし。
蜂の巣が近くにあり、蜂がブンブン攻撃してきて長居はできなかった。
⑤地点 148号 芝原宿交差点 中華料理店の親父さん 60歳? *昼食で入店
・「標柱は見ない。「ししはら」の地名は聞かない、「芝原」では? 」とのこと。
・「清水寺の近くの夷隅川の渡しは知っている。赤い橋(音羽橋)が出来てなくなった」とのこと。
⑥地点 夷隅川に架かる音羽橋の左岸付近 敷地整備工事のおじさん(昼で休憩中) 65歳?
・「夷隅川の渡し舟については知っている。橋(音羽橋)が出来てなくなった」とのこと。
・「「ししはら」の地名は聞かない、「芝原」はある。」とのこと。
⑦地点 西光寺前(渡し地点近く)の石宮八幡宮傍の農家、 80歳?のおばあちゃんと若奥さん。
・「清水寺への参拝者が家の前を通り、渡し舟に乗った」とのこと。
・「「ししはら」の地名は聞かない、「芝原」であろう」とのこと。
・四国遍路は知っておられたが、坂東順礼はご存知でなかった?
・渡しの場所を案内していただいた。お地蔵が一体おられ、河原へ下りる道の形跡が残っていたが、竹と草でのジャングル状態で侵入は不可。小雨も降っていたし。
⑧清水寺
・岬町の役場に巡礼道について問い合わせたところ、「清水寺がご存知である」という回答のもとに、清水寺にアポイントをとっておいて訪問したもの。
・「ご存知である」の話しは車道のことで、徒歩の道はご存知でなかった。
・調査しているAルートは、「清水寺において皆さんに渡している車道ルートと同じ」とのこと。
・「清水寺~御宿のルートを「独案内の絵」を持って調査している人が、前にもあった」とのこと。
3.まとめ
①茂原~笠森寺間(409号)は、大正時代にも人車鉄道が活躍した最短ルートでもあり、笠森寺への参拝、観光のメインルートであったと考えられる。
なお、明治36年測量地図においても、このルートは車道として存在する。*内房線は運行している。
②笠森~清水寺のAルートは、長南町中央公民館前の題目塔に「いちのミや きよみづ道」の表示があること、「夷隅川の渡し地点近くでのおばぁちゃんの「清水寺の参拝者が多くが渡し舟で渡った」とのお話し、長南~清水寺の最短ルートであること、さらには明治36年測量の地図でもこのルートは車道として存在することなどから(荷車道程度か)、ルートとして間違いないと推察される。
なお、このルートは、現在の巡礼ルートとしても十分耐えられる最短ルートでもある。
以上の内容から、本調査Aルートは「坂東順礼独案内」の巡礼ルートとしては間違いないと考えられる。
③ところで、Bルートは遠回りではあるが、笠森寺~大多喜間はかっての房総街道であったこと、又、交通アクセスや宿泊施設の面で便利であることが特記される。
*大多喜はかっての城下町
復刻古地図 坂東順礼独案内図(人文社)
