坂東巡礼には、西国巡礼や四国遍路のように決められた番外札所は無いようです。
人それぞれの番外参拝、名所・旧蹟観光になるようです。
ここでは、皆さんの検討基礎資料として、提案ルート上の名所・旧蹟などをピックアップしてみました。
この内容は、これまでの歩き巡礼者の実績などを参考にしています。
< 番外の番外 > ――― 祈りの場所
ここを通過する時には、よくよくお祈りを?
a.生麦事件の跡
・14番弘明寺と13番浅草寺の間、横浜市鶴見区生麦1丁目、国道15号線と旧東海道の交差点、キリンビール横浜工場の一角にあります。
・社会の授業で習った、幕末の動乱期に起きた外国人殺傷事件を伝える生麦事件の碑です。
・事件の内容は省略します。

b.鈴ケ森刑場跡
・14番弘明寺と13番浅草寺の間、東京都品川区大井2丁目、京浜急行大森海岸駅から10分、大経寺内です。
・江戸時代の公開処刑場で、人通りの多い東海道沿にありました。
・天和3年(1683)に起こった放火事件の犯人・八百屋お七の火あぶりの刑はここで実施されました。
c.伝馬町牢屋敷跡(処刑場跡)
・14番弘明寺と13番浅草寺の間、東京都日本橋1丁目、地下鉄日比谷線小伝馬町駅の直ぐ傍、大安楽寺内(十思公園)です。*国道6号線南側歩道上にも吉田松陰の碑があります。
・江戸時代の牢屋で、叉処刑場でもありました。死罪(打ち首)の大半は牢内で執行されました。
・安政の大獄では、吉田松陰、橋元佐内、頼三樹三郎ら、五十余人が伝馬町牢送りとなり、そのほとんどが当地で処刑されました。

d.小塚原刑場跡
・13番浅草寺と12番慈恩寺の間、東京都荒川区南千住2丁目、JR南千住駅の直ぐ傍、回向院内です。
・江戸時代の公開処刑場で、人通りの多い奥州街道沿にありました。吉田松陰、橋元佐内、頼三樹三郎らの多くの志士が葬られています。
・明和8年(1771)には杉田玄白らが刑死者の腑分けを実見し、「ターヘルアナトミア」の信憑性を確認、翻訳書「解体新書」を刊行しています。鼠小僧らもこの地で処刑されました。
( 参考 )
小塚原と鈴ケ森は磔、火焙り、獄門の公開処刑場でした。なぜ小塚原と鈴ケ森が刑場に選ばれたかの理由は、江戸に入る東西の入口で、宿場があり、往来が多く、見せしめ効果が大だったからです。北の入り口になる板橋にもありました。
