浦安市・舞浜地区の液状化発生時の初期写真
東日本大震災の第1震(H23.3.11(金)14時46分)直後の、液状化発生時の初期写真とその後のポイント写真
(特別掲載) それなりに追加・修正します。
・第1震以降の震度
第1震14:46三陸沖で震度7、第2震15:06三陸沖で震度5-、第3震15:08?で震度5-、 第4震15:09?で震度5+、 第5震15:15茨城県沖で震度6-、 第6震15:18?で震度4、 第7震15:26三陸沖で震度4、 第8震15:27?で震度4 *気象協会のHPより。地震には伝播時間があることから舞浜地区では少し遅くなります。(計算では約1~2分) *浦安の震度は5強
・ 第1震のK-NET浦安でのNS加速度記録
震源での発生14:46、浦安での観測は14:47:15で、1分15秒後です。この加速度記録において特徴的なことは、加速度の大きさ(最大で174gal)ではなく、継続時間が非常に長いことです。(通常は長くても数十秒) これが、今回の大規模な液状化を発生させた一因と推察されています。 また、この記録とは別に、地震動の周期が0.2~1秒と比較的長かったことから、地中深くまで地震動が影響し、液状化を促進したとも推察されています。 さらに、余震(第2震以降)が、第1震に近い時刻で連続して発生したことも、液状化の規模を拡大したようです。
1.第1震の10分後(14時56分、最初の写真、3-10付近から見明川側) 泥水が噴出し始める。*泥水が噴出し始めたのは、 第1震が落ち着いて少し経ってからです。 *第1震が落ち着いた後、自宅各部屋の異常有無を確認し、余震を考えヘルメットを被りカメラを持って外へ飛び出した。様子をみながら班長さんと共に班内の老人宅の安否を確認をした。
2.14時56分(3-10付近から大三角公園側) 敷地と道路境界の割れ目から泥水が噴出し始める
3.15時00分(3-10付近から見明川側 *NO.1と同じ方向)
4.15時00分(3-10付近から駅側) 歩車道境界の割れ目から泥水が噴出(右は我が家、奥はJR京葉線、NO.1の後ろ側) *左側は噴出していない
5.15時01分(3-10付近から大三角公園側、NO.2と同じ方向) 道路全面に広がってきた。
6.15時02分(2-9付近) 泥水が広がってきた。最終的には植木鉢は上まで土で埋まり、また、車も車体底まで埋まり搬出が大変でした。
7.15時03分 (2-10付近から見明川側、*最初の写真(NO.1)と同じアングル、同写真の7分後 泥水が側溝から噴出し道路にさらに広がっている。 *ここまでの写真から、第1震でもって大規模な液状化が発生したことは明らかです)
8.15時10分(3-8前から高速道路側) 第4震後 下水マンホール鉄蓋穴から噴出する泥水(20cm程?) *この写真までに第2震~第4震をNo.1写真の石敷路面上で体感。路面はユラユラとゆったりと揺れ、波が来て過ぎ去っていく感じであった。 埋立の軟弱地盤であることから、短波長分は地盤で吸収され長波長分だけで揺れたのであろうか。 車道と歩道の境界には割れ目が出来て、開いたり閉じたりしていた。 屋内での食器棚などの倒れや食器の破損はなかった、軟弱地盤が短波長分の免震装置の役目をしたのであろう。
8-1.15時15分 第5震(強かった)の直前 (見明川沿いの道路、1-10横) 車道は泥水で冠水 *この写真の直後に、歩道上で第5震を体感。足元の歩道が沈み、桜のある植栽部と歩道の境界部に割れ目が発生、立っておれなくて植栽部に移り桜の木にしがみついた。 見明川を渡る国357号線(高速道路)の鉄桁が、動いて継ぎ目部でぶつかり合っているのか、ゴーンゴーンと大きな音を発てていた。
8-2.15時20分(1-1付近からメイン道路入口) 道路が盛り上がって通れない *見明川沿歩道の街灯工事をしていた会社が、セフティーコーンなどを設置。 *この盛り上がりは、地震波(地盤のスライド)が見明川の護岸基礎で反射し、この部分で進行波とぶつかったのであろうか。 *背後は見明川で先に見えるのはJR京葉線の高架、道路は冠水している。
9.15時21分(2-2付近から駅側、写真8-2の少し先) 泥水で道路が完全に冠水、水道管の破損もあったようだ(先の高架はJR京葉線)
10.15時22分(2-3付近) 家が地盤沈下により傾むき、車が泥水に浸かる (程度の差はあるも街区の殆んどの家が傾いた)
11.15時26分(4-3付近から駅側) 泥水で道路が完全に冠水、地盤沈下により門戸が倒れている。*家に戻ろうとするも、この状況のため別の道に迂回したが、次の写真(No.12)のとおりで、更に国道357号線側に迂回した。
12.15時33分(6-8付近から見明川側、上の写真の国道側の道路) 泥水が住宅敷地から道路全面に流れ出ている。普通の靴では通れない
〇ここからは翌日以降
13-a.翌日(12日(土) (2-10付近から見明川側、*No.7とほぼ同じアングル) 歩道に満杯の噴出土、No.6と7の写真における植木鉢(赤い服装の人の左側)は埋もれている
13-b.翌日(12日) (17-5付近から駅側) 噴出土の敷地からの搬出が始る(後ろは京葉線、道路が一部盛り上がっている)
13-C 翌日(12日) (3-11付近から見明川側) 歩・車道の割れ目からの噴出土。側溝は満杯だったが蓋を開けられずそのまま。 *No.4写真の右側の噴出部で、撮影は逆方向になっています。
14.翌日(12日)(3-10付近、NO.2と同じ場所) 駐車場に溜まった水を流すため噴出土(厚さ15cm程)に溝を掘る作業(泥水はヘドロ状で重い。この土は左隣りの庭から流れ込んだもの。この家では噴出なし) *駐車場の雨水を道路に流していたが、沈下で奥が低くなり水が溜まるようになってしまった。
15.翌日(12日)(17-1付近から高速道路側) 泥水が噴出しない家(敷地)や噴出土が流れ込まない道路もある(道路は2割~3割位か?)
*翌日(12日)にボランティアをしての「こぼれ話し」
・家の前の噴出土は前日に処理し、当日は5時半起床で6時に作業着・ヘルメットで自治会館へ駆けつけた。(前年に副会長をやっていたこともあり) 鍵が掛かっていてダメで、SとKさんと連絡をとったところ、「9時の役員召集になっている」とのこと。自治会は機能していることから「待機しているから必要に応じ連絡を」と伝えて帰宅。
・その後、Wさんから連絡があり自治会館へ。防火水槽からの消防ポンプでのトイレ用水の汲上げなどが始っており、多くの会員がバケツなどを持って並び会長以下でワイワイ。当方は、会長用のハンドマイクを探して渡した。(棚にあるも使用不可で、電池と端子が錆びていた。予備電池を捜すも見つからず他の音響機器の電池を外し、端子の錆びをハサミで削って使用可に)
・続いて、会長が叫んでいる「トイレ用水であること、飲み水は小学校にあること」の掲示ポスターを、倉庫に在った板と椅子を使用して表示した。これには、適当な大きさの用紙がなかったことから、カレンダーを剥がしてその裏に書いた。
・その後、給水場所に積もっていた噴出土を除いたり、板を置いて足場廻りの改善などをしている内に「家が浸水して人が外に出られない」の連絡が入ってきた。それは緊急事態ということで、数人で出かけた。現地は、水道管が破裂したようで、その水と噴出した泥水が玄関階段下と駐車場に流れ込んでいた。(*前日からそんな状態であったが)車が車輪上まで浸水していたが、一段高い位置にある家屋は大丈夫で、玄関から道路に出るには膝まで浸かるが、出るのは支障のないことが判明、ひと安心。家の方が植木鉢やゴミ袋に噴出土を入れ土嚢を作り、対応されていたが水流が強くてダメ。
・「ビニール袋で土嚢を作り防ぐ」ことを皆で決め作業に入る。当方は、自治会館に集団ゴミ清掃で使うゴミ袋を20~30枚程取りにいく。また、その帰りに家に寄って、ポリの長植木鉢(空)を5本程持って現地へ。後は、長靴に入りそうな水を気にしての土木作業員で腰が痛くなった。
・以上の出来事で感じたのは、自宅が被災しているのにも関わらず奮闘していた持ち回りの自治会長以下の役員、町内のボランティアの人、第1震直後に独居老人宅の安否確認をしていた班長さん、ありがとうございます。素晴らしい、感謝・感謝。
チト気になったのは、隣人のバタバタを見学している人を眼にしたこと、また、「自治会は、市は、・・・・」の言葉を小耳にしたこと。残念ですね。*災害時は普段ではないのです、「今、自分は、何が出来るか」・・・・
16.翌々日(13日)(24-11付近から大三角公園側、NO.2と同じ場所) 道路に積まれた噴出土(粘っこくてタイヤをとられ動けなくなる車もあった) *左の家の土は、左隣りの庭から駐車場に流入したもので、これがさらに道路にも拡散(道路右の土の山も)。 なお、道路右側の家(敷地)では土の噴出と家の傾きはなし。
17.14日 舞浜3丁目街区を一周した。3丁目バス停、後ろはガスタンク、左は駐車場、車道側が30cm程DOWN、噴出土が乾いての土埃が凄い
18.14日 県道の歩道が斜めになった。左はアンバサターホテル、車道は30cmほどDOWN。(敷地側もDOWN、歩道は埋設された下水管とガス管による浮き上がりによるものかUPしている)
19.14日 国357舞浜交差点脇の、歩道と住宅地の擁壁間に30cm程の亀裂(この付近は全体的に30cmほど沈下している。歩道と擁壁間の亀裂は、地盤の横スベリによるものか? ) *左は県道、奥は国道で青いのは歩道橋
20.14日(自治会館前) 仮設トイレと消火ポンプ(両方とも自治会の装備品、ホンプはトイレ用水の汲上げに使用)
21.19日(3-10付近から駅側) 道路の土は搬出され下水の修理が進む(上・下水が未だ使用不可、右端は我が家) *浦安市は激甚災害指定された
22.20日(3-10付近) ガス管の応急復旧工事(下水の応急復旧工事も続いている)
23.21日(3-10付近から見明川側、NO.1と同じ方向) 震災後の初の 雨です、側溝から出した土が流れないようにシート
24.22日(2-2付近から駅側、NO.9とほぼ同じ方向) 排水設備(前日に雨対策として住民が仮設ホンプを設置、側溝は完全に埋まっていたものを20日にボランティアが排土してくれた、感謝)
25.22日 JR新浦安駅前のホテル側 道路が20cm程沈下、新浦安駅から海側の液状化がひどく、歩道はガタガタであった。市役所へ用事で行ったが皆作業服で頑張っていた。駐車場には自衛隊の車両や油タンク車もあった。
26.24日(3-10付近から見明川側 ) 満杯であった家前の側溝の土が除かれ、開けっ放しであった先の方の側溝蓋も閉められた(左は我が家)
27.25日(17-3付近) 基礎部の通気口から泥水が入ってしまい床下が泥水の海になった家もあり、土をバキュームで除去してところ(人の手で、泥まみれになりながら汲み出している家が殆んど)
28.25日(NO.11写真の奥の方に位置する) 敷地内から出された土(一軒分)で、今も実施ている家がある。 街全体では、 ガス復旧工事は続けられている。水道は街区周りに地上配管し、約50m間隔で蛇口が設けられたことから楽になった。既設水道管の漏水チェックが続いている。下水がダメなため風呂、洗濯、トイレが未だ使用できない、長期戦になりそうだ。 *出された土(噴出土と水)の分は、地盤沈下する(している)のであろう。
29.26日 浦安市の家屋調査(居住の危険判定)が実施された(建物四隅の外壁の傾きを測定) *保険の判定基準では、3度(垂直1.2mで水平5cmのズレ)で全損(住めない)だそうです。
30.その後(1)

31.その後(2)
32.補足
3月30日~4月2日にかけて、3丁目525戸の3/4(わが家も含め)の上・下水が仮復旧し、トイレが使えるようになりました。 通常の生活が戻り、生活上のストレスが激減しました。 復旧のため頑張って下さった皆さん、ありがとうございました。
33.4月13日 見明川沿いの桜(中央通り入口) 例年通り咲きましたが、花見の気分にはなれません。 仮設水道は未だ使われています。下水の応急復旧や雨水路清掃のため、街区のところどころで重機が唸っています。 *写真では、歩道と車道の段差30cm程、道案内板と消火器が傾いたまま、左端は仮設の蛇口と消火栓。
34.4月30日 50日が過ぎ街は落着いてきました。
・50日が経過しました。震災直後は、液状化で噴出した土の多さ、道路の陥没、傾いてしまった家屋、停まってしまつたライフラインなどを眼の前にし、「これは大変だ」と皆が思いましたが、時の経過とともに街は落ち着いてきました。 道路に山積みされた噴出土は搬出され、叉、詰まった雨水管・側溝なども綺麗に清掃されました。 応急復旧された道路のデコボコや所々で見られる傾いた外塀などを気にしなければ、街並は落ち着いてきたといえます。 土埃の原因であった道路の土は雨で綺麗に流され、各戸の家前で育てられていたパンジーやマーガレットは例年どおり咲き誇っています。 ディズニーランドも再開園され、舞浜駅には賑わいが戻ってきました。
・ところで、これまでの写真では、特徴のある写真を選んで掲載してきましたが、「街全体が写真のようではない」ことを、ここで補足させていただきます。 台風に遭った時、同じ街でも場所によって被害が異なるように、今回の液状化被害でも場所による特異性(被害の濃淡)がありました。 あれだけの地震ですので、大きな台風の時のように、家や家の周りが少しガタつくのは、地震、台風の災害日本では避けられないことかもしれません。 特異性の場所に該当してしまった方は大変ですが、マクロ的には「災害多発の日本」の姿ではないでしょうか。
・いずれにしても、「これは大変だ」と思ってから50日あまりで、これだけの復旧が進み日常生活が戻ってきたことは、浦安市をはじめとする関係機関の皆さんのご努力の賜物です。また、「日本の底力」も感じています。 ありがとうございました。
・未だ、津波被災や原子力被災の多くの方が、避難を続けられておられますが、一日も早く、日常の生活に戻られることをお祈りしております。また、亡くなった方のご冥福をお祈りします。 オン・マカ・キャロニカ・ソワカ
35.6月18日 100日が過ぎました。震災で亡くなられた方のご冥福をお祈りします。観音さまの膝元で安らかでありますように。
・傾いてしまった家屋の修復工事がポチポチと始まりました。この写真の家屋では、ジャッキアップ工法が採用されました。狭い場所での、叉、梅雨空の下での作業は大変です。(全戸が鉄筋入りのベタ基礎) *街では、応急復旧のため仮設配管されていたガス管の本格復旧が続いています。 下水の本復旧は手付かずです。 また、メイン道路の路面はデコボコの状態で復旧は何時になるのやら?
・
*メモ --町内でのボランティア(お手伝い)の実績
・土に半分埋まったクーラーの清掃 6台、 ・下水管の排土と清掃 1戸、 ・車庫シャッターの修理 1戸、 ・玄関ドアーの軋み修理 1戸、 ・門扉の修理 1戸、 ・車庫などの雨水排水設備設置 2戸、 ・車庫の清掃 2戸、 ・泥土の道路への搬出手伝い 2戸
36. 7月11日 4ケ月が過ぎました。地盤ボーリング調査や家屋の解体がされています。
・ボーリング調査 2~3m程は盛土で、その下は柔らかいN値=0に近い埋立地盤のようです。・家屋の解体作業 梅雨明けの夏空の下、潰れた灯器などが転がっていて、寂しさを感じました。
37.8月11日 5ケ月が過ぎました。傾いた家屋の修復工事がアチラコチラで本格的に実施されています。また、災害復旧における国や県の補助金を決めるための、現地確認(査定)がされています。 真夏の炎天下での作業で、本当にご苦労さまです。
38.9月11日 半年が過ぎました。残暑の厳しい中を、傾き直しの工事がアチコチで進められていて、コンクリート壊しのダダダダーが聞こえます。
叉、第5回の住民説明会がありました。地盤関係では、住民へのアンケート結果、ボーリング調査結果などが報告されましたが、内容は専門的・学術的です。液状化は地下5~10mの地層で発生したようで、N値はゼロに近く、埋め立て前のヘドロ層か浚渫埋立層のようです。 液状化対策の地質改良をするとなると、10m程の深さになりそうです。 デイズニーは建設前に地盤改良したから液状化しなかったと言われていますが、どの程度の深さまで地盤改良をしていたのでしょうかね?
39.10月19日 門柱と階段の修理 家は大丈夫でしたが、門柱が道路側に傾き、また、階段に亀裂が生じたために、全部を壊して造り直し。
40.10月28日 家の傾き直しのプッシュアップ工法 *基礎はそのままで土台をジャッキで持ち上げ、隙間にはモルタルを充填するもの。*経済的な工法とのこと
41.10月28日 植栽の枯れ マイアミクラブ *噴出した泥水に塩分が含まれていたためでしょうか。後日に別の木に全面的に植え替えられました。
42.11月18日 市による道路の詳細測量 と 家屋の傾き直し 地盤の沈下・スライドなどで変わってしまった道路の詳細測量が、やっと始りました。 写真1と同じメイン通りでは、道路の両側で家屋の傾き直しが実施されていて、車の片側通行が続いています。 *この写真に写っている家屋の殆んどは修復を必要としているようで、まだまだ両側駐車は続きそうです。

43.H24.3.3 浦安市の液状化による家屋被害内訳
・全壊 10戸、 大規模半壊 1519戸、 半壊 2129戸、一部損壊 5070戸。
なお、その区分の判定基準は、傾きが、1.2mの垂直において下部の隙間が、小規模損壊では12mm以下、半壊12~20mm、大規模半壊20~60mm、全壊60mm以上。 *例えば、半壊の12mmでは、高さ1.8mの襖では20mmの隙間が出来る傾きです。
44.H24.3.11(日) 震災から一年経ちました
14時46分 西美濃観音霊場の巡礼をしていました。政府の追悼式典の様子をラジオで聞きながら、これに合わせ「君が代斉唱」と「黙祷」を行いました。場所は岐阜県揖斐郡揖斐川町の役場に近い道路交差歩道でした。目を閉じ黙祷し、終えて歩き始めたのはよいのですが、場所と方向感覚がクリヤーされてしまったようで、道を間違え1kmほど迷走しました。地図とコンパスは常に持っていたのですが、現在場所が特定できなくなりウロウロ、「アイアム ロスト」でした。子供連れの若いご婦人に居場所を教えていただき、迷走を終えることができました。感謝・感謝。
背負られて津波から逃げられたものの、その後の避難生活での疲れのせいか、丁度半年後の9月11日に亡くなった義父をはじめ、震災で亡くなった人、行方不明の人のご冥福をお祈りします。「オンマカ キャロニカ ソワカ」
舞浜地区では、家屋の傾き直しが続いています。ボランティアをした4軒の家屋では3軒が終了、1軒が施工中です。道路はデコボコ状態のままで、復旧は24年度(4月以降)とのこと、叉、幹線道路を優先するとのことですので、住宅街の道路は何時になるやら。 さらに、道路補修の前に下水などのインフラ補修もあるようですので、長期戦になりそうです。少し不便な状況が続きますが、大きな災害だったし、生活して(生きて)いく上で特段の支障はないことから、待つことにしましょう、気長に、気長に、復旧のために頑張っている人が沢山おられるのだから。
<液状化による家屋被害に関する一考察 (4月5日) >
3丁目街区において、液状化による家屋被害(沈下、傾きなど)に濃淡があります。アバウトですが状況を調べてみました。
〇4月7日追記
又聞きの情報ですが、昔しのことをご存知の方(?)のお話しでは、「宅地造成される前には、帯状のところには排水路があった」とのこと。
この話しには納得させられます。見明川沿いに位置する一列の住宅に、被害が少ないのも説明がつきます。
他の場所において被害が顕著な場所も、排水路の影響が推察されます。*写真9~11は、被害が顕著なベルト地帯に位置しています。
